コラム:第三の革命 立体3D映画の時代 - 第9回

2010年8月6日更新

第三の革命 立体3D映画の時代

第9回:3Dテレビの長い歴史(1)その2

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【図5】ABCの3Dテレビの公開実験風景。黄色の矢印が淀川長治氏
【図5】ABCの3Dテレビの公開実験風景。黄色の矢印が淀川長治氏

■ABCの3Dテレビ実験

1950年代に入って、米国の家庭に本格的にテレビが普及し始める。するとハリウッドはこれに激しく危機感を感じ、対抗策として3D映画の導入を急いだ。こうして1953年に第一次立体映画ブームが巻き起こったのだが、すぐにテレビ界も3D化に乗り出す。

アメリカ3大ネットワークの1つであるABCは、パッシブ・ステレオを開発したポラロイド社と3Dテレビを共同開発した。そして、国際放送事業者団体NARTB(現NAB)の第31回年次総会において、1953年4月29日に公開実験【図5】を行った。この仕組みを簡単に述べると、テレビカメラのレンズ前で半分が鏡となったガラス円盤を回転させ【図6】、左右の映像を走査線の奇数と偶数に振り分ける「フィールドシーケンシャル」方式だった(現在、各メーカーが販売している3Dテレビは、フレーム数を倍にして左右の全画面を交互に表示する「フレームシーケンシャル」という方式である)。

【図6】ABCの3Dテレビ・システム
【図6】ABCの3Dテレビ・システム

コンテンツは、ABC系列局のKECA-TVが制作した子供向けSFテレビシリーズ「Space Patrol」の1エピソード「The Theft of the Rocket Cockpit」が15分間生放送されたのと、フィルム撮影による6分間の短編「M. L. Gunzburg Presents 3-D」だったそうである。ちなみにこの公開実験は、ロサンゼルスのビルトモアホテルで開催されたが、渡米して米国の立体映画ブームを取材していた淀川長治氏も参加している。

問題は、2台のビデオプロジェクター、ないしハーフミラーで組み合わせた2台のモニターを必要とすることで、一般向けに放送するには問題があり過ぎ、クローズドサーキットにおける実験だけに終わってしまった。

■アクティブ・ステレオやサイド・バイ・サイドの3Dテレビも登場

【図7】3Dビデオ社の「テレビスタ」
【図7】3Dビデオ社の「テレビスタ」

同じく1953年には、シカゴにあるアメリカン・テレビジョン研究所のウリセス・A・サナブリアが、3Dテレビを開発していた。これは円筒形の回転ビュワーを覗いて毎秒15フレームの画像を見る、機械式アクティブ・ステレオ方式で、かなり音がうるさかったそうである。

また、米3Dビデオ社のジェームス・F・バターフィールドは、サイド・バイ・サイドの画面をプリズム式ビュワーで鑑賞する3Dテレビシステム「テレビスタ」【図7】を考案した。1954~5年にメキシコにおいて実験放送を試みたが、縦長の小さな画面は見辛く、これも普及には至らなかった。

■日本初の3Dテレビ放送

【図8】「ゴリラの復讐」の3D放送 の広告を表紙にした、米国の 雑誌「TV WEEK」(1982)
【図8】「ゴリラの復讐」の3D放送 の広告を表紙にした、米国の 雑誌「TV WEEK」(1982)

こういった実験ではなく、実際に一般向けに放送された3Dテレビ番組は、意外にも日本が世界最初である。その番組は、日本テレビ系で1974年10月5日~1975年3月29日に放送された連続テレビドラマ「オズの魔法使い」で、第11話より番組の一部がアナグリフ3D映像になっていた。いかんせん毎回わずかな時間しか3Dパートがなかったため、メガネを探している間に終わってしまうという記憶が残っている。

撮影システムの開発は、テレビマンユニオンの佐藤利明によって行われたもので、カラー映像をR(赤)とGB(緑青)に分離することによってアナグリフ化していた。この時のテープは、まだ鮮明な画質のままテレビマンユニオンに保存されている。

■米国のアナグリフ3D放送

【図9】「ビュンビュンとび出す3Dテレビ」 (テレビ東京)の案内(1983)
【図9】「ビュンビュンとび出す3Dテレビ」 (テレビ東京)の案内(1983)

米国では1980年12月19日に、ロサンゼルスとミルウォーキーにエリアを持つSelec TVというケーブル局が、長編映画「雨に濡れた欲情」(1953)と、短編「あきれた迷探偵」(1953)をアナグリフ方式で3D放送した。視聴者は、番組ガイドに同封されたクーポン券を近くのシアーズに持っていくと、アナグリフ・メガネが2つもらえるというシステムだった。

これをプロデュースしていたのは、かつて「テレビスタ」の実験を試みていたバターフィールドの3Dビデオ社であった。「雨に濡れた欲情」のオリジナルフィルムはテクニカラーだったが、この時は一度モノクロ化してからアナグリフの1インチ・マスターを起こしていた。

3Dビデオ社は積極的に米国のケーブル局に3D映画を売り込んだ。そのラインナップは「ブワナの悪魔」(1952)、「Pardon My Backfire」(1953)、「キス・ミー・ケイト」(1953)、「地獄の対決」(1953)、「The Mad Magician」(1954)、「ゴリラの復讐」(1954)【図8】、「半魚人の逆襲」(1955)などといった作品であった。そして自社工場で、オリジナルデザインのアナグリフ・メガネを製造・販売することもやっており、3年間に2億5000万個ものメガネを作っている。

■テレビ東京の3D放送

日本でも、広告代理店のビデオプロモーション社がテレビ東京に企画提案し、1983年6月20日に「ゴリラの復讐」を「特別ワイドプレゼント ビュンビュンとび出す3Dテレビ 驚異の立体映像日本初公開 画面を突き破るビックリ立体効果 仰天飛び出し大特集 出た! ゴリラの復讐 特別編」という、長いタイトルで放送している。3Dビデオ社製のメガネは、セブン・イレブンにおいて1つ100円で販売された。【図9】

残念ながら日本では大きな話題にはならず、「ゴリラの復讐」1本だけで終わってしまったが、欧米ではこのアナグリフ3D放送がきっかけとなって、新作の3D映画が次々と作られ、80年代の第2次立体映画ブームへと発展していった。
(次回へ続く)

筆者紹介

大口孝之のコラム

大口孝之(おおぐち・たかゆき)。立体映画研究家。59年岐阜市生まれ。日本初のCGプロダクションJCGLのディレクター、世界初のフルカラードーム3D映像「ユニバース2~太陽の響~」のヘッドデザイナーなどを経てフリー。NHKスペシャル「生命・40億年はるかな旅」のCGでエミー賞受賞。「映画テレビ技術」等に執筆。代表的著作「コンピュータ・グラフィックスの歴史」(フィルムアート社)。

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