【「英雄の証明」評論】アスガー・ファルハディの天才ぶりを再認識 英雄になってしまった囚人の末路

2022年3月27日 18:00


「英雄の証明」
「英雄の証明」

イランの巨匠アスガー・ファルハディは、ほんの些細な出来事が、人生の「致命傷」となっていくさまを表現する天才だ。その過程の描き方は、驚くほど滑らか。主軸となる事件はシンプルだが、それを取り巻く人々の感情と状況は、常に複雑化していく。日常と地続きに存在するサスペンス。新作「英雄の証明」も「これぞファルハディ!」と拍手を送りたくなる逸品だ。

主人公は、借金の罪で投獄され、服役しているラヒム。そんな彼の婚約者が17枚の金貨を拾った。借金返済の充てにするのか、持ち主に返すのか……。結局、ラヒムは落とし主に返すことを決意する。この善行が、メディアに報じられると大反響を呼び、彼は“正直者の囚人”という美談の英雄に祭り上げられていく。

拾った金貨を、持ち主に返す。称賛に値する行いだ。しかし、ファルハディ監督は、ここに「疑いの余地」を残していく。ラヒムと婚約者の関係性、金貨返却までの経緯、事情を抱えた持ち主の存在。これらが「閉ざされた状況」に放り込まれる。つまり、当事者たちしか知らない、第三者にとって不明瞭な事実と化すのだ。ラヒムは「事実の証明」に奔走するのだが……美談の要因でもあった囚人という肩書きが、負の方向へと反転してしまう。

そもそも英雄とは、単独で成り立つことができない。周囲の称賛によって、光の下へ導かれた存在である。つまり自然と生まれることはなく、人工的に作られるのだ。本作でその一翼を担うのが、メディアによる拡散。テレビ放送によって、ラヒムの人物像は美しく切りとられ、演出されていく。一方、SNSはその虚飾を剥ぎ取るような機能を担う。だが、その場もまた虚実が入り乱れ、都合の良い解釈が溢れかえっていることを忘れてはならない。

行き場を失い、徐々に消耗していくラヒムの姿が痛切だ。発端となる決断は、正しいものだった。では、何がいけなかったのか。それは他者によって作られた立場に依存してしまったことだろう。地位の維持に努めるあまり、英雄には相応しくない振る舞いまでも……。ラヒムは、英雄に“なるつもりはなかった”。しかし、予期せぬ形で“なってしまった”のだ。このズレが効果的。だからこそ、見通しの甘さが際立っていく。

高潔であり誠実、嘘偽りからは遠く離れた存在であることを求められながらも、一度堕ちてしまえば這い上がることは難しい。それが英雄の立場だ。この点を認識しておかなければ、大きな代償を支払うことになる。ファルハディ監督らしいといえばらしいのだが、今回の「登場人物の追い詰め方」は徹底しており、思わず「そこまでやるのか……」と呟いてしまったことを記しておく。

(岡田寛司)

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