伊武雅刀「自分ひとりが悪者だった」井伊直弼演じて恨み節

2010年9月28日 22:34


水戸での撮影秘話を披露
水戸での撮影秘話を披露

[映画.com ニュース] 吉村昭の小説を映画化した「桜田門外ノ変」の公開を前に、9月28日、東京・千代田区のホテルニューオータニで「『桜田門外ノ変』の世界 井伊直弼の狂言とシネマトーク」と題した記念イベントが行われ、井伊役の伊武雅刀とメガホンをとった佐藤純彌監督が登壇した。

安政7年(1860年)3月3日、幕政の改革を目指した攘夷派の水戸脱藩士・関鉄之介(大沢たかお)ら18人が、開国をおし進めていた徳川幕府の大老・井伊直弼を暗殺した「桜田門外ノ変」の全貌に描き、幕末の志士の生きざまに迫る時代劇エンタテインメント。この日、彦根藩井伊家中屋敷跡に建つホテルニューオータニを会場に、井伊が襲撃の数日前に初演した自作狂言「鬼ヶ宿」が狂言師・大蔵流茂山千五郎家によって上演された。

伊武は「自分ひとりが悪者だった」ともらすと、茨城県水戸市に建設されたオープンセットでの撮影を振り返り、「広大なセットの中で、私は小さな籠(かご)にいるだけ。本当は縦横無尽に切りまくりたかった」と恨み節。さらに現場に5日間通いつめて、やっと籠の中を撮影するタイミングを得たと述懐した。これには佐藤監督も「待ち時間ばかり長くて、常にスタンバイさせてしまい申し訳なかった」と平謝り。「おかげでいいシーンになった」と語った。

その佐藤監督は当初、同作のメガホンをとることを固辞。「普通の映画のように、あの襲撃シーンをクライマックスにしてしまうと、今の時代では政治的なテロリズムを承認し謳歌する形になってしまう危険性があった」と理由を説明した。その上で「なぜ事件が起きたのか、そしてまったく無名だった水戸の人々がいかに事件に参加し、どんな運命をたどったかという二重の時系列で物語を展開させる工夫を施した」と演出意図を明かした。

最後に伊武は「井伊直弼は大老になる前は、武道にお茶、鼓や歌などいろんなことを極めた人物。この映画ではフィーチャーされていませんが、私自身、井伊が大好きになりましたし、ぜひ多くの方に楽しんでいただければ」とアピールした。

桜田門外ノ変」は、10月16日から全国で公開。

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