劇場公開日 2023年6月2日

  • 予告編を見る

共に生きる 書家金澤翔子のレビュー・感想・評価

全11件を表示

4.5今すぐ浜松に飛んでいって あの龍雲寺の般若心経を拝みたい

2023年10月22日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

鑑賞後、1週間経って、
このドキュメンタリー映画の味わいを思い返してみる。

【母と娘】
取りよう かもしれないが、
他のいくつかのレビューで言われているほどお母さん=泰子さんは、悪くは描かれていないのではないかな。
この映画はもちろん金澤翔子さんを主役にしているのではあるが、
年齢が近いせいもあるだろう、僕はたっぷりとお母さんの金澤泰子さんの生き様を目で追い、一挙手一投足、その眼差しとお姿を心に刻ませて頂いた気がする。

それは
赤ちゃんの翔子さんを抱いてお地蔵様に “御百度参り” し続けた母親の姿と、
夫を失った妻の姿と、
書道教室で奮闘するひとりの女の姿だ。

書道の師範として、徹底して門下生を一人前に鍛え上げる責任がある「徒弟制度」の世界と、
そして母としての顔。
この二つの輪だち、その二本の足跡で、あのお母さんを取材しつつ弟子の金澤翔子さんが同時に紹介されているのだ。

師匠だけど母。
母だけど師匠。
子離れ出来ない親だったとしても、口出しや手出しの多い親であったとしても、それは けして悪いことじゃない。
いろいろな親がいて いいのです。
師匠でありつつ、大成する娘に掛けるその母親としての脱線した喜びようにも、僕は (ちょっとだけではなく)本心から寄り添いたいですね。

【専門家たちからの評価】
千住博の優しさといたわりの言葉がたいへん良かった、
「頑張れと言われて芸術作品は出来るものではない、
むしろ『もう書かないでいいのだ』『無理することはやめていいのだ』と本人を止める言葉がアーティストに対しては必要。
しかし制止されてなお書きたくなるのが芸術家なのかもしれない」。
・・この千住の、“同業者”、否、“同労者”に向けての敬愛のこもったコメントは胸を打った。書家金澤翔子に対してはもちろんのこと、その母親として頑張ってきた金澤泰子にも向けられている“やんわりとしたブレーキ”と、温かいねぎらいだろう。

そして数人のアーティストや僧侶が劇中のインタビューで興奮を抑えつつ語っている。彼らはプロとして作品を、作品そのものだけを見ている。
そしてどこの会派からも自由で、笑顔で筆を振るう彼女に羨望している。
そして仏教者は般若心経の具現に、書を通しての仏の慈愛を見ているのだ。

【芸術家はその作品で勝負】
すでに彼女の作品は家族血縁から独立・離陸しており、
その作品は、どんな境遇にあった人間の手に依るものかという二次的な背景よりも、そこに打ち立てられた書の芸術性で、堂々と三千世界に輝いていると思う。
僕は音楽をやっていたので、わかるのだ、「良い作品だけが後世に残る」ということ。

先年鑑賞した音楽映画「パガニーニ」では、演奏家を支配しマネージメントを握る「見世物興行主」という存在に首をかしげた僕。くだんの興行主はパガニーニを喰い物にして、儲けるための商売道具としてバイオリニスト=ニコロ・パガニーニを利用した。
モーツァルトに対する父レオポルトの関係も似たようなものだ。
しかし、興行主や過干渉のステージパパが死んでも、パガニーニの作品もモーツァルトの作品も残った。

百年経ってようやくその価値が認められる作家もいるだろうが、書く先から衆人の目を奪い、その墨跡が取り合いになる時代の寵児もいる。
思いがけずとんとん拍子で有名人になってしまった金澤翔子さん。
知名度でも収入の面でもすでに師匠を超えて、師匠を養う存在となったことだろう。
まさに「共に生きる」だ。

あの母親がどうだって?
心配しなくても作品は残る。
ミロのヴィーナスを見るが良い。
作者も親も死んだあと、
作品だけが更に“迷信”や“伝説”を脱ぎ捨てて
かつて音楽や絵画・彫刻や文学がそうであったように
本物であったならば、人類の宝として、文明の嗣業として それは残っていくはずだ。

・ ・

白い半紙、黒い墨、赤い落款。
目にも鮮やかな「風神雷神」の大屏風・・
激しく胸を打たれて、前の座席の背もたれを掴み、思わず身を乗り出してスクリーンを観ている自分がいた。

感謝。
合掌。

コメントする 1件)
共感した! 0件)
きりん

2.0書を初めたきっかけ、その思いが継続してるとは思えなかった。

2023年7月30日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

ダウン症でありながら
書家として活躍されている金澤翔子氏
彼女の作品の中には、
NHK大河ドラマ「平清盛」の
題書もそうで
その活躍は同じく書家である
母親 泰子氏の支えや教えが大きい。
また翔子氏が完全にひとり暮らし(自立)を
している事を見れると
同じダウン症の子を抱えた親にとって
大きな希望に繋がっていたように思えます。
ただそこにはやはり母であり師である泰子氏の
確固たる強い思いと覚悟あるからこそだと
思います。
(完全な独立、自立ではないみたいだけど)

心得がないし、実物を見た訳では無いけれど
その「書」の力強さ(ダイナミック)とスケールの
大きさには感動します。
柳田流4代目 柳田泰山氏の
「彼女の書を見て涙を流す人がいる。
自分にはそんな書は書けない。」と言う台詞が
印象的でした。

ただ色々気になる点がありました。
それはもうただただわたし個人の邪心(笑)
なのでこの点数です🤣

コメントする (0件)
共感した! 1件)
みき

3.0心が温まりました!

2023年6月18日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

金澤翔子さんとお母様のお互いを想う気持ちが伝わり、いろいろな感情かま溢れました。

コメントする (0件)
共感した! 1件)
AYK68

4.0「元気もらっています」

2023年6月15日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

興奮

今年89本目。

PHPに毎月金澤翔子さんの書と金澤泰子さんの文、元気もらっています。先月号も映画を通して少しでも他の方を勇気づけられたらと書かれていました。お坊さんが無心で描いている、仏様が描いているような、書の般若心経に合わせてお寺を改築、そこまでの書だったんですね。自分は書道初段持っていますが自分のような一般の人が見ても凄さが伝わります。ここからの毎月のPHPが違って見える。

コメントする (0件)
共感した! 1件)
ヨッシー

4.5映画館で観るべきドキュメンタリー

2023年6月10日
Androidアプリから投稿

2023年劇場鑑賞132本目。
パンフレットないのでマイナス0.5。惜しい。
障害者の施設で働いていて、自分の事業所にも金澤翔子さんの「共に生きる」と書かれた書が寄付されて飾られています。30万円くらいでしたかね。

まぁ人には字が汚いと言われ続けるほどなので正直書というものはさっぱりです。このドキュメンタリーも娘さんがお母さんに叱られながら書いていたり、逆にのびのび自由にさせていたりする、いわゆる障害者ドキュメンタリーかな、と思っていたのですが、あくまで書家 金澤翔子 をスタイリッシュに描いた作品で、障害者関係の人のインタビューはほとんどなく、芸術家や、書に感銘を受けた人たちのインタビューと、書の紹介がほとんどを占めています。とにかくスケールの大きな(実際のサイズとしてもそうですし、内容としてもそう)作品なので、スクリーン映えするんですね。特に泣くシーンでもないのに涙がなぜか出た後に、書家の大家が「お客さん泣いているんですよ、僕はそんな書書けたことない」なんて言うものだからいや、ホントそうですよね、と同意せざるを得ませんでした。
「馬」の字はこれは確かに馬だ!と感心しました。

障害者が苦労して頑張ってますよーというのを観たい人には拍子抜けかもしれませんが、本来こう描くべきなのかもしれません。

これは監督のせいではなく、単に親子の関係の話なので映画の評価には全く影響しないのですが、お母さんが常に一緒にいて、子離れできていないんじゃないかな、子が自分の知らないところで生活する時間も必要なのではないかな、(一人暮らしはしているようですが、階下にはお母さんの書道教室がある)とは一福祉職員としては思いました。

コメントする (0件)
共感した! 1件)
ガゾーサ

4.0この親子のお話は、 テレビのドキュメントでも見たことがあるけれど、...

2023年6月10日
iPhoneアプリから投稿

この親子のお話は、

テレビのドキュメントでも見たことがあるけれど、

二番煎じにはならずとても良い映画作品だった

色んな意味での愛に溢れていて

見ただけで満ち足りた気持ちにもなれる

お母さん、すてき

そして、エンディングロールで城南信用金庫を見かけ、

金融機関なのに意志を持ったこの企業を

また好きになった

コメントする (0件)
共感した! 1件)
jung

4.0素晴らしいドキュメント。思いは伝わる

2023年6月9日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

知的

難しい

書家金澤翔子のドキュメントを観たが、彼女の書への思いが字から伝わった。ダウン症をか抱えながらも同じ書家である母との二人三脚で数々の力強い書を書きあげた彼女には敬意を示したいし、機会があれば個展を観に行きたい。今は脳梗塞で倒れ病気療養から退院後のリハビリ中の母だが、母も以前書道をやっていた。ちなみに母は初段所持。今は以前のようにできないがリハビリ先でも書道を楽しんでいる。翔子さんの姿を映像で観て色々考えさせら
れた。このドキュメントで人気グループSEKAI NO OWARIのNAKAJINが出演していた。何故かと思ったら翔子さんと小学校で同級生との事。せっかくならグループで翔子さんの個展を観に行くシーンとか映画の挿入歌や主題歌をプレゼントすればいいのに。

コメントする (0件)
共感した! 1件)
ナベウーロンティー

5.0素晴らしい作品

2023年6月5日
iPhoneアプリから投稿

期待以上。☆彡

翔子さんは、お母様も書家の家元も
超えましたね!

感動しました。
感謝の文字すきです。

コメントする (0件)
共感した! 1件)
花丸

5.0作品の力や輝きは障害のあるなしを軽く凌駕するものだ

2023年6月5日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

 その書を目にした時心が震えたのを覚えてる。
 それから数年こうしてまた映像で逢えた事に感謝。

千住博氏の言葉は重くそして敬愛に溢れている。

コメントする (0件)
共感した! 3件)
すったもんだだよ

金澤翔子さんの映画を見ました

2023年6月4日
スマートフォンから投稿

今日久しぶりに映画を見ようと思いましたら以前金澤翔子さんの席上揮毫を見に行った事が一度だけあったので観に行く事にしました。映画館は日曜日にも関わらず観客席は私を含めて三人だけでした.映画が始まると翔子さんの映画と言うより翔子さんのお母さんのダウン症の翔子さんをここまでにした自慢話しばかりで少し不愉快になりました。これはお母さん(金澤泰子さん)の苦労話のドキュメントですか?途中で出ました。以前も席上揮毫に行った時も司会者の方が翔子さんに質問のある方は?と言うと観客席から手を上げた人がマイクを手にして翔子さんに一人暮らしはどうですか?と質問乎したら翔子さんが答えるのでは無くお母さんが翔子さんからマイクを取り上げて質問に答えていました。皆んな唖然としていました。この映画もやはり同じなんだなと思いました。

コメントする (0件)
共感した! 4件)
サロンちゃん

4.5述べたいことは理解するが、気分を害する方も出るかな…。

2023年6月4日
PCから投稿

今年180本目(合計831本目/今月(2023年6月度)5本目)。

映画というよりはドキュメンタリー映画であり、ここの予告編や公式サイトにあることがほぼすべてになります。映画館で見ることができる映画は、それを映像化したに過ぎないからです。ドキュメンタリー映画であり、「最初に現在を描き、次に出生から」を描写するという点では「時間ずらし」が存在しますが、これで混乱する方はいないのではないか…と思えます。

 趣旨としては十分理解できるし、ダウン症患者さんの職業選択の自由ほかの論点に踏み入った点は理解できるものの、「2022~2023年の当事者を取り巻く人権意識」を考えると、妥当性を欠く部分もあります。

ストーリーの紹介(映画の評価)も難しく、淡々と生い立ちから現在(コロナ事情が終結する少し前まで)を描く「だけ」なので、ストーリーというストーリーが存在せず、「映画かな?」と思える点もありますが、じゃ美術館で流すのかというとそれも違うし、まぁ「映画館でやっていれば映画」ということになろうかと思います。

 採点に関しては下記を考慮して4.7を4.5まで切り下げたものです。

 -------------------------------------------------------------------
 ※ 当人、およびその保護者は現在も存命であるため、映画視聴の感想における「妥当ではないかな」と思う点を述べるものであり、人格攻撃(人身攻撃)の意図はないことは明確にしておきます。

 (減点0.3/「身障者は行方不明になると警察が来てくれるでしょう?ある日定時になっても帰ってず心配して…」「結婚もできないのだから、せめて20歳の時くらいは…」などの発言全体について)

 ・ 身障者であろうが何であろうが、行方不明であれば警察は動きますので、身障者に限った話ではありません。なぜにそこで「身障者」を持ち出したのが謎です。また、身障者が結婚できないというのは、誰の思い込みなのでしょうか?(健常者に比べると率は下がりましょうが、ゼロではないはずです)。どうもこの映画の保護者(母親)、「身障者」=「ダウン症」というようにとらえているフシがあり、それはこの映画の趣旨からして「ある程度理解はできる」ものの、現在の人権感覚(2022~2023)から照らして、「何がどうなってるの?」ということになります。

 ・ 個人が思想良心として思うだけであれば否定はできませんが、それが発言にあらわれると、他の人権との衝突が発生しますので一定の制約を受けます。要はそこにつきます。

 (減点なし/参考/障がい者の学習権について)

 ・ 1979年(昭和54年)まではそもそも障がい者に対する教育施設の受け入れが進んでいなかったという事情もあり、「就学免除という名の就学拒否」がまかり通っていた時期があります。1979年を境に学校または養護学校(当時)への入学ができるようになりました。文科省の統計でも「就学免除」が1979年を境に激減しているのは、こうした事情によるものです(ただ、本映画でも描かれるように、一般学級に入った後も養護学校や、一般学校の中のいわゆる通級教室に通うことを推奨されたりと、まだまだ流動的な時期だったのが当時でした)。

コメントする (0件)
共感した! 5件)
yukispica