愛する人に伝える言葉のレビュー・感想・評価
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ラストの曲がリフレインする
自分がステージ4の末期ガンを宣告されたらどうするのか。途中から、そんな気持で物語を追っていった。
バンジャマンが入院することになる病院は、患者にめちゃくちゃ寄り添ってくれる理想の病院で、医者はもちろんのこと、看護師も常に患者のことを考えて、ワーキンググループで行動意識を共有している。
こんな病院だったら、自分も大丈夫かなぁなんて思っていたら、ちょっとそれは違うんじゃないのっていう出来事が発生。自分にとってはノイズになった。
ラストで流れるアコースティックの曲はオリジナル? すごく心が洗われた。
五つの言葉には、少しは順序はある
ボロボロのカトリーヌ ドヌーブは見たくない。
その息子バンジャマンの芝居臭い演技には見ていられない。
それがそれが終盤には見事に激痩せして、
精彩なくもあり、時には微妙に生気をよみがらせる演技は絶妙だ。
ところで題名の愛する人に伝える言葉の順序はないと言っていたがそれは違うでしょうよ。
それは自己責任で順番を検討して使用して下さい。
それにしても、
頑固でプライド高いフランス人に五つの言葉を言えるだろうか?
言えないために離婚が多いように思える。
そんな浮気な皮肉を込めたところが、
ラストの良きドクターのドライブシーンだと理解した。
アナタはどう思う?
フランス映画のラストは曲者だ。
涙腺崩壊のクライマックス
やや疲れの残る土曜の午前中、新宿ピカデリーに辿り着き「映画.com」の本作品へ「チェックイン」をしつつ「そう言えば、監督さんはどなたかな?」と確認。そもそもトレーラーも観ずに「ドヌーブの新作なのか」という認識しかないままだったので、正直本作品にそれほど大きな期待はしていませんでした。ところが、確認すると監督は『モン・ロワ 愛を巡るそれぞれの理由(17)』『バハールの涙(19)』で印象に残る演技をしていたエマニュエル・ベルコ。彼女の監督作品は初鑑賞と言うこともあり、興味がグッとあがってきました。
とは言うものの、フランス語の映画を観ているとその言葉の抑揚に眠気に襲われることが多い私。それでも頑張って「主人公の背景や他の人物との関係性」を知るための前半を何とか乗り切りると、いよいよ興味が深まり集中力高まります。
またもう一つ、フランス映画への苦手意識は「激しい感情のぶつかり合い」。この作品も「ステージ4のすい臓癌で死期が近い息子と、その息子から子離れが出来ない母」他、そこら中に「感情の渦」で、案の定所々で大小様々のコリジョン発生です。ところが、劇中の人(達)だけでなく、観ている我々までも「確かな哲学」をもってなだめ、諭し、見事にカウンセリングしてくれる「本物で現役の医者」ガブリエル・サラが素晴らしい。
さらに、シーンの切り替えの巧さとシックリくる劇伴、そして各所に差し込まれる歌(音楽)が作品に深みと愛情を感じさせてくれます。そしてクライマックス、鑑賞者全員が感じる「これから起こること」を想像力を掻き立てる見せ方でカメラを回転させ、振り返るとそこにいる人、そして差し伸べあう手、からの『Nothing Compares 2 U』はもう涙腺崩壊です。
観終わってまだ、これを(あれと引き換えに)今年の暫定1位に更新するか悩んでいます。いやぁ、予想を超越して良かった。
説教臭く無い、生き様、死に様の物語。感動はしないが共感する作品。
女優のカトリーヌ・ドヌーブ大物より
死に行く中年の息子「ブノア・マジメル」が主役。
おフランス様の洒脱は無くて、
死に様を感じ入る作品。
死へのカウントダウンの静かな受容。そんな静かな作品
ただ「G線上のアリア」のジャズバージョン❓が
ブラッド・ピットの「セブン」と違った意味で効いている。
死への恐怖と絶望
人生への赦し、感謝
死を受け入れる。周囲の人も。
決して楽しくは無い、膵臓がん末期の苦痛がわかるからの死に様に共感なのだ
ワシも家族を膵臓がんで亡くした経験がある
確かに「ガンの世界のラスボス」であるから
時系列生存率というのが、グラフの意味を成していないのは衝撃だった
もう即日から1ヶ月単位で急降下だから・・
親が息子失うほど悲劇はない・・
人生善行ばかりではない。気づいたときは・・・
でも最後は、見捨てたものの「ギリギリの赦し」で本人も救われただろう
「ブノア・マジベル」がやつれて、最後は放心状態、気力も萎える役柄を好演。
生きるとは、死ぬとは、生と死のコントラストで魅せる。
主治医が、若干冷静冷酷に見えるが、実は「誠意に溢れた、患者と向きあう聖人のような紳士」なのだった。
イヤ実際にも、そこらへんの内科や心療内科で金満のドクター
と 膵臓がんに対峙する専門医は 月とスッポン 真剣さが違う。前者は偉そうに処方だけの文系職。
若干「看護(婦・・)→邦訳ママ」の愛情❤️🔥表現は
不可解なおフランスさま🇫🇷だった。
しかし死を見つめ、人生を見つめ「進んで行く」描き方は極めて好感、共感。
こういう類の作品に多い、冗長さ、抽象的な描写、テンポのユルサは全く感じない構成、カメラワークの良さ
ジジイには沁みるねぇ。感動は全くしないけど。
まあ恋愛や仕事と違って「生きているものは生まれたその瞬間から死へと向かっている」
再認識しました。
季節が巡るように訪れる人生の最期
39歳で末期の膵臓癌を患ったバンジャマンが、拒否していた化学療法を受け入れて身辺整理をし、最後を迎えるまでが淡々と描かれる。
独り身の彼は母親のクリスタルに身の回りの世話をしてもらうが、親子関係が円満というわけではないようだ。19年前に妊娠したことを理由に別れた恋人と、まだ見ぬ息子がオーストラリアにいるが、涙を誘う再会があるわけでもない。季節は静かに進む。
ただ、早すぎる死期に対するバンジャマンの苦悩がひしひしと伝わってくる。彼は演劇講師だが、時折挟まれる彼の授業シーンの寸劇が効果的に彼の心情を暗示している。
エデ医師がドライブ中にバンジャマンの訃報を聞くラストシーンを見て最初は「なんだかこういう映画にしてはドライというか、ビジネスライクだな」と思ってしまった。まだ見ぬ息子に会えないまま、39歳という若さで世を去るバンジャマンを見て私は悲しい気持ちになったが、エデ医師のリアクションには相応のエモーショナルな悲しみがなかったからだ。
ありがちな難病もの映画のセオリーに従えば、二人三脚で治療に携わった医師や、会えなかった息子が死の瞬間には枕元に寄り添って、愁嘆場になりそうなものだ。見ている側もそこで悲しみを共にしてカタルシスを得る。
しかし、そういう定番の流れとは一線を画した顛末にむしろリアリティがある。息子に会えずじまいだったことは一見不幸かもしれないが、初対面の捨てた息子に生きているうちに相対しても、共有する思い出などの接点がないだけに、恨み言を言われて終わる可能性が高い。結果的にこの形が二人にはある意味一番傷つかない形だったように思える。
本作がフォーカスしたいのは、死の瞬間のメロドラマではなく、当人の気が済む形で「人生のデスクの片付け作業」をすることの大切さなのだろう。信頼する医師を決め、体力が持つ限り生徒に演劇を教え、遺産を息子に相続させる手続をとる。母親に大切な5つの言葉を伝える。
そういった片付けを済ませたバンジャマンはきっと安らかに死を迎えられると、エデ医師は思ったのかもしれない。だから訃報に接しても湿っぽさはなかった。医療者の視点で見れば、バンジャマンのおだやかな死はがん患者としては恵まれた形であり、決して嘆くべき知らせではなかったのだろう。春で終わる章立てもそのことを示しているように思える。
ドクター・エデを演じたガブリエル・サラ氏の本職は医師だ。フランスの映画祭でエマニュエル監督の作品を鑑賞し、ディスカッションに参加したことが本作出演のきっかけだという。本作の台本には、サラ氏の医師としての哲学が強く反映されている。折々に挟まれる、音楽を取り入れた医療従事者のグループカウンセリングも、サラ氏が病院で実際におこなっている活動だそうだ。
カトリーヌ・ドヌーブとブノワ・マジメルを相手にほぼ出ずっぱりなのに、全く見劣りしない堂々とした演技で驚いた。実体験からくる説得力がなせる技だろうか。
「地下室のヘンな穴」にも本作にも自然になじむ、ブノワ・マジメルの演技の幅の広さも堪能した。
【”愛の哀しみ:Nothing Compares 2 U"僅か39歳で癌に斃れた男が、”自分の人生を狂わされた”と思っていた母に言った最後の言葉が心に響く。男の医師の死生観が印象的な作品でもある。】
■劇場で若者に演劇を教えるバンジャマン(ブノワ・マジメル)は、母クリスタル(カトリーヌ・ドヌーヴ)とともに訪れた病院で、末期の膵臓癌であると、告げられる・・。
クリスタルは自分が"若すぎる"と言って、別れさせた、バンジャマンの元恋人に連絡する。
元恋人は、認知されていなかった息子を独りで育てていた。
そして、息子は一人、会った事のない父パンジャマンの元を訪れる・・。-
◆感想
・バンジャマンと、母クリスタルに、余命を素直に伝える医師、ドクター・エデ(本当の医者だそうである。ブノワ・マジメルの演技と並び、名演だと思う。)の死生観が、印象的である。彼は、バンジャマンに余命宣告をしながらも、彼に寄り添う。
ー ドクター・エデのネクタイの柄を揶揄うバンジャマンの姿。-
・一方、彼にケアを施しながらも自らも苦しみ、彼とキスを交わすユージェニー(セシル・ド・フランス)の姿。
ー 非常に、フランス的だな、と思ったシーンである。-
■沁みたシーン幾つか
・バンジャマンが人生の整理をするために、残した遺言書。彼は、自らの財産を全て認知していない息子に贈る事を決める。
・息子は一人、会った事のない父パンジャマンの元を訪れる、病室のドアノブに手を差し伸べるが、扉を開くことなく去る。だが、彼は、母の元には戻らない。
そして、パンジャマンの友人が、彼が好きだったという”愛の哀しみ:オリジナルは、プリンス(けれど、好きなのはシンニード・オコナーヴァージョン。)のNothing Compares 2 U"をギターでパンジャマンのベッドの脇で、弾くシーン。
パンジャマンは、静に息を引き取るが、部屋に入って来た彼の息子が、”愛の哀しみ”を初めて会った父に弾くシーン。
ー ここは、沁みた。”Nothing Compares 2 U"が好きな事もあるが、沁みたなあ。-
<”いつか癌に負ける日が来る”と言う前提で物語は四季に亘り、綴られるが、末期にパンジャマンが、母クリスタルに言った言葉。
”僕を赦して・・”
”僕は赦す・・”
”ありがとう・・”
”さようなら・・”
”愛している・・”
このシーンでのクリスタルを演じたカトリーヌ・ドヌーヴの姿。
そして、彼の死を、休暇のドライブの際に病院からの電話で知った、ドクター・エデの少し微笑みながら軽く頷いた姿も印象的な作品である。
過剰な演出もなく、病院スタッフの明るさや、日本とは少し違う諦観した死生観も”成程・・。”と思った作品である。>
愛の哀しみ
ステージ4の膵臓がんで治らないと宣告された39歳の演技指導をする無名な俳優と母親の話。
診断を受け入れられない主人公が葛藤しながら緩和ケアを受け入れて行くと共に、自身と向き合っていく様や子離れ出来ない母親との関係をみせていく。
死に向かって行く人達に寄り添う医師とホスピスのスタッフ達の作り出す明るく優しい空気感が素晴らしいし、流石は第一人者な医師の思想と対応に悲しい話なのに悲壮感を感じない優しい流れ。
日常の一部である演技指導も別離を題材にしたもので気付きの一旦どころか、もうモロで胸アツ。
そして過干渉な母親と主人公にもう一組の母と子と…ただこの息子に関しては会ったこともないのに何故そんなに?という程で、その思想は母親から一方的に仕込まれたものですよね…と、ちょっと個人的にはやり過ぎな感じた。
物語そのものがあまりにもキレイ過ぎて、泣けなかったり物足りなさもあったけれど、死生観と自身の将来を考えると共に温かさをとても感じた。
孤児という言葉はあっても、子供を失った親に対する名称はない
上記の件、初めて気付きました。確かにレアケースだからでしょうか?日本だけではなく世界的にもないのですね。
その他作品中、特に担当医師の言葉に凄く説得力があり、また緩和ケアの現状など、これは関係者に家族を癌で亡くした人がいるのかと思いきや、本当のお医者様が演じてるとはびっくり‼️
私の親が緩和ケア病棟で亡くなりましたが、映画ほどではないにしても、日本でもコンサートやボランティアの方が沢山いらっしゃって手厚い対応をしてくれました。
また私自身も癌経験者ですが、最初に「不安、罪悪感、不公平感」→「何も成し遂げていない感」→「受けいれ」→「人生の整理」という大体の流れは、体感したことです。そして最期は本人が死を迎えることを、家族が「受けいれる」。
凄くリアリティのある映画でした。
俳優陣はそれぞれが素晴らしい演技でしたが、ストーリー的には、認知されなかった息子さんの葛藤などは良かったのですが、演劇のカットの長さや、単調な病院のシーンが多く、その分⭐︎0.5マイナスとさせていただきました。
オススメしたい
末期ガン患者であり先生であり父であり息子である主人公と関わる周囲の人間のストーリーなのだが、主人公以外も主役とまで言わないが準主役ぐらいの存在。
医者とのストーリー、生徒とのストーリー、息子とのストーリー、母とのストーリーが時に絡んだりしながら同時進行。主人公の最後に向かってそれぞれのストーリーもラストに向かう。彼の死をもって各々ストーリーも終了。その後は描かれてない。ここでやはり主人公は亡くなった彼なのだ感じる。
過剰なシーンもなく、淡々としてるわけでもなく、日常の起伏を持たせながらのストーリー展開。この映画すごい!
残念なのは、バカップルが終始おしゃべりしていたこと。落ち着きないから足が座席にぶつかるし…映画館ではなく家で鑑賞して下さい。
言葉と音楽とダンスと触れ合い
話の内容・テンポと映画自体の長さがぴったりだった。急ぎ過ぎず説明過ぎずもたつくこともない。それに感動した。
全力と過剰は違う。
嘘は言わない。
最後の五つの言葉。
僕(私)を赦して
あなた(君)を赦すよ
ありがとう
愛している
さようなら
演劇学校入学を志望する生徒達へのレッスン場面から始まる。厳しい指導に泣き仲間や先生と哲学的なことや抽象的なこと感情などについて述べ合う。ドクター・エデは勤務先の病院で看護師らスタッフと定期的に患者や家族など仕事の中で思うことを語る、笑う、泣く、歌う、ダンスをする。患者の好みの柄のネクタイをネットで探して身につけるドクター。患者も看護師もドクターもみんなで楽しむアルゼンチンタンゴ。愛と抱擁と生死のタンゴは死を待つ人たち、つまり全ての人を慰めてくれる。ドクターも看護師も週末には休みをとる。
誰だって死ぬのは怖い、死ぬ覚悟はできているけれど。自分は何をなしえたんだろう。何を残せたんだろう。
お涙頂戴でなく怒鳴り声も破れかぶれもない。シニカルで怒りと恐れから始まる彼=バンジャマンの気持ちが、生徒の演劇の台詞から、ドクターとの会話から、看護師ユージェニーとの見つめ合い、母クリスタルの抱擁でゆっくりとだんだんに落ち着き優しくなっていく。「存在感」が何かわかったと言う。まだ見ぬ息子が扉の向こうに居ることもわかったんだと思う。
母が彼を赤子のように抱く姿はマリアとイエスのようだった。
主治医役のおじさんの名医感がすごい
もちろん主演のブノワ・マジメルの演技も良かったんだけれども、とにかくこの主治医役のおじさんの画面からにじみ出る誠実さ・実直さ、自然すぎる語り口からの異常な説得力…など、とにかく名医感がハンパじゃなかったので、相当勉強したり本物の医者に取材したりしたんだろうな…なんて思いつつ鑑賞後にこの映画.comの紹介文を見たら、なんとこの人俳優じゃなくて本物のガン専門医だったんですね!だからあんなに自然に演技できたのか!納得!とか思いながら映画を振り返ってみると、そういやバンジャマン先生や美人生徒が「演技はその人自身が大切」って言ってたのがまさにこのドクターのこと言ってたのか!と思えてきてなんか変なところで腑に落ちた。
個人的にはイケメン息子の右目と左目の色が違うのがやけに気になったのと、邦題が「愛する人に伝える言葉」のわりにはそんなに最期の言葉に焦点を当てた映画でもなかったな〜と思ったりもしたけど、でも温かい気持ちになれたので見てよかった。
看護師的な人が死に際の患者の病室でギター弾くとかそんなことあるのか?と思ったけどドクターが本物だからそれもわりと本当の話なのかもしれない、フランスってすごいな〜
下手なハリウッド映画と違い、安易なハッピーエンドのお涙頂戴ものにしないところがフランス映画たるところだ。
病気はその人のせいではなくたまたま罹患しただけであること。
事実を隠さず嘘をつかずに治療(生)に向き合うこと。
患者に「死」を許可して穏やかに逝かせること。
ひと昔前のがん闘病は、病名や余命を患者本人に告げず、ただ「がんばれ」と無理強いしていたが、現在では医療の進歩で告知の方針が一般的となっている。
作中では院内で医師と看護師らのミーティングや音楽セラピー、医師と患者との精神的なつながりやサポート体制も描かれており、「死」は「どのように生きるか」ということでもあり、それを誠実にとらえている。原題De son vivant は英語でDuring his life(英語タイトルはPeaceful)であり、「死」は日常の延長にあるという哲学にも共感した。
看護師ユージェニーとあんなこと!?というシーンもあるが、心の平穏と安心感にはスキンシップが大切であるということだろう。
バンジャマンが演劇の教師であるという設定も、自身の感情を出し切るという、死に向かう葛藤と重なり良かった。ただし、「怖がるな」と生徒にゲキを飛ばすものの、本人がそれを実行するには時間を要する。このあたりのリアリズムも上手いと思った。
これは不要では?と思われるシーンがいくつかあり、説明が最小限な点もフランス映画ならでは。「ピアニスト」で一躍注目を浴びたブノワ・マジメルが年齢相応の演技でカトリーヌ・ドヌーヴを圧倒し、エデ医師を演じたカブリエル・サラの人柄にも感銘を受けた。
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