逆転のトライアングルのレビュー・感想・評価
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トイレ掃除がキャプテンになるまで
良かった訳でもないが、悪かった訳でもなかった
本作はいつにも増して露悪的だった
その分、シャープさも削がれていた感じがした
リューベン・オストルンドは本当に
軽薄な人が嫌いなんだろうし、
人々の欲望を描くのが上手い
スティックスナック1本とか本当にくだらないけど
どこかおもしろい。
あの夜の3人は可愛かった。
彼の描く小さな欲望一つ一つが
事実に思えるから余計辛いよね
アビゲイルが皆んなにキャプテンと言わせて
餌付けする場面は本当ガッツポーズしましたよ
いえーいって感じで、これが見たかった!って
ただ、あのエレベーターを前にして
現実に引き戻される感じも辛かった。
あのエレベーターにはそりゃあ乗りたくないよな
今作はアビゲイルの物語だった。
ああいう異常自体が無ければ、
だれも彼女のことを覚えてすらいない訳だもん
ラストは三角関係かー
そりゃトライアングルだからそうなのかもだけど
宙ぶらりんで終わった感じも辛かったし
ラスト、相手を想う女と殺したい女の構図は
哀しかったですな。
結局、主人公は身体を与える事でしか
愛だの食事などは得られなかった訳ですな。
ハリス・ディキンソンはもはや
ライアン・ゴズリング並みの風格がありましたよ
あの顔立ちは強いな
原題通り、「悲しみのトライアングル」がよかった
The wealth gap
かなり理解しやすいコンセプトになっていて、"立場の逆転"というまぁ作中の"リバース"シーンが物語るように、特異な状況下ではそのヒエラルキーが転換することを謳った作品である
昨今の"食事負担"問題や、延長線上にあるジェンダーロール問題を下地に、貧富のヒエラルキーを、洋上のヨットから無人島に舞台をシフトさせながら逆転させていき、ラストは急転直下の実はリゾート島だったという展開は、教科書通りと言ったパターンであろう
今作は主人公達を含めた各登場人物の醜悪な描写を余すところ無く、忖度無く演出したということに秀逸さを感じた次第である そこには本音が飛び交い、建前等がはぎ取られた剥き出しの人間性をこれでもかと観客にぶつける それは貧富の差等とは別次元の本来持っている人間の恥ずべき本性である 鑑賞後は疲労感たっぷりで、人間不信を助長される怖れがある作品かも知れない
でも、厭わずにストレートにぶつけた制作陣の強い意志も同時に受取った作品でもある
誰1人として救いようのない人間達、踊れや踊れw
皺を誇れるように生きる
この作品の原題は『triangle of sadness』、直訳すると『悲しみの三角形』である。パンフレットの監督インタビューによると、この言葉は美容業界で使われる用語で、端的にいうと「眉間の皺」ということだそうだ。眉間の皺は悩み事の多さをほのめかすもので、ボトックスで15分ほどで「治せる」ものらしい。メインキャラクターのカール(ハリス・ディキンソン)が男性ファッションモデルのオーディションを受けるシーンから物語が始まる。控室でのインタビューにて、ハイブランドのモデルは不愛想に相手を見下すような表情、カジュアルブランドは穏やかな笑顔であることが語られ、カールが目まぐるしく表情を変えさせられるシーンが滑稽であった。そしてオーディション本番にて、カールは先ほどのハイブランドの表情をするのだが、審査員からは上記の「悲しみ三角形」を指摘される。私はどちらも同じ不愛想な顔に見えたが、相手によっては、苦労しているモデル、つまり自身のブランドにはふさわしくない顔と見なされるということだ。悩むことでできた皺を受け入れられる世界を作っていきたい。
ここから読み取れることは「悩むこと、つまり思考することをやめれば、行きつく先は破滅だ。」ということではないか。悩みのない生活を送っている人などいない。悩みがないように見える豪華客船のセレブたちは「悩みがない」のではなく「思考して生きていない」だけである。ロシア富豪夫人のいう「優雅な暮らし」はそのまま「後先のことを考えない暮らし」と言い換えることができよう。相手の立場を考えず、優雅な暮らしを強要した結果、食材は傷み映画史上類を見ない惨劇へとつながる。そしてもう1人、武器商人夫人も、自身が作っているはずの手榴弾をまじまじと見つめてしまう。彼女は自分が作っている武器が現実でどのように使われているのか、考えたことがなかったのだろうか。彼らはセレブだから酷い目にあったのではない。自分のことしか考えておらず、他者への想像力がないからこそ、結果的に自己を破滅に導いてしまうのだ。カールもまた、冒頭から中身のない人物として描かれる。しかし、ある意味ただ素直なだけのようにも見える。恋人のヤヤ(チャールビ・ディーン)と険悪になった帰り道、運転手に言われた「愛しているなら戦いな」という言葉を素直に受け入れてヤヤと口論になってしまう。無人島においてもアビゲイル(ドリー・デ・レオン)と関係を持つのも、状況を素直に受け入れているだけのようにも見える。彼もまた「何も考えていない人物」の一人である。
そんなぼんやりイケメンのカールと対照的に、ヤヤはしたたかに現実を生きている。自分が生きるファッション業界の現実を見極め、最終的な目標を定め、他者と関わって生きている。時にカールを利用することで、時にアビゲイルに共感することで、過酷な世界を生き抜いている。だからこそ最後の場面で、アビゲイルの本心を見抜けたのだろう。しかし気づけたとて、提示できることが「私が雇ってあげる」だけなのは悲しい。そして彼女のゴールもまた、トロフィーワイフというただの「飾り」であることが、この作品のなんとも言えない苦みを引き立てている。
カールのヤヤに対する思いは真実であろう。ラスト、彼が傷だらけになりながら、つまり自分の持っている美という武器を捨て去ってまで藪の中をかけていったのは、ヤヤを救うためだったように思う。表面を取り繕うだけでなく、自分の本当に大切なもののために、他者を認め、常に思考して生きていきたいと思う。
チャプターは勘弁
あらすじをざっくり読んだだけなので、遭難した島で船に乗っていた全員の中で、トイレの清掃員がその島の中で頂点に立つってなんかワクワクするなと思い鑑賞。147分っていうのが気がかりでしたが…。
チャプター分けした瞬間に、ヤベッと思いました。スクロールにエブエブに、チャプター分けした映画のまずさは身を持って体験したので、早速頭を抱えました。
チャプター1がとにかく長くて、それでいてそこまで面白くないのが致命的でした。ここらへんはだいぶウトウトしました。船に集まる人々のそこまでの過程を描きたかったのは分かりますが、そんなに引っ張らなくてもと思ってしまったり、しょうもないエピソードと合わないジョークが続くのでここは退屈でした。
かといって船に乗ったチャプター2が面白いかと言われればそうでもなくて、ゲロを吐きまくる描写、初っ端の飛び道具的な感じは良かったんですが、結構長い事続くので胃もたれはします。あと沈没まで結構長くて、民主主義はあーだこーだいう爺さんの長めの演説を延々聞かされるのでかなり参ってしまいました。手榴弾投げ込まれて爆発して大多数は死んで、そして島へ…。雑というか味気ないというか…。
やっとこさ島に来たチャプター3でトイレ清掃員が私はボスだと言い放った瞬間、ここから面白くなりそうだなと思ったのですが、そこがピークで、清掃員のおばさんがイケメンとエッチしまくる話に切り替わり、その他の人物はほぼ置き去りという謎さ。求めてたのがサバイバル活劇だったというのもデカいと思うんですが、すごい規模の小さいものに落ち着いてしまったので、そこら辺肩透かしを食らってしまいました。
ヤヤがおばさんを連れ出して、おっ復讐劇か!?と興奮したのも束の間、別にそんなことなくエレベーターを見つけて主従関係逆転!みたいな感じでヌルッと終わったので膝から崩れ落ちました。だいぶ尻切れトンボな終わり方だなぁと。
23日公開の中では期待していた作品だったので残念です。早くもアカデミー賞ノミネート作品との相性が悪くなっています。なんとか挽回を。
鑑賞日 2/25
鑑賞時間 17:55〜20:25
座席 G-3
松濤が眼前に拡がるBunkamuraで観るのが正解。
レストランの支払いから始まる男女の鍔迫り合い。船上のてんやわんやは懐かしのドリフ調。漂流した島では立場逆転。そしてラストに待ち受ける衝撃の事実へ一気に突き進む。
富める者・貧する者、与える者・与えられる者の二項対立と笑いのネタは、ローコンテクストで容易に理解しやすい。
でも観終わった後は、スッキリしたというよりは、何とも言えないザラつきがこびりついた感覚。おそらくこの関係性には終わりがないという救いようのないリアルを、あらためて見せつけられたと言うか。そう考えると笑ってもいられない。
BALENCIAGAとH&Mの二項対立のシーンは、つい頬が緩んでしまうけどね。
トライアングルは不安定
男女の奢る奢られるの不毛な言い合いから始まり、この世の縮図のような階級社会クルージングが出航。
ヒエラルキー上層部たちがやりたい放題、ブラックコメディの連発、いよいよ船内がカオスな状態に…。
ここまで観ていてとても長く感じた。
皮肉ったネタは笑えて面白いが、一つひとつのネタをもう少し短くしてくれたら間延びせず観られたと思う。
いよいよ船が沈み、無人島へ漂着。
ついにここでヒエラルキーが逆転し、トイレ清掃員がリーダーとなりやりたい放題。
しかしラスト ヤヤがエレベーターを見つけた瞬間、また逆転し「雇ってあげるわ。」と一言。
ヒエラルキー(三角形)が逆転した瞬間のガタンという音が聴こえたような気がするぐらいこの一言に衝撃があり、そのときのアビゲイルの夢が終わってしまったという表情がすごく良かった。
果たしてラスト アビゲイルはヤヤを殺したのか、またカールは何を思ってあんな必死に走っていたのか気になるところ。
ヤヤは生きており、あと少しでサバイバルから脱出できる喜びからの懸命な走り姿なのか、ヤヤが殺されたことを知り、ヤヤの元へ駆ける緊迫した走り姿なのか。
前者であってほしいが、草木を気にせず笑顔無しで走っていたのを考えると後者のような気がする。
多少無理してでも多くの人に観て欲しい
長尺で3つのパートに分かれているが、どこを取っても面白い。
パート1はモデルの卵の青年と売れっ子インフルエンサーの彼女のレストランでの支払いをとっかかりにした痴話げんか。男女平等を巡って微妙にすれ違う2人の価値観。高級ディナーに誘っておいて男が払って当然って態度の彼女に抗議すると、このホテルに泊まれるのは私のおかげだしシャツもプレゼントしたし、ただ対等にいたいだけ、と主張する自称フェミニスト。どっちもどっち。どっちかと言うと彼に同情。
パート2は豪華客船。ロシアの肥料会社経営者、英国の非常に品の良い穏やかな老夫婦は手榴弾の会社経営者、と、売れっ子インフルエンサーなんか足元にも及ばないヨーロッパ各国の超金持ちが乗船。しかし船長は酒の飲み過ぎで部屋から出てこない。仕方なくキャプテンディナーは海が荒れそうな木曜日にやることに。クルー達はワガママな乗客のおもてなしに精を出すが、金持ちは、格差なんかない、と仕事中のクルーをムリにプールに入れたりする。船が大揺れする中、超豪華ディナーが始まる。しかしみんな船酔いしてしまい、殆どの乗客が嘔吐を繰り返し、ディナーどころではなくなる。ロシアの資本主義者とアメリカの共産主義者(船長)のやり取りも面白い。そんな中、海賊に襲われて船が爆発、難破する。
パート3は漂着した島。モデル&インフルエンサーの他に金持ちロシア人と1人参加のもう1人の金持ち、クルーの女性キャプテン、「雲の中」しか喋れない半身不随の女性、黒人のクルーと、トイレ掃除係のチームの女性だけが生き残る。ここで、トイレ掃除係の女性が生存能力を発揮し、魚を取り、火を起こし、調理をするという彼らができない全てを彼女が行い、ヒエラルキーが逆転する。他の全員にキャプテンは自分であると認めさせ、モデルの彼を毎晩自分と一緒に寝るように指名する。
いつ助けが来るか見えない中、インフルエンサーが、島の中に探検に行くと彼と一緒に寝ていた元トイレ係に言う。島の奥の岩山をどんどん進むと、リゾート用のエレベーターがあるのを見つける。これで助かったと喜ぶが、元トイレ係は現実社会に戻る=またヒエラルキーが下になるということ。背を向けている彼女を撲殺しようと思うが、彼女に不意に「貴女にはお礼がしたい、私の付き人になって欲しい」と言われ、怯む。一方、モデルの彼は、2人を追って島を走っていた。
2時間半でも中弛みなし!豪華客船に乗るような勝ち組の人達、それを目指している人達への強烈な皮肉。でももしかしたら、渦中の人達は自分のことを皮肉られていると分からないかもしれんな、と思った。
作り変わり得るもの
Triangle Of Sadness
上品な老夫婦は手榴弾と地雷で成した財を語って過去に思いを馳せる、笑って良いのかさえもわからない。金は美しく美は正しい、富豪達はそれなりに正当性があり(監督がそう述べる)故に愛とは何かを語るのだが、船長を含め乗組員達は皆うんざりしている。
酒には溺れていても船酔いはしない船長と、資本主義者のオリガルヒの自虐的なやり取りが船内に響き渡る。閉鎖的な空間に自ら乗り込んできた人々を、あるべき結末に導く水先案内人のように思える。
島のシーンでは登場人物が絞られるが、そこからも関係性は刹那に移り変わっていく。問題は最後にもう一度戻そうとするかどうかだが。邦題は逆転のトライアングルだが、変化への悲観的な視点を併せ持つ。
考察したくなるラスト
途中立て続けに現れるマーライオン(比喩)の群れに呆然となりながらも、なんとかラストまで観終わりました。
取り敢えず、ビジュアル的にも良い意味でも悪い意味でも印象に残る、強烈な作品でした。
あと、この映画のラストは個人的にハッピーエンドだと思っています。
これはあくまで主観ですが、ヒロインのヤヤは稼ぎ頭ではあっても、実は富豪とは言えなかったのではないかなと。
深読みする理由ですが、
・クレカが使えない。だが、別に華美な物を身につけている訳でもない。→もしかして誰かに送金してお金が無いとか?
・高飛車な富豪達の中で、気軽にスタッフに挨拶出来るだけのマナー(と言うか常識)がある。
・浮世離れ生活からなかなか戻れないでいる富豪達の中で、いち早く現実を見る立場に移行した。
だからアビゲイルの気持ちが他の富豪達よりわかった…と言うより、上っ面を塗り固めたハリボテ達の馬鹿馬鹿しさを理解していたのではと。あくまで主観ですが。
アビゲイルにああ言っておいて、他の船のスタッフ達同様に彼女を使い捨てる可能性もあるので、なんとも言えませんが。
ただ、彼氏が寝取られたことについても、最終的にそこまでの執着を感じなくなっていた(ように見える)こと。出来るなら、恐らく崖の上からアビゲイルを突き飛ばしていたろうに、そうしなかったこと。
状況が変われば強者と弱者は簡単に入れ替わる。自分の身分に執着することの馬鹿馬鹿しさを表現する作品だとしたら、あのラストは悲劇であってはならんと思ってるんですよね。
ところで手榴弾を掴む夫婦の光景。
あれ、わりと社畜の世界あるあるで笑えなかった。
(上層部は部下の仕事を何一つ理解出来ていないという意味で)
構成、時間配分が酷い
3章立てになっているが時間配分がおかしい
1章の付き合い始めたばかりのカップルの食事のお金での痴話喧嘩
いやー、痴話喧嘩は犬も食わないよ
あんなに長々と描かなくても
2章では、セレブとしか付き合わないと言っていたヤヤと、俺と付き合いたいと言わせてみせると言っていたカールは、何故かセレブばかりの豪華客船に
痴話喧嘩長々描くなら、この辺ちゃんと描いた方が良かったのでは?
2章もセレブたちの人なりを描くのはわかる、また、掃除係の苦労を描くのに食事シーンのゲロも描く必要はあったのはわかるが、ゲロのシーンあんなに描く必要あったのか?みてて不快に感じるくらいだった
それに船長と酔っ払い客とのやり取りあんなに尺をとる必要あるのだろうか?
それより、船長が閉じこもってる理由やトイレ掃除係のアビゲイルとセレブとのやり取りなんかを描いた方がいい気がする
で、肝心の3章、ここにもっと尺を使って欲しいかった
というか漂流する羽目になったあの手榴弾なんなの?
ラストも流石にもうちょっとえがいてもよいのでは?
沈む原因そっちかよ
ファッションショーで「平等」「多様性」が叫ばれていながら、後から来たVIPのために席を譲らされる皮肉。
金持ちのグロテスクさ、金を求める人々の滑稽さは良く描かれているが、そこが無人島漂着後のヒエラルキーの「逆転」においてもアビゲイルの支配欲はやはり金持ちのそれと変わらず醜悪である。
食べ物のために性的に搾取されるマークの立場は男女逆にすればどれだけグロテスクなものかわかるだろう。(もちろん男女逆でなくてもグロテスクではあるが…)
テンポがもうちょっと良ければあと20分削れたし見やすい映画になっただろう。ロード・オブ・ザ・リングのように背景が美しい中つ国の風景なら2時間半でも退屈しないかもしれないが、カップルの喧嘩、金持ちの傲慢と嘔吐描写、無人島のサバイバルで2時間強はきつい。
武器商人の夫婦が自分たちが売った武器で吹っ飛んだのはとても爽快だが、現実の武器商人たちは何の罰もなく儲けを出し続けているから、それを思うと正直やりきれない。というか沈む原因そっちかよ。
妻の死を悲しみながらも、遺体からアクセサリーを回収することを忘れないロシアの富豪。
マークは悪人にはなり切れないが決して善人でもない、ヒーローにもフェミニストにもなれない、どこにでもいそうな顔がいいだけの男である。観客の大多数もそんなものだろう。
私を養えない男には興味がない、と言い切るヤヤ。妊娠出産時のためのリスクマネジメントと思えば、共感できる女性も少なくないのだろう。
ヤヤはカールが搾取されるのを泣きながらも、おこぼれで得た食料を口にち、アビゲイルの行動力に敬意を表する。これも無人島でのヒエラルキーゆえだが、ラストであくまでアビゲイルを「雇える側」のつもりでいる傲慢さは変わっていないもかもしれない。
ヤヤを演じたチャールビ・ディーンは本作が遺作となったそうで、冥福を祈ります。
お下劣上等、最後までキレッキレの風刺劇
冒頭のH&Mとバレンシアガ(などの高級ブランド)のモデルの佇まいの違いと、飲食店での支払いに見る性別での偏見の話で、個人的につかみはOK。
ヤヤとカールのあの喧嘩は、男女の会話のすれ違い方としてものすごくリアリティがある。それに、カールの側に勘定書を置くウエイターに始まる、男性が支払うのが当たり前という空気、モデルの性別による報酬額の違いなど、何故かあまり騒がれない男性差別の話やそのことを本音で話す時のジレンマをいじって見せたのが面白い。
ファッションショーで誇示される意識高い系キーワードの羅列も絶妙なバランスで安っぽく、皮肉が効いていた。
この後、船が遭難して人々のヒエラルキーが逆転するというところまでは前宣伝で分かっていたが、この遭難までが結構長い。船上での濃いメンツのふるまいが、尺を十分取って皮肉たっぷりに描かれる。遭難後が物語の唯一のメインというわけではなく、船内での人間描写にも同じ程度の比重が置かれているように思えた。
妻と愛人を引き連れたオリガルヒ、上品そうないで立ちで大量殺戮兵器の商売話を平然とする武器商人、アプリ用コードで当てた一人旅の成金。仕事中のクルーを上から目線のお節介で泳がせようとする鼻持ちならないご婦人。
そんな彼らを乗せた豪華客船の船長は、何故か酒浸りで船室に引きこもっている。
見ているこちらのフラストレーションがいい加減高まったところで、少しずつ船内に異音が響き始め、みんな斜めになる。そして、地獄のキャプテンズ・ディナーの始まり始まり……
いやね、鑑賞前に本作のサイトを見た時、画面全体に散らばってるこのキラキラしたのって何だろうな、とは思ったんですよ。で、何となく、汚ネタかなと思って覚悟はしてた。
あのシーンは、傾斜する回転台の上に作ったセットで、13日間かけて撮影したそうだ。セットの上にずっといたスタッフも船酔い状態。「出物」については役者の口にチューブを付けたりCG処理したり、といった方法を取ったそうだが、聞きたくない情報をひとつ。ベラ(テーブルに向かって最初にえずいていたオリガルヒの奥さん)役のズニー・メレスのはリアルだそうです。
”無人島”に漂着してからは、火おこしや漁の技術を持った清掃スタッフのアビゲイルが覇権を握る。食料と引き換えにカールを侍らせたりしてなかなかの女王ぶりだ。生きるために重要なものが変化すれば、力関係も変わる。
ラストは、ヤヤの台詞が効いている。エレベーターの発見をアビゲイルと友人同士のように喜んだヤヤだが、結局、彼女はアビゲイルを「支配される側」だとナチュラルに、悪気なく思っているのだ。
結末に想像の余地を与えてくれる疾走エンドがいい。まあ、アビゲイルはやったでしょうね。
意識高い系の薄っぺらさや富める人々の無自覚な傲慢さを切りまくる本作だが、ヤヤとカールの冒頭の喧嘩はオストルンド監督自身の体験が元になっていたりする。ちょっと自虐も入っていて、批判対象を笑い飛ばせど上から目線で糾弾する雰囲気がないのがこの監督の賢明なところだ。監督はインタビューでこう言っている。「誰もがこの世にいる限り、無実でいられないとも思う。僕はこういう映画を作りながら、僕自身を批判している。なぜなら僕もこの世界の一員だから」
本作が遺作になったチャールビ・ディーン。お腹にうっすら手術の傷跡があるが包み隠さず堂々とビキニを着こなしていて美しかった。
エッジの効いたアイロニーとユーモアを楽しむ映画。思わぬ展開が楽しめたが、楽しんではダメ?
①豪華クルーズのキャプテンズ・ディナーが大揺れの中で行われ、高級料理や高級シャンパンを食べたり飲んだりしていたセレブな乗客達が船酔いでゲロを吐きまくるシーンで思わず大笑いしてしまったが、結構満席の中で笑っていたのは私だけだった様。
私のユーモア感覚って人とは違うのかしら。
②リリアーナ・カルバーニの『流されて(Swept A way)』をちょっと思い起こさせたが、こちらはもっと大人数。
③第一幕:男性モデルのオーディションの風景から始まり、ディナーでのカールとヤヤとの“どちらが払うか”のよくある口論が延々と続く。文化や男女、その人の性格によって落とし処は色々とある問題だが、二人の場合はヤヤの方が収入が多いことに基づいての二人のの考え方の違いが主な焦点となる。ここまでは、この映画はこの恋人たちの話かな、と思って観ているが、後になってこの幕での二人の考え方の違いが第三幕の伏線だとわかってくる。
冒頭の男性モデルのオーディションの場を仕切っているオニイサンが良い。ああいうキャラ好き。
③第2幕:うって変わって、
【痛快と不快が渾然一体】
投稿しといて何ですが予告編だのレビューだの観ず鑑賞がオススメ。経済力至上主義の現代階級社会に対するアンチテーゼに、ファッション業界を筆頭としたルッキズムと見るものを小馬鹿にしたコマーシャルへの皮肉たっぷりな描写、船酔いで豪勢なディナーを全部吐き出しゲロ塗れで床を転がり回るスカしたマダム、手榴弾製造販売で財産を成した金持ち老夫婦が自身の手榴弾で吹き飛んだり、痛快と不快が渾然一体となって癖凄メッセージをぶつけてくるのはまさにオストルンド監督の真骨頂。
嬉しいはずの無人島?から解放か、イレギュラーながらもヒエラルキーの頂点を手放すかを葛藤する鬼気迫る清掃婦のラストシーンも観客を試すニュアンスで面白かった。
掃除のおばちゃん強い
掃除のおばちゃんの小山の大将っぷりがイラつくやらおかしいやら
最後のヤヤの振り返りもせず余裕な上から目線のあのセリフもまたムカつく
とても面白かった
劇場内クスクス笑いが起きていて良い雰囲気で見られてよかった
ヤヤ役の方がスタイル抜群で狡賢い女役がピッタリハマっていてとても良かった
遺作になってしまい残念です
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