CLOSE クロースのレビュー・感想・評価
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レミとレオの痛たまれない気持ちが足まらなくせつない。
レミとレオの表情の細やかな演技が秀逸です。
二人の親友を超えた、性別を超えた、レミがレオを想う気持ち!レオがレミを想う気持ちが切なくクロスして、観てる自分は痛たまれなく感涙します。この二人の心の描写もこの映画は繊細に描いてます。
一人の人が男女恋愛では無く、単純に人を愛す気持ちを世の中は尊重してくれれば、レミは若い命を落とさなくても良かったのに。。。レオも、レミを避けて苦しまなくても良かったのに。。。
レミとレオ、ありえないけど、来世では、どうか心が結ばれて、二人が笑顔でいますように。。。と心から願いたい。
花が綺麗
仲良し男友達の
レミとレオ
思春期特有のやつ
付き合っているんじゃないかと
周りにからかわれて
レオが距離を取り始める
レミが急に亡くなり
レオが自分が原因だと思い
家業の手伝い
アイスホッケーに打ち込んでいく
レミの家族とも真正面から話せずに
ようやくレミの母親に心の内を話せたが、、、
レミは依存しすぎなのかなと思ったり
あんなにベタベタな男友達あんまりみないなぁ
レオとレオ兄も仲良くて
それが
レオとレミの原型だったのか
レミは一人っ子みたいだし
レオは本当に親友で兄弟みたいな
しかもレミはレオからそうゆうもんだと教わっていたのかも、レオが無意識にそうゆう関係を築いたのかも
かも
かもだらけ笑
目の前の友人を大事にしていきたい
そんな映画🎞️
お腹空いてない
森を彷徨うレオをレミの母が追うシーン,我が子の死の引き金になった忌むべき者であると同時にまさにその我が子にとってかけがえのなかった者を抱擁する彼女の行動が胸に突き刺さる。
中一男子といえば恋愛感情とか友情とか夢セイみたいな心身ともに湧き出るようなリビドーを持て余すわけだけれども,誰かの何気ない言動(多くは悪気のない)がそれを本人が思ってもいない方へこぼれさせてしまう。このこぼし方をしくじると自己肯定感を失う。本当にガラスの世代なのだと再認識させられる。
冒頭、花畑を駆けるシーンから否応無しに「怪物」を思い出して時々フラッシュバックしてしまった。どちらの結末がより希望を抱かせてくれただろう?
二人の距離感の描写はいい
少年二人の距離感の描写は繊細で丁寧に描かれている。
けど自殺(明確には描かれていないが)はどうだろう?思春期の些細なすれ違いを描くのに、死はどうも安直に感じてしまう。そもそも死ぬほどの心情だったのだろうか?相手の存在が生きるのにかけがえにないものには見えないのだが。
友達はでき、去っていく。
友達がささいなことで離れていくのはよくある話で、そこの微妙な距離感こそが青春のせつなさや残酷さにつながると思う。しかし死はどうもテーマを外してしまう気がする。
ゆえに後半のドラマが悲しむだけの単調な流れに感じる。
死んだ友の母に告白する流れも、どうも蛇足というか。あくまで二人だけの、二人にしかあの時間に共有できない感覚というか。
子供たちは好演だった。
レオの悲しみ
予告編でストーリーは想像できました。でも役者も映像も想像以上でした。レオの悲しみは彼にしか分からない。そして彼はそれを抱えたまま、その感情をどのように自分の中に収めれば良いか分からない。だから彼は涙を流せないし、流さない。兄に溢れるように打ち明ける告白。ただ、親友に会いたい、でも会えない。その喪失と自身の行動への後悔と怒り。そして彼は涙する。胸がいっぱいになりました。レミの両親は家を移り、レオの悲しみはレミと過ごしたその家に封印される。レオはこれからの人生、人をどこまで純粋な心で受け入れることができるだろうか。そんなことを思いました。レオと兄との寝室のシーンを私はこれからも忘れることはないだろうと思いました。
泣きたい訳ではないのに・・
自然に涙がでてくる
ほぼレオの心情を描いている
大好きな友(レミ)を失くした時
レオの表情は
涙を一切見せなかった…が
腕を怪我した時痛くて泣いた
(心がボロボロになってた)
レミの母親に自分のせいかもしれない
と話した時に大粒の涙を流した
…辛かっただろうね…レオくん
レミ本人、家族も
そしてレオの家族も。
怪我が治ってギプスを外した後
…彼の顔の表情が軽やかにみえた
レオくん役の男の子の目が
…素晴らしく見事なまでの表情です
カンヌでは観客がもっとも泣いたらしいけど…
フランス映画
大親友の男の子二人の片方が自殺(どどんな方法で自殺したのかは…)し、もう片方がフラストレーションやコンフリクトなどに押し潰されそうになる中で、現実に立ち向かって行く話
映画を観ている限りは、自殺の原因は100%片方の男の子のように見えるが、それだけで本当に自殺までする?
フランスと日本のカルチャーの違いもあると思うが、平日(次の日が学校)でも友達の家で、それも複数日宿泊させることが、友情以上のなにかを育んでしまい、結果として…
周りもそうだが、僕も泣けなかったし、日本のいじめでの自殺とは一線を…
フランスはマルチチュニック(多民族化)やダイバーシティ(多様性)が進んでいる為のバットイフェクトなのかも知れない
頼りきることの難しさが垣間見れた
瞳が綺麗な少年。
多感な時期を上手に作ってくれた作品でした。
俺も子供の頃、毎日の様に過ごしていた同級生とある時期を境に仲を違えた事があった、からすごく感情移入もできた。
そう、俺もあの時に酷く傷付いて彼を突き放した。
子供の頃は言葉が分からず説明が出来ない事が多くある。
そんな子供達の気持ちをサポート出来るワーカーや教育が行き渡っていく世の中であって欲しい、、そう僕は願う。
あの頃の自分と目があった
なんとも切ない、心が締め付けられる映画でした。
街の風景と少年達の美しさが相待ってより胸を締め付けられる映画でした。
レオとレミを見ていると、誰もがそういう経験をしてるんじゃないかと思いますし、自分もそう言う経験があるし、レオの気持ちもわかるし、レミの気持ちも痛い程わかります。
しかしよくよく考えてみるとレオ側になった記憶はあまり鮮明ではないが、レミ側になった時の気持ちは今でも覚えて覚えているし、あの時は学校と言う社会しかなかったので本当に苦しかった記憶があります。
もちろん、年をとって部活など、会う人が変わっていくと、距離が変わるのは当たり前な事ではあるのですが、
二人だった世界から急に学校という世界に変わって、心が追いつかない気持ちが二人の眼差しからより伝わりより切なさを感じました。
あの時代特有のなんとも言葉に変え難い気持ちなどを、レオとレミを演じた二人から言葉にせずとも伝わってきて、あの時の昔の自分が頭に出てきてより苦しくなりました。
当たり前ですが、人によって感じ方は違うし、傷つけるつもりがなくって言った一言で傷つける事はあるし、ちょとした些細な事が、誰かに取っては大事な事だったり、今ならなんとも思わない事が、あの時代なら物凄く傷つく事もあるし、人間の残酷さや、人の気持ちの残酷を感じたりしました。
あと何でも人は自分の知らない物や見た事ない事をかってにいままであるものに方にはめがちですが、それもきよつけなくてはと思いました。
映画はレオの視点で描かれているので、レミの視点で描かれたり、レミの母親の視点で描かれていたらまた違うとは思いますが、最後にレオが後ろを見て走るシーンを見てそれでも、生きていくとレオは思ったのかなと自分は感じました。
長々とすいません。読んでくれた方がいればありがとう。
映画見たあとお腹が空いたので、二人が仲が良かった頃に食べていたパスタを食べたくなりましたが、二人がやっていた食べ方はできませんでしたが、満腹で家路につきました。
少年時代の投影!! 親密だった2人の少年にできたこころの溝 閉ざされた心が開いていくまで
を描いたストーリーでした。
13歳のレオとレミは、兄弟のようなフレンドシップ、友情で結ばれた2人に見えました。
しかし、同級生の揶揄するような言葉から
些細なことでレオとレミがケンカをしてしまいました。
今までもこれからもずっと近くにいてくれる
存在だと思われたレミが居なくなった!
レオはアイスホッケーに力を注いで、距離を置いていたけどレミのことを純粋に好きでいた
少年の心の美しさ、喪失感、生命の儚さを
感じました。
レミを死に追いやったのは自分なのだと
レオの悔やまれる感情が機微に表現されていました。大事な人が亡くなり、レミの母親に
面影を感じる姿がありました。
ベルギーの花を摘むシーン。
色とりどりの咲く花に囲まれるシーン。
悲しいときは泣いてもいいと言ってくれた
家族の深い愛を感じました。
レジリエンス、自然の中で強く生きていく
立ち直る力が感じられるストーリーでした。
(オンライン試写会は内容にネタバレがなくても一律ネタバレ扱い)
今年184本目(合計835本目/今月(2023年6月度)9本目)。
fanvoiceさまのご厚意で、40日ほど早くみることができました。
まだ12~13歳という、子供か大人への入り口か…という微妙な年ごろの少年2人と、その2人に起きた出来事に焦点があたっている映画です。
当然のごとく、日本においても本国(フランス。一部はオランダ、ベルギーでも取られている模様)においても、12歳くらいの子であれば、仮に同姓であっても、それは「付き合う」とか「恋愛」であるとかという概念は薄いものです。「しいてあげるなら」程度にすぎません。それこそ幼稚園(保育園)の時から友達だった、というような背景がプラスされれば、この年頃であれば、十分にあっておかしくないのです。
しかし、今現在、日本も含めて一般的に「恋愛」の対象であるとこの「一般的な恋愛」以外のものは何かと軽視されたり、また当事者(この場合は、周りの子も同じ年ごろ)にも悪意(積極的悪害)がなくてもそのように、「男の子どうしで付き合っているの?」というような発言は、悪意(積極的悪害)がなくても生じうるものです。
全般的にストーリーの展開がゆっくりかつ、会話が少ないパートと多いパートの差が激しいため、ちょっとでも見逃すと(オンライン試写会では巻き戻しはできますが)、あれれ?という展開の読めなさが(実際の放映では)起こりうるのかな…というところです。
いわゆるクィア映画のタイプと考えられるところ、LGBTQを語るときの当事者の恋愛をナチュラルに表現するときに close friendship (密接な友情)と言い換える(このように「言い換える」ことが妥当かどうかはさておき)文化が海外には存在し、このタイトルの close もここからきているのではないのかな…というところです。
採点上においては、フランス映画ということもあり、一般的には余韻を残したタイプのストーリーが好まれるところ、この映画は上記のようなテーマを扱い(ただし、言われれば気が付く程度)、かつ、ラストも余韻を残す(どこまでのLGBTQ論を展開するかで、解釈も複数取れそう)ストーリーとなっており、特に減点するまで気が付いた点はないので、フルスコアにしています。
本当に特別な映画だと思います。
日差しの中、花畑をのびのび駆け回って、あたたかく寄り添っていたレオとレミの心が、次第に張りつめていく様子が、とても演技には思えなくて見ているのが辛かったです。
レオはまるで自分自身を罰するように肉体的にも自分を追いつめて、彼の心が今この瞬間にも破れてしまうのではないかと、映画を見ている間ずっと胸が苦しかった。
でも、私はラストシーンのレオの力強い眼差しに、希望を感じました。タイトルのcloseはいろんな意味が考えられますが、うまく言えませんが『大丈夫だよ、レミはそばにいるよ』って気持ちで、私はこの映画のことを覚えていたいなと思いました。
インタビュー記事で、監督はレオ役のEdenを電車の中でスカウトしたと言っていました。
音楽を聞いていた監督のそばにEdenが座っていて、話し声は聞こえないけど、友だちと話している彼の表情の動きを見て『今彼に声をかけなければ、きっと後悔する』と思いアプローチしたそうです。
このふたりの出会いや、ロケ地や陽の光や、すべてがこの映画を特別なものにしているんだな…と、しみじみ思わされました。
※追記
最初に考えていたタイトルは『CLOSE 』ではなく、Walt Whitman の詩と David Hockney の絵からとって、『We Two Boys Together Clinging』にしようと考えていたそうです。
ちょうどこの映画が上映される時期に、東京都現代美術館でDavid Hockney 展が開かれると知ったので、追記しました(^^)
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