鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎のレビュー・感想・評価
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エンドロールで埋められる原作との差異
「魂が揺さぶられる」名作。“子ども向け妖怪バトルアニメ”と侮るなかれ。間違いなく今年のベストワン。
「犬神家〜」のような和風ミステリテイストのよさ然り、若き鬼太郎父と水木とのバディムービー然り、水木の人間的な成長然り、救われない人物の悲劇然り…。これだけのストーリーを盛り込みつつ冗長さを感じさせることなくまとめられている点が素晴らしい。
何より、原作者・水木しげる先生の戦争体験をベースに、弱者が虐げられる人間社会に立ち向かっていく姿勢が見事に描かれている。だからこそ、鬼太郎は弱い人間の味方なんだということに説得力を感じさせる。過去と現在の6期アニメを繋ぐだけでなく、本作と原作をきれいに繋いでみせているところはホントに泣ける…。
(最初は、「鬼太郎父、やけにカッコいいなぁ、原作だとミイラ男みたいだったのに」と思っていたのだが、なんとそれすらもエンドロールで謎が解けるフォローまでされているとは!)
鬼太郎×犬神家かと思いきや『水木しげる漫画大全集』監修者との激熱コラボ映画だった!
予備知識なしで観に行って、ひっくり返った。
なんだよこれ、超★超★傑作じゃないか!!!
ヤバいぜ。今年の新作ナンバーワンかもしれん……。
(以下、パンフ売り切れ未入手の状態なので、的外れなこと書いてたらすみません)
開幕早々から、ふだんの鬼太郎とはまるで違う空気にビビる。
トンネル? 廃村? おいおいそれ『犬鳴村』じゃん(笑)。
過去篇が始まって、さらにびっくり。
たしかに水木は血液銀行の社員として出てくるのだが、なんだか自分の知っている「鬼太郎誕生秘話」(売血された「妙な血」の持ち主を探して水木が訪ねる話。いわゆる漫画版の第一話)とはまるで異なるストーリーラインらしい。
で、「哭倉村」編に入ってまたまた仰天。
なに? 今回の鬼太郎って、
『犬神家の一族』と『八つ墓村』のパスティーシュなのかよ!?
ちなみに、村のまんなかに湖があるのは『犬神家の一族』。
家の地下に鍾乳洞があって鎧武者が置かれてるのは『八つ墓村』。
『犬神家の一族』の原作では、犬神家は製糸業で成り上がった財閥だが、市川崑の映画版(76)では製薬会社に変更されており、隆盛の背後には戦争と麻薬製造があったことになっている。まさにそのあたりも本歌取りされているわけですね。
次々に起こる猟奇殺人。
跡目争いで醜く反目する家人たち。
三姉妹の設定や性豪の老人など、あちこちに『犬神家』の残滓がみられるが、変な神主が出てくるとか(『悪霊島』)病弱な子供が出てくるとか(『本陣殺人事件』)温泉場があるとか(『悪魔の手毬唄』)、全体に渡って「横溝リスペクト」の要素が散りばめられているのは見逃せない。
ヒロイン・沙代さんのキャラクターは、一見すると『犬神家の一族』の珠世さんを意識しているかのように見えるが、しきりに水木に東京へ連れ去ってくれるよう頼むあたりは『獄門島』の早苗さんにむしろ近いところがある。あとは詳細は避けるが『仮面舞踏会』の美沙さんとか。
ところが事件が進展するにつれて、お話は単なるミステリを超えた『陰陽師』や『幻魔大戦』のような様相を呈してくる。
まずは、ゲゲゲの鬼太郎のオヤジがついに村に登場。いよいよ物語に「妖怪」が絡んでくる(立ち位置はまさに「風来坊」に近く、金田一や椿三十郎のようなヒーロー感がある)。
一方、オヤジと敵対する村の連中は、しばらくすると「裏高野」か「根来衆」みたいな呪法集団としての本性を表わすことに(ふだんはうだつの上がらない農民や使用人が、揃いの仮面を装着した瞬間に「村の意志を遂行する禍々しい集団」に変貌するのは、『犬神の悪霊(たたり)』(78)とか『ウィッカーマン』(73)とか、大量の夜這いものの18禁コミックで散々観て来たクリシェだ)。
この両者のバトルが、キレッキレで、とにかくもう素晴らしいのだ。
なんだよ、鬼太郎映画のくせに、最高級の超能力アクションものになってるじゃないか。
この異次元妖怪バトルのなかで、意外と水木もしっかり戦えているのだが、それが「兵隊上がり」だからというのがまた良い。実際にラバウル戦線の生き残りである「戦争漫画家」としての水木しげるの一面をうまく拾って、作中の重要な要素として消化してみせている。
で、奮戦虚しく、捕われの奥さんの命を人質にとられて自らもつかまってしまうオヤジ。
地下の広大な「工場」で繰り広げられていた、龍賀家(このネーミングって、島田荘司の『龍臥亭事件』を思い出させるよね)の恐るべき秘密とは?
昔、『デイブレイカー』(10)っていうイーサン・ホークが出ているSFホラーがあって、ほぼほぼ同じネタをやっていたのを思い出す。まあ『デイブレイカー』が元ネタというよりは、「水木→血液銀行→血液製剤で財を成した龍賀家→何をつくってた?」という連想ゲームなのだろうけど。
その場でおもむろに始まる、謎解き。
その前に「狂骨」ってネーミングが出て来た時点で「ああああ!」と思ってたけど。
これ……、まんま京極夏彦じゃねえか!!
ていうか、それがやりたくてわざわざ見え透いた横溝正史パロから入ったんだな!
パッと見て、「ああ鬼太郎×京極夏彦だ」ってバレないようにするために!
なんて巧緻なミスディレクション(笑)。見事にひっかかってしまった。
この仕掛けの経緯は、きっと未読のパンフレットにも触れられているのだろうが、想像をたくましくすると、京極サイドから入知恵があったパターンもありうるし、逆に水木プロないしは東映アニメーション側からの気の利いた「御礼」という可能性もある。
なにせ、京極夏彦はあの114巻にのぼる『水木しげる漫画大全集』(2013~2019)の監修者であり、原稿集めから校訂、あとがきの執筆依頼まで、ほぼ手弁当で10年の歳月を捧げてくれた「鬼太郎」の大恩人なのだ(そのせいで新作が出なかったとのうわさも)。
ウソだと思うなら、ネットに転がってる「『水木しげる漫画大全集』制作秘話」を読んでみればいい。マジで頭が下がりますよ。
京極夏彦と「鬼太郎」の関係性はそれにとどまらない。僕は知らなかったのだが、調べてみると鬼太郎4期では自ら1話、脚本を書いているだけでなく、出演まで果たしているようだし(京極堂そのまんまの悪役が出て来るらしい)、本作の監督・古賀豪が2008年に監督した5期のラストを飾る『劇場版ゲゲゲの鬼太郎 日本爆裂!!』(TVアニメ化40周年)でも脚本監修を務めている。間違いなく、京極夏彦はもはや水木しげるワールドの一部を成す存在であると言っていい。
こうして水木しげる生誕100周年記念の栄えある作品で、鬼太郎世界と京極堂世界がふたたびオーバーラップするのは、考えてみれば「当然の帰結」だったわけだ。
犯人当てに関しては比較的さらっとしたものだし、犯行方法も超常的な要素が強くてミステリ味は薄いものの、「水木には最初から見えていた」という話は、まさに京極夏彦の輝かしきデビュー作のネタを彷彿させるし、あらためて観直したわけじゃないけど、実は結構気を遣ったカメラワークになっているんじゃないだろうか?(要するに水木の一人称視点で沙代さんをあからさまにとらえたショットは敢えて避けて構成されているのでは?)
作中で水木が沙代に見せるとまどったしぐさや、困惑したような立ち居振る舞いも、ダブルミーニングになっていたわけで、観直してみるといろいろ気づかされることがありそう。
あと、沙代さんとお母さんの関係性と最期に引き起こされる大スペクタクルは、そのまんま『キャリー』(76)だよね。抑圧され、虐待され、性的に搾取されてきた少女が、怨念と憤怒と呪いを力学的エネルギーに換えて解き放つカタルシス。悪が虫けらのように踏みつぶされてゆく快感。まさに『キャリー』だ。
終幕に展開される、巨大な「霊樹」と封印というネタは、たとえばアニメでいえば『ロミオ×ジュリエット』とか『ケムリクサ』とか『Rewrite』とか、それこそ類例には事欠かないが、そこからまさか「鬼太郎のオヤジの身体が破壊される」ネタにつなげてくるとは思いもしなかった。
それでエンドロールに至って、何度目かの驚きに撃ち抜かれることに。
あああ、この話って、僕らがみんな知ってる「鬼太郎誕生秘話」の「前日譚」にあたる話だったのか!!!
別に好き放題、魔改造してたわけじゃなかったんだ。
いったん、ここで記憶がリセットされてから、ふたたびオヤジと水木は邂逅するってことなのか……いやあ、そりゃ胸アツすぎるぜ!!
あんだけ「血を抜く」という拷問によって酷い目にあった人間(人間じゃないけど)が、ふたたび「売血」に手を染めるというのは、ちょっとあり得ない気もするけど、逆に言うとそれは、記憶を喪った水木をふたたび呼び寄せて縁(えにし)を結ぶための「呪法」のようなものだったのかもしれない。この哀れな夫婦は、最後の最後は水木を頼るしか手がなかったわけだから。
こうして見てくると、「妖怪」「ホラー」「アクション」「ミステリ」といった界隈でやれる面白そうなことは、全部ひっくるめてぶちこんである、ほんとうに稀有な究極のエンタメ映画だったことがわかる。しかもその諸要素の按分、塩梅が驚くほどうまくいっている。要するに素材はありものやパロディでも、発想と組み合わせとバランスが抜群にいいのだ。
そのうえ、水木の兵役時代と、今まで知られている「鬼太郎誕生」のあいだにぴたっと収まる前日譚、という美しい構成。いや、マジ傑作です。
しかも、本作は『墓場鬼太郎』(2008)のダークで大人向けのテイストをベースにしつつも、『ゲゲゲの鬼太郎』(6期)の独自色――政治批評性と社会風刺性の部分を強く打ち出すことで、沢城版鬼太郎の「延長上」にあることをしっかり主張している(監督の古賀豪も脚本の吉野弘幸も、6期からの続投だ)。
TVシリーズに関しては、あまりに反権力・反保守のノリが逆にきつすぎて、僕は途中で観るのを辞めてしまったくちなのだが、今回の映画に関しては「巨悪」のふてぶてしい存在感と見苦しいほどの卑小さはインパクト絶大で、観ていてそこまで左翼くさい幼稚さは感じなかった。『ヘレディタリー/継承』(18)や『ゲット・アウト』(17)を思わせるラストのネタもなかなか見ごたえがあった。
腐属性の女性客にとっては、オヤジと水木がカップリングされたバリバリに濃密なブロマンスとしてもこたえられない内容だったろう。なにせ、『ジリオン』や『シュラト』で鳴らした関俊彦と、『テニプリ』『DTB』の木内秀信なんだから、そりゃあはかどるよね。ご飯三杯はいけそう。ちなみに木内秀信は、京極夏彦原作アニメの『魍魎の匣』(08)で関口をやってたのが、たぶん今回のキャスティングの決め手だったんじゃないかと思う。
主役ふたり以外の声優陣も、実力派をつぎ込んでいて本当に素晴らしかった。とくに皆口裕子と釘宮理恵の役どころは、意外ながらも妙にはまってて笑ってしまった。
ただ、キャスト表に「謎の少年」とある古川登志夫は、家に帰ってHPを初めて開けてみるまで一ミクロンも疑うことなく、「ただのねずみ男」だと思って観てました。あれはさすがに少年だとは思わなかったなあ……(笑)。
以下、ふと思ったことを箇条書きで列挙しておく。
●とにかくこの作品は、空間を埋める「大気」「空気」の表現が上手い。タバコの煙(昭和感)や湿潤な霧、靄、湯気。光と影。吹く風、飛ぶ虫。つねに「キャラ絵」と「背景絵」のあいだを埋めるなんらかの三次元的な情景演出がなされていて、おかげでつねに「臨場感」がある。
●鬼太郎のオヤジが鬼太郎に似ているのは遺伝子の必然として、ベタ惚れの奥さんがちょっと猫娘に似ていたのにはまあまあほっこりした。夫婦ふたりの生き生きとした風貌が、僕たちが鬼太郎誕生秘話で知る、包帯男と亡霊女のおぞましい風貌に変化する理由も一応しつらえてあって感心しきり。
●鬼太郎のオヤジが監視の目をかいくぐってまで、野湯に入りに行くのって、目玉のオヤジの風呂好きとひっかけてるのか。
●鬼太郎のチャンチャンコが誕生する瞬間は、結構ぐっときたし、猛烈にあがった。あれが「祖先の霊毛で編まれている」というのは鬼太郎界隈ではほぼ常識かと思うが、こうやって家族の一大事にグルグルポンで生み出されたってわけだ……なんて良いシーン! あと、リモコン下駄もパパ譲りなのね。
●鬼太郎のなかで「子供向け」の要素を担う「ゲゲゲの歌」(学校・試験・運動会)を敢えてかけない、流さないというのは見識だと思いながら観ていた。
●鬼太郎のオヤジって、元気だったときはあんなに黒目が小さかったのに、眼球だけになったら黒目でかくなるのなw
●「桜の樹の下には屍体が埋まっている」と書いたのは梶井基次郎。「桜」は日本の象徴でもあるから、人々の犠牲の上に生き血をすすって、紅い華を咲かせて花吹雪を散らせてたって比喩でもあるのかもしれない。
●でも、東映がこうやって公開してしまった以上は、ガチでこれが「正史」ってことでよいんでしょうね。一応「横溝」つながりでしめてみました(笑)。
大人向けのゲゲゲ
まず、こんな作品を作ってくださった制作スタッフの方々に感謝します。本当に映像が美しく、ストーリー共に魅入られました。
日本のアニメはやはり素晴らしい。
本作、ゲゲゲは大人向けに仕上がっていると思う。小さなお子様と一緒にと考えておられた親御さまには不評かもしれない。
冒頭から、最初思い出したのが「犬神家の一族」をはじめとする横溝正史の世界観だった。
気味悪いトンネルに、福岡県の心霊スポット
である旧犬鳴トンネルを思い出した。
そしてやはり胸糞悪い輩が、世界が登場するのは想像に難くない。まさに生きてる人間が一番怖い。私も人間ではあるが。
しかし、それを凌駕するのが、ゲゲ郎の真摯な愛だ。水木とのバディだ。
ゲゲ郎を演じるのが、映画館の宣伝で声を聴いて関俊彦さんと知ったときから、もともと観に行く予定だったが、更に楽しみだった。
最近では「鬼滅」の鬼舞辻無惨を演じておられるが、「YAWARA!」の松田記者や「仮面ライダー電王」のモモタロスみたいな熱血キャラから冷血な役まで幅広い声優さんだ。
静かな穏やかな、けれど燃えるような愛を持ったゲゲ郎を俊彦さんは見事に演じておられた。
関俊彦さん、素晴らしかった!!!
私の涙腺は、ゲゲ郎が妻を探すところあたりから崩壊してしまったのはいうまでもない。
「俺の相棒」のセリフで、鼻水と涙がダラダラになった。
ゲゲ郎と妻がもう一度一緒に暮らせなかったのが
本当に悔しくて切なくて。
目玉親父が鬼太郎と一緒にラストに出てきたのがちょっとだけほっこりさせてくれた。
親父はもうお茶碗風呂で、ゆっくり幸せに鬼太郎と過ごしてほしい。
鬼太郎は、親父を守り、時に人間に反吐が出そうになるかもしれないが、悪い妖怪とも戦って、
チャンチャンコ柄の蒲鉾にならないように頑張ってもらいたい。
幸せな明日を、未来を我が子に生きてほしくて戦ったゲゲ郎。
水木しげる先生が生きておられたら、今の世界の紛争をどう思っておられるだろうと思う。
もう一回は足を運んで、若き日の親父に会いに行きたいと思う。
某「ゴジラ」との表と裏
たまたま先に鑑賞した某「ゴジラ」との対比レビューになりますが
特に、「敗戦」というものが日本人のアイデンティティに与えた影響がね。
この二作、当然、連作でもなければ、関連性もない二作なのですが
モチーフとテーマが裏表なのですね。
先に述べましたが「敗戦」というものが、日本人に与えた大きな文化的、精神性の影響が大きくて
この屈辱とコンプレックスをどう飲み下し、納得し、反芻するか。それが各々の、この国の隠れたテーマだった訳なんですね。
昭和後期の高度経済成長もそうですし、それが行き過ぎたバブルが弾けたとて、
平成の30年は再び失いたくなかったほどに安定し、平和だったのです。失われた30年とはよく言ったもので、
失いたくなかった30年間だったのですよ。実はね。こんなに平和で良い時代はなかった。
飢える事もなく、弾圧されることもなかった。だから文句が自由に言えたのですよね。
そしてこれらの作品が、この令和の世の中に生まれたタイミングが重なったことは
不安定になり、時が動き始めた(失われた30年がようやく終わった)社会情勢を鑑みて、
未だ尾を引く(どころか、現代日本の根底にある)先の敗戦と、科学技術と社会の発展と
そしてそれが崩れ始めた現代令和の価値観に、訴えかけるには、丁度良いタイミングが重なったのだろうなあと
結果論的に思いを馳せる機会に恵まれ、たいへん感謝しております。良作とも、観られて良かった。
戦中派は、自分たちで勝つも負けるも、可能性があったのですね。
結果、国家という単位で負けてしまった結果は、ある種の自己責任として、抗い、結果、受け容れることができるのですね。
(この受け「容れ方」こそが今回の「ゴジラ」のテーマでもありますね)
ゴジラにおける敷島も、鬼太郎における水木も、この立ち位置ですよね。
ひどい時代だったし、ひどい体験も、己の意志でリベンジすることも、克服する機会もあったのですね。
ところが、戦後生まれ世代は(私も含め)全員が負け犬としてのレッテルが貼られたところからの人生スタートなのですね。
ここが大きな価値観の立脚点の違いを感じるところです。諸説異論ありますでしょうが、必ずここが現代史としてのターニングポイントです。
鬼太郎における沙代も含め、我々戦後生まれは「犠牲者」だという捉え方もあります。
その一方、ゲゲや敷島や秋津のいう「貧乏くじ」は、自分で選択できる価値観なのですね。
おそらく、今現在もウクライナや中東で行われている戦争(生きるか(=殺すか)死ぬかの極限状態)で失われることは、
社会性、道徳性、人間性であると同時に
人間としての誇り、尊厳。それはおそらく、「自らの意思決定の権利」という事なのですよね。おそらく。
どちらの作品も、そこを取り扱っています。
それが表層では、選択できないという事はないのだけれども、根底に、選択できないという戦後派の下敷きがあるのですね。
そしてまた同時に、その根底にある「日本人ならではの国民性」として、「社会やコミュニティへの自己犠牲が美化されて描かれる」という事は
我々が逃れられない種族としての価値観を、描かざるを得ないのではないかと思われます。
「ゴジラ」はそこからの脱却を描いていますし、「鬼太郎」もそこを踏まえた上での戦後や悲惨な状況を描いています。
ゲゲがその選択を自らの意思で選び、そして水木(ああ、左耳の欠損こそは、水木先生(左腕ですよね)そのものですね)が墓場から鬼太郎を取り上げた
鬼太郎こそが、その可能性、未来そのものと描いています。
エンドロールの止め絵アニメーションは素晴らしかったですね。
ちなみに、そのあたりの整合性のとれない謎(私はアニメ第三世代ですので、鬼太郎の母は雪女との認識もありましてw)も含め、
どちらの作品も、ああ、敗戦と科学という、光と闇を描いた作品として、(個々の作品レビューとして、ルール違反であありますが)
非常に高く、評価させていただきたいと思います。
面白いのが「戦後の銀座」というワードが、どちらの作品にも登場しまして、その光と闇の対比が、とても良いですよね。
最後に各作品の美点を述べますが
特筆すべきは「鬼太郎」の仕事の良さで、前半は凡庸な作画と謎脚本と演出に辟易するものの
アクションシーンからの、メリハリのある作画と演出に、現場の負担を減らしつつ、作品のクオリティは落とさないという
非常に職人芸的な、カロリーの配分にとても特化した采配には、脱帽致しました。
デフォルメという江戸時代の浮世絵にもある現代絵巻であるアニメーションの特性を良く活かした演出だと感じました。
一方「ゴジラ」の、監督の得意技だけを練り上げたような、いわゆる商業的には成功が約束された
このような職人技のようなゴジラが描かれたのは、とても良かったと感じました。個人的には、機雷戦と、伊福部昭の使いどころが、とても良かったですね。
(おかしなところも沢山ある映画でしたが。監督が了承済みならば、観客も了承するのがマナーでしょうね)
最後になりますが、両作品とも、必見の映画です。そこに浮かびあがる、令和現代における「日本」そして「科学」というものの両面性、
ゴジラも妖怪も、しょせん、人間が生み出した価値観であり、概念です。
そして結局は、「人間(が生み出したもの)こそがいちばん恐ろしいのだ」というのは、
すべてのホラー、ドキュメント、サスペンス、ミステリー、SFなどに共通した真理ですね。
それをどう描き、どう捉えるのか。そこに映し出されるものは、常に「人間」(日本人)そのものなのですね。
過去を踏まえ、どう未来を築いてゆけるのか。その人間の可能性を見出したいと思います。
昭和は生きるのにも苦しく、生き抜いてゆくには意地悪になるしかなかった時代だったと思います。
令和は優しい時代になれますでしょうか。なりますよね。なりつつありますよね。
私はこれらの作品を通じ、未来を信じたいと思います。
鬼太郎誕生を6期ベースで新訳
前提として比較的鬼太郎ファンでアニメ3期がメインの年齢です。(3期は鬼太郎は人間とのハーフ設定)
『鬼太郎誕生』をやるという話を聞き「最初の墓場から産まれる辺りをしっかりやるのか?」と映画館に向かいました。
面食らったのは登場したのが6期の鬼太郎と猫娘だったので「あ、違う話か」とそこで認識。
なので、一部の方が言っている原作「墓場鬼太郎」とは真っ直ぐ繋がらないのでご注意。(そうすると目玉のおやじと鬼太郎母は幽霊族の血が人間に取っては有害であるのに売血したことに……)
鬼太郎の誕生する話は数パターンあり、その1パターンを原作ベースに6期で新訳し、それ以前の話を書いたという話。
話としては、準主役として「目玉のおやじ」の昔の姿とその戦いが見られたのは熱かった。幽霊族の強さや霊毛チャンチャンコならぬ元となる霊毛ミサンガ? など見どころは沢山。
主人公の水木もパターンにより性格が違うが今回はストーリーを牽引する野心的でトラウマを抱えたThe・主人公という設定。しかし、これよりより人間くさい人物になっているので魅力は増したと思う。
妖怪・狂骨も鬼太郎設定でかなり凶悪なものに。
鳥山石燕画の狂骨はけっこう可愛いです。
ストーリー的には正統派ミステリーの起承転結、因果応報。霊能力を持った金田一耕助を見てる気分。
ただ何故ここまで絶賛されているのかがわからない。
PG12だから絵描けたという意見も見かけましたが血液銀行などの設定を出すためでしょうし、墓場 or 原作クラスのグロさまでは達していません。
鬼太郎の腹の中に蛇飼ってるとか本当に第一関節から先がちゃんと飛んでいく指鉄砲とかやったら今のファンは離れてしまうと思いますが(笑)
エログロという文化を経てよりマイルドに大衆向け・子供向けにされたものに対する「抵抗」を6期と今回のゲゲゲの謎から感じました。
ただこの作品はどこに対して何を狙ったものだったのかがハッキリせず、それが全て尾を引いた印象もあります。
6期が終了してから4年、その頃小学生だった子供に向けているのか、近年の仮面ライダーなどと同じで大きいお友達向けコンテンツを狙いなのか、そうするとPG12は果たして正しかったのか、R15やR18でもっと激しくしたほうが良かったのかなど疑問は尽きません。
個人的には総合的に見ると、どっちつかずで歯痒く感じました。
期待してたベクトルとは違いましたが、映画館でも楽しめました。
ただここまで大絶賛されるレベルのものではないです。
娯楽作品としては楽しめるアニメでした。
父「たち」ってそういうことね!
ストーリーも雰囲気も全然子供向けでは無かった。完全に大人向け。閉鎖的で陰湿な戦後の日本の空気感は横溝正史や松本清張、江戸川乱歩あたりが好きなら刺さりそう。
私がテレビで観ていた鬼太郎(おそらく第3期〜4期、再放送で第2期も)もジメッとしてたし、同年代以上の世代向けアニメかなあ。
水木しげるの凄惨な戦争体験をベースに人間のエゴ、胸糞悪い因習、それとは対称的な幽霊族の家族の絆、、、と、とにかくテーマが重かった。戦後80年経とうとしてるのに人間の本質は変わってないよ、と絶望的な気持ちにもなるけど僅かに希望の光も見せてくれるのが憎いなあと思う。
とにかくゲゲ郎と水木のバディが素敵だった。父たちってそういうことなのね、とやっと理解したし、鬼太郎が身に付けているアイテムのことも理解した。予備知識無くても楽しめる。そうか、鬼太郎父は根っからの風呂好きなんだねえ。その後の3人を想像したら切ないなあ。
レビューの評判を見て観に行ったものの。。。
自他共に認める水木しげるファンです。
アニメは第4期からはほとんど観ていません。
但し深夜に放送していた「墓場鬼太郎」は原作の世界観を忠実に再現していて大好きでした。
本映画については、当初は劇場で鑑賞するつもりは全くありませんでしたが、
絶賛されている方が多かったので、それなら観てみようと思い出かけました。
結論から言うと、テレビで観ればいいかなという出来でした。
決してつまらないわけではないのですが、面白くもないのです。
ダークでグロイという評価もありましたが、そこまで振り切れていない。
第2期アニメの「足跡の怪」の表現の方が余程グロイです。
線や色彩が綺麗すぎるのも一因だと思います。
ストーリーは既視感はあったものの、抵抗なく受け入れられましたが、
ひとつ疑問が。
鬼太郎の母はどんな理由であの村に行ったのでしょう。
そして、血を採ることが目的なので、手も足も切り落とすと言いながら、
捕まっている幽霊族には手も足もある。
時々、モヤモヤする場面がありました。
決定的だったのは、本編ラストからエンドクレジットを経てのラストです。
本編は、墓場鬼太郎ゼロの位置付けだと思いますが、
墓場鬼太郎原作への繋げ方が甘すぎます。
本編ラストで記憶を失った水木がどうして鬼太郎父母と再び結びついたのか。
バディを組む間柄だったのなら、
記憶を失った水木が来た時点で
鬼太郎父からそれを思い出させるアクションがあったのではないか。
原作冒頭に繋げることを考えすぎて、逆に話が破綻してしまったのが残念でした。
最後に。
鬼太郎と猫娘は無理矢理登場させなくてもよかったのになと思いました。
山田もどきもいらないです。
評価が難しい…
ゲゲゲの鬼太郎は名前くらい知ってる作品ですが
しっかり観たことはなく、評価が高いということで視聴。
うーん、確かに鬼太郎ファンからすると良い作品であるというのもわかるし、映画単体で観ても救いようのないストーリーだが心打たれるものがあった。
だが、最近では朝に放送していた作品だけあって子供が見る内容として考えるとやりすぎではないかと思う。
小さい子が観るのであれば正直最期の展開は救いがあってほしかった。
単体で観れば星4で、作品背景を考えるのであれば星3.5が妥当かなぁ
ホラーなのに涙が出るほど感動
ゲゲゲの鬼太郎…なんて子供向けかな?と思い付き添いで見に行ったらPG12となってるしコレは完全に大人向けです。
水木は水木しげる本人を描いているのか?
自身の戦争体験、時代背景も昭和31年?電車内でもタバコを吸っていたり今ではあり得ない時代背景の描写が良いです。
目玉親父…鬼太郎の父ことゲゲ郎がとにかくカッコ良いです。冷静で不気味な佇まいなのに戦闘シーンがカッコいい。
お風呂のシーンなんて目玉の親父になる前からお風呂好きだったのね。
関さんの話し方が渋くセクシーで魅力的なキャラにハマってしまいました。
水木とゲゲ郎2人が村の秘密を暴こうとアニメなのにサスペンス映画です。
人間の醜い欲望を妖怪の力を利用していている。
妖怪よりも人間のほうが狂っている事が恐怖です。
ゲゲ郎の気持ちになればなるほど感動して涙がでてしまいました。
この映画はただのアニメでは無く色々考えさせられる映画で是非見てほしいです。
墓場鬼太郎の謎解き
昔、フジテレビでやってた墓場鬼太郎が大好きだったので年甲斐もなく観てきました。
ストーリーは往年の古谷一行の金田一耕助シリーズを彷彿とさせるものでなかなか好み…だけどトレースするばかりで意外性がない、これは残念。
謎解きもよくある仕掛けで、あんまり捻りがない。すごく素直。でももしかしたら実写でやったら分かりやすくて結構良いのかも?と思ってみたり。
色んな水木作品と昭和の名作、最近流行りの超能力バトルもののパッチワークで一本映画を作るのは凄いなと思いました。
個人的には墓場鬼太郎で凄く人柄の良かった鬼太郎の両親が再び動く姿で見られて、これはこれで満足です。
鬼太郎誕生!大人向けかなと、、、。
野沢雅子さんが鬼太郎>目玉おやじですもんね。
これは、最終版なのかな。
全体的に飽きることなく、最後まで観れました。
少し残念なのは、鬼太郎が生まれるところ、目玉おやじの登場もあったけど、ちょっと端折ってしまったので、そこも丁寧にしてくれてもよかったかな。
小さなお子さん多かったけど、ちょっと刺激的だったかも。。。
いいと思う
第6期の鬼太郎はアニメでも一回も観たことなかったのだけど、今回観れて良かった。良いところでいうと、丁寧にまじめに作ってるなーという、感じ。残念なところは、初期の鬼太郎にあった、いい加減さというか、のんびりさというか、独特のユーモアみたいなものが無いなー、と思った。
<良かったところ>
・かなり強引ではあったが、原作のエピソードにつながる話になっていた。
・作画がとてもきれい
・原作や水木しげるへのリスペクトが感じられた
・最初の方の犬神家っぽい感じが良かった。面白くなりそーな雰囲気ばしばし
<若干、あれ?と思ったところ>
・これ子供向けかな? 子どもにとって前半はそうとうきついと思う。
・逆に終盤の展開は雑すぎ。前半は何だったんや…、って感じでちぐはぐ。
・水木しげる自身の戦争体験を描いた漫画も融合してる点は良かったんだけど、水木しげるだったらこういう話は作らなかっただろうな、ということも思った。戦争ものにありがちなんだけど、今の倫理観や常識で戦争中の価値観を批判している、という安易さが感じられた。
・鬼太郎のお父さんをヒーローにするなら、もっとヒーローっぽい活躍をさせてほしかった。終盤は狂骨が強すぎて活躍する余地がなくなってる。
・ちゃんちゃんこができる経緯が雑すぎる。なんで自動的にちゃんちゃんこの形になる? 普通に幽霊族に代々伝わっているもので、霊毛で編んだものってことで良かったと思う。
エグすぎる
評判良さそうだったので、見てきたらとんでもないものをお出しされました。人間の恐ろしさがすごく良くかけてました。ですがこの作品の真の恐ろしさは穢れにあると思うのです。あまりにおぞましい行為は容易く人を妖怪以上に見にくく変貌させる。今回の加害者は間違いなく哀れで痛ましい体験をしていました。もし殺していなければ誰もに同情されるかわいなキャラクターでした。思うにかのキャラクターは一族の禊をさせられていたと考えてます。彼女に罪はなかったけれど積み上げられた業はもはや悪人が裁かれるだけでは収まらない。役目を放棄した結果呪いが溢れて村は壊滅しました。それでも収まらないからゲゲゲ郎が人柱になってそれでも収まらない怨念はさらなる禊を求めました。あの村でもっと罪のない多分もっとも無垢なものが責め苦を最後まで受けることで70年かかってようやく終わったのです。あまりに深い罪深い業は悪人への因果応報だけでは終わらない、誰かが禊がなくてはならない。そんなお話
ファンはクスリとする
水木しげる作品はだいたい読んでいますが、原作の「輸血した患者が幽霊になる問題について調査するよう会社命令を受けた血液銀行勤務の水木はミイラ男とお岩さんのような幽霊夫婦が貧乏ゆえ血を売って生計を立てている事実を知る、その後夫婦は餓死して哀れに思った水木が土葬をすると土の中から鬼太郎が生まれる、子のためにミイラ男の遺体から目玉が落ちて目玉おやじになる」
今の時代餓死や血液銀行なんて分からない人が多い点について映画では上手い具合に改作されています。
映画を見る前は正直、鬼太郎の父親をイケメンにしすぎだろ。猫娘と同じく若いファンに媚びるのかと敬遠していましたが、レビューを見てみると大人向けとのことで試しに見てみると原作の夫婦(死ぬ寸前)が見るに堪えないブサイクだった理由付も出来ていますし、素直に楽しめました。
妖怪について教えてくれた水木のおばあちゃんの話題(のんのんばあ)、水木の兵隊時代の回想で水木の横でいつも酷い目にあうメガネのトロい男(総員玉砕せよの水木しげる本人)などカメオ?出演のように別作品を知っていたらクスリとするような要素も盛り込まれていて、この映画を面白いと思ったらぜひ別作品も見てほしいです。
ただ、今テレビで鬼太郎を見ている小学生位の子が見てもほぼ意味不明だと思うし、近親○姦や血液牧場のような描写もあるので、PG12でほんとにいいの?って引っ掛かりはしました。
ラスト号泣でした
アカン。子供とか赤ちゃんとか本当アカン。
こんなの泣かずにいられなかった。
鬼太郎父さんの過去がほとんどなかった中で、水木の過去(おおよそ戦争体験)があちこちに散りばめられているのは、水木先生の戦争体験本をいくつも読んでいる身としては納得感強目でした。水木しげるってこうだよな…って。
今度は鬼太郎父の物語があるといいな。
人間の残忍さはおぞましさ、裏切りや恨みで随分こんがらがってしまったなかで、鬼太郎父さんのしなやかさがなんともいえず「品」の良さをまとい素敵な父さんなのねと鬼太郎羨ましかった。笑
妖怪や恨(ハン)について無知な自分では理解できない部分があったのですが、公開数日でパンフレット完売してて意味不明点がポツポツあるのが悔しい。
パンフレット再販しないかなぁ。涙
鬼太郎父さんの戦うシーンがカッコよかったので
久々に映画リピートしたいと思います。
満席続いているのでしばらく待ちかな。汗
ゲゲゲの横溝正史?
水木しげる生誕100周年記念作品。
通常スクリーンで鑑賞。
原作マンガは未読、
テレビシリーズ第6期はつまみ食い程度に視聴済みです。
閉鎖的なムラ社会。古い因習。名家に秘められた謎。人の情念。奇怪な連続殺人。これほどまでに横溝正史テイスト全開とは思っていなくて、最高の鑑賞時間を過ごしました。
ゲゲ郎さんと水木氏のバディ物の側面も面白かったです。次第に絆を深め、クライマックスには共通の目的のために一緒に駆けていく。「俺の相棒はしぶといぞ」的なゲゲ郎さんのセリフには水木氏への強い信頼が感じられ、胸が熱くなりました。
妖怪とのバトルも迫力があり、ゲゲ郎さんがカッコいい。ラスボスのエゲツなさも素晴らしかったです。鬼太郎お馴染みのアイテムのオリジンに驚き。見事なエピソード0でした。
妖怪よりも人間のほうが怖い作品
戦争帰りの水木が
血液製剤の秘密を得るために
懇意にしている社長を跡継ぎにしようとして
龍賀一族の醜い跡継ぎ争いに参加をした
そして、龍賀一族が次々惨殺される
殺され方がグロいというよりも
わざとグロく演出している感じがする
目玉がつぶれたりする
妻を探している鬼太郎の父と出会い
村の秘密を暴こうとする
アクションヒーロー的な作品ではなく
全体的にサスペンスっぽいが
妖怪が怖いというよりも
村の人間が狂っているように感じることが恐怖
人間の醜い欲望とか村での因習などで
妖怪を利用していて
妖怪よりも人間のほうが狂っているように感じる
時貞が自分の子供たちは頼りないので
国家のために妖怪の力をつかって
孫の体を乗っ取ったのとか
近親相姦をしていたとか
グロい描写以外でも全体的に子供向けじゃないので
全体的に大人向けの作品に見える
結局、因果応報なのか
村の住人は全員亡くなって村は壊滅してしまう感じだった
ねずみ男はコミカルで作風が
作品が違う感じに見える
「大儀」や「国家」を掲げる
お偉いさんは嘘くさいと水木は
戦争で思い知らされたことは
原作者の水木しげる先生の体験が影響しているのかなと思った
ノイズの少ない良質な、胸のすききらない作品
「胸のすく思い」という言葉は使ってきたが、「胸のすききらない思い」は人生で初めて使った気がする。
原作はおろか過去のアニメ作品も子供の頃見たような気がする程度。登場キャラクターをふんわり知っているのだから人生のどこかで触れたことがあるだろう、くらいの知識の乏しさ。
鑑賞のきっかけは、因習村だという感想を見かけたため。
きちんとした因習村は不気味な題材としてとても好きだが、雑な因習村はコントだと思っている。
作品冒頭。新聞社のデスクが並ぶシーンで、部屋が白んでいた。
この描写に、現代にそれっぽいものを描く昭和レトロ物語ではなく、昭和の物語なんだ、とハッとした。
昭和という時代は、男女共に煙草をどこでも吸うのが当たり前で、人が集まる部屋は煙で白む。
私たちが生きていてほぼ見ることの無いこのような光景は、しかし空想のファンタジーでは無い。描写に正解はある。
こういった丁寧な描写は、作品に没入するにあたって作品の外側を思い出すようなノイズが、この作品に無かったことの証のように感じる。
物語舞台は、因習村だった。
因習村作品に求められているもの、外的要素はもちろん、作品から受ける印象、陰鬱であったり不気味さや胸糞の悪さ等、そういった要素がきっちり盛り込まれていた。
こういったものは、ホラーのような耐性が有る無しで分類されると思う。
そういった意味では、子供向けでは無いと思う。そもそもPGもあるが、「人間の醜さ」みたいなものを含んだ作品を子供に積極的に見せたい人は少ないだろう。
そういった要素に抵抗の無い人であれば、そういった作品に求めているものがちゃんと入っている作品だった。
ホラーと同じでそういった物に特化した人はもっとおどろおどろしいものを求めてしまうのかもしれないが、この作品はちゃんとそれはただの舞台装置であり作品が描きたいメインテーマではない、というところもしっかりしていた。
物語としては意図的に特定の登場人物1人に感情移入して見て欲しい、という作りはしていなかったように思う。
たまたま誰かと感性が近くてそのキャラクターに移入してしまう、というパターンはあるかもしれないが、それほど移入はしないんじゃないか。と思ったが、エンディングで涙している人の気配を劇場内に感じて驚いた。
あるいは、登場人物に前持った思い入れがあり、自分の中で積極的に移入する対象があるのかもしれない。事前に登場人物を自分の中にインストールしていたら、物語はひどく重く心にくるだろう。
まず終わり方としては、特定の登場人物に感情移入を積極的に行っていなくても、まるで晴れない気持ちにさせられる。BADエンドでは決してないが、ハッピーエンドと評することは絶対に無いだろう。
そういった終わり方もまた1つと楽しめる人は、オススメ出来る作品だと思った。
”救われて欲しかった”
ストーリーは全体として後味の悪いものだった。だが、それが良かった。
「龍賀紗夜が時貞のお気に入りであったことがわかった時」「時貞が時弥の魂を追い出し、体を乗っ取るシーン」では特に悲しくなった。
龍賀一族の中で、好感の持てた龍賀紗夜と長田時弥には救われてほしいと願った。しかし、結局報われなかった。
龍賀の業「M」の製造の背景には、日本の敗戦がある。
自国の敗戦について、もっと知らなくてはならないと思った。
邪悪で楽しめたが、ヒロインの結末は雑に感じた!!
鬼太郎のご両親の悲壮感溢れる戦いと、龍賀爺のこの上ない邪悪さを楽しめました。種崎敦美さんのお淑やかな演技が上手く、沙代さんから恋愛関係なくこの人だけは守らなければと思わせるものを感じましたが、退場の仕方が雑すぎて何かガッカリしました。何でもかんでも狂骨にして安く感じました。例えば、「私は水木さんと幸せになるのよ!」と爺に特攻するか、隠れて最後一緒に脱出できたが龍賀は呪いで村から出れない為、水木が気が付いたら居なかった、等で良かったのではと思います。水木は観客視点のキャラだと思いますが、口数が多くあまり魅力を感じませんでしたが、真夏にスーツ・ネクタイ姿を貫き、また物理攻撃が強くて少し笑えました。サバイバルホラーで大人の男性は子供を庇護する役割があると思いますが、沙代さんの事は特に何とも思っていないように感じて物足りないです。水木しげるさんの着想を上手く膨らませたストーリーにしていますが、龍賀兄妹の中には有名声優なのにモブキャラに感じる人物も多く、またゲゲ郎と目玉の親父はキャストが違う事もありキャラの断絶というか別人に感じる為、練り直す余地があると思います。また、個人的には「傷物語」の時のシャフトの絵柄と演出で本作を観てみたいと妄想しました。結論としては、「М」の謎を解き、ゲゲ郎の奥さんを探し、沙代さんを東京に連れて帰る、の3つのミッションをどう達成するのかを考えながら観ていた時は、小説みたいで楽しかったです。沙代さんのようなきれいな言葉遣いでお淑やかな女性は絶滅危惧種だと思います。前半、皆口裕子さんの声がエロかったです。
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