秘密の森の、その向こうのレビュー・感想・評価
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セリーヌ・シアマの精緻な演出がさらに進化。
前作『燃ゆる女の肖像』に続いて、セリーヌ・シアマはほとんど完璧な映画を作ってきた。しかも今回はさらにミニマリズムを極め、時空を超えて母と娘が出会うというSF的な設定を、非常にシンプルな子ども映画という枠に落とし込んでいる。もはや精緻な一筆書き、といった印象すらある。
主演している双子の少女たちの存在感も素晴らしい。ただ、ふたりでパンケーキを作るシーンなど、完全に素が見える演出は、自分としてはいただけないというか、もちろんとびきり可愛らしいシーンではあるのだが、そこは声のトーンも違っていて、そもそも2人の演技が達者なだけに、現実に引き戻される気がしてしまうのだ。
とはいえセリーヌ・シアマ監督がそんなことをわかってないわけもなく、祖母、母、孫といくつものレイヤーが重なっていくような本作に、もうひとつメタなレイヤーを重ねているのかも知れないとも思う。原題の「プチ・ママン」が出るタイミングとそのときに映っている人物や、劇中劇の内容のことを思うと、シンプルなようでいていちいち深い意味が込められているもわかる。また数年後に思い返したり、観直したりすることで、違う視点が得られるような気もするので、いつか試してみたい。
シアマ監督がいざなう森の深淵に感動が込み上げた
たった73分。それは通常の作品に比べると少し短い映画体験かもしれないが、しかし言うまでもなく、重要なのは長さではなく質だ。この映画には冒頭から心を繊細に包み込むかのごとき柔らかで優しい触感があふれ、ふと気づくととめどなく涙がこぼれてしまうほどの情感がそこかしこに。人生とは出会いと別れ。8歳の少女ネリーは亡くなった祖母に「さようなら」が言えなかったことを悔いている。その母マリオンもまた、実母を失ったことで心が張り裂けそうな悲しみを抱えている。やがて一つの不思議な「森」を介して起こる出来事を一言で表すなら、それはマジックリアリズムと言えるのかもしれない。そして『燃ゆる女の肖像』同様、シアマ監督はヒロインたちの視線をじっくりと印象深く映し出し、かつて感じたことのない深い”気づき”と”つながり”を浮かび上がらせていく。その手腕に恐れ入った。映画の持つ無限の可能性を噛みしめずにいられなくなる逸品だ。
女性同士の愛と連帯を描いてきたセリーヌ・シアマ監督が、“娘と母の絆”の可能性を広げた
セリーヌ・シアマ監督はアデル・エネルを起用した「水の中のつぼみ」「燃ゆる女の肖像」の2作で、内省的な女性主人公が、華やかだが孤独なヒロインに恋慕し、感情をぶつけ合いながらも連帯感をはぐくんでいくストーリーを描いてきた(シアマとエネルはプライベートで長年のパートナーでもあった)。
新作の「秘密の森の、その向こう」が前述の2作のテーマにどこか呼応しているのは、主人公ネリーと瓜二つの少女マリオン(双子の姉妹が演じている)が並んで写るキービジュアルからもうかがい知れるが、それだけではない。シアマ監督にしては珍しくファンタジックな設定を採用することで、娘と母の関係、その年齢差にとらわれない新しい絆のありように挑み、繊細な手つきで鮮やかに提示してみせた。
最後まで観終わると、ある事実を知っていた人物の途中の表情や台詞はどうだっただろうか、と見返したくなるタイプの作品。事前情報をなるべく入れず、ネタバレを回避して鑑賞していただきたい佳作だ。
「燃ゆる女の肖像」とは打って変わった、双子のサイコファンタジー
「燃ゆる女の肖像」でカンヌ映画祭の脚本賞を受賞したセリーヌ・シアマ監督の新作。今回も、自ら脚本を書き下ろしたオリジナル作品です。
「燃ゆる女の肖像」とは打って変わって、今作はとてもローバジェット。ワンロケーションで、主要な登場人物もたった5人。しかし、その5人の中に少女の双子が混じっていて、この双子の設定がとても秀逸なんです。一人二役かと思うほど二人は似ていて、しかも他人という設定。そしてキューブリックの「シャイニング」を思い出すまでもなく、双子の少女はちょっと不気味でもあります。
「ダークファンタジー」というか、「サイコファンタジー」という感じの小品。上映時間73分ですが、けっこうな余韻が残ります。見終わって、すぐにもう一度見直したくなりました。いろいろ確認するために。
さらりとしていて深い
大好きな祖母の死
母の死への喪失感
その現実に戸惑うふたり
それを上質の短編小説や
深い秋の日の映像詩に変換
物語を8歳の少女を通じ
優しく綴らせた。
そこに有るのは
戸惑いや悲しみ
そして喜び
彼女の超えた時空は
必然であり奇跡では無い。
勿論SFとも思わない。
室内へ差し込む光
風に揺れる木の枝の影は
恐れよりも生や息吹
その印象が強い。
静かな時間は流れ
静かな時間を見る
全編ほぼ音楽は無い
それは素晴らしい…が
後半出る楽曲の選択は
個人的には好きでは無い。
とはいえ、この監督、
上手いな、そう思う。
※
大切な1本
2023年映画館で見て、うまく言えないけど、とても良くて、観て良かったと思える大切な一本の映画になりました。
能登半島地震後の避難所生活が3カ月めに入る頃、VODでもう一度観ました。
やはり、大好きな世界でした。難しいことは言わないでいい。
雰囲気メイン
雰囲気を楽しむ映画かね?超ひどいわけでもないけど面白くなりそうなところでスカされる。まあそうなるだろうなという展開で淡々と進んでく。冒頭の男女のハグでなぜか恋人と別れるんだなと思ってしまったので小屋にその男性がいる上に、実の父親らしいことが飲み込めなくて、話についてくのしばらく時間かかりました。
フランスの子ども
どうにも「母と娘の絆」ってやつにピンとこないというか
まぁ単純の僕の感性の問題なんですけど、
子どもを置いて勝手に出てく母親ってどうなの?っていう。
フランスの子どもは精神的に自立してんなーとは思った。
ファンタジー要素が霞むリアリティ
あらすじも何も入れてないからファンタジーの方向性に意表を突かれ嫌いなジャンルに観る気が薄れ はしない、不思議な現象をスムーズに受け入れて淡々と過ごす様子が映し出される、そんな二人の少女が戯れる楽しい時間を微笑ましく見守るように鑑賞、ネリーの母親であるマリオンの記憶や思い出の中に友達としてのネリーは存在しているのか??
セリーヌ・シアマがジブリの世界観を描いたら、みたいな感じは、違うか。
きれいな映像のもと終始まったりと…
全く知らない作品だったが、フランスものだし何となく好み系に感じ鑑賞。
冒頭の雰囲気はバッチリ期待通り。特にタイトルテロップの入り方はイケていて、名シーンと言っても過言ではないほどのできだ。
その流れで期待値マックスになったところからの、ラストまでまさかの鬼まったり感。本作上映時間72分が「タイタニック」よりも長く感じてしまったぞ。
確かに2人の女の子ちゃん達はとても可愛くほのぼのできたが、夢か現かよくわからんまま進む淡々とした展開に、危うく何度も寝落ちしそうになった。
本作はどちらかというと女性向け作品なのか、男性としては共感箇所求めて瞑想…もとい迷走しっぱなしだった(笑)
全体を通して個人的には正直期待外れと言わざるを得ないが、既述のオープニング以外にもラストシーンの母娘の掛け合いはふいに良い。なんだかんだ良い余韻が残り、ほっこりできる作品ではあった。
詩的で美しい情景。可愛らしい2人の少女。
心が癒されます。
祖母から母そして孫。3代の女たち。
「祖母の死」
後悔と喪失感。
8歳の孫のネリーはおばあちゃんが大好きだった。
祖母の家を後片付けに行く。
その森で秘密基地を作っているマリオンに出会う。
(2人の少女は双子らしい、そっくり!!)
そしてマリオンの家に招かれたネリーは、杖をつくマリオンの母親。
おばあちゃんの家と間取りの全く同じマリオンの家。
ネリーはマリオンに告げる。
「私はあなたの子供なの」
ありそうでなかった設定です。
セリーヌ・シアマ監督はインタビューでこう言っています。
アイデアに詰まったとき、
「宮崎駿ならどうする?」
だから宮崎駿の世界観の影響を受けて作られているとの事です。
祖母の死を乗り越える母と娘の物語。
喪失から再生のファンタジー!!
タイムスリップ
亡くなったおばあちゃんの家の片付けにきたネリーの家族。ネリーはママから聞いた森の中での話を探りに森へ1人で遊びに行く。
そこで出会った女の子と友達になるが、その子の名前はマリオン。え?雨が降ってきてそのマリオンの家に行くと、なんとおばあちゃんの家。え?マリオンはネリーのママ。
不思議な出来事をネリーなりに理解して幼いマママリオンとの遊びを数日楽しむ。
現実に戻り、おばあちゃんの家に帰ったネリーはパパにはそのことを話さない。理解してもらえないと思っているのか?最後の日に出かけていたママが戻っていた時、ネリーはママに話したんだろうか?ママは記憶の中に、幼い頃、森でネリーという女の子と遊んだ事を覚えているのかなあ。
心温まるメルヘン。自分の母、もしくは自分の娘とこんな経験ができたらなんか嬉しいなあ。してみたいよ。
ごっことささやき
オタキング氏の発言だが「映画は面白いかどうかを見るものであって、これをわかるかどうかって言い出すとアート系になっちゃうんですね。で、わかるかどうかで言い出すとすっごい作り手は楽なんですよ。」というのがある。
これは園子温を語る回から出てきたもので、それはわたしのような園子温大嫌い包囲網にいる人間にとっては頷き筋肉痛が発生するほど禿同な神回になっているのでぜひご覧いただきたいがアート系でも優れたアート系には面白いという見地がある。だから氏は園映画を“頭の悪い人が好きなアート系”と定義したわけなのだった。
──
映画を見て「わかる」から評価を高くする──ことはしたくない。
「わかる」から高評価すると、つまんなくても支持することになり、じぶんの気持ちにあざむくことになってしまいかねない。から。
とはいえPros側に「面白い」と「わかる」しかないのは不便だ。
アート映画には「興味深い」という見地があると思う。
園子温とセリーヌ・シアマを比べたとき、その引き出しのちがいは、中学生が見てもわかる。
情報量や含蓄や着眼点や隠喩や多様性、バランスと達識と経験値と、それら無形のものが画に込められて「興味深い」という捉え方ができると思う。
その点セリーヌ・シアマ監督の映画は興味深い。なんとなくベルイマンぽい感じもある。イルディコー・エニェディというハンガリーの監督の心と体とという映画があったけれど空気感が似ていると思う。前作燃ゆる女の肖像を興味深く見たが、それは面白く見たと同義だと思う。退屈しなかったんだから。・・・。
このアート系を巡る考えの緩衝地帯にいるのが、例えばウェス・アンダーソンだ。
フレンチ・ディスパッチどうでしたか?俺は面白くはなかったぞ。だけど興味深かったかな。でもあざとかったな。だけど頭の良さはわかりすぎるほどわかった。アンダーソンがやった散文と園子温がプリズナーズ・オブ・ゴーストランドでやった散文なんて比べようがない。だけど業界のウェス・アンダーソンわかってますオーラは好きじゃないな。ムーンライズ・キングダムが一番いいな。・・・。
映画を「興味深い」と、捉えたとき好き(好ましい)という立脚点が加わらなければならない。と思う。
「興味深い」だけだと弱いからだ。例えるならカンヌの「ある視点」。あるいはリューベン・オストルンドやミシェル・フランコみたいな。「興味深い」だけの映画はアート映画というより実験映画に区分される。ような気がする
ウェスアンダーソンはまちがいなく興味深い。だが好きかどうかは人それぞれ。だけどムーンライズは好きだった。──という考察において、ウェスアンダーソン評価がアート系映画を巡る各人の考察のバロメータになろうかと思う。
セリーヌシアマには明らかな好ましさがある。燃ゆる女の肖像はいうに及ばずこれも少女時代の多感をファンタジー風につづっている。なんらかの「ごっこ」によって形成期の心象が語られる。抽象的だが興味深く、好ましかった。
ビクトルエリセのミツバチのささやき(1973)という名画をご存知だろうか。すこし大げさに言うとあれを彷彿とさせた。
母娘の関係はまた独特なのか。
母親と娘との関係は、父親と息子との関係とは、また違う人間関係なのかとも思います。そう思ったのは、実は、家内と(まだ子供だった)娘との口論を聞いたときでした。
息子が小学生でも高学年か、中学生くらいになると、さすがに一端の理屈を構えてくることもあるので、評論子と口論のような状況にもなったりもすることがあります。
それでも評論子には「相手はまだ子供」ということが意識の何処かにはあるのですが…。
しかし、同じ年頃の娘と母親(家内)との口論を聞いていると、まったく対等な「女同士」のような言い争いでした。
(母親=家内の目線からは、相手はまだ子供だという意識は窺えないような感じ。)
そう考えると、本作のネリーも、母親マリオンから聞いた、まだマリオンが子供だった頃の話を、自分と同い年くらいの歳の子供として目の前に現れたマリオンに、何の不思議もなく投影・追体験できるという心情も、あながち判らない訳ではないように思われます。
プロレビュアー氏のコメントによると、本作のセリーヌ・シアマ監督は、女性同士の心情を描くことに長けた方であるとか。
そうすると、本作も、ネリーと母親マリオンとの心情を鮮やかに描いた一本ということになりそうです(まだまだ鑑賞力不足の評論子には、断言ができませんけれども。)
少なくとも、シアマ監督の他の作品もじっくりと観てみたいという意欲が啓発された一本になりました。評論子には。
自然の音が、心を癒やす
早稲田松竹にてなんとなしに鑑賞。
開始早々の社内で横顔を移すカメラワークで、この作品は間違いないと確信。
その流れのままに、どのシーンをとっても、画になるシーンばかりである。
邦題のとおり、「秘密の森」を醸し出す森の様子、そして、劇伴代わりの森の風音。
一曲だけ入るアップテンポの歌がメリハリと子どもたちの心を表現している。
70分ほどの時間が丁度いい。長すぎても退屈であった。
なんとも不思議な作品であるが、癒やされた。
2023年劇場鑑賞36本目
少女の判別に戸惑った
祖母を失い悲しみに耐えかねて姿を消した母と森を探索する少女の出会いを描いた物語。自然の美しい映像が印象的ですがストーリーが曖昧で内容が良く分からなかった。愛らしい少女二人がキュートで魅力的ですが非常によく似ていたので見分けがつかず青と赤の色で判別しました。
2022-210
久々に映像だけに浸る
『燃ゆる女の肖像』のセリーヌ・シアマが監督・脚本という事らしいですが、正直言って私はこの『燃ゆる~』の方はあまりピンとこなかったというか、個人的にLGBTものの作品自体に苦手意識があるみたいなので、その種の作品には積極的には手を出さない人間なのです。
で、本作はLGBTものでなかったせいなのかどうかは分かりませんが、やっとこの監督の凄さや才能を冷静に理解出来たというか、私にとってはほぼ完璧な作品でした。
でも公開時は鑑賞を見送ったのに何故再映で鑑賞したのかというと、私が最近よく見るYOU TUBEの、社会学者で映画批評家の宮台真司氏の動画をたまたま見て本作を絶賛していたので急遽観たくなったのです。
この宮台さん、非常に辛口の批評家で社会や政治については、普段自分が思っていても中々言語化できないモヤっとした感覚を見事に言語化してくれるので、最近けっこう贔屓に動画を見ているのですが、その宮台さんが本作については、傑作だと絶賛している割には何が良かったのかは、いつもの歯切れはなくボンヤリとした表現で素晴らしかったという程度だったので、何処がどう良かったのかを確かめたくて鑑賞しました(笑)
で鑑賞して今まさに感想を書こうとしている訳ですが、傑作であることは間違いないのですが、私も何が良かったかを具体的に言語化するのはちょっと難しく、何から書こうか迷っています(苦笑)
暫く考えたのですが、そもそも論で言うと映画(芸術)って元々が言語化出来ないものを映像で表現する道具ではないのか?という事に立ち返りましたよ(爆)
しかし、商業映画・娯楽映画という表現ばかり観ていると説明が無いと分からない人達が増え、そういう人達が本作を観ても説明はほぼ無いので難しいという事になるとは思いますが、言語化して説明し難い微細な感覚や感情をテーマとして扱う作品の場合、如何に直接心に訴えるかの伝達手段として、その最大の武器(表現方法)として存在するのが映像でありアートだと思います。
本作の場合、誰の人生に於いても絶対について回る“別れ”“決別”“孤独”“哀しみ”等々、その時に湧き上がる感情をたった73分で映像表現するセリーヌ・シアマ監督の才能に驚嘆させて貰いましたが、冒頭車を運転する母親の口に後ろから娘がお菓子を入れるシーンからラストシーンまで、ずっと一貫して母と娘の繋がりの作品でした。
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