マトリックス レザレクションズのレビュー・感想・評価
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『マトリックス』のすべてを捉え直す必然性と切実さ。
ツッコミどころは多々あれど、「今更?」感を払拭してみせるだけの意外性と、これを作らずにはいられない(語らずにはいられない)という作り手の気持ちが詰まっていて、どうしてもヘンな映画では切り捨てられない切実さがある。
トランスジェンダーをカミングアウトし、性転換したラナ監督の気持ちを推し量ることなど自分にはできないが、それでも映画から感じられるのは『マトリックス』三部作をサブカル的に消費した(おそらくラナ自身を含む)世の中への抗議であり、「白人男性が伝説の救世主になる」というクリシェへの異議申し立てだったと思う。
とはいえ、クライマックスのゾンビパニック感などは、たとえすごい皮肉であったとしても、劇中でやり玉にあげていたビデオゲームに作品が取り込まれてしまってはいないかと思ってしまうし、いくら作られた世界に生きていたとはいえティファニーと家族の関係性はずさんに描かれてはいないか。
結果的に『ドント・ルック・アップ』に似た社会風刺ものになっているのは、時代と向き合った必然なのだろうが、『ドント・ルック・アップ』ほどに鋭くはない。でも、気持ちがこもっていて、なんだか『マトリックス』のすべてが愛らしく感じられました。
あと愛、愛な。さすがに無邪気だとは思うけど、愛を信じる気持ちはウォシャウスキー、ブレてない。
inevitableだったように思える4作目
改めて三部作を丁寧に鑑賞してみてから、本作を観てみると…今作は過小評価されているようだが、三部作のシナリオをよく踏まえた上で、十分に必然性のある筋書きになっているし、三部作で平和のために犠牲になって命を落としたはずのネオとトリニティには三部作の結末を覆すような悲劇的ではない後日談となっており、ある意味では2人に幸せなラストを迎えさせたいという願望を叶えたかったのかも…なんて思ったりもするが、今作のこの終幕が自分にはとても心地良く幸せな気持ちになったし、願望に基づく筋書きだとしても「これがいい!」と強く思ったことは否定できない。何故なら、三部作に伴っていた痛烈な痛みをまるで癒すためかのような、回復のための物語になっているからだ(これもまた過酷な筋書きで、決して安易なものにはなっていない。回復のプロセスは痛みを伴うということを避けていない)。
三部作を台無しにしたとのレビューもちらほら目にするが、今作を踏まえると、三部作はヒーロー達が犠牲になって平和になりました、以上終了!という風に終わったように見えてくるのが不思議だ。これを覆えして、その先のネオとトリニティの物語を想像させるかのような心地よい余韻を響かせる4作目のラストの方が、この物語の締め括りとしてむしろより望ましいものになった気がする。2人の人生はまだ続いていくのだ…それが困難な道であっても。
この4作目に至って、マトリックス・シリーズがより一層優れたサーガになったと私は思っている。
ラナ・ウォシャウスキーの心の整理
メタ構造を採用したのはおもしろかった。これは、前三部作に熱狂的なファンがついているからこそ効果があるのだと思う。ただ、ちゃんと復習していないとよくわからない部分もあったと思う。
メタ構造にしたのは、両親と親友を亡くしたラナ・ウォシャウスキー自身が自分自身を冷静に見つめなおす必要があったからかもしれない。自分の分身のようなマトリックスシリーズを俯瞰・分解して再構築することで、自分自身を取り戻すための作業だったのではないだろうか。
物語の冒頭、ネオは「トーマス・アンダーソン」に戻っていて、デウスマキナ(機械仕掛けの神の意)という会社につとめている。
1999年からはじまったマトリックストリロジーはゲームだった、ということになっている。
そのゲームを作ったのが、アンダーソンなのだ。そして、エージェント・スミスがアンダーソンの上司(?)になっている。
スミスが、ワーナーブラザーズからトリロジーの続編を作るという話が来ているとアンダーソンに伝える。ここでスミスは「我々は違った名前と違った顔で同じ物語を語り続けるのだ」という。
本作「レザレクションズ」もそういう物語になっている。
ネオはトリロジーで敵を倒したが、それはゲームの中の話で、現実の人間はまだポットの中で生きている。そして、トリロジーと同様に、現実の世界から、仲間がアンダーソンを連れ戻しに来る。そして、アンダーソンは自分がネオである自分に気づく。
そして、機械との戦いがはじまる。
本作をわかりにくくしているのは、前作から続投しているキャラクターを違う俳優が演じているところだろう。スミスの言う「違った名前と違った顔」ではなく、「同じ名前と違った顔」になってしまっているので、演出上の目的があってそうなっているのか、ギャラやスケジュールの問題で出演していないのかわからないのだ。エージェント・スミスとモーフィアスは同じ俳優のほうがよかったと思う。
マトリックスといえばバレットタイム。作中でも「新しいバレットタイムが必要だ」というセリフがある。残念ながら新しいバレットタイムはなかった。トリロジーの時は革新的な映像表現だと騒がれたが、20年経って、映像表現は進歩した。そして、それを越える表現は今回は提示されなかった。
20年の歳月で観客も変わった。
オリジナルのトリロジーを観た観客は記憶との照合をしたことだろう。
新しい観客は、本作をどう評価したのだろう。
われらは、新たなマトリックスの中にいる
初回は、レビューを見て、評価が二つに分かれていたので様子見していたところ、YouTubeのツッチさんやたてはまさん等のレビューを見て、映画館で見ることにしました。マトリックス三部作は、自分が一番凄いと思っている映画です。
マトリックス三部作は、AIやPC的な視点から世界の更新という見方も面白いし、東洋哲学的な視点からも、国際政治的な視点から見ても面白いですね。電力不足による人間とマシンシティの争いは、エネルギー(石油や天然ガス等)不足による争いと置き換えられるし。前の三部作では、因果や論理でアーキテクトされていた世界が、レザレクションでは、感情、恐怖、不安で精神科医に設計しなおされていたのがより現代的に感じた。現在の世界が恐怖と不安による選択になってきているし。今回、バレットタイムは控えめになって、黒猫と共に時間を自由に操れるということができるようになっていた。今作、ラナ・ウォシャウスキー監督が、両親が他界して、悲しみを紛らわすためと、映画会社から続編を作るように迫られ、自身が作らなければ他の者に作らせると言われて、作らせられたというのが内情らしい。
本編の途中、マトリックスⅣのゲームを作成するという時に、周囲から様々な意見が投げかけられるシーンがあるが、その描き方から、マトリックスが、あくまでもゲーム(映画)の中の世界であって、現実との関係性はないような見解が示される。これら、周囲の人々振り回され、精神を病みがちでセラピーを受け、青いカプセル(真実に目を塞ぐ)を服用する元気がないネオと、マトリックス三部作後、元気がなかった監督がだぶって見えた。しかし、三部作後、世界は更に大きく変わり、イラクへの派兵、アフガニスタン侵攻、3.11が起こり、多国籍企業やGAFAが世界を席巻し、マスコミは完全に統制されるようになった。それが、新しいマトリックスを作る理由であったように思える。
マトリックスとは、人間から自由を奪い、役割を押し付け、刺激や欲望を煽り、恐怖や不安から利益を最大限にするために個人に降りかかってくる全てのシステムと監督がいっているように感じた。それから自由になり、男女や人間同士の愛のエネルギーをモチベーションにして、生きることこそが真実の生き方であり、覚醒することと言っているように自分は読み解いた。
ネオに、「自分は救世主なんかではない」と本作では言わせている。実際、ネオの力は、青い錠剤のせいか、飛翔する力はなくなっていた。また、救世主をサポートする仲間は、ゲーム等を通してネオを知った若い世代。彼らが活躍で、ネオとトリニティが再び力を取り戻すまでの過程は、普通の人々の力を借りないと、大きな目的に達することができないという暗喩のようだった。これらの流れから、マトリックスからこの世界が抜け出すためには、一般大衆により覚醒することを促しているようにも思える。スオームは、覚醒していない一般の群衆を表しているのだろう。それは、ネオとトリニティの覚醒のシーンにも見て取れた。世俗の関係やしがらみよりも、自分が真実と思うものを選択することの方が重要だと。
また、ネオやトランプ大統領など、特別な存在を崇めたりするのではなく、自分自身がマトリックスから自由になるため、何かに依存して生きるでのはなく、内的に価値を感じて生きることが重要なのだと言っているようにも感じた。最後の精神科医のセリフから、それらが透けて見えた。
東洋哲学では、クンダリーニ覚醒という覚醒が有名で、性的なエネルギーが極まって上昇し、チャクラを開かせることで、人間の能力や価値観が飛躍的に高まるという考え方がある。リリー・ウォシャウスキーもラナ・ウォシャウスキーも男性から女性に性転換をしたこと、今回、トリニティに覚醒をさせていること等からも、両性のエネルギーを如何にして統合するかが、人間に大きなパワーを与える鍵だと言っているようにも思えた。しかし、性転換は、普通であれば周りのすべてが反対し、誹謗、中傷されるだろう。終盤のスオームが襲ってきた部分は、監督が実体験で感じたことを映像化したのではないだろうか。
監督自身の周囲の狂騒も同時に描こうとしながら、コアなマトリックスファン層の応援の後押しも感じていたのだろう、皮肉、ユーモア、遊びが効いている。
最後、ゲームも映画も物語も死んだ。「メディアっていう物は、刺激と洗脳が全てなんだ。」ここに監督の最大の本音が詰まっている。その洗脳から逃れるための譬え話として、マトリックスという映画は存在している。
※補足 mRNAのコロナワクチンは、米の軍が開発した遺伝子操作による生物兵器であるとリークする動画があって、ネオが青い錠剤を服用しているので繋がってしまった。ネオが力を発揮できなくなった理由として描いているのかもしれない。現在の世界は、強欲な闇の勢力によって、完全にメディアが統制され、洗脳されていると思っている。それが「マトリックス」という映画の意図するところであろう。
続編を強制されて作ったけれど、わかる人にはわかるって映画かな。この映画のように、一般大衆も含めて覚醒・連帯して、支配者の恐怖による支配を見破ることを促しているようにも感じる映画であった。
セルフオマージュの末路
マトリックスシリーズ3部作が2003年に完結して実に18年ぶりの新作続編。
余程伝え残したことがあったのか斬新なストーリーを思いついたのか、これほどの年月を経て4作品目を製作するのは一体何事かと思い、ワクワクしながら蓋を開けてみれば何てことはない非常に残念な出来だった・・・。
おおまかなストーリーは、またもやネオとトリニティがマシンに捕らわれ「電池」となり、マトリックスを見せられ生かされているが、人類が二人を救出して、今度はネオだけでなくトリニティも覚醒してダブル救世主になったぜ!という流れ。
もう1作目のような「実は現実と思っていたものが仮想現実で実際の人類はただマシンの電池でしかないんだぜ!」という衝撃のギミックは使えないので、3部作からのストーリーを上手く継承しつつ、「今度はそんな新しい展開を用意するのか!」という視聴者の期待に応えるべきだったのに、やった事と言えば往年のキャストで1作目の展開をなぞっただけ。
こんな既視感に一体なんの意味があるというのか。
セルフオマージュというかセルフパクリを大々的に敢行しているので、製作者にも後ろめたさや恥ずかしさがあったのか、必死に「これはループ話なんだよ!だからあえて(パクリを)やってるんだよ!」と言い訳がましく1作目の映像を何度も何度もインサートするのは見ていて哀れとすら思った。
アクションにも目新しさはなく、1作目でやったことを随所で繰り返すだけであり、このアクションパートをねじ込みたいが故にピンチに陥る流れになっているんだろうなぁ(そして100%切り抜ける)というメタ的な視点で鑑賞しつつ、予定調和シーンがさっさと終わることを願いながら待っていた。
また、仮想現実マトリックスと現実世界の境界や行き来を必要以上に分かりづらくしていて、ここはもっと見やすくシンプルに出来るはずだし、とりあえず意味深で重厚で作りこんだ世界観を優先したいという作り手の欲を抑えきれなかった悪例である。もっと伝わりやすさに重きを置き、視聴者目線でものを作るべき。ただでさえ暗くて大人数が入り乱れるようなシーンや、動きが早すぎる上に目まぐるしくカットを切り替えていくシーンを多用しているわけだから、そちらを残したいのならば緩急というか静と動いうか見やすいシーンや理解しやすい構造は意図的に分けて用意しておくべきだろう。
あとは、言ってみれば「ただ助け出す」という話なだけなのに148分は長すぎる。
長すぎて非常に間延びし、しかも1作目とほとんど同じ構造というストーリーが重なって割と早い段階からエンドロールまでの視聴が苦行になっている。2時間以内に収めるべき。
良かった点としては、この作品に限らず多くの海外作品はちゃんと加齢によるカッコよさや深みを理解していて、邦画のように「若さこそ全て!」「若いって美しい!」という観点から安直にメインキャストを(大手事務所の)若者ばかりにしないところ。むしろ中高年男女こそ深みが出てカッコいいという価値観を大昔から当然のように持ち続けているので、キアヌ・リーブスやキャリー=アン・モスが実際に歳を取ったんならそれ相応にカッコよく描こうとするのは、そういう文化に乏しい日本人にとっては羨ましかった。この点で星プラス0.5個。
最後に一言で締めるならば、「なくて良かった作品」である。
ネオとトリニティーの人生の完結
今作はマトリックス自体ではなく、ネオとトリニティーの人生にスポットを当てた作品だなと思いました。
私は過去に頑張ってきた2人がどうにか生きて幸せになって欲しかったので、2人の人生の先を見られてとても嬉しかったです……!😂✨✨
蛇足という意見もちらほら見かけますが表題の通り、ネオとトリニティーの人生を描いた作品だと思うのでこれはこれでいいじゃん!と私は思いました👍
これまでの三部作は結局機械の思う通りにマトリックスがアップデートされたけど、今作では恐らくトリニティーがアップデートした?ような感じで終わっていたのもこれまでの機械主導の世界から変化した点かなと思います。
ほんとうに面白かったからもう1回初めからマトリックスシリーズ見たいなあ〜🥺💕
パラレルワールドだと思うことにした
マトリックスにまで多様性思想とかを持ち出さないで欲しかった
「女性の活躍」を表現する為か知らんけど、ネオとトリニティの役割を入れ替えてしまったから世界観がめちゃくちゃ!
トリニティは元々かっこよかったし、ネオを引っ張る強さもあった
ネオを弱体化させて救世主をトリニティに変更する必要って何だったんだろう
出てくるキャラは有色人種ばかりだし、あまりにも露骨で気分悪い
マトリックスは好きな作品なので続きを観られたのは嬉しい。 ただやっ...
マトリックスは好きな作品なので続きを観られたのは嬉しい。
ただやっぱり事情は色々あったみたいですがキャストがな…というのはありましたね。
特にスミスはこれまでの経緯もあるので物語の深みが違ってたんではないかと思います。
物語は、過去作を彷彿させるシーンもあって、この部分は良かったんですが、これまでとはテイストが違うコメディやホラーのような演出も入っていて私にはこっちはノイズに感じてしまいました。
ネオが力を取り戻し、レジェンドと崇める人達に圧倒的パワーを見せつけてくれるのかと思いきや、そうでもなくトリニティが救世主?だったりとちょっと消化不良。
楽しめたけど、ちょっと期待しすぎたのかもしれません。
2.9ファンメイド作品
ファンメイドな雰囲気の作品。
登場キャラもストーリーも復活したキアヌのファンで
無駄に長いが過去作のようなワクワク感はない。
これはただのファンブック。
グラサンのデザインとスミスがかっこよかった。
良かったけど
良かったけど、100%じゃないだろこれじゃ
スミス役が変わってるし、あのスミスが味方になる瞬間の興奮が違う役者だと全く違ってくる
あのシーンがマジでスミスだったら脳汁出まくってたのに…
なんでじゃ
でも、統失っぽい演出とかがエヴァっぽいし、前三作が押井なら今回は庵野って感じで新しいマトリックスだった
まぁ若モーフィアスもストーリー的にも悪くないけど、前の人が良かったなぁ
必要だったのか?
マトリックスといえば、銃弾をスローモーションに避けるシーン、黒服にサングラス、緑の2進数etc...
革新的な映画だったのでそれぞれこれが「マトリックス」だと思い浮かべるイメージも強いと思う。
この作品はここを期待するとほぼ裏切られる。ここが低評価に繋がっているようだ。さらには一作目の「マトリックス」というものをメタ的にみてあざ笑っているのもそれに繋がっているのかなと。個人的には、面白くないことはないが続編必要でしたかと‥
墓から掘り起こすにはそれなりの理由、意義がほしいと思ってるので。アクションシーンのとり方とかも、変えてその先にらしさなどが消えて没個性になってしまった感が否めない。
20年は…
間隔開けすぎ。ほぼ話を覚えておらず、ネットで前作の解説見ながら鑑賞。前作も哲学的な要素が多く複雑だったがそれ以上に映像の凄さ、世界観がそれを上回り、社会的ブームになっていたと記憶している。キアヌの仰け反りは名シーンだったと思う。ところが今作の映像は目新しさ、斬新さが感じられず、キアヌのアクションも手から波動のようなものを出すことに終始し、これぞという格好良さ、工夫が感じられなかった。やっぱりグラサン掛けて、マント着て、バンバン撃ちまくり、避けまくるという前作は上回れない。内容が複雑なだけにせめて目で楽しませてほしかった。愛の物語ということなのだが、やはり間隔を開けすぎて、その感動が伝わってこなかったし、前作からの登場人物スミスやモーフィアスもよく分からなかった。何でスミスは助けたのかという素朴な疑問が残る。スターウォーズのように時代とともに人種や性別の多様性は意識しているが、一人ひとりのキャラ設定が薄いのでこちらも伝わらず、残念だった。今に始まったことではないが、個人的には後頭部や身体の一部にあるコードの接続部分がどうも気持ち悪い。
2020年代のありふれたTVシリーズのような感じ!!
別の世界線の話かと思いきや、45分で実は続編でしたとなって上手かったです。マトリックスの特徴である無機質でスタイリッシュな感じは薄く、キャラと台詞も多く洗練されていない印象です。お金のかかった過去作のような、印象に残るバトルシーンもありません。キアヌは髭を剃り短髪にして頑張りましたが、モーフィアスとスミスも普通に登場するのに若いキャストになり、全く似ていないです。新規お断りですが、1~4と続けて観ても、TVシリーズのようになってしまい本作は微妙に感じると思います。監督はスピリチュアルに傾倒したり、性別を変えたり変わった方ですが、本作は過去に観たようなシーンばかりで変わり映えはせず、思いっきり過去に生きている方だと分かり辛いです。2021年に続編を作ったという以外に意味は無い産廃だと思います。本編は全く冴えないのに、前半のゲーム会社の描写は妙にノリノリで気持ち悪いです。2022年の超絶アニメ「サイバーパンク:エッジランナーズ」の爪の垢等を大量に煎じて飲ませたいです。
ブラックホークダウンを思い出しました。
観終わって点数低いんだろうなと覗いてみたら、意外とそこまで低く無い、両極端の評価になってるんですね。
もちろん自分へ低評価です。
まず、序盤、長いですね。赤いカプセル飲むのは間違いないんだからさっさと進めて欲しかった。
集中力が欠けて観てたからよく分からなかったのか。。
エグザイルって何者?なんでスミスと和解してる?
エイみたいなロボット?はなんだっけ??
母親として生きてるのなら、絶対家族を選ぶはず。
終盤、人がワラワラと襲ってくるシーン、ゾンビって言ってる方多かったですけど、自分はブラックホークダウンを思い出しました。
で、愛のためにみんなを犠牲にするパターンはウンザリなのでもうやめていただきたい。
映像はキレイだったけど、スタイリッシュさは全然無かったのが一番残念かな。
マトリックスの続編ではなく、SDGs等の社会課題に対するメッセージです。
マトリックス1~3部作まですべてを見た人としては、本作は、物足りない部分が多いと思います。
表面的な話をすると、単純にアクションシーンに斬新さがなく、ストーリー展開にドキドキ、ハラハラする部分がなく、予想通りの展開です。
とはいえ、前作からのつなぎは、見事です。
本質的な話をすると、「物足りない」と感じる理由は、おそらく、監督が作りたくて作った映画ではない気がするからです。
マトリックス上でのゲーム会社のボスと主人公とのやりとりや、最後に出てくる「キャトリックス」や「メディアの話」から推測すると、興行収入目当てで周囲から続編を作るように煽られていたのかなと感じます。
マトリックスシリーズの続編のためにストーリーを考えたというよりも、今の社会課題やメディアに対するメッセージを組み込むことが目的だったように思います。
目的が分散しているから、なにか物足りなさを感じるのだと思います。
でも、そのメッセージ性には、意味があると思います。
まず、映画タイトルの「レザレクションズ」というのは、「復活」の「複数形」、つまり、ネオとトリニティ-の二人のことですよね。
過去のマトリックスシリーズは、すべて、女性は脇役のような役割で、ネオという男性が「救世主」として、世界を救う展開になっていました。
それに対して、本作では、女性であるトリニティ-が、実質「救世主」として、「まだ力が戻り切ってないネオ」をマトリックスから救出しています。
これは、今の世の中のジェンダー平等、つまり、SDGsへの取り組むことの大切さも描いていると思います。
総合すると、「マトリックスシリーズの続編」としては、物足りないけども、「社会課題へのメッセージ」と捉えると、凄く共感できる、後押ししたくなる映画です。
一番に変わったのは監督の性別?!
伝説となった『マトリックス』3部作。
その栄光の足跡に傷を付けるリスクを顧みず、
20年経て同じ監督が製作・監督・共同脚本を書いて完成させた勇気に乾杯です。
と言うより、楽しんで映画制作してましたね。
正直言って、この『レザレクションズ』でマトリックス初体験の人には、
《なんのこっちゃ!?!》となるのでは・・・。
はじめの30分は過去の経過のおさらいに時間をかけています。
マトリックスとはなんぞや?
ネオとは、
トーマス・アンダーソンとネオの関係は?
だけど説明は駆け足で、『レザレクションズ』から観たって訳分からんし、面白くない
・・・と思う。
過去3作品を観てる私らには、言い訳や辻褄合わせにみえて、回りくどく感じる。
回顧をやめて、全く新しい『マトリックス』が観たかったけれど、
またネオに会えたもの、私は良かったかな!
(キアヌはひげ面でも57歳になっても、やはりミステリアスで素敵でした)
トリニティも変わってなかった。
キャリー=アン・モス(55歳)
元々、老け顔とは言っても、まったく老けてないって凄い事だよ。
この作品を私は懐かしいと思った。
アクション場面はスピード感など進歩著しいが、
空白の20年で「マトリックス」それ以後の映画技術(3D&4Dとかっても)
案外そんなに変わってなかったんだなぁ・・・と思った。
一番変わったのは監督の性別・・・かな?
なんとウォシャウスキー兄弟からウォシャウスキー姉妹に、だもんね。
アンディ・ラリーのウォシャウスキー兄弟が、
ラナとリリーのウォシャウスキー姉妹になりました。
(画像を是非検索してみて下さいね、見ものです)
「レザレクションズ」の監督はラナ。姉の方です。
妹のリリーは製作などのサポートに参加しているそうです。
本作はラナが両親死の悲しみを紛らわすために制作した。
続編の予定はないとのことです。
過去鑑賞
マトリックスですけれども
個人的には、マトリックスをベースにしたスピンオフのような感じでした。「ニィオ!」「トリニティ!」と二人が出会うシーンは感動の場面だったと思いますが、ラストシーンで二人で空を飛んで終わるのを見ると、現代版のアダムとイブみたいにここから新たに人類創生が始まるのかなーとも思いました。いろんな“含み”が感じられて、予備知識がある人はすごい楽しめるのだと思いますが、ライト鑑賞者で3まで見てきてなんとなく覚えてて本作を見ると、結構思い出しながら見ていかないと、面白い!とはなりにくいかもしれない。3部作を見て後に見るとグッと楽しく見られると思います。
救世主ネオ再び!!……を期待したが…。
ネオ(キアヌ・リーブス)、トリニティ(キャリー・アンモス)以外のキャストを一新。
(もう1人居たような気もするが…。)
ローレンス・フィッシュバーンを初めとした当時のキャストは、(過去作の)映像のみでの登場となった。
スミスはヒューゴじゃないと……や、モーフィアスはローレンス以外には…等、賛否が分かれるところだが、ほとんど気にならなかった。
大まかなストーリーは……、機械との戦いに終止符を打ったアンダーソン君こと救世主ネオ。
多くの犠牲、激烈な死闘の末に取り戻した唯一無二の平和は、いつしか平凡で単調な日々へと成り果てていた。
そんな現実に、違和感と胸騒ぎを覚え、いつしか悪夢にもうなされるようになる。
そして、新世代の戦士達によって知らされる。
「戦いは未だ終結せず……」
依然として、人々は機械の管理下で栽培され、マトリックスの中で生かされているという事実を知る。
そして、(最愛の)トリニティもまた、名前を変え、新たな人生を歩んでいるのであった。
戦いの鍵を握るのは、トリニティその人であり、彼女を救うため、ネオは再び戦禍に身を投じるのであった。
長く続いた、(偽りの)平和の中、怠惰な生活を過ごしてきた代償は大きく、救世主として覚醒し、縦横無尽に飛び回り、センチネルすら停止させる等やりたい放題であった全盛期に比べれば、力の衰えは否めない。
それでも、銃弾を止める、バリヤー(?)を放つ等々、超人的な力を見せてはくれるが、Newモーフィアス、復活のスミスとの格闘戦では押され気味であり、イマイチ消化不良……。
最終的には、記憶を取り戻した(?)トリニティが、1作目の名ゼリフ「My name is……」と共に覚醒し、空を飛び始めるという……(笑)
これを言うと元も子もないが、やはり、クライマックスでは、救世主としての力を取り戻し、カンフーベースの圧倒的でスタイリッシュな戦闘シーンを見たかった。
最後に。
今作、キアヌ・リーブスは長髪でネオを演じていた。
ジョン・ウィック最新作の撮影時期と重なっていたのかもしれないし、そうだとしたら、仕方のないことなのは重々承知しているのだが、大いに違和感を感じてしまった。
意図的なのか個人的偏見なのかは分からないが、今作のネオは、大きな見せ場も無く、正直パッとしないまま、エンドロールを迎えてしまったが、その見た目も相俟って、ちょっと頼り無さを感じてしまったのだ。
やはり、マトリックスのネオは短髪が良く、それだけでも評価は変わった……と、思う。
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