グリーンブックのレビュー・感想・評価
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それでも、僕たちは手紙を出さなければいけない。
初めて鑑賞したとき、あまりの“良さ”にやられ、その日のうちに2度目の鑑賞をキメた。それくらい好きな作品だ。
改めて再鑑賞したので、僕の心のうちをうまく説明できるかどうかわからないが、とにかく感想をつらつらと書いてみる。
おじさん2人の珍道中ともいうべき物語は、どこかハートフルで、どこかコミカルで、どこかデカダンス。個人的に心に残るのは、「手紙」というモチーフを通じて描かれる“コミュニケーションの郵便的不安”だった。
“郵便的”とは何か。フランスの哲学者ジャック・デリダによる概念だ。ここでは「意図したものが届くかどうかわからない」という意味で使用していく(概念として間違ってるかもしれないけど…細かいことは置いておく)。
郵便は差出人が郵便局を預ければ、それは局を通じて受取人に届けられる。しかし、郵便は確実に届くのだろうか? 誤配の可能性は確かに存在し、郵便が届くかどうかはわからない。そして何かの行き違いでどこかに行ってしまえば、永久に失われるのである。
それは手紙などの郵便物だけでなく、コミュニケーションも同様である。僕すなわち主体が発する言葉を、受け手である客体は、主体が意図した正しい意味で受け取るだろうか。
言葉という媒介を通している以上、主体の意図した意味から大きく外れ、誤解が生じることは珍しくない。というか宿命とすら言える。コミュニケーションは非常に脆いシステムの上に成り立っている、極めて紛失されやすい郵便なのだ。
本作ではトニーが妻に、旅の無事を知らせる手紙を出す。それは単なる手紙ではなく、物語のテーマを内包する“装置”でもある。つまり本作の手紙は、コミュニケーションの郵便的不安、すなわち“届くかどうか、伝わるかどうか”という主題を象徴している。
トニーがドクターにフライドチキンを勧め、「黒人のソウルフードだろ?」と語りかける。ドクターは苦虫を噛み潰したように顔をしかめる。トニーに悪気があったわけではない。無自覚に、本当に単純に、美味いからチキンを食えと言っている。しかし、差別に敏感なドクターには、その意図は届かない。
こうして、トニーとドクターはいささか、コミュニケーションの郵便的不安に翻弄され、すれ違いを見せつつ、誤解と理解を繰り返しながら旅を続けていく。ところが、その誤解と理解を繰り返す、という点に、僕たちがこの修羅のような世界で健やかに生きるためのヒントが現れているように思える。
トニーとドクターが対話するうちにお互いを知り、友情を芽生えさせていく。コミュニケーションは届くかどうかわからない不安定な手紙だ。でも、差し出してみなければ絶対に届かない。痛みが伴うかもしれない。溝ができるかもしれない。それでも、僕たちは手紙を出さなければいけないのだ。スクリーンに映る2人は、観客にそんなことを語りかけてくれる。
「寂しいときは自分から手を打たなきゃ」「才能だけでは不十分だ。勇気が人を変える」「黒人でも白人でも人間でもない。教えてくれトニー。私はなんなんだ」
監督のピーター・ファレリーやキャストたちが差し出した手紙は、僕にしっかりと届いた、と思う。このレビューという手紙も、誰かに届くだろうか。
複雑に入り組む人種差別
粗野なイタリア系白人と知的な黒人のロードムービー。あえて黒人差別の激しい南部へコンサートツアーに行くシャーリーの決断は、それもまた偏見をなくす一歩であるからだが、そのコンサートに来るのは、「先進的」だと思っている白人ばかり。黒人の音楽に理解を示す自分は差別主義者などではないと彼らは思っている。しかし、地元の黒人にはめもくれず、この構造自体が差別を温存してもいる。(スパイク・リーが過激な発言をよくするのは、そういう構造に利用されたくないという思惑もあるのだろう)
白人であっても貧困で被差別的な扱いのイタリア系のトニーは黒人に仕えるということに複雑な感情を抱き、黒人であっても知的で裕福に暮らすシャーリーは黒人コミュニティでも馴染めない。人種差別がとても複雑に入り組んでいるのである。
その複雑に対して、やや安直すぎる結末ではないかとも思うが、気持ちよく観られる作品だ。ただ、気持ちよくなっただけでは、「先進的」だと思いこんでいる南部の白人と変わらない。差別の複雑な背景を理解するよう努めなければならない。
祝作品賞。旅が育む友情、笑い、音楽すべて最高!
よく指摘されるように、仏映画「最強のふたり」を観た人なら多くの共通項をこの「グリーンブック」に見出せるだろう。白人と黒人、教養も資産もかけ離れた2人が、カルチャーショックを経て確かな友情を築いていく。どちらも実話ベースだが、創作したかのように好対照な凸凹コンビだし、だからこそ奇跡的に生まれた絆が一層輝く。
ロードムービー、バディもの、喜劇、音楽といった王道のジャンルと素材に、人種問題やLGBTという社会派の味も加わり、しかもそれぞれの要素が邪魔しあうことなく、絶妙なハーモニーで口当たりの良い逸品料理に仕上がった。アカデミー賞の作品賞も納得だし、ピーター・ファレリー監督の手腕も見事と言うしかない。
車中でトニーがドクにフライドチキンを強引に薦める場面。ラスト近くでトニーの妻ドロレスがドクに伝える言葉。思い出すだけで頬が緩み、同時に胸がじんわりと温かくなる。
この映画は観客を選ばない。分かりやすく楽しく、魂のうねりに触れられる傑作
この映画は観客を選ばない。誰もがハードルなく楽しめて、10人中9人が「本当にいい映画だったね」と胸を熱くさせて映画館を後にすることができる。そんなわかりやすさと可笑しさ、そして観客の心をグッと引き寄せる魂のうねりを併せ持った作品なのだ。
冒頭ではちょっと強面なオヤジに見えた太鼓っぱらのヴィゴ・モーテンセンと、それとは正反対の気高さを持つ黒人ピアニスト役のマハーシャラ・アリ。肌の色も性格も育ちも正反対の彼らが、旅の過程で徐々に互いへの敬意と友情を結んでいく。そこに折り重なるエピソード一つ一つがまた、なんとも言えない輝きを放ち、胸いっぱいに余韻を広げていく。
このロードムービーは二人の目線の高さを同じくして、互いの立場に立って物事を見つめることの尊さを我々に教えてくれる。60年代を舞台にしながら、分断の顕著な現代世界に、普遍的であり微塵のブレもない力強いメッセージをもたらしてくれる傑作だ。
『グリーンブック』この映画は、アカデミー賞作品賞・脚本賞他も受賞し...
『グリーンブック』この映画は、アカデミー賞作品賞・脚本賞他も受賞した、是非観るべき一本だと思う。実話であるということも、たいへん興味深く、大きな意味を持っている。タイトルの『グリーンブック』とは、実に爽やかなイメージの響きがあるが、現実は「黒人旅行者を受け入れるホテルやレストランの一覧が記載された本」だった。という事実もショックだ。
映画の舞台は、1962年のアメリカ。人種差別が常態化していた時代に、高名な黒人ピアニストが白人運転手を雇い、アメリカ南部の演奏ツアーを敢行し、そこで様々な差別や暴力に遭いながらも、2か月の演奏ツアーを終えて、無事にニューヨークまで戻って来る。その間、ピアニストと運転手との間には、人種を越えて堅い友情が芽生え、生涯の親友になったという感動の実話だ。
黒人ピアニストのドクター・ドン・シャーリーは、カーネギーホールの上階に住み、裕福な生活をしている。天才ピアニストであり、礼儀正しく、知識も教養もある物静かな文化人だ。
ドンは、白人のチェロ奏者とベース奏者と共にトリオを組み、敢えて、人種差別が著しいアメリカ南部に演奏ツアーを行うのだが、(これにも深い意味がある)そのツアーの為の運転手を募集するところから、物語は始まる。
ナイトクラブの警備(用心棒)の仕事をしていたトニーは、店が2~3か月改修工事に入る為、その間の仕事を探していた。黒人への偏見もあり、口がうまくて、言葉遣いも悪く、すぐ暴力を振るってしまう粗野なトニーが、ドンの運転手の面接を受けることになった。一旦はトニーから断ったのだが、ドンから電話があり、結局2か月の演奏ツアーの運転手の仕事を引き受けることに…
正反対の性格の二人の為、衝突することも度々あったが、ドンが黒人であるということで、差別を受けていることを目の当たりにし、次第にドンに対する考え方や接し方が変わってくる。何度もボディーガードのようにドンを助け、守った。
そして、ドンの演奏を聴いて「凄い、素晴らしい、天才だ」と気づかされる。ホテルで二人が話している時、トニーはドンに「あんたの弾くピアノはスゲエんだよ!」と言う。
トニーが妻のドロレスに手紙を書いているのを見て、ドンは色々アドバイスをし、その手紙を受け取ったドロレスは感激していた。
ある時、ドンが演奏をした会場で、トイレに入ろうとした時、主催者の人に「あなたのトイレは、あの外のトイレです」と言われ、ドンはそのトイレを使うことを拒否し、モーテルまでトニーの運転する車で戻ったことがある。だが、ドンは演奏が終わると、愛想良くお客さん一人ひとりと握手を交わしていた。
その姿を見ているトニーにトリオのメンバーが「これからも、こういうことは何回もあるだろう。でも、我慢するんだ。ドクター(ドン)は、この2か月北部にいれば、パーティーに引っ張りだこで3倍の金を稼げた。彼は自らここに来た」と言う。
トニーは「じゃあ、何で南部に来たんだ?それに何であんなに、にこやかに握手出来るんだ?」と疑問を口にしたが、トリオのメンバーはそのことについて何も言わなかった。後にその答えは、その彼から聞くことになるが。
ある会場に向かう途中、エンジントラブルでトニーは車の修理をしていた。そこには草原が広がり、畑では黒人の人たちが農作業をしていた。ドンは車の外に出て修理が終わるのを待っていると、畑で作業をしていた人たちが全員、ドンの方をじっと見つめていた。その光景を見て、不安そうな顔で車に乗り込むドン…「何でお前は、白人に車の修理をさせて、そんないい服を着ているんだ?」と言いたげな、みんなの目に圧倒されたのだろうと思うが、ちょっと考えさせられるシーンだった。
移動中、買物があると言ってトニーが店に立ち寄った時、店先に売り物の翡翠の石が落ちていて、その翡翠をトニーはポケットに入れた。その様子をトリオのメンバーに見られていて、ドンから「お金を払って来なさい」「翡翠を返して来なさい」と注意され、渋々翡翠を売場に戻しに行った…筈だった。が、後に真相が明かされ、意味を持ってくる。
どしゃ降りの雨の中、パトカーに停められ、トニーは「降りろ、黒人の夜の外出は禁止されている」と言われ車の外に出たが、警官にバカにされ、トニーは警官を殴ってしまう。そして、二人とも留置場に入れられる。ドンは「暴力では勝てない。品位を保つことが勝利をもたらす」とトニーを諭す。ドンは弁護士に電話を掛けさせてくれるよう、権利を主張し、何とか電話を掛けることが出来た。暫くすると電話が掛かってきて、電話の相手は知事だった。ドンが電話を掛けたのはロバート・ケネディだった!二人はすぐ釈放された。これは凄い人脈と言うか、ドンの偉大さがよく判るシーンだ。
その日、車の中で言い争いになり、どしゃ降りの雨の中、ドンは車を降りてしまうが、そこでドンは本音を吐く。「白人相手のステージでは喝采を浴びるが、ステージを降りると、ただのクロとして扱われる。侮辱を受けても、痛みを分かち合える仲間もいない…」それを聞いたトニーは、その夜ドンと同じ黒人専用ホテルの同じ部屋に泊まることにした。トニーはドンにしっかり寄り添っている。もう充分親友の二人だ。
いよいよ最後の演奏の日。ドンが案内されたのは、物置同然の部屋だった。トニーとトリオの二人のメンバーが同じテーブルで食事をしているところで、トニーはメンバーの一人から、以前聞かれたことへの答えを話す。「6年前の1956年にナット・キング・コールはバーミングハムに招かれ、初めて白人施設でショーを行った勇気ある黒人だ。だが、彼が白人の歌を歌い始めると、ステージから引きずり下ろされ、袋叩きにされた」「ドンがわざわざ南部に演奏に来たのは″信念″だ。先人が示した勇気が人の心を変える」…と。
そして、ドンが食事をしようとレストランに行くと、黒人はここでは食事が出来ないと言われる。トニーが間に入って何とか、ドンが食事が出来るように交渉するが、どうにもならなかった。ドンは「演奏しよう。君が望むなら」とトニーに言う。するとトニーは「とっとと、こんなとこ、ずらかろうぜ」と二人は出て行く。何だかこのシーンは、気持ちがスカッとした。
その後、レストランに入って食事をしていたが、ピアノを弾いてくれと言われ、いつも弾いている「スタインウェイ」ではない、ごく普通のピアノだったが、ピアノを弾くと大喝采で、その店のバンドメンバーとのセッションで大盛り上がり。店を出たドンは「ギャラなしでも、もう一度やりたい」と言っていた。
その後、今出発すればクリスマスイブに家に戻れるということで、ニューヨークに向かって車を走らせるが、天候が悪くなってきて、ドンは「君のあのお守りの石(翡翠)を前に置いたら安心だ」と言うと、トニーはポケットから本当は返した筈の「翡翠」の石を出して車の前に置いた。ドンは全てお見通しだったわけだ。
途中、パトカーにまた停められる。「またかよ」と思うトニーだったが、実は「パンクしているんじゃないか?」と教えてくれたのだった。トニーが外に出てパンク修理をする間、警官は交通整理をしてくれていた。いい警官で良かった。心温まる話だ。
運転を再開したが、天候が更に悪化し、トニーも「眠くてたまらない。今日はモーテルに泊まろう」と言い出したが、場面が変わると、トニーを後ろの席に寝かせ、ドンが運転をしていた。
そして、ニューヨークのトニーの家に到着した。「家族に紹介する」というトニーに「メリークリスマス」と言って車を運転して帰ってしまう。自分がどう思われるか心配だったのだろう。
トニーの家では、クリスマスパーティーが始まっていた。トニーは家族みんなに大歓迎された。
ドンは自宅に戻り、翡翠を手に取って考えていた。
そして…ドンはシャンパン(ワイン?)を持って、トニーの家を訪ねる。トニーとドンはしっかり抱き合う。ドンの「トニーを貸してくれてありがとう」トニーの妻ドロレスの「ステキな手紙をありがとう」…がいい。最高のラストだった。
黒人への偏見があったトニーの気持ちが、段々と変わっていく様子や、孤高のピアニストだったドンが、トニーとの触れ合いをきっかけに心を開いていく様がよく描かれている作品だと思う。
人種差別の実態もよく分かり、勉強にもなる。黒人の人たちにとって、本当に辛い時代だったと思う。今でも、アメリカでは黒人差別は残っているが…
音楽も良かった。リトル・リチャード、アレサ・フランクリン…黒人音楽も大好きな私には、音楽も楽しめた映画だった。
テーマは『近視眼的偏見』アイデンティティに翻弄されるBROTHER達
ボストン・ポップスの「アーサー・フィドラー」を知ってりゃ「アレサ・フランクリン」を知ってるだろ。『近視眼的偏見』だけどね。
『近視眼的偏見』だけと、イタリア人はピザを食べる時に手では食べないよ。
『近視眼的偏見』で言えば、彼はイタリア系アメリカ人なんだと思う。勿論、アフリカ系アメリカ人もいて、彼らは最終的にBROTHERになる事だと思う。
性的なマイノリティーに付いては近視眼的眉唾だと思うけどね。南部の宗教は、カトリック教会よりもプロテスタントが多くて、寧ろ性的なマイノリティーには寛容だったと記憶するが。
近視眼的偏見かもしれないが、黒人のクラシックピアニストがいない。
黒人と言えば『JAZZ』
ツアーの最後をアラバマ州にしたのは、偉大なる『アラバマ物語』に対する近視眼的アンチテーゼなのかなぁ?
進行する映画のストーリーは『アラバマ物語』が上映時の出来事。
まぁ、最後の演奏はアレサ・フランクリンを知らない理由にならない。寧ろ、嫌みさ。
二度目の鑑賞だが、最後だけ言い訳の偽善にせざるを得ないかなぁ近視眼的に思えた。そんなお話。
僕のレビューが888番目。やったー。
追記 アーサー・フィドラーってジョン・ウィリアムズの先輩の様な人でボストン・ポップスはスクリーンミュージックの宝庫。
黒人音楽家とブロンクス育ちのイタリア人の友情の旅
素晴らしい映画だ。一気に二回目を見終えた。
この映画は脚本がよくできていて、テンポもとてもよく、ストーリーに起伏がついている。笑いあり、涙もさそう、音楽がとても素晴らしい。黒人音楽がもともと好きな私にとってはとくにそうである。
大まかなストーリーは覚えていたがラストシーン
Christmasに間に合わようにボスが運転して雪の中無事到着する。イタリア人はChristmas家族や仲間たちで暖かい。黒人のボスはいつものように執事がいる広い部屋にかえってくる。執事を帰し静かなChristmasイブを。ここでエンディングでもよかった。いや、むしろ、そのほうが余韻を持って終われるような気がする。
映画では黒人差別があるイタリアンファミリーが最初は驚くが、暖かくむかえる。
このあとChristmasパーティーは黒人クラッシックピアニストとイタリアン人雇われ運転手の話題に花がさくだろう。
東京物語、それのオマージュ作品の東京家族は旅を終えて静かな日常で終わっている。
どちかを好むかは人それぞれかもしれないが。
前から観たい観たいと思いつつ先延ばしにしてたのをやっと観た ほぼ最...
前から観たい観たいと思いつつ先延ばしにしてたのをやっと観た
ほぼ最後まで普通に良い映画って事で「★4だな」って思ってたけど、最後の期待通りの「ニガーはよせ」とドロレスの「手紙ありがと」で★0.5追加🤣
アカデミー賞受賞式で
助演男優賞プレゼンターのキー・ホイ・クァンに対する、ロバート・ダウニー・Jrの振る舞いがニュースになった。それを報じる映像の中には、本作ドン・シャーリー役のマハーシャラ・アリもいて、ロバート登壇の際には、祝福のために一歩踏み出した彼も無視されていたのだが、そのことは誰からも触れられていないようだ。(追記:後でXにて「マハーシャラ・アリ」で検索したら、少しいた)
そんなことを考えながら、「ああ、グリーンブックを見返すならこのタイミングだな」と思ってAmazonプライムで鑑賞した。
細かな内容の一つ一つについてはここでは述べるつもりもないが、観終わって、差別は完全に「する人の問題」だということを改めて再確認した。
「差別される人」の属性の問題なのではない。
その人の属性に起因する様々な結果が問題なのでもない。
その属性や、それに起因する様々な結果を「問題にしたい人(つまり差別する側の人)」が、自覚のあるなしに関わらず、「差別する目的で問題にしている」に過ぎない。それを、この映画では全編に渡って様々な例で描いている。
例えば、演奏会のメイン演奏者であるドクが、そのホテルのレストランで食事をさせてもらえないシーン。ホテルのマネージャーは、かつてNBAのチームの選手たちもここで食事をとらなかったことを引きあいに出し、「この地域の伝統だから」と説明する。「自分は差別してるつもりはない。ただここではそういうきまりになっているから」というのは、レイシストに限らず差別する側の常套句だ。
なぜ、受け入れる理由を探すよりも、排除の理由を探すのか。
答えは「差別したいから」以外には見つからない。
主人公のトニー・ヴァレロンガも、差別をする側であると共に、される側でもある。彼は、黒人、ユダヤ人、ドイツ人、中国人への差別感情を口にするが、自分もイタリア人であることで、差別的な取り扱いを受ける。
ある時は、白人として恩恵を受けるが、ある時はイタリア人として蔑みの対象になるというように、差別の基準がコロコロ変わるのは、「差別は、差別する側が恣意的に基準を変えてまで行う、する側に起因したもの」ということをよく表している。
特定の属性に対する無知や偏見は、それが指摘され可視化されることによって少しずつ減ってきていることは事実で、実際、あらゆる面で状況は改善されてきている。
差別を減らしていくためには、そうした地道な一歩一歩が大切だと思うが、時に差別を訴える声に対して、周囲から否定的な言動がなされることもある。
しかし、それこそが「差別はする側の問題」で、「否定的な言動=差別したい気持ちの表明」ということをよく表していると思う。
民主主義社会である限り、心の中で何を思おうがそれのみでは問題にされない「内心の自由」は、最も大切にされるべき権利だが、だからといってそれに従った振る舞いが許されるかどうかは、全くの別問題だ。
アカデミー賞での、ロバート・ダウニー・Jrの振る舞いについて、彼の差別意識があったかなかったか、彼の内心を周囲が騒ぎ立てて問題にするのではなく、可視化されたものに対して一人一人がすべきことは、「自分の中の差別したい気持ちと向き合い、より良い振る舞いについて考えること」しかないと思う。
最後は、話題を変えて。
グリーンブックの中で一番好きなシーンは、ラストのドロレスがドンに抱きついてお礼を言うところ。
もう今回で4回目くらいの視聴だが、やっぱりそこは泣いてしまう。なんでかなぁ。
建前はアットホームロードムービー
一見、アットホームに見えるイタリア系移民の家族、親族にも女性は家庭、男性は仕事の家父長制、男尊女卑、が、主人公二人の南部へのロードムービーにも人種差別、格差社会、同性愛差別、が、暴力となって降りかかる、だからといって、そんなに重苦しくは描いていない、二人が、、共に、南部社会を体験することによって理解していく、イギリスの産業革命が生み出した、植民地を得るために必要な国民皆兵の近代国家を推進するために家父長制、男性を軍隊に、男尊女卑、女性を家庭に、暴力の恫喝による植民化と奴隷貿易により生まれた人種差別と、不平等な貿易がもたらした格差社会。
最後はそんなくだらないことはほっといてクリスマスを祝おうと思えるいい映画。
わかり合っていく2人
トランジットで暇だったので3本続けて映画を見た3本目。前の2本はオスカーノミネートだけどこちらはオスカー3回受賞作品なだけあって、すごく良かった!!
黒人差別を少なくしていきたい志を持って、あえて黒人差別の程度が大きい南部へとツアーに出たその気持ちがドクらしいなと思った。気品があってお金持ちだけど孤独なドクと、ガサツでお金がないけど家族がいるチャーリーが少しずつ違いの理解を深めていくのが良い!ドクがピアノを弾く時はもてはやされるのに、弾いてないときは差別されるという白人でも黒人でもない立場を誰とも共有できない!!と告白したところが印象的。
奥さんがちゃんと手紙はドクが書いたものってわかっていたのがすごい笑夫婦だら相手のことをちゃんとわかってるんだね。やっぱり家族を大切にしたいし、家族は自分を大切に思っているんだと思い出させられる作品です。
勇気
少し差別意識があるけど憎めない主人公トニーと孤独を抱えているドク。
二人が二人にないものを補い、お互いから学び、理解をすることがみえる映画。
育った環境が違うからこそ補える存在がとても素敵でした。
人はちゃんと人と同じ時間を過ごすことによって偏見はなくなり、友になれる。
映画の中での
"Because genius is not enough. It takes courage to change people's hearts"
というのがとても印象的。
天才であるだけでは人の心は変えることができない、そこには勇気が必要。
ドクはそれをわかっていてこの南部のツアーを行っている。勇気を持ってやっているドクに対するレストランの無礼な対応をみて、トニーがドクに演奏なんかする必要ないと決めるシーンはドクのトニーへのリスペクトがみえる。
もう一つが
"The world's full of lonely people afraid to make the first move."
これも勇気がテーマとなっていて、ドクは待っているだけではだめだとトニーは伝える。
これが最後にドクがトニーのお家に行くことに繋がるんじゃないかと思った。
まとまりがないけど、とても好きな映画の一つです。
友達に勧められて
友達が激賞していたが、まーいい映画だったな〜という感じ。黒人差別が色濃く残る当時の南部アメリカを舞台に黒人音楽家と白人運転手の友情が芽生えていくという、まーよくあるロードムービー。こんな時代があったことを現代の若者もこの映画を通して知るべし!
アイデンティティに気づく旅
過去鑑賞作のレビュー。
アカデミー賞とったというのに、全くノーマークだった作品。
もう何百人もの方がレビューを書かれていて、ALLTIME BESTにも選出されている名作なので、映画のあらすじは書きません。自分が感じたこと、考えたことを書きます。
■黒人差別の知らなかった一面を知った
アメリカにおける黒人差別がどういうものかは、歴史の教科書以上のことは知らなかった。この映画で、1960年代当時にアメリカ北部と南部でこれだけ違う社会があったということも知らなかった。そして、北部では一部の才能や富を持つ黒人が(一応は)社会的に高い地位にいたことも知らなかった。この人種差別は我々日本人の想像以上に複雑なものだったということを知った。
主人公2人も劇中で「黒人差別の知らない一面」を知り、衝撃を受けるのだから、何も知らない日本人が衝撃を受けるのは、当然と言えば当然か。
■俳優2人の演技力
トニー役のビゴ・モーテンセン、ドクター・シャーリー役のマハーシャラ・アリの演技が素晴らしい。粗暴だが、家族想いで本質を見抜く眼を持つトニー。教養高く気品に溢れるが孤独な天才シャーリー。全く水と油のような個性の強い2人が、それぞれの個性を徐々にむき出しにして衝突していくが、その衝突が契機となって相互理解を深めるという過程を違和感なく演じている。淡々と進むロードムービーではなく、動のトニーと静のシャーリーがいて、物語にリズムが出てくる。
■これは1人の天才が、1人のオヤジの力で、自分を取り戻す旅の話
この作品は、大人の男同士の人種と価値観を越えた友情物語であり、美談です。制作側もそれを意図して、狙って作っていると思います。ラストシーンもベタと言えば、ベタです。でもそれだけだろうか?
私が一番印象に残った台詞は以下の2つ。私はこの2つの台詞がこの映画の本題を表しているように思う(あくまで個人的解釈)。
「If I’m not black enough, and if I’m not white enough and if I’m not man enough, then tell me Tony, what am I?」(私が完全な黒人じゃなくて、完全な白人でもなくて、完全な男でもなかったら一体私は何者なんだ?)
「Anyone can sound like Beethoven or Joe Pan or them other guys you said. But your music, only you can do that.」(ベートベンとかジョーパンとかは大勢が弾く。あんたが弾くような音楽はあんただけ)
それぞれ別のシーンで出た台詞だが、繋がっていると思う。自分が何者かわからなくなっている天才に「おまえは唯一無二だ。おまえはおまえだ!」と言うオヤジ。
シャーリーの雨の中での魂の告白には心打たれたが、トニーの言葉には「やるなオヤジ!」と声をかけたくなった。
他にも、名シーン、名セリフがいくつもあり、色々な気づきを得ることができた。感動だけではない、味わい深い映画だった。
対象を深く知ることで世界が広がる
腕っぷしが強く快活な性格だが無学な白人のトニーと、教養があり名の知れたピアニストだが黒人差別に悩むシャーリー。トニーはシャーリーから文章力や黒人差別の現状を、シャーリーはトニーから差別へ立ち向かう気概や、縁の無かったアメリカの大衆文化を学ぶ。対照的な2人が、交流を深めることで互いの良い部分を学び合い、世界を広げていくのが面白い映画。何事にもチャレンジしていくことが、人を成長させるのだと思える映画。
2人が黒人しかいないジャズレストランに行くシーンがある。ここでシャーリーは、今までに見せたことの無いような楽しそうな表情でピアノを披露する。トニー含めた観客は拍手喝采する。白人のトニー、上流階級にいるシャーリー、そして一般大衆の黒人達とが、人種や階層の垣根を超えて一体となった瞬間であり、観ていて心が温まる。
人や物事に対する偏見は自分もたくさんあるが、多くの場合表面的にしか対象を見ていないから生じる。対象と深く付き合おうとしなければ、本当のことは何も分からない。そういったことを考えさせられる素晴らしい映画だった。
腹の出たビゴの名演
黒人への差別が生々しく不快感は拭えないがシャーリーとトニーが旅の中で衝突しつつも友情を深めていく様には見応えがありました。
やはり音楽は国境を越えるし、ケンタッキーのチキンは美味しいし、嫌なこと楽しいことの共有は人種関係なく理解を深める。
正直終始不快な差別場面が多くスカッとする物語ではありませんでしたが、奥さんの最後の台詞で幸せな気持ちになりました。
一人で孤高に生きていては人生に楽しみをもたらすことはできない 狭い...
一人で孤高に生きていては人生に楽しみをもたらすことはできない
狭い世界で生きていては学びを得られない、人としての成長はない
人生を豊かに考える上で観てとてもよかった作品です
全889件中、1~20件目を表示