永遠の門 ゴッホの見た未来のレビュー・感想・評価
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Supernatural
ピアノのしらべと共に描かれる、ゴッホの日常…。
旋律は時に優しく、時に不安定に奏でる。
ゴッホの目にはこう見えていたであろう、焦点の曖昧なカメラワークで、超自然な風景が描かれる。
コントロールの効かない、感情…精神状態。
そんな中で、弟テオの支えや、ポール・ゴーギャンの存在は、ゴッホにとってこの上ない孤独を遠ざける世間と繋がる数少ないパイプだったのであろう。
「描くことは、美点であり、欠点である」彼は言う。
生きることは描くことだった彼が生きづらさを抱えていた事は自らの耳を切り落とした事でも想像に難くない。
とかく芸術の分野で孤独が芸術を生み出す、と言われる事がある。
それでも、無我夢中に描く没頭の中で、彼が幸せだった事を祈る。
敬意をこめて
渦。そして波動。
ゴッホは、ニューヨークのメトロポリタン美術館で観たことがあります。
ホールから右へ進んで
ゴッホの部屋に入ろうとした時、その空間に満ちる圧倒的な波動で、 (大げさな表現ではなく) 戸口で吹き飛ばされ、後ろに卒倒しそうでした。
断言できます、
生前のゴッホにその価値を見出だせなかった当時のサロンや美術界には、ゴッホの絵を買うだけの資質も力量も 未だなかったのでしょう。
社会不適合者の兄ちゃんのことをずっと見守ってくれていた弟=テオの優しさも沁みてきます。
画家や音楽家・作曲家の伝記映画は 昨今目白押しですね、
流行りなのかも知れませんが、過去の芸術作品とその作者たちが生き生きと復活して息づくこのジャンルは僕の大好物です。
映画からその芸術家を知る取っ掛かりを得る人もいるでしょうし、作品をすでに知っていて伝記映画を覗いて見る人もいるでしょう。
出会いの順番や深さはその人それぞれ。
有名な題材=アーティストは、幾度も年を隔てて繰り返し映画化されますから、比較して見るのも新しい楽しみとなりますね。
焦点のあて方がみんな丸でちがいますから。
映画の制作者たちは、脚本はもちろんのこと、キャスティングのために世界中の俳優たちの顔を思い浮かべて、意中のアクターに連絡を取るのでしょう。
その作業は本当に楽しいだろうなと想像します。
ウィリアム・デフォー。
そのコケた頬とやつれた顔。しかし爛々と光るあの情熱の眼は、ゴッホ役に適任だったと思います。
「フロリダプロジェクト」の優しいウィリアム・デフォーにも出会ってください。
美しい田園風景
光あふれる自然の情景が美しく楽しめました。
住居などの建物も貧しく殺風景なのに何故かそれなりにスッキリして美があるのです。やはり、画家の生涯を描くので映像の美しさにこだわったのでしょうか。人生の終わり頃はその力を認められたけれど、生前に売れた作品は一つとか。それも、画家仲間に。亡くなってからの作品の高額なお金はどうなっているのでしょう。亡くなってからでは‥‥。主演の俳優さんはよく似ていたけれど本人の年齢からするとだいぶ上かな、と思いました。他の家族には見放されて一人弟さんだけが親身になってくれただけでも良かったのか?この弟さんも翌年亡くなられたとか。ゴッホさん、幸せでしたか?
ゴッホの見る世界を格調高く描く
ゴッホがみる景色の美しさと感触を、絵画に入り込んだような表現で描き、彼が見た景色は本当にこうだったのではないかと思わせる。
「なぜ絵を描くのか?」という問いに「自分だけが理解する神が作った自然の美しさを解き放つ」と答えるゴッホ。伝道師的な使命感を帯びていたという解釈に、なるほどと思った。
それにしても、あるがままを受け入れなければならない立場の神父が、さも自分が神であるかのようにふるまい、ゴッホに絵をやめさせようとしたのには腹が立つ。しかも自分は善行を積んでいると思っているから厄介だ。
ゴッホは意外な理由で死ぬが、実は判然としていない。一つの歴史ミステリーだ。劇中でも死の瞬間は直接描かれていない。そこがややあっさりとしていた。
天才芸術家を十分に理解したかったが、謎も少なからず残った
ジュリアン・シュナーベル監督による2018年製作のイギリス・フランス・アメリカ合作映画。原題:At Eternity's Gate、配給:ギャガ、松竹。
ゴッホが、牧師の息子で宗教学を学んでいたこと、或いはシェークスピアの戯曲を日常読んでいる様なインテリであること、更に画商である弟の仕送りで生活していたことを、初めて知った。一つの絵画、例えば靴の絵を描いていくプロセスを最初の一筆から見せてくれたことは嬉しかった。そして、ゴッホは描く勢いの様なものを、ゴーギャンと異なり重視していたことを教えられた。
ゴッホが聖職者に話していた様に、宗教的に自分は神が早く送りすぎた存在であり、未来の人間のための絵を描いていると確信的に話すところは、成る程そうかと思った。子供に自分に絵を揶揄された時の不器用な対応、精神的にあまりに脆く弟にあやされるのが、天才画家の裏側面なのか?
画材を求めてゴッホが自然に触れ戯れる姿は良く理解できるし、異様なものが見えるというのも精神的な病気によると理解できる。ただ、ゴーギャンが都会に戻ることを受けての耳切断とそれをゴーギャンに渡そうとした行動は、映画を見ても良く理解することは出来なかった。また、ゴーギャンが何故、ゴッホと共同生活を行ったのかも、自分には良く分からなかった。そういった点で、ゴッホの理解は深まったが、謎も多く残り(自分の理解能力の低さに起因かもしれないが)少なからず不満を感じた映画ではあった。
製作ジョン・キリク、製作総指揮カール・シュポエリ、マルク・シュミット、ハイニー ニック・バウアー 、ディーパック・ネイヤー 、シャルル=マリー・アントニオーズ、 モーラ・ベルケダール 、ジャン・デュアメル ニコラ・レルミット 、トーステン・シューマッハー 、クレア・テイラー 、フェルナンド・サリシン 、マキシミリアン・アルベライズ。
脚本ジャン=クロード・カリエール、ジュリアン・シュナーベル 、ルイーズ・クーゲンベルグ、撮影ブノワ・ドゥローム、美術ステファン・クレッソン、衣装カラン・ミューレル=セロー、編集ルイーズ・クーゲンベルグ、ジュリアン・シュナーベル、音楽タチアナ・リソフスカヤ。
出演は、ウィレム・デフォー(フィンセント・ファン・ゴッホ)、ルパート・フレンド(テオ・ファン・ゴッホ)、オスカー・アイザック(ポール・ゴーギャン)、マッツ・ミケルセン(聖職者)。
崇高な魂とともに
奇しくも
ゴッホが撃たれた日と亡くなった日の間〔7月28日)にこの映画を見ることになったことに驚くとともにゴッホにはとても崇高な魂が見てとれ最後には涙、涙だった
こんなにも繊細な感覚をもっていたからこそ周りからは理解されないものの永遠に語り継がれる画家になっていったんだということをこの映画で知ることができた いったい今まで伝えられていたゴッホという想像上の人物はなんだったんだろうゴッホは至ってまともな精神でありこれほど真面目に自分と向き合い表現者として貫いた生き方は尊敬に値するものであった
生きることはとても苦痛であったのかもしれないが私たちに大きな財産を残してくれたこと、この映画に出会えたこと、それはわたしには大きなギフトになった この場で感謝したい
神の崇高で残酷な御業
18年前、メルボルンにひと月ほど滞在した間に、同市内の美術館で開催されていた印象派展で「ローヌ川ので星月夜」を鑑賞したことがある。その圧倒的迫力に心を奪われ、気が付いたら40分ほどその前に立ち尽くしていた。
1888年9月の作品。ゴーギャンがアルルの黄色い部屋を訪れて共同生活を始める直前だ。作家としての自負心も働いて野心的に創作を重ねた、ゴッホにしては割と健全な時期だったのではないか。
映画ではこの辺りの場面は描かれなかったが、運筆の速さをゴーギャンに嗜められるシーンが、18年前に実物を鑑賞した時の記憶と重なった。ゴッホは神に示された眼前の景色を「天啓」として受け止め、その余韻が消えぬうちにキャンバスに留めておきたかったのではないか。
ウィレム・デフォーのゴッホは正気と狂気の狭間で苦しみ悶える選ばれし男を見事に演じていた。30台半ばから亡くなる37歳までにしてはちと老けてはいるが、狂気に苛まれた人特有の近寄り難さは感じられず、何とかして救ってやれないかと思わせるいたいけな感じが良かった。神の領域に近付こうとする純粋さが、よくも悪くも稀代の作家の本領だったのだろうと思わされた。
画面の下半分の被写体深度を変えた表現技法は、ゴッホの見えを表現するにはいささか凝りすぎでかつ分かりにくかったのではないか。ゴッホの視力に問題があったのかと観賞後に調べてしまった。映像作家としてのどんなこだわりも、ゴッホの作品に迫ることは不可能であり、その原風景を素直に撮すだけで十分な映像美を讃えていただけにもったいない工夫だった。
ゴッホの色彩に彩られた映像美
ウィリアムデフォーが好きなので観に行った。
相変わらず不思議な魅力のある演技と存在感で、ゴッホが完全に乗り移っていた。 顔が似ているとは思えないが、観ているうちにゴッホそのものに思えてくる。
監督が画家でもあるということで、 映像全体がゴッホの色彩で彩られていた。 まるで、ゴッホが想像し生み出した絵画の世界の中で、ゴッホが生きている様子を映し出しているかのようだ。 金色に輝く小麦畑と水色の空のコントラスト。 その美しさの中に溶け込むゴッホ。 一瞬だが、自分もゴッホの空想の中に入ってしまったような感覚に陥る。
ヴェネチア国際映画祭で男優賞を受賞するなど評価を受けたのは、 デフォーのファンとしては嬉しい限りだ。 ただ、ゴッホという人物の個性の強さと、ウィリアムデフォーのなりきり演技の凄さも相まって、 作品としての個性は抑えられてしまった感はある。
定石通りに、渦巻く魂の猛りや狂気を強めに出した方が、観る者を引き付ける映画になったかもしれない。 そうならなかったのは、 ゴッホとデフォーとジュリアンシュナーベル監督との出会いが生み出した、化学反応の結果ーとしか言いようがないだろう。
新国立美術館でのゴッホ展では
まだ理解できていなかったが、天照や毘盧遮那仏を経由した今だからこその感想◎
ゴッホは生涯を通じて神を描こうと描き続けた画家だったのだと至った。我々地球に生きる生物も想像の先にあるイメージも広い宇宙の中では小さくとも太陽系にある限りは太陽が全ての元であり源であると言う事実は誰にも覆すことのできない事実であり太陽により生み出され我々を取り巻く自然が全てである。
最後に久々の自己理解の一つの記載をしたい。
自分とは自然の分身であり、私とはカミと仏が同座する姿なのだ(^^)
画家の画家による画家のためのゴッホ
監督はウォーホルと同時代に世界的に活躍した現代美術家ジュリアン・シュナーベル。画家だけあって今作品には様々なカットで印象派の名作絵画のアングルが既視感いっぱいに使われている。ロートレック、マネ、セザンヌ、ルノワール、ゴーギャンなど・・美術ファンにはたまらないサービスだ。ゴッホの感情を映像の色彩で表現したりゴッホの意識の混濁具合をカメラレンズのぼかしで表現したり・・また最新のゴッホの死の解釈をそのエンディングに持ってきたりで、美術にそれ相当の知識のある人にはたまらない映画であったが、独立した映画としての魅力に溢れているかと言うと多少独善性に満ちているとしか言えない部分もあるのは事実だ。シュナーベルにとってこれは映画作品と言うより映像によるデッサンのような意味合いの強い作品と言えるだろう。
ゴッホの晩年
ゴッホがアルルに移り住んで以降の、そして耳切事件を起こした後に入院したオーヴェールでの制作活動を映画化したもの。アルルに移り住む前のパリでの弟テオとの関わりや、タンギー爺さんのお店での様子なども描かれていたらもっと面白かったのでは?と感じた。
認められぬ天才を表す言葉と映像
タイトルは、「永遠の門」で、神が人に授けた崇高で偉大な才能のことで、神がゴッホに授けた絵の才能のことです。
サブタイトルは、「ゴッホの見た未来」です。
「ゴッホの見た未来」とは、ゴッホが、永遠に残ることになるかもしれない絵画を通して、見た感動を分かち合えるようになる未来です。
ゴッホによって描かれた曲がりくねる線を映像化するために、レンズの上と下で被写界深度が違っている遠近両用メガネをアイディアにした、スプリット・ディオプターを使用して撮影し、演出してあります。
フィンセントは、絵を鑑賞する人、絵を購入する人のことを意識せずに絵を描いているから、認められなかったんだろうと感じました。
上司を意識せずに、仕事をすれば、成功しても、上司に認められることはなく、出世できないということです。
上司を意識して、仕事をすれば、成功しても、失敗しても、上司に認められ、出世するということです。
フランスでは、王族、資本家と労働者が、階級闘争を行い、外国と戦争し、植民地を獲得していたという時代背景が分からないと、理解できない映画です。
さらに、油絵と美術史についての知識も必要です。
一般受けするするように、何も知らなくても、理解できるように、分かりすく制作されている映画ではないです。
この映画は鑑賞するだけではなく、時代背景、油絵と美術史について調べることで楽しめるようになる映画で、絵画と同じです。
絵画を見て、好き、嫌いというだけでは、絵画を楽しめないです。
子供や絵画に興味のない大人は、絵画を楽しめないです。
絵画の時代背景や美術史について調べることで、絵画を楽しめるようになるということです。
フィンセントは、床に置いた靴を描くので、油絵の描き方が分かるようになっているところは良いです。
フィンセントは、絵画を描くことについて、画家ではないギャビー、牧師とポール・ガシェ医師に質問され、答えています。
画家でもない人向けに答えているので、分かりやすい答えで良いです。
フィンセントは、絵画を描くことについて、ポール・ゴーギャンと論争しているのことは、印象派からポスト印象派となり、現代美術に繋がる話なので、良かったです。
絵画について何も知らない子供たちが、絵画を見て、好き、嫌いというだけで、楽しめていません。
フィンセントは、狂人と話をして、「太陽の光」を描くことに気が付きます。
フィンセントが、パリからアルルへ引っ越したように、生活環境を変えると、人生も変わるものなのか試してみたくなりました。
引っ越すのは、大変ですが、長期旅行なら試してみたいです。
フィンセントの謎とされる死について、描かれています。
文化は、生活をより良いものにします。
芸術はなくても、生活はできます。
芸術と生活を結ぶ接点や芸術の価値を理解するのは、映画を鑑賞しても困難です。
伝記…
ということで面白いとかつまらないとかではないのはわかるが。。なぜ子どもたちや、人々に嫌われていたのか、耳を切るに至ったのか、ラストはなぜ殺されたのか?描かれていないので感情移入が難しいが、実際も謎なので仕方ない。なぜ生きてる時代に晩年評価されたやに見受けられるが、絵が売れなかったのだろう。画商の弟は素晴らしい。どちらが兄かわからない。
ゴッホの伝記映画
ゴッホの人生がどんなものであったかを伝えるのが
伝記映画のするべき事ならば
大体上手くやってる感じはする
ただゴッホの内在した狂気とかには
やはり触れられないよね
狂人だと思われ、どうであったかも正確な記述は残ってなさそう
まぁ、それはさておきウィレム・デフォーはいいキャラクターを作ってる気がする
演技として悪くないと思う
ただ、やはり伝説の中の人だから上手く描くのが難しい
そんな気がした
結局頑張って作ってもこうだったとする別の意見も存在する訳で立証できない
ゴッホの最後の死に方もこれと決めてしまっていいのか?
そんな想いが出てくる
こうして物語にする事で議論が活発になるのであれば
この映画に意義があったんだろうと思う
イエスとゴッホ
個人評価:3.5
地上の追放者。
イエスとゴッホ。両名に当てはまるフレーズ。
ウィレム・デフォーの染み込む演技が素晴らしい。
スコセッシ作品でイエスを演じ、そして今ゴッホを演じる。これ以上のキャスティングはない。
ゴッホの燃えるような筆使いが、どの様な思いで描かれたのかがよくわかる。
芸術の本当の価値とは、そんな問い掛けを投げられたようだ。
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