こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話のレビュー・感想・評価
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北海道の雄大な景観が気分を軽く、おおらかにしてくれる
まずタイトルがいい。主人公は筋ジストロフィー患者の鹿野さんだが、振り回されるボランティアの視点で語られることが端的に示される。原作の著者、渡辺一史の功績だ。
大泉洋主演なので単純なお涙頂戴の難病ものでないことは想像がつくが、予想を上回る鹿野さんの強烈な個性、自由すぎるキャラを、顔と手以外動かせないという演技上の制約の多い中よくぞ体現したものだ。大泉のとぼけた味わいがはまっている。邦画が避けがちな排泄や性欲にからむ問題も、うまく笑いに転化して描写していた。
高畑充希は割とイメージ通りの役。愚痴をこぼしたり怒ったりもするけど、基本は優しくて頑張り屋。カラオケに行くかもという展開で、朝ドラで披露した美声を聴かせてくれるかと思ったが、なくて残念。三浦春馬の役は意外に複雑なキャラ。たいてい素直で明るい青年のキャスティングだが、この役は一見好青年のようで実は…というのが面白い。
自分らしく生きる
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大泉は筋肉が動かなくなって行く病気で介助を受けていた。
そしてボランティア達相手に何の遠慮もなく好き放題。
それにキレて一度はやめた高畑だが、呼び戻される。
そうこうしてるうちに大泉に心を開き、仲良くなる。
やがて大泉は症状が重くなり、人工呼吸器をつける。
そんな中でもボランティアを新たに募り、自宅介助の道を選ぶ。
そして退院パーティで高畑に求婚、断られる。
高畑が別のボランティア三浦と元恋人で現在仲が微妙と知った大泉は、
2人を呼び出してヨリが戻る手伝いをしたりする。
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この映画の大泉みたいな人間は、ある意味魅力的に見える。
他人に気を遣わない。それって簡単なことではない。
むしろそうした方が他人に愛されると知ってはいても。
だからそう出来る人間は強いと思う。そしてその強さには理由がある。
ある程度有名な立場である自分がそうすることで、
世の中の障碍者が気を遣わず生きられるようにとの持論だった。
最終的に大泉は死ぬが、死ぬシーンは無い。
ベタなお涙頂戴みたいになるからだろうか。
色々と考えさせられた映画ではあった。
観る価値ないと思います。
主人公の我儘ぶり、見ていて反吐が出ました。
そんなのを甘やかすからつけあがる。
何言われてもへーこらしているボランティアに虫唾が走る映画でした。
なぜここまで甘やかすのか?
全く理解できません。
なんでこんなクズのボランティアやっている?
困っている人、いくらでもいますけど?
世話をすること
は、同時に自分の心もケアして貰っている、
と思えるかこき使われているととるか。ただ、する方もされる方も大変。
自宅介護を家族だけでは到底無理の現実。
鹿野さんの人間性がやはり凄いとなるのかな。
三浦春馬さん、さすがにオーラを取り去り、フツーの医大生になっていた。ウジウジするのも
情けなくて良かった。
本音全開で生きる鹿野さん‼️・・大泉洋だから、愛すべき人に見えたのかな?
鹿野もボランティアたちも、一様に幸せに思える。
鹿野さんが生活を楽しみ人生を謳歌した人に見えるのは
錯覚なのだろうか?
鹿野さんは首と手しか動かせない。
水分を取るのさえヘルパーをする人が口元へ
ストロー付きの容器を差し出すのだ。
クチは達者でボランティアの学生を好き勝手に動かして、
ある意味でハーレムのキングだ!!
夜中にバナナ食いたい‼️
と言い出したのがタイトルの「こんな夜更けにバナナかかよ」
映画だから?
原作を書いたのはノンフィクション・ライターの渡辺一史さんで、
この言葉を本人が実際に言ったのだ。
なんというワガママ!!
でも鹿野さんならみんな許してやろう、
望みを叶えてやろうと思うのだ。
鹿野さんは、
残された体の機能を活かして、生き切ったように見える。
《鹿野さんはカリスマ性のあるで、人を楽しませる名人だった?》
答え・・・YES(多分、確率80%)
何故なら楽しくない空間に人は集まらない。
そこに行けば、人(シカノ)のためになり、若者がワイワイ喋くり、
孤独を癒やされ
(渡辺真紀子?、宇野翔平、萩原聖人)のプロの介護人がテキパキと
対処している。
多くの学生ボランティアは、きっとシカノから多くを学んだ。
この映画で一番感動したのは、
美咲ちゃん(高畑充希)が、鹿野さんのプロポーズを断るシーン。
同情か愛か?分からない結婚を高畑充希が自分の心と
キチンと向き合い断るシーンは素晴らしいと思う。
あのシーン、
シカノの退院祝いのパーティー会場だ。
パーティーは盛り上がっている。
「おめでとう!!鹿野さん」
呼吸器を使うともう話せない・・・という常識を覆して、
また話せるシカノの毒舌復活のおめでたい席だった。
呼吸器を付けても話せる人がいる・・・
その情報を医療関係者と合コンしまくって、
取ってきたのも美咲ちゃんだ。
シカノもズルい。
ドサクサに紛れて成り行きでOKしそうではないか?
盛り上がってて情に流されそうな雰囲気だ!!
しかし美咲ちゃんは自分を失わなかった。
美咲ちゃん、偉いぞ‼️
この映画はバランス感覚が抜群だ。
シカノが同情すべき弱者に見えない。
お涙頂戴ではない。
☆☆☆
余談ですが、今期の芥川賞受賞作「ハンチバック」を
読みました。
作者の市川沙央さんも重度の障害のある方で、
頭のトビキリ言い方です。
比較するつもりはないのですが、
有り余るお金持ちの市川さんより、
人(ヒト)が集う(つどう)鹿野さんがより幸せに見える。
市川さんは露悪的に心情を吐露しても、
まだ心を何重にも武装して見える。
真に解放はしていない。
心を開放するのはとても難しくて私にはとても真似出来ないけれど、
プライドと見栄を捨てて心をOPENにすれば、
もっと楽(ラク)に生きられる。
そんな気がする・・・
それが鹿野さんの教えてくれたこと‼️
食べたきゃ言うのさバナナだと
ずっと見てみたかった作品。
三浦春馬の生前に、見ておきたかった。
そういうひとつひとつを、健常者からすれば、また明日でも数年後でも叶えられる確率が高いが、筋ジスではそうはいかない。
明日どこが動かなくなっているかわからない。
介助の目が行き届いていなければ、何もできない。
自力でやろうとする気持ちが強い人ほど、できない自分を受け入れて、できないなら人に頼る生き方に切り替えるのは難しいだろう。
作中の三浦春馬演じる田中くんが良い例だ。
思っている本音があるのに、言えない。
他の人の気持ちを優先させてしまいがち。
すごく優しいのだが、余裕があるぶっているだけとも言える。
反対に、三咲ちゃんは全力。
我慢せず言うし、健常者や障がい者の垣根なく人間として接する。本音のぶつかり合いが、鹿野さんからすれば楽しく、過ごしやすかっただろうと思う。
人に迷惑をかけずに生きるなんて無理なのだから、一度きりの人生、自分のために生きようよと思った時、みんなもそう思っていれば、介護だけに人生を費やしてしまう人が出ることなく、他人でも介護にできる範囲で携わりながら、障がい者も健常者も関係なくやりたい事をできる社会が見えてくるのかもしれない。
できることできないことをオープンに、やりたいことを、能力や物理的状況に囚われずに口に出してみる力。
簡単なようですごく難しいけれど、言わなければわかってもらえない。
鹿野さんは途中、その発言する声さえも失いそうになる。
言えるうちに、言って、伝えてみないといけない。
作中、三咲ちゃんが最初は、医大生目当ての合コンで教育大と嘘をつき医大生と付き合うフリーターだったが、鹿野さんと出会いボランティアに参加する中でどんどん、ボランティアの世界に引き込まれていく。
いつしか、障がい者とか関係なく、鹿野さんと人間愛で結ばれていく。
その関係性を、田中くんは本当は快く思っていないし、不安と嫉妬でいっぱいなのに、伝えない。
ボランティアに無理して参加するうち医学部の勉強にも支障をきたし、退学しようとまでする。
三咲ちゃんには、ギリギリの心をぶつけに来て、鹿野さんとの関係を「同情があれば何でもするのか」と詰め寄るが、ベッドイン寸前という表現の誤解を解くために、田中くんとの仲直りを優先させて「鹿野さんとはなんでもない」と言うのではなく、
「同情じゃない」
「好きになるかもしれないじゃん」
と鹿野さんを1人の人間として対等に見ていることをまずはっきり言葉にする三咲ちゃんの台詞が、印象に残ったしとても良かった。
「なんで俺の彼女だと最初に言わなかったんだよ」と田中くんに聞く鹿野さん。
田中くん、きっと鹿野さんが男性として見られるって思ってなかったのだろうな。
対等でないと心の奥底のどこかで思っているからこその慢心だった。
三咲ちゃんの中には常に田中くんがいて、鹿野さんを恋愛対象として見つめてはいなかったが、そんな関係性を凌駕する人間愛で繋がっている。
とても温かで、心に正直で、素敵な関係性だった。
優しい田中くんの、本人も意識していない思考の奥底の傲慢さを指摘するような、田中くんの人生に大きく影響する出来事だったと思う。
世の中にはどうしても健常者の方が多くて、田中くんの態度の方が一般的だし、田中くんのような振る舞いの優しさを、優しいと捉える人が多いと思う。
でも、本作を通して、優しいの本質を投げかけられた気がした。弱さやかっこ悪さ恥ずかしさを隠したくてもさらけ出すしかない、かっこつけたくもつけられない鹿野さんは、その本質をよくよくわかっていたのだと思う。
どの障がい者もこういうふうになるわけではなく、
鹿野さんが好かれる人間性だったことも影響していると思う。
対等でオープンな人には同じような人が集まり、その集大成が鹿野ボラという組織だったのだろう。
素敵な作品だった。
素敵な雰囲気
ずっと友達からゲームを借りて返さないような奔放さ。ボラからの貸しに一見そっぽを向けているような鹿野。介助とはニュアンスの違った何か。それに=で結ばれない彼なりの恩返し。目には見えない微笑ましさ、絆があって。三浦春馬さんの自然体なボラの姿にも感じるものが。
なぜか憎めない鹿野さん
難病患者を扱っているが、悲しく、苦しくならないヒューマンコメディだった。実話を元にしてるから、映画に描かれない苦しみ、悲しみなどは当然あったのだろうけど、どんな状況になっても恋して、遊んで、楽しんで前向きに生きた人間の記録として、よくできている作品だった。大泉洋の演技は好きではなかったけれど、今作は素晴らしいと感じた。
夜中にバナナを買いに行かせるより、命が危ないと装ってボラを呼び出すことの方が腹が立ちましたが。
ちょっと待って、私だけ?
ずっと気になっていたので観てみましたが、映画だとわかっていても引っかかってしまう部分がちらほら。冒頭の鹿野さんの態度は、演出として理解できますし、それに翻弄される美咲と田中くんのキャラクターもよく伝わってくる構成になっていたので、我慢して観られました。しかし、鹿野が、「みんな対等 障がい者が人生を楽しんで何が悪い」というモットーで、周りの人に迷惑をかける様を見ていると、親しき仲にも…という言葉がやはり浮かんできてしまうし、命令の仕方も、田中に対する侮辱も、明らかに「対等」では無いのでは?と感じてしまってすごく気になりました。
美咲のキャラも、大学を誤魔化して田中と近づこうとする可愛らしさや、田中の押しに負けてボランティアに行ってあげてしまう優しさを持ち合わせておきながら、「障がい者って何様?」と言ってのけるキャラクターに、最初は愛を感じ、応援する気持ちで観ていました。しかし、結局は何故か自分のポリシーを捨て、鹿野にすっかり陶酔していくばかりでなく、挙句の果てに鹿野と恋愛関係になっていった辺りでモヤモヤが止まりませんでした。田中くんのなよなよしたキャラクターや不器用さ、自分のプライドを何より優先してしまう態度に腹がたつのは理解出来るのですが、だからといって、自然消滅として一方的に片付け、鹿野に対し、ポルノDVDについて聞いたり、胸を触らせたりしておきながら、プロポーズを断るのはおかしくない?え、というか、そこで田中を理由にするんだ?!と思ってしまいました。恋愛要素として組み込むにはあまりにも内容が入り乱れすぎていて、そういうストーリーとして昇華するのは、私には無理がありました。実話なんでしょうか…??
後半で、鹿野が具合悪いフリをして周囲を脅かす場面も、正直腹が立ちました。たしかに、今まで何度も命の危機を乗り越えて来たことに対する自負や、鹿野なりの考えがあって、それに周囲が同意しているのであればそれでいいじゃないか、とも考えられるのですが、そういう人たちも、命に関わる部分で職場に電話がかかってきた日には、「いよいよもうダメかもしれない」って、毎回本気で思うのではないでしょうか。それなのに、「ドッキリでした~許してくれるよね だって僕だもん」という姿勢の鹿野と、その他大勢のヘラヘラとした態度、それを「まあ仕方ないよね 鹿野さんだもの」ととろーんとした目で見つめる美咲に対して、終始、甚だ疑問でした。
そんな中、見終わったあとにレビューを見てみると、皆さん大絶賛されていてあまりに驚いてしまい、私と同じことを言っているレビューを探すも、見受けられなかったので、レビューを書いてみました。ただ、素直にいいなと思う部分もあり、例えば美咲と田中がお弁当を食べるシーンの2人のやり取りは、予定調和な感じがなくリアルで、合コンで付き合ったカップルのよそよそしさや、噛み合わなさが表現されていて素晴らしいなと思いました。キャスト自体も、皆さんすごくハマり役ですし、大泉洋さんの病気に苦しむ演技は見事でした。三浦春馬さんの演技もすごく自然で、「こういう人、いるよね」と思えました。ただ、やはり、鹿野というキャラクターの首尾一貫したポリシーの根底にある矛盾や、無理やりに組み込まれたようにも思える歪んだ恋愛要素には目を瞑ることができませんでした。
いいところも悪いところも
主人公が自己中すぎるとの評価も見られますが、人に迷惑をかけてしまうからと自分に制限をかける必要はない。困っていることは助けて貰えばいい。というメッセージを伝えるにはこれくらいの自由さがある方がいいのかなと思いました。
しかし、恋人との時間や学業の時間などを割かせ、ボラの方の人生や生活を乱してまで世話をさせるのはどうかとも思います。それぞれの人に、それぞれの人生の背景があるじゃん…!とみていて少しもどかしくなりました。
あと個人的に三浦春馬さんの演技が本当に好きでした。顔もつよつよ
一線を超えている
夜中の2時にバナナ食べたいから買ってこい、とパシるのは一線を超えている。
緊張と弛緩を巧みな話術で交互に使い、人の心を掌握する。
美談にはならないなぁ。
エンタメとして鑑賞するなら大泉洋のキャラクター、人間力流石です。
わがままだけど、しっかりと前向きに生きる彼の姿に共感して支える人々...
わがままだけど、しっかりと前向きに生きる彼の姿に共感して支える人々のお話。
助けを求め、助け合う。当たり前のことだけど、遠慮せずに出来ること。そうして人は支え合って生きていくんだなぁと思える素敵な作品でした。
大泉洋だからこそ暗くなりすぎず、明るく良かったのかなぁ。
素敵な作品でした。
大泉洋がいい
大泉洋さん演じる主人公は、ALS筋ジストロフィーという病気を患っています。
なので、普段の生活も車椅子に乗ったままボランティアの人達の力を借りて生活するしかない。
だけど、そんな主人公は、病に嘆くでもなく自分のやりたい事や興味のある事に積極的であり、周りに対しても自分の意見を言ってばかりいます。
この映画のワンシーンでボランティアの人が言った「障害なのに自由すぎる」まさにそれだと思って面白いと思いました。
体が動かなくても心があるなら、なんでもやれる。
自分が好きな人が作る事も出来る。資格の勉強も出来る。誰かの力になる事も出来る。
辛いという事がこれほどまでにコミカルに忘れ去られるくらい気持ちいい主人公のお話でした。
観た後は、なんだかスッキリした気持ちになれました。
命懸けで自己主張を貫く男の生き様
『迷惑をかけあう』、『対等』、『闘い』。本作で印象的だった言葉である。私は本作を感動作だとは思わない。本作は、個性的ではあるが、あるがままの強く激しい主人公の生き様を通して、障害者と健常者の在り方を真摯に考える作品である。
本作の舞台は1994年の日本。本作の主人公は筋ジストロフィーを患っている鹿野靖明(大泉洋)。彼は、自宅にボランティアを集め、言いたい放題の奔放な生活をしていた。ボランティアの医大生・田中(三浦春馬)の恋人の美咲(高畑充希)は、ふとしたきっかけで鹿野のボランティアになり、当初、嫌悪感を抱いた鹿野に徐々に惹かれていく・・・。
鹿野は、自分を隠さず赤裸々に曝け出す。命懸けで、自分の欲望を形振り構わず実現しようとする。ボランティアに助けてもらうことに躊躇いはない。彼は、対等という言葉を頻発する。彼とボランティアとの会話を聞いていると彼が障害者であることを忘れてしまう。それ程に、彼は、遮二無二、強く自分であろうとする。何故か。自分の夢を実現する、生々しく表現すれば、自分の欲望を満たすことが生きている証となるからであろう。
鹿野を演じる大泉洋は相変わらずの芸達者振りである。これまで軽妙洒脱な大泉色を放つ役柄が多かったが、本作では、一変して、舌打ちしたくなるような嫌味全開の鹿野を熱演している。鹿野の命懸けの自己主張を見事に演じ切っている。鹿野の生き様を体現している。本作では鹿野の会話がキーポイントとなっており、難役と言える鹿野役を熟せるのは会話術に長けた大泉洋しかいないだろう。
ラストはそう来たかという感じがした。難問かもしれないが、折角の問題提起をしっかりとまとめて欲しかった。
本作は1990年代の物語であるが、20年以上が経った現代が、当時に比べ、格段に進歩したとは思えない。障害者、健常者という言葉が死語になった時、鹿野が目指した、障害者と健常者の対等な人間関係は我々の常識になったと言えるだろう。
ちょっと胸糞
これだと身障者が
ガチクズの自己中自分勝手みたい。
自己中の、良い人を利用して挙句の果てに自分のものにしようとした奴の半生を美化した映画。
しかもノンフィクション。キツい。
良いところはキャストに恵まれたところ。
北海道が誇る大泉洋
難しい役をリアルに個性的に演じてくれた
最初むっちゃ嫌な感じで見続けるか迷った
こういうのが期待を裏切って感動しちゃうんだな、、、
鹿野さんの命を支えるボラさん達はきっと
逆に鹿野さんの命が心の支えなのかな
まるで青春映画のようだった
あたし
道産子なので北海道弁に癒やされたべさ〜
65点
映画評価:65点
難病を患い、
1人では生活が出来なくなった人が
沢山のボランティアの方の協力を得て
生き抜いていく話し。
それだけ聞くと美談に聞こえるが、
大泉洋の演技が光る図々しさと愛嬌で
お涙頂戴作品ではなく、
明るく、自分らしく生きていく
そういう前向きな作品になっています。
どんな人でも
誰かの助けなしでは生きてはいけない。
障がい者とか関係ないです。
助けてもらう頻度や質は人それぞれ、
助けてもらってない人なんていないんですから。
そして、
その助けてもらうという行為は、
同情とかからではなく、
対等なんだという事。
やってもらって当たり前も何か違うけど、
誰かを助けた人は、誰かに助けられている。
だから申し訳ないと思うのではなく、
もっと堂々としていればいいんだなと。
面白くて考えさせられる良い映画でした。
【2022.1.3観賞】
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