万引き家族のレビュー・感想・評価
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コロナ時代に貧困問題を考える手がかりに
ケン・ローチ監督と同様、是枝裕和監督は貧困の問題をたびたび扱ってきた。共通するのは、低所得ないし無所得の庶民の視点から制度の不備や社会の非情を明らかにしつつ、家族やコミュニティの非力だが確かな思いやりと絆に希望をつなぐ点だ。
この「万引き家族」に、元々内包されていたが今のコロナの時代に観るとより鮮明になる要素があるとすれば、彼らを貧困状態に追い込む制度も社会も問題だらけだが、そうした状況を温存させているのは民主主義社会を構成する有権者の私たち一人一人という不都合な真実だ。コロナ対策で失態を続ける現政権だが、過半数の支持を与えてきたのは有権者であり、緊急事態宣言と活動自粛で経済を止めてコロナの死者より多くの自殺者を生み出すのもまた“社会の空気”なのだ。
万引き家族たちは可哀想だが健気に助け合って感動!ではなく、こんな社会を保つのも変えるのも自分なのだ、という視点を持ちたい。
曖昧な境界線に立たされる人々
家族とは何か、という問いはあまりにも多くなされているものだが、是枝監督の描く家族は常にその存在に揺らぎがある。家族であるかどうかギリギリの線を常についてくるというか。それによって家族とは何かという輪郭を浮かび上がらせる。家族であることが自明ではない共同体が、家族としてもし機能するなら、それにはどんなことが必要なのか。
『誰も知らない』の母親は子ども達を見捨てたが、なおも彼らは家族であるのか。『そして父になる』は育てた子どもが実は血のつながらない他人だった、それは家族であるのか。あるいは『ディスタンス』で浅野忠信が演じた元新興宗教団体の信者は、教祖はお父さんみたいな人だったと言う。家族と単なる共同体の違いはなんだろうか。
経済的困窮という理由で一緒に暮らす本作の家族は、ふとしたきっかけでバラバラにされてしまう。彼らは家族だったのか、ただの共同体だったのか。問いに答えはなく、監督は見つめるのに。安易に答えを出せないことが監督の誠実さの現れだ。
みごとな演技、みごとな映像。
多くの人が口をそろえて言う通り、安藤サクラはすげえなあ。ほかのキャストもツワモノ揃いでみごとだと思う。ただ、どこかに作品が、セリフのひとつひとつが、演者に頼りすぎているような違和感も覚えた。世の中から見向きもされない人たちに光を当てている意図はわかるのだが、さすがに名演技に、映画的なロケーションと撮影に、役者そのものの魅力に負い過ぎてはいないだろうか。例えば風俗に通い詰める聾唖の男性が池松壮亮だと分かったあのシーンで、自分は引いてしまった。あそこにナイーブ風な男前が現れてしまった時点で、見栄えのいいファンタジーになってしまっていないか。それが映画だもの、と言われてしまえばそれまでだが、社会的に阻害されている者を描くには作品自体がカッコよすぎないか。好みの問題でしかないかも知れないが、どこかしっくりしないものを抱えて劇場を出ました。
日本の貧困ドキュメントをエンタメ作品に昇華させた是枝監督屈指の名作
邦画界では知る人ぞ知る、是枝監督。監督の作品は数多く観賞しているが、是枝作品で何を観るべきか?と問われれば、間違いなく、本作を推す。
監督の作品の魅力は、一言で言えば、儚さの中に美しさということにあると思う。
ドキュメンタリー出身ということもあり、貧困問題などを扱うことも多いが、本作は単なる貧困ドキュメントにとどまらず、エンターテインメントとして昇華させた傑作である。
万引き家族は、実際にあった貧困のドキュメントをもとにしたもの。兵庫県在住の自分にとって、題材となった万引き家族というテーマは、もはや他人事ではない。実際に万引きを家族単位で行っているという事例は、決してフィクションではない。ショッピングモールで家族ぐるみで万引きを行い逮捕されたもの、ベビーカーを使って万引きを重ねた母親と、万引きによる事件の報道がある度に、本作が日本のリアルを描いていることを考える機会となる。
主人公となるのは、年金暮らしの祖母の元で暮らす息子夫婦たち。団地に行けば、そうした世帯は決して珍しくないが、ドラマや映画などで描かれることは少ないように思う。スポットライトを浴びない人たちに光を灯すことができるのは是枝監督の器量であると考える。
高齢の年金暮らしの母を頼るのは、息子役のリリー・フランキー。リリー・フランキー氏と言えば、イラストなどのイメージが強かったが、役者としても魅力がある。特に年齢を重ねるたびに深みが増している。ただ、彼の実年齢を考えれば、”息子”という言葉に無理があるように思えたが、そうではなかった。
県営や市営住宅で、高齢の母親と暮らす息子というのは、実際のところ、決して稀有なものではないし、蓋を開ければ、高齢の母のもとで、定職に就いていない中年の息子が暮らしているというのは、もはや、レアケースではない。格差社会は年々進行している。こうした家族像が周知されなければ、行政の見落としは加速するだろう。
そして、彼に付き添うのは妻役の安藤サクラ。年齢が離れている分、年齢差を埋めるような演技が求められる。子どもがいないことへのコンプレックス、コンプレックスが生んだ、ねじられた愛情。二人が、なぜ、関係を持ったのか、彼女たちの演技に集約されていたように思えた。
安藤サクラという役者は、セリフなどでは表現できない含みを持たせたものを演じることに長けている。熟練の演技に触発されたのか、松岡茉優の演技もよかった。ふわふわとした空虚で、満たされない女性像を好演したと思う。
子役の城桧吏、佐々木みゆも好演。親の影響で悪事をする城桧吏には、悪いことをする野蛮さだけではなく、そこに悪気だけではない子どもらしい好奇心もあった。もしも他に愉しいと思えることがあれば、万引きをしただろうか。児童の犯罪を考えるうえで、重要な描写である。
佐々木みゆの幼さゆえの危うさ、不幸な生い立ちからくる不安定な感情が見事。何かに巻き込まれそうな少女像という点が完ぺきだった。
偽物の家族が過ごす時間は、偽物であったはずなのに、時に楽しく、美しく、本当の家族よりも愛と絆に溢れているものだった。この辺りの表現が、貧困ドキュメントをエンタメ作品に昇華させた一因であると言えよう。
物語の終盤、少女の誘拐が世間にバレて、捕まるシーンは心臓が震えた。日本の貧困問題、格差社会の何が問題なのか考えるうえで、表層的な調査や数値では浮かび上がってこないものがある。
悪いことばかりの家族たちだったのに、ただの不幸の連鎖と思えたのに。なぜか、単なる悪者というレッテルで片付けるにはあまりにも乱暴な行為であると思えた。それだけでも本作は一見の価値があると言えるだろう。
呼吸の仕方を忘れさせる
観ている間、マ王は息をしていたのか🤔
そう感じさせるのが是枝裕和監督の「万引き家族」である😐
映像の全てが汚れており雑巾で拭いても汚れが伸びるだけで決して綺麗にはならない😶
ただ少しだけでも綺麗にしようと劇中の人間は行動するのだが、逆効果にしかならない💦
マ王はその空気を吸いたくなくて呼吸を止める😟
切ないくらいの人間の優しさを別の角度から見れば理不尽とかアンモラルとかで縛られてオシマイ😑
ルールから一番遠い本能がこの家族を支えている用な気がした🥲
生きる為、生き残る為に結果を考えず行動するのは人生への正当防衛ではなかろうか?
悪人と断じてしまうには痩せ細ってしまったコミュニティが選択を誤り続ける先に待つのは······
と小難しく書いてはみたが純粋に面白く観れました😁
マ王は唯一、日本で樹木希林という女優の演技を見るのだけが楽しみだった😐
映画「半落ち」の彼女の演技だけでマ王は涙腺が決壊した経験がある😫
どんな映画でも樹木希林が出てるだけで邦画だろうとキリッと締まるのよ✨
今作でも彼女の存在は大きい😬
特に海水浴場でのシーンでの樹木希林は凄いね😳←観た人なら何の事か判ると思うけど
しかし「万引き家族」って内容の褒め方が掴めない💦
実は初観はU-NEXTだった気がする(アマプラではない気がする)
その時の衝撃が強すぎて(あまりにも物語が面白くて)評価の仕方が判らなくなったのを覚えてる🤔
ストーリーを支える俳優陣も個性派揃いだからケチでも付けようものなら石を投げられる😵💫
そもそもケチが見当たらないし🙃
アンチ邦画のマ王だが最近の邦画は期待に応えまくっているので逆の意味で気に入らない😑
映画館での鑑賞オススメ度★★★★☆
評価の仕方の難解度★★★★☆
マ王のアンチ邦画度★★☆☆☆
リアルな演技力
初見で観た後の感想は 「家族の定義」とは何か…。
キャスト全員の演技が良かった。
底辺と言われるような生活の中にも、子供達の笑顔だったり全員で海へ行くシーンなど、全てが暗い雰囲気じゃないのが良い。
最初は父(親代わり)と一緒に万引きをしていた祥太に
だんだんと倫理観が芽生え始め、わざと店員に見つかるよう 万引きをして家族を壊したのは成長の表れ。
元々は他人だった偽家族が、再びバラバラになって行く時の安藤サクラさんの演技は、やはり凄い。
虐待されていた女の子が 実親の元へ返されたが、ラストの少しだけ微笑んだように見える顔の先に希望があるといいなと思った。
またその希望の社会を作るのも、私達なのかなと。
海街ダイアリーをもう一度
海街ダイアリーが何度観ても良すぎて、あの雰囲気を求めて観てみたら大変な目に遭いましたよ。
絶望的な不幸な気分になりしばらく引きずりましたw
万引きは百歩譲っていいとして(よくない)なんであんな汚い散らかった臭そうな家でごちゃっと過ごす必要があるの?家の中綺麗にしようよ。松岡茉優は何で風俗?全然意味がわからない。
で、そうだ、これなんか既視感あるなと思ったら韓国映画のパラサイト。パラサイトで唯一すごいと思ったのが「色々あったのにワイドショーではとにかく異常な一家扱いされる」みたいな、あのすごくやるせないとこなんだけど、これ、万引き家族のパクリじゃんって嫌な気持ちになった。
パラサイトは、貧乏な一家がおこぼれをもらってちまちま暮らすんじゃなく我が物顔で贅沢するところや、最後流血乱闘になるのが韓国らしいなと思った。
今思い返すと少年がオレンジか何かをばら撒くシーンばかりが思い出され、なんだか爽やかでさえある。彼の中の善性が溢れ出したようだった。細かいところさすが監督!
でも頼むから海街みたいな美しい映画をまたお願いします!!!
貧困と断絶
日本社会の家族の断絶、お金だけの父親、家事と子供教育の全てを担う専業主婦、役割分担と言えば聞こえはいいが、何故か不公平な感じが?、良く考えてみれば、お金だけで偉そうな人間は下品で、お金にならなくても、人のために働く人は貴く見えるのは道理ではないか?当然、それに気付けば、精神的負担、離婚、貧困に。そういった古い家父長制や男尊女卑に子供が疑問に思えば、家族と価値観が合わない、全ての人が家庭の中でも、社会の中でも、自分が関わった全てに責任をもてれば家庭、公共の場も汚れることは無いのではないか、負担の平等の実現。汚す人間は不遜で未熟で下品だから人任せ、他人任せだから家庭でも公共の場でも汚す。登校拒否や引きこもりは、建前の平等と現実の不平等に、気付いてしまうからでは、いじめは、そのクラスの平均的な主流派、優秀でもなく、平均以下でもない、他人に依存している横並びの特徴がある、あくまでもいじめ以外には主体性はなく、主流派の平均的な価値観に依存している、容姿、気質、成績、運動の優劣が目立つことが対象で、家庭の中で古い価値観に疑問を持たない平均的な人間。できるだけ多様性と個人と個性を尊重する社会を、個性的で優秀な人材を社会全体が正しく評価すれば平均的ではあるが改善実行能力のない無能な政治家を選ばなくなるのでは、多数決や民主主義に?
彼らの生き方をリアルに再現
今の時代の価値観とはズレている柴田治(リリー・フランキー)と、そんな治を好きな信江(安藤サクラ)の営みのシーンが印象的。
祥太(城桧吏)と途中から追加する女の子が、本当にそこで暮らしているかのように見えるのは監督の力量だろう。
亜紀を演じる松岡茉優さんと初枝を演じる樹木希林さんは魅力的で、何も考えず見ているだけでも楽しい。
彼らの言い方接し方、暮らしは実際どうなのか、覗き見するような映画。
偽装家族の本当の繋がり
万引きというか窃盗。圧倒的に演技が上手い。ハートフルストーリーではないし、泣ける話でもない、家族とは何かを考えさせる話。
血の繋がりではなく、愛で繋がってるわけでもない。
底辺だけど
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いわくつきのリリーとサクラが婆さんと子供3人で家族として生きてた。
でも実際には親の虐待を受けてた子供を誘拐して来た偽装家族だった。
一応働いてはいたが貧しく、子供にも万引をさせて何とか生きてた。
やがて婆が病死するも色々ヤバいので死亡届を出さず勝手に埋めた。
しかしついに子供が万引で捕まり、警察に全てがバレる。
婆の死体遺棄に関しては前科あるリリーに代わりサクラが単独犯として服役。
子供は親のもとや施設に戻される。
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昔全然良さが分からず、大嫌いだった是枝監督の作品。
ただおれも歳をとり、自分や他人の心と向き合うようになった。
そんな今なら、面白いと感じるのかも知れない。そう思ってた。
そしたら、少なくともこの作品は良かった。悲しい話ではあるけど。
偽装の家族で、みんなろくな奴じゃないけど、何か温かみのある関係。
親から虐待されたり社会から冷たくされた人間ならではの仲間意識か?
モラルとかそういう点では全く褒められたものではないが、何か許せる。
でもホンマに子供に万引きさせなアカンほど貧乏なの?とも思うんよな。
だってリリーは肉体労働で働き、サクラもパートか何かで働いてる。
茉優だって風俗関係で働いてて、いやどう考えても余裕で生活できるでしょ。
ってことは画面では描写されないところで贅沢や浪費してんじゃないの?
もしそうだとしたら、ただの怠惰。許せんなあ。もっとちゃんと生きろやw
コメンタリー込みなら★5
「万引き家族」について、どーしても言いたい事がある。というか、是枝監督にどーしても言いたい!というのが正しいか。
監督は作品の方向をあまり誘導したくない、というお考えだそうだが、それにしてもあまりにも優しくないと言うか、「そこは見せても良いでしょうよ!」というところまで秘密なのはいかがなものか。
と言うのもいくつかあって、まずは海水浴場で初枝が「ありがとうございました」と口の動きだけで告げるシーン。これ、海外では口の動きを読めないので字幕が出るんだそうです。ある意味、日本より優遇されてる!絶対見逃さないもんね!
「食い物にしてる」という亜紀のセリフに象徴されるように、柴田家の家計は初枝の年金でほぼ賄われている。年金目当て、と思われても仕方ない状況で、なお「ありがとうございました」という感謝の言葉が初枝の口から出ることで、この疑似家族の絆が伝わるシーンじゃなかろうか?
みんな離れた所ではしゃいでるんだし、そこは声付きでも良かったと思うんだよね。
祥太の乗るバスを見送り、いても立ってもいられず走って追いかける治のシーン。
散々「父ちゃん」と呼ばれる事を希望していた治に、祥太と決定的な別れが訪れた場面でもあるけど、バスの中で祥太は声にならない状態で「父ちゃん」と呟く。
そこも海外では字幕あるんですよ!出してよ、日本でも!
バスを追いかける治だけでも、じんわりと胸に迫るものがあるけど、「父ちゃん」って最後の最後に呼ぶんだ、と思ったらまず号泣でしょうよ!
で、極めつけ。エンディングのりんちゃんの視線の先に、走ってくる治がいるらしいのだ。信代に教わった数え歌を歌いながら、「本物の家族」という牢獄に囚われたりんちゃんを求め、走る治。姫を拐いに来た王子様じゃないか!冴えないオッサンだけどな!
「選んだのは、絆でした」というコピーに恥じない完璧なシーンだろうに、なんて勿体ない!多分ここで「あんまりよくわかんなかった」みたいなレビュー書いてる人にも伝わったよ!出し惜しみし過ぎ!観客に任せすぎ!
家族ってすごく曖昧で、普遍的な人間の最初の組織なのに個人の経験する家族の形はとても少なくて、自分が「普通」と思ってることが実際普通かどうかなんて怪しいもの。
こんな「家族」があっても良いんじゃないかと思うのも、こんな「家族」は認められないと思うのも、全ては自分の価値観次第。
だからせめて柴田家のそれぞれが「アリ」だったのか「ナシ」だったのか、どう思ってたのか教えてくれても良いと思うんだよね!
出来たら監督はどう思ってたのか、感じたいんだよね!本当に!
是枝監督らしい、と言えば確かにそう。わかってて観たからこそコメンタリーまで鑑賞して大満足。だけど、やっぱりもうちょい監督の思いを感じたかった!
もっとグイグイ来てくれても良いんですよ?
是枝イズム
封切り以来久しぶりに映画館のスクリーンで観たけど、やっぱり良い映画は良い。
最初に観た時よりも、今回また観て素晴らしさが募った。
ムダの無い、減点主義の評価だと減点ポイントがない是枝監督の真骨頂な作品。
キャスティングもお見事で、リリー、安藤さくら、樹木希林、松岡茉優、子役たち、全員100点満点。
作風自体にも、俳優さんたちの演技にも、2時間ずーっと見入ってしまう魅力がある。
20231118 新文芸坐
心の葛藤模様がリアル
終盤まで感じる妙な違和感。
所々ヒントは出ていて、何かがおかしいんだろうなとは思っても、何がおかしいかは最後の最後になるまで分からない絶妙さは凄かった。
各々が正しいとまでは思っていなくても、何か信念のようなものをもってそれを貫いている。
正しさだけでは生きていけず、そこに幸せの定義も出来ない。そんな現代のリアルさを突きつけてくる作品でした。
しかし、それは大人目線の話。
子ども目線ではまた違うように映り、葛藤し、もがいている大人と子どもの対比も見事だと思った。
とはいえ、自分の親族にこんな家族がいたら距離を取ってしまうだろうし、どこか他人事でありファンタジーだと思ってるから観れるのだとも思った。
生き方はそれぞれ
本当の家族では無いけど家族らしく感じました。本当の家族の方が問題を抱えているケースもありますよね。
万引きはどんな理由があってもNGです。人を助けようと思う人は、商品やサービスを与えるのではなく、自立できる方法を教えたほうが良いので愛だけで片付けないで欲しいです。
お金と幸せ
良かったー!警察の尋問シーン、もしこれが現実でニュースで一部始終を知ったなら私もあんな目で安藤サクラを見るんだと思う。家族っていうか集団って外と中じゃ全く違うよなぁ。リリフラにとって祥太は自己肯定のための自己投影だったのかなぁ。そう思うと祥太が全う(?)になっていくのが余計切ない。だんだん母親になってくお母さんと呼ばれない安藤サクラと進まないリリフラ。おじさんに戻れるのかな。考えさせられる
手放しで評価できない愛の形
犯罪や虐待とは無縁の環境で育った自分にとっては、この映画がどこまで現実に起こり得ているのかは分かりません。ただ、良い意味でも非道徳的な意味でも、正解の押し付けがない素晴らしい映画だったと思います。
まず、登場人物一人一人に心を置けませんでした。出てくる言葉は優しいのにいざとなったら見捨てられそうな不安感が常にあり、映画の終わりまで「この人は良い人なのか?」と考え続けました。でも結局答えは分からず、それこそがこの映画の魅力の一つである「人間らしい人物たち」だったのかなと思いました。
家族たちが警察に捕まってしまった時、映画にのめり込んでいた私はすっかりあの家族の形が好きになっていて、それが正しい愛であるかのような気持ちになっていたため、家族の詳細を知りもしない警察たちの尋問シーンで嫌な気持ちになりましたが、実際、警察の手によって家族が引き裂かれた時、勉強に興味のあった少年は学校に行けるようになり、夫婦の過去の犯罪やおばあちゃんのがめつい部分が暴かれたりと、一気に世間一般の「正しい」視点に戻されました。周りから見れば、あの夫婦は少年の学習する権利を奪いましたが、それは彼らに学がなく子供時代をどうあるべきか、どこに引き渡せば少年を救うことが出来るのか判断することが出来ず、万引きの技術を教えることが最善の賢い選択だと自他共に思い込ませていたのだと思います。
同時に、あの夫婦は間違いなく一人の少女を虐待から救いました。再び虐待家庭に戻された後、謝れと母親に言われて頑なに謝らなかったあの子は、もうすでに虐待の連鎖から断ち切られ本物の愛と、外の世界を知っています。彼女をあの母親が虐待することは本当の意味ではもう二度と出来ないでしょう。
また、私がこの映画で最も気に入っているシーンは、父の言った「何か役割がないとあの家に居ずらいだろ」です。学がない人が、本や学びからではなく経験からのみで出される鋭い人間性を垣間見せるその台詞がとても胸に残りました。
この映画はどんな受け止められ方をしても正解だと言えるほど、良い教育教材であると思うので、いずれ全国の教育機関で生徒たちに観てもらうようなものになればいいなと思いました。万引きは犯罪ですが、きちんと作中で良くないことだと案じるシーンもありますし、羅生門を高校生たちに読み聞かせるぐらいなら万引き家族を観せた方が何倍もタメになると思いますね。
すき
笑いのある楽しい家族像
誰も血が繋がってなかったなんて。
平屋のボロい家で暮らしているところに共通点を見出して、親近感を持ちながら鑑賞していた。
安藤サクラはリリーフランキーを守ろうとして自供した。家族は息子を見捨てようとして逃げるつもりだった。拾った捨てたの押収に見えたけど、あのときみんなで過ごした時間は美しく存在していた。
死んだ人のことは忘れろとか、いなかったことにしろとか、ないものにしようとする行為と対象になるようだった。
家族が解散して、それぞれの生活を送るわけだけどそれが幸せに前進するのかマイナスになるのか分からない。
長続きはしない、いつかはボロが出る関係性の危うさは幸せを感じるスパイスなのかもしれない。
わざと捕まった少年は、万引きが悪いことなのかの分別もついておらず正当化された環境にいることに、薄々罰の悪さを感じていた。捕まったらどうなるか試してみたかっただけなのかもしれない。ただ一瞬の好奇心で、家族だったものが離散したのは彼にとって、正々と清算した気分になったのだろうか。
松岡茉優が樹木希林に懐いていたのはなんだったんだ、あの子はどうなったんだろう。
生活の音
ほとんど音楽がない映画。
子どもに万引きをさせ、おばあちゃんの年金を頼りにして、そのおばあちゃんはかつての夫を奪った家族の長女を連れてきてその家から定期的にお金をもらっている。
とんでもなくひどい生活なのに、映し出される日常には暖かい絶え間ないなにかが溶けていて、ずっと見ていたくなる。
野生の動物の家族のように、守る。かばう。慕う。抱きしめる。
血の繋がりによって簡単に役割をもらって役割に期待しあう家族よりも、もっと家族。
本当の家族じゃなくても、大切に守ろうと生きようとする中で、誰かがお手本を作った家族の関係なんて軽々と超えていく。
理想や体裁をとっぱらうと、愛が残るのかな。
子どもの映し方が丁寧で、俳優陣が素晴らしくて、隅々まで優しくて、涙がとまらなかった。
法を超えた愛
法を超えた愛が充満してムンムンする。
例えば少年の万引きは愛なのか?それが少女に与えられるもの教えられるもの全てなのだから、彼の精一杯の愛情表現だろう。
愛の先には生きる力強さや、前を向いて生きる希望が描かれており、お互いが愛に影響を受けながら生きている。
僕はこの家族たちを何も持たない悲しい人達と言うことはできない。
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