劇場公開日 2018年1月5日

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「真贋への感情」嘘八百 よしたださんの映画レビュー(感想・評価)

1.5真贋への感情

2018年2月19日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

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楽しい

 物語としては凡庸だが、佐々木蔵之介演じる陶芸家の住む、安アパート内の撮影が面白かった。1LDKの狭い室内には炬燵が据えられ、最初のシーンでは家族ですき焼きを食べている。その密度の濃い空間で、生卵を絡めて肉を口に運ぶ人物の生々しいこと。
 武正晴は「百円の恋」でも、安藤サクラが処女を喪うシーンで、しみったれたラブホという空間にほとばしるバイタリティを描いていた。
 このアパートの住人たちは、贋作の茶碗でカフェオレやら何やら飲んでいる。
 モノが持つ機能的な価値を超えた部分が、消費社会では重要な価値であるという言説は、どこまで遡ればその起点に辿り着くことができるのか。
 少なくとも我々は、「利休の」茶碗にはこの価値が付与されていたことを、歴史の教養で、あるいはこの映画によって知っている。つまり、千利休の時代には、茶碗にその使用目的を超えた価値を与える時代が始まっていたのだ。
 そして、その部分に強い説得力を持たせるのは、ストーリー(物語)だということも、映画では本筋において、正面からとらえている。
 映画では、骨董を商う者たちがその真贋を、作品が持つに相応しいストーリーの有無で決めている。それは、鑑定家や学芸員においても同じなのだ。
 いったん相応しい物語が成立すれば、物質に意味が与えられるのである。
 ただの土塊に嘘を上塗りした偽物への愛憎。骨董や芸術には常につきまとうこの感情を、中井貴一と佐々木のコメディで軽妙に表現しようとしたのかも知れないが、真贋というテーマはちょっと重すぎたのではないだろうか。
 この春で営業を終える錦糸町の楽天地シネマズの昭和の雰囲気に浸りながら、己の真贋に向かい合わなければならない人々の切なさを味わうことができた。

佐分 利信