マンチェスター・バイ・ザ・シーのレビュー・感想・評価
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誰にも理解してもらわないでいいという覚悟。
主人公のリーも、甥のパトリックも、いうなればとてつもない悲劇の当事者なのだが、他人の理解や共感を欲していない。わかるよ、辛かったね、なんて言葉をお互いに発することもない。そんな言葉が、自分たちの思いとは関係のないと本能的にわかっているかのごとく。
だから本作は、周囲の善意の人たちとの温度差の物語とも言える。みんなは悲劇に一方的に肩入れし、感傷の一部になりたいと望んでいる節さえある。意地悪な言い方をすれば、リーやパトリックに乗っかって悲劇がもたらすドラマを味わいたいのだ。
そしてその温度差や落差から生じるズレが、随所で笑いを呼び起こす。悲しいシチュエーションであっても可笑しさは伴うことができるし、その逆もまたしかり。悲劇と喜劇が相反するものではないと、凄まじい説得力で伝えてくれる傑作だと思う。
ゆっくりと哀しみを超え、心に灯火をもたらす傑作
冒頭、仏頂面で口下手なケイシー・アフレックを目にした時、これまで幾つもの映画で見慣れてきた、まさしく「彼ならでは」の演技のように思えた。しかし時を重ねるごとに印象は変わっていく。特に中盤の決定的な場面を過ぎると、彼がこれまでと同じように喋り、同じように俯いているだけでもう、涙がこみ上げ胸が締め付けられてたまらなくなる。
本作は二つの言い知れぬ悲劇と、そこからの再生を描く物語。全編にわたって深い悲しみが横たわるが、と同時に、ところどころに密やかなユーモアを忍びこませ、そのトッピングが時に哀しみをより痛切なものとし、また時に咽び泣く魂を微かな光で包み込み優しく昇華させていく。このロナーガン監督によるため息がこぼれるほどのタッチが観る者を引きつけ、我々の目線を叔父と甥、二人の行き着く先の風景にまでじっと付き添わせる。これは哀しみをゆっくりと超えていく映画。そうやって心に灯火をもたらす秀作だ。
見事な構成、ケイシーの繊細な演技
リーが現在体験することと、過去に経験したこと=記憶を交互に描く構成が、驚くほど緻密であると同時に有機的だ。兄の訃報を受け帰郷するリー。提示される過去は、幸福な時期も確かにあったことをうかがわせる。一体どんな転機を経て、感情を殺し他人を拒絶して生きる現在に至ったのか。徐々に明かされる過程がスリリングであり、切なさを否応なくかき立てる。
この映画が改めて認識させるのは、「自我」が記憶の集積にほかならないこと。リーの人生をたどり疑似体験する行為は、観客自身の人生をアップデートするほどの力を秘めている。
結果論ではあるが、リー役がマット・デイモンからケイシー・アフレックに代わったのも成功要因だろう。デイモンの顔立ちや表情は善人、陽気、楽天的、武骨なキャラには向くが、リーの罪悪感、喪失、悔恨、諦念といった複雑な感情は、ケイシーの繊細な演技とニュートラルに整ったルックスでこそ効果的に表現できた。
止まった時間が動き出す瞬間
過去に犯した罪の大きさ故に、その瞬間から時間も風景も感情も停止してしまったかのような男の状況を、監督は史上稀に見る大胆かつ巧みなカットバックと、同じ色彩を湛えたまま波に揺れる港町の情景を使って観客に伝えようとする。人はあまりに強い衝撃を受けると、そこから一歩も抜け出せないまま、ひたすらぼんやりと時を過ごすこともある。これほどリアルな時間の演出がかつてあっただろうかと思う。だからこそ、止まった時間が少し動く気配を見せる幕切れに感動と歓びが伴うのだ。何も起こらないのではない。時が徐々に稼働しようとするかすかな変化に心をそば立たせよう。
しょっぱなからトイレの気持ち悪いシーンを入れるな
昔からよくある映画って感じの映画でした(最近は普通の映画が少なくなってる)。問題点は映画の冒頭に気持ち悪いトイレのシーンがあります。映画にそんなシーンいらないですわ。もうちょっと製作者は頭使えっておもう。
乗り越えられない
当時、映画館で観ました🎬
便利屋として生計を立てているケイシー・アフレック演じるリーが、兄の死をきっかけに故郷へ戻り、残された甥のパトリック(ルーカス・ヘッジズ)の後見人に指定されていたことを知り‥。
序盤でリーは、便利屋として腕は確かなのですが、性格に難があることが示されます。
何故性格がああなのか、中盤では彼が背負っている重すぎる十字架も明かされます。
ラスト近くにミシェル・ウィリアムズ演じるランディと再会し、会話するシーンはお互いの複雑な感情が見事に表現されてると思います。
最後のリーの選択も、精一杯のものだったのではないでしょうか。
この映画でケイシー・アフレックはアカデミー主演男優賞をしましたね。
ミシェルもルーカスも、負けず劣らずの良い演技だったと私は思います🙂
辛いと叫ばなくても背中からにじむ
甥の面倒を見るためとはいえなぜそこまで
帰省したくないのかの理由が徐々に明らかになる。
あまりにも、一人が抱える過去の傷としては
重すぎる。
むしろ良く自殺せずに生きてきたなと思うくらいだ。
父を亡くしたばかりの甥っ子も
人懐っこいタイプでもなく。
そんな二人が果たして近づくのかなあと心配になる。
甥と叔父の距離感がなんとも微妙で、
例えばこれが女同士なら
もっとハグしたり寄り添ったりと
わかりやすいだろうけれども、
どこかテリトリーをけん制し合うような
雰囲気もあるのが面白い。
はっきりとわかりやすくはないけども
空さえ見てないんじゃないかという男が
少しずつ光を見るようになったんだなと
そっと見守る映画だ。
傷をいやしていくのは時間とやはり人なのだな。
人間愛のある作品。
孤独と向き合う自分
兄の訃報の知らせで故郷の
ニューイングランドの港町に戻って来た
リー、ケイシー・アフレック
遺言を聞いて甥のパトリックの後見人となり
過去の悲劇と向き合い、乗り越えられない壁にぶつかりながら懸命に生きようとする姿がありました。
港町を囲む静かな波音、海鳥が空を飛ぶ
美しい情景、大事な人を喪失して哀しみに暮れながら、人間は完璧ではないことを
優しく諭してくれたストーリーでした。
賛否あるのは理解できるが、私は好き
全編を通じて、「風景」というか、
「情景」というべきか、空、海、街が丁寧に描かれる。
主人公であるリーの現在と、過去の回想が巧みに編み込まれながら、過去の屈託ないリーと、現在の屈折したリーを対比させていく。
リーの兄、兄の主治医、甥、義姉、元妻、兄の仕事仲間、甥のガールフレンド、、、、
多彩な登場人物たちが、いわゆる「ちょい役」に至るまで、実に丁寧に描写されている。
ゆえに、映画全体があたかもドキュメンタリーのようなリアリティを持つことになっている。
キャスティングも素晴らしい。
辛すぎる過去のあやまち
リー(ケイシー・アフレック)にとって、生まれ故郷の
マンチェスター・バイ・ザ・シー(アメリカの地名)に帰ることは、
あまりにも辛すぎる。
ボストンでアパートの修理などの便利屋をしていたリーはに、
兄ジョーの急死の知らせが届く。
駆けつけたリーは葬儀の準備に追われる中、
甥っ子のパトリック(ルーカス・ヘッジス)の後見人に、
兄がリーを指名したのを知る。
そしてマンチェスター・バイ・ザ・シーに戻ると、
「あれが例の事件のリーか?」
町の人の好奇に晒され、二度と思い出したくない
「過去の事件」と向き合うことに。
葬儀の準備が進む中、
過去の様々な映像がリーの脳裏に浮かぶ。
その事件の夜。
真っ赤に染まり燃え盛る我が家。取り残された幼い子供たち。
立ちすくむリーのシーンに、アルビニノーニの「アダージオ」が、
悲しみの火に油を注ぐように、
荘厳なパイプオルガン演奏が鳴り響く。
(リーは警察署でもっともっと厳しく処罰して欲しかっただろう・・・)
(罪に釣り合う程厳しく罰されたらどんなにか楽だったかもしれない!)
映画は甥っ子のパトリックのシーンになると、
軽めのユーモアが散見する。
二股交際の女の子や、
その女子の家では、20秒ごとに母親が現れて、
声をかけたり・・・
バンドにアイスホッケーにバスケと、
青春を謳歌するパトリック役のルーカス・ヘッジスは、
ジェシー・アイゼンバーグ似で、繊細さとやんちゃ少年ぽさが
魅力的。
パトリックはリーよりずっと世慣れて大人だが、
父親の遺体の冷凍に怯えて、
冷凍庫のチキンにパニックになったりして、
まだまだ子供。
後見人になったリー。
兄ジョーの遺した船でパトリックと過ごす時間は、
リーの苦しみも癒してくれそう。
子供を失った悲しみ。
母親役のミシェル・ウィリアムズ。
リーと会うとどうしようもなく心が乱れる。
互いに会うことが傷に塩をなすり付けるよう・・・
とても、分かる気がする。
リーの罪はたとえ妻から許されても、
消えることはないし、
自分が一番、自分を許せないのだから。
人間は過ちを犯すもの。
悲しいけれど、どんなに絶望しても、
人は生き続けなくてはならない。
パトリックと船が、少しは手助けしてくれるだろう。
悲しいけど何度も観たくなる
マンチェスターの町並みの絵がとても美しい。物悲しい音楽をバックに、オープニングから引き込まれる。ケイシー•アフレックは、辛い過去を背負った影のある役を細かい所作で見事に演じていたし(アカデミー主演男優賞も納得)ミシェル•ウィリアムズも非常によい演技を見せてくれている。
物語は淡々としたトーンで進むが、リーの家で起きた事故の回想場面から、彼がいかに重い過去を背負っているのかを視聴者は知る。その後はもうリーの葛藤や苦しさが観ている自分にものし掛かっているような感じがして、町で出くわした元妻ランディとの会話の場面で涙腺崩壊。最後パトリックとの会話でリーの「I can't beat it」でまた号泣。悲しいストーリーではあるけれど、映像、音楽、脚本、キャスト総じて素晴らしく、私にとっては何度も観たくなる映画。
過去の悲劇を抱える男の彷徨
観始めた時は、評判ほどではないな、話しにまとまりがなく退屈だなと思った。しかし、話しが進むに連れて、作為を極力表に出さない自然なストーリー展開が紡ぎ出す人間ドラマが心に染み渡ってきた。また、全編を通して、何か温かいものに包まれた雰囲気に、作り手の主人公のような悲劇に遭遇した人間に対する優しい眼差しが感じられた作品だった。
アメリカ・ボストン郊外で便利屋として働く主人公リー(ケイシー・アフレック)は、仕事は出来るが客とのトラブルが絶えなかった。彼は鬱々とした孤独と哀しみを抱えて生きていた。そんな時、兄が突然死し、兄の遺言に従い、故郷のマンチェスター・バイザシーに戻り、16歳の甥(ルーカル・ヘッシズ)の後見人をすることになる。二度と帰るまいと決意した故郷で、彼は過去の悲劇と向き合って生きていくことになる・・・。
悲劇が元で別れた妻(ミシェル・ウィリアムズ)との久々の会話シーンが秀逸である。会話を分かり易くするようなことはしない。不器用で、たどたどしい会話のなかに、互いを想う気持ちが溢れている。ケイシー・アフレック、ミシェル・ウィリアムズの演技力が光る名場面だった。
前半では、巧みに、主人公の過去と現在を往復しながら、決して善人とは言えないが、何処にでもいる子煩悩で友達が多く妻との喧嘩の絶えない彼の悲劇前の人間性が炙り出されていく。そして、そんな家族に起きた過酷な悲劇で主人公は激変し、心の傷が癒えぬまま、過去を払拭できないまま、主人公は故郷を離れ人生を彷徨していく。従来作に比べ、この彷徨の過程を淡々と丁寧に描いているのが本作の特徴であり真骨頂である。
本作は、主人公および周囲の人々の日常の出来事を描くことに徹している。作為的なことは一切しない。話をまとめることもしない。説経臭いナレーションも被せない。直向きに主人公の心情に最接近することで、我々観客に、彷徨というものの生々しさを突き付けてくる。ラスト近くで、“乗り越えられない、辛すぎる”という彷徨の渦中にある主人公の呟きは自然であり、それ故に極めてリアルである。何より、ケイシー・アフレックの鬱屈した彷徨の演技が出色である。
そんな主人公にも、甥との関係を通じて、再生とは言えないが、一筋の光が差し始めたエンディングは心温まるものであった。
派手さはないし、すごく楽しい作品でもないが、観る価値のある作品である。
can't beat it
厳しい潮流に逆らうかのように海辺の町でただひたすらもがき続ける主人公がいる。主人公の経験と哀しみは、安易に想像できない。父の死を乗り越える高校生の甥っ子との対話がある。哀しい主人公と甥の二人を乗せたボートは、ただひたすらゆっくりと海を進んでいく。鬱な主人公と彼の周りに配置された人々に流れる時間の相違が映画のリズムの肝になっていた。人々に無言の応対を続けるケイシーアフレックを見て、時に魔が差したような笑いがこみ上げる時もあった。 死の宣告をしている時に、良い病気ってなんだと医者が聞かれたり、救急隊員が救急車に担架を載せようとするとき中々入らなかったり、悲しい場面に含まれていた苦笑いを誘う細かな演出が主人公を見守る気持ちにさせてくれた。寒々しい景色が続く映画でありながら、不思議なユーモアに包まれた他人の気持ちに寄り添うとても暖かい映画だった。
芝居がひたすらに見応えのある
ケイシーアフレックの芝居がひたすらに見応えのある作品。
喪失によって形付いた、空虚というのがぴったりな表情がすごい。
喜びも目的もなくただ生きているだけの日々、それをこれでもかと言うくらいに滲ませている。
色調もどこか気怠いトーンでぴったり。
反面、音楽はとてもエレガントな音で作品を包んでいます。
淡々としているが退屈でなくむしろ目が離せない作りで、人と人の触れ合いの描かれ方がとても愛おしい。
辛さを孕んでいるが、それ以上に美しい物語でした。
少しだけ前を向いて生きていける
過去の辛い出来事にとらわれて、苦しみ続けている男が、兄の死をきっかけにその出来事がおきた街に帰ってきた。兄は誰よりも自分を理解してくれていだはずなのに、自分の子供の後見人に任命していたのだ。弟想いの兄がなぜあえて、この土地に帰らなければできない後見人に彼を選んだのか。病で先立つことを知っていた兄はきっと弟と息子のことがなによりも心配だったと思う。荒療治ではあるけれどこの方法に祈りを込めて旅立っていった。
そして、
残された2人はケンカしながら、確かな絆を築いていった。最後に乗り越えることはできないと絞り出すように語る叔父の気持ちを甥っ子も受け取ったことだろう。
最後にそう言う結論かぁとちよっと残念な気もしたけれど、逃げてきたことに向き合い、乗り越えられないというある種の意志を持つことで、彼も少しだけ前を向いて生きていくのだろう。
引っ越して、甥っ子の寝る場所を作ろうと思うようになったことが嬉しかった。
静かな映画。登場人物は行動の理屈など語らないし整理もできていない...
静かな映画。登場人物は行動の理屈など語らないし整理もできていない。現れていること、その背景、時系列も散文的だが、目が離せず見入るうちに見ている側に塊ができる。自分の人生もあわせて振り返りつつ、運不運、タイミングなどをぼーっと考える。
Amazon prime videoはもうすぐ見放題期間が終わる映画を紹介してくれる。本作はタイトルしか知らなかったが、ジャケ買い(買ってないけど)で当たった感。かなり高い社会的評価にも納得。
終始悲劇…
何かしらの悲劇を味わったことのある人は
どうしようもない過去に囚われる
つかの間笑えても心は晴れる日はない
悲しみに暮れていては生きていけないから
時間が経てば笑える日が来る
けど、気遣われる環境からは離れた方がいい
その過去を知らない世間で生きた方がいい…
アルビノーニのアダージョがかかった時は
これは…何が起きるのだろう?と見ていたが
まさかこんな悲劇が待ち受けようとは
ヘンデルのメサイアがかかった時は
苦しく映画を見ていたあたしに癒しをくれた
経験したことないので、確信は持てないが、あり得ない話。
経験したことないので、確信は持てないが、あり得ない話。
白人の中産階級が、突然訪れた不幸に翻弄され、身を滅ぼし、その後、少し、再生すると言う話。突然訪れた不幸以外、何一つ苦労することなく、自滅している。突然切れる様な性格の人物が、放置されたままで、ここまで持ち応えない思うが。彼に対する精神的ケアが確実に削られている。また、そもそも、突然切れる意味が全く理解できない。
マンチェスターって言うから、最初イギリスの話だと思っていた。白人社会の甘えを描いているのだろうか?
僕自身の経験から言って、年長の肉親(例えば、親)が死んだ事位で事態が大きく動くなんて事は無い。また、良く出来た善良な肉親ならば、こういった事態は予め予想して、対処していたと思う。余命までわかっていたのだから。だから、あり得ない話。
そもそも、刑事事件として、即刻無罪放免にはならないし、相手の女性からは民事で訴訟を受けるのが、現実だと思う。だから『便利屋やっている』なんて言う次元ではないはずだ。
自ら招いた不幸なのだから『子供が出来て良かったね』って思えないか?
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