ウィッチのレビュー・感想・評価
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潔癖主義と抑圧が生み出す“悪魔”
開拓民の村を離れ、人里離れた荒れ地で暮らす一家が、信仰にすがりつくあまり狂気に陥っていく。いろんな解釈ができるだろうが、自分にはそう受け取れた。
とにかく閉塞感漂う映像の寒々しさが凄まじく、ついアニャ・テイラー・ジョイの美貌をよりどころにしたくなるが、そんな生易しい気持ちはいともたやすく吹き飛ばされる。ほんの少しの猜疑心や悪意が、らせん状に増幅していく様が戦慄を生み、ホラーとサイコスリラーのすき間を縫うように這いまわる。
主人公家族それぞれの主観が入り乱れる作品だが、17世紀当時の裁判記録などをもとに生み出された脚本だという。裏話として監督は幻覚作用のある食物の影響を示唆しており、そんなの映画観てても気づかないよ!と思いつつ、謎解きに挑戦してみたくもなる。
また、生真面目を旨とする人が荒れ地になんか行っちゃいかんよという、いろんな局面に応用できる普遍的な教条話でもある。つくづくストイックはほどほどにした方がいい。
かつて明確に語られることが少なかった"魔女の作られ方"
16世紀のアメリカ東海岸に入植した敬虔なキリスト教信者一家の自給自足生活を活写するために、色彩を落とし、縦横が近い独特のアスペクト比を用いたビジュアルが、まず、強烈。視覚ばかりではない。子供の失踪によって一家の信仰と信頼が脆くも崩れ去っていくプロセスは、特に、長女に魔女の気配を感じ取って以降、誰も静止できないカオスとなって観客をも巻き込んでいく。宗教、歴史、ミステリー、オカルト、スプラッタ等々、あらゆる要素を孕みつつこの映画が行き着く先は、かつて明確に語られることが少なかった"魔女の作られ方"。猜疑心が家族を内側から滅ぼしていく様子は、さらに傷ましい後味を残すのだが。
中世の魔女伝説による悲劇
中世ニューイングランドの森の近くの寒々とした土地を舞台に、そこに住む敬虔なキリスト教の一家が、魔女伝説の呪いによって、血みどろの惨劇へと転落していく様を描いたダークホラー・ファンタジー。
ウイリアムとキャサリンは5人の子供と共に、イングランドを追われ、ニューイングランドの荒野に流れ着く。ある日、長女のトマシンが一番下の子供のサムをあやしている最中に、突然、サムを何者かに連れ去られてしまう。その後も、長男のケイレブもトマシンと一緒に森に入った際に、行方不明となってしまう。しばらくして、ケイレブは悪魔に乗り移られたような姿で発見されるが、結局、命を絶ってしまい、一家の心は次第に崩壊していく。
そして、両親や下の双子の妹弟は、これらの事件の原因が「トマシンが魔女である」から考え、トマシンを非難し始める。心身が追い詰められていくトマシン。そんな中で、また新たな悲劇が一家を襲い、トマシンは絶望の中に身を置くことになる。そして…。
ラストは、オカルトチ的な締めくくりだが、終始、不吉な雰囲気が一家の生活の中にまとわりつき、宗教信仰における狂気、魔女狩りの怖さ、当時の貧しい暮らしぶりの中で、家族でありながらも互いに疑心暗鬼となっていく姿が、ダークな色彩と重い雰囲気の中で映し出されていく。
この作品は、何と言ってもトマシンを演じた、若き日のアニヤ・テイラー=ジョイの演技だ。今や、個性的な美しさの女優として、『ザ・メニュー』や『ライト・ナイト・イン。ソーホー』等でもヒロインを務めている。少し目が離れているが、本作では、少女から女へと成長する過程での、真っ白な肌に、凛とした美しさを備えたアニヤの少女時代も、また魅惑的であった。
もっとロバート・エガースの映画が観たい
ロバート・エガースの初長編!まじか?ってゆうクオリティのデビュー作。
ライトハウス、ノースマンは映画館で観たのでデビュー作も観たくって鑑賞。
ノースマンのときに、時代考証が徹底しすぎてて
衣装に使う糸にまで当時使っていたとゆうこだわりぷりの話聞いてたので
そんなロバート・エガースが魔女をテーマにした映画なんて期待しかない!
だったんだけど、期待以上の怖さと面白さ。
ルックが良すぎるから、陳腐さがなくて、
怖いよ…。山羊小屋の魔女が1番怖かった。
村はずれの荒野に1つの家族のみが出てくる
コンパクトな空間が牢獄のようになっている。
当時の宗教感における魔女のイメージをその時代のリアルを目指して映画にしている感じで。
その時代のリアルと今からこの時代を観るファンタジーの間にある何かがロバート・エガースの映画の魅力だと思ってる。ノースマンもそうゆう意味でめちゃくちゃワクワクした!
1番観たかったファンタジー像なので、これからの作品
が楽しみだし、ロバート・エガースが潤沢な資金で映画作ったらすごいものが観れそうで期待してしまう。
ウィッチでダークホラー、ライトハウスで狂気のアート映画、ノースマンで北欧神話大河とジャンルが広いのも今後どんな映画が見れるのかワクワク。
そもそも、初長編でこのクオリティは凄まじい才能。
幼さがの残るアニャ・テーラジョイの美しさもこの映画の魅力だけど、映る全てがパーフェクト。魔女が誰なのか、ほんとうにいるのかいないのか?双子はどこに消えたのか?
村山章さんのレビューで当時の怪奇現象の1つに幻覚作用のある食べ物があったとゆうのも、映画の物語に作用してるとゆうのを読んで
じゃあ、あそこは幻覚なのかもしれないとか、そもそも誰がそれを口にしているのか?など緻密に作られてるからこそ考えるのが楽しい。
観客の目線からのみ主人公のトマシンは、信用できる語り手として描かれてるから
映画への没入感がある。
配信で鑑賞
宗教観や死生観を考えさせられる内容
当時の魔女裁判の記録や民間伝承などから着想を得ているそうですが、かくも盲目的な信仰は人を思考停止させ、愚かにするという事実は、現代にも通底するから怖い。医学も科学も未発達で、この世界の理がほとんど何も分かっておらず、病や飢餓で死が日常的に身近にあった時代を生きる人々にとって、神に縋るしか心を保つ術が無かったのだろう。ただよく考えたらそれは日本人にも言えるのに、キリスト教のような一神教が根付かず、魔女狩りのような陰惨な事件も起こらず、仏教や神道すら冠婚葬祭の時くらいしか意識しない日本人のニュートラルな宗教観や死生観は特殊だなあと改めて思い至りました(笑)。まあ言える事は、やはり何も考えずに、とにかく神に祈ったり許しを請うていればそのうち救ってくれるだろうという他力本願な生き方では何も上手く行かないというのは確かだろう。
それにしてもキリスト教圏の人達は今作を観て、魔女の描写など明らかに悪魔的な存在は匂わせているのに、敬虔な信者の家族を見捨てる神様ってどうよ?的な内省的批判は無いのかなと(笑)。この期に及んで信仰心が足りないとか考えるんでしょうかね?
何とも陰鬱な内容ですが、出演者さんたちの鬼気迫る演技に敬意を表して★3つで
【17世紀の英国、敬虔なキリスト教徒の一家が魔女の幻影により疑心暗鬼になって行く様を不協和音と共に描き出したダークファンタジー・ホラー作品。流石、A24である。心理的に恐ろしい作品である。】
ー ご存じの通り、今作の監督・脚本は狂気の二人の船員の姿をモノクロで描いた「ライト・ハウス」のロバート・エガースである。
冒頭の不協和音溢れるシーンで、この監督の作品ではないかと思った程、作品世界が屹立している。
更に言えば、今作は敬虔な家族たちから魔女ではないかと疑われたトマシンを演じたアニヤ・テイラー=ジョイの、実質的なデビュー作である。-
◆感想
・序盤から、敬虔なキリスト教徒であるウィリアム一家を、不可思議な出来事が次々に襲う。幼きサムはトマシンがあやしているいる最中に姿を消し、弟のケイレブは”明らかに魔女と思われる”女に誘惑され、姿を消す。
■敬虔なキリスト教徒であるウィリアム一家が犯した禁忌
1.夫、ウィリアムは罠を買うために、妻が父から引き継いだ銀のコップを妻に言わずに売り渡す。<嘘の罪>
2.トマシンの双子の娘は根拠なき噂により、姉トマシンを遊びで魔女扱いする。<虚偽の罪>
3.ケイレブは魔女の誘いに乗り、口づけを交わす。<姦淫の罪>
・故に、夫、ウィリアムは根拠なく、トマシンを魔女ではないかと疑い始め、”裸身”で戻ったケイレブはうなされながら、口から林檎を吐き命耐える。
- 林檎の意味、分かりますね。禁断の果実である。アダムとイヴね。-
・結果、トマシンは自分を魔女と思い責める母親の首に刃を突き立てるのである。
<そして、トマシンは魔女たちが裸身で踊る怪しげな宴に、自らも裸身になり参加していくのである。魔女になったという事である。
流石、A24である。実に心理的に恐ろしい作品である。
アニヤ・テイラー=ジョイを劇場で私が知ったのはシャマラン監督の「スプリット」「ミスター・ガラス」であるが、彼女が存在感を示したのは「ラスト・ナイト・イン・ソーホー」であり、「ザ・メニュー」である。
彼女は、ダークファンタジー・ホラーでその存在感を発揮している有望な若手女優であるが、更なる分野でも活躍を期待したい女優である。>
魔女誕生秘話を描く!
いや~、観ていて辛かった。そして疲れた。が正直な感想かもしれません。常に不安を感じながら鑑賞をしないといけず、一家それぞれの色濃いキャラがあまりにも不気味なのです。一番、正常で健気な長女トマシンの存在自体が一家の中で異教徒のように感じてすしまうほど。
そして一番まともで有っただろう、トマシンもある事をきっかけに何かが弾けてしまった…。
ここに、魔女が誕生したのだ!
今までの映画で魔女が誕生した理由を描いた映画なんてあったんでしょうかね!?まさに、衝撃的な映画です。
ラストシーンがまたとても印象的でありました。、初めて味わうような何とも言えない感覚で、非常に不気味だけど美しい光景を目の当たりにした感覚です。観終わった後は、重く暗いどんよりした感情しか湧いてきませんでした…。
いろんな要素がいっぱい詰まった映画
とてもいろんな要素がいっぱい詰まった映画という印象で、凄く刺激的なのですが、凄く煮えきらない。
不思議な魅力を持った、でも後味の悪い映画でした。笑
最後まで、なぜ赤ちゃんがとつぜんいなくなったのか、という疑問がつきまとう。
いろんな可能性を考えるが、どれもスッキリ当てはまらないので悩ませられる。
群れて暮らさないとやっていけない非力な人間が浮き彫りにされているが、それならば後発の「ライトハウス」の方が、よくまとまっていて説得力があるかな、と思う。
でもいろんな要素がいっぱいつまってるという点では、興味深さの宝庫みたいな映画で、悪くはなかった。
ストレートに受け入れない方が無難なホラー映画。
アメリカ建国の清教徒たちは、新大陸アメリカで怯えて生活していたのだと理解できた。この偏見が差別を生んで来たと思う。そして、今でもアメリカは怯えている。それをアナクロな表現で語っていると感じたい。
ストレートに受け入れない方が無難なホラー映画。だと思いたい。兎に角アナクロ過ぎると思う。
名作か駄作かは、商業主義を無視したホラー映画に成り下がっていると思い、駄作とする。残念ながら、僕には理解できない。
ネイティブアメリカン達が、元気よく楽しく生活していた森を、悪魔が住む森と表現して、奪い取っていった。その事実をホラーな寓話で表現するのは全く共感出来ない。
しかし、彼らが教会から波紋されたのは、原住民と商売をしたからと匂わせていたのは少し理解できた。
卓越した美学で描く少女受難の反・宗教画
十七世紀といえばもはや近代であり、中世の魔女狩りからは時代も、そして場所も新大陸だから隔たっているが、入植者の篤い信仰心に基づく現実には、いまだ魔女も悪魔も実在していただろう。
本作はそんな現実に暮らす移民一家の悲劇を、彼らの世界観のままに、つまり宗教的心性の下に描いた作品である。
宗教観の違いから入植地集落を追放された一家は、自分たちで家を建て農地を開墾して暮らしているが、貧困に押し潰されかけている。そのような孤立した一家に、悪魔と魔女は徐々に手を伸ばしてくる。
一人目は生まれて間もない乳児である。長女トマシンが「いないいないバア」をして両手で顔を覆った瞬間、そこにいた乳児は忽然として消えてしまう。乳児は森の魔女に切り刻まれて、その血を魔女が身体に塗り付ける。
二人目は長男。悲嘆にくれる母を置き、トマシンと弟の長男は食料を得るために森に出掛ける。ところが不吉な黒兎が出現すると、馬も犬も騒いでどこかに逃げ去ってしまい、トマシンは気絶、弟は行方不明になってしまう。彼はやはり森の魔女に口づけされ、やがてほとんど人事不省の状態で帰ってくるが、最後に突然起き上がって神の栄光を称える文句を唱えては死んでしまうのだ。
残る家族は五人で、トマシンと双子の弟妹の三人には魔女の疑いがかけられるが、父親が彼らを家畜小屋に閉じ込めると、悪魔と魔女はいよいよ家の中に忍び込んでくる。
閉じ込められた三人の前には魔女が現れ、双子を連れ去る。朝、それを目撃した父親は、悪魔の化身である黒山羊に角で突かれ殺されてしまう。母親もまた悪魔に魅入られてトマシンを殺そうとし、逆に殺される。
残ったのはトマシン一人。すべてを失った彼女は、黒山羊にどうすればいいかと尋ね、最後には悪魔に魂を売り渡す契約に署名させられ、本物の魔女と化してしまうのである。
悪魔や魔女の実在を前提とするホラー映画なら、悪魔たちはもっと邪悪かつ凶暴になるだろうし、一家はもっと彼らを恐れていたに違いない。
また、悪魔や魔女は人間心理の投影に過ぎないという立場の映画なら、悪魔たちは決してその姿を画面に現わさないはずだ。
しかし、この映画はそのどちらでもない。登場人物たちは悪魔や魔女が存在すると信じ、その信仰のままに魔女は姿を現すのだが、恐ろしい超自然的な魔力を揮ったりはしない。彼らは人間世界の不幸を帰責するだけの、いわば信仰の枠内の存在なのである。
魔女が実際に登場するという意味ではホラーに類似しているが、信仰の枠内でしか悪を為さないという意味ではホラーではない。これを踏まえると、本作は一種の宗教ドラマ、少女の宗教的受難劇といったほうがいい。
冒頭のシーンを除いて陽が射すことはなく、どんよりした空の下や薄暗い家や森の中、重苦しい構図と恐らくは再現に拘った十七世紀当時の様々な生活用具の中で、次々に不幸が繰り広げられる。
通してみると、どこにも新しさはないのだが、どのシーンも美しくて見惚れてしまう。とくにトマシン役のアニャ・テイラー=ジョイは青磁のような美しさで、観客を惹きつけてやまない。こうした美学にこそ、本作の価値はあると思う。監督はいわば、一枚の反・宗教画を描いたのである。
いないいないバァと、あやしてる間に本当にいなくなった赤ん坊
裁判記録などを基にして、ニューイングランドの民話にインスパイアされて練られた脚本ということだが、どう考えても残った人間はいなさそうだし、誰の証言を参考にしたのかさっぱりわからない。
トマシン(アニヤ・テイラー=ジョイ)にはすぐ下の弟ケイレブと未就学児くらいの双子ジョナスとマーシーがいる。さらに赤ん坊のサムがいるのだが、彼が神隠しにあったように行方不明となる驚愕のエピソードが発端となる。
ある意味、狂信的なキリスト教信者であった父親のウィリアム。ピルグリムファーザーズの一員としてキリスト教布教のために渡米、入植したのだが、教会と対立したために人里離れた深い森のそばで暮らし始めたのだ。しかし、トウモロコシの栽培もうまくいかず、妻キャサリンが持ってきていた銀のコップをインディアンが使っていた狩猟用罠と交換する。その仕掛けにもなかなか獲物はかからなかった・・・という状況。
赤ん坊は諦めたが、双子たちはトマシンが悪魔に魂を売ったと詰る。やがて夫婦がトマシンを奉公に出そうと考えたので、弟ケイレブが連れていかれないようにと禁断の森へと馬を連れていき、トマシンもそれに従った。ところが今度はケイレブが魔女にさらわれて、呪われるという事態に(観客のみぞ知る)。それもトマシンのせいだと親に告げ口する双子。こいつらが子供のくせにむちゃくちゃ不気味なのだ。
悪魔に魂を売ったのはどっちだ?と、親をも疑心暗鬼にさせ、家族の絆もギスギスと混乱させる悪魔。ケイレブがせっかく帰ってきたのに祈りの言葉を忘れた双子。父親もトマシンを疑うようになってくる様子も面白い。あぁ、これじゃ一家全滅だよ・・・と思わせる終盤からはトマシンの決意が必然性を帯びて、哀しく切ない姿を描いていた。それにしても、裸になって契約のサインを済ませなきゃいけない悪魔との儀式。幼い双子に字は書けなかっただろうから、全ては黒ヤギさんの仕業だったと感じた。銀のコップが戻っている描写も一瞬あったのですが、もしかしたら父親も絡んでいたのか?などと、色んな解釈が出来そうです。ただ、空中浮遊はやりすぎな気がしたし、魔女裁判に対して否定的な要素がないところが減点対象。
少女トマシン。清純そうな魅力いっぱいの彼女だが、出演作はホラーばかりというのもいい。21世紀のホラークイーンとなるか?!
不穏、不気味、不道徳と美少女
楽しんだ。
不穏、不気味、不道徳だがこれにつり合ってしまう絶世の美少女と下世話なエンタメ精神が上手く機能した。
手本と思しきシャイニングの軽妙さから逸れる重くて野暮なラストは好かぬが。
同監督の公開中某作は美少女とエンタメ精神が無いから格段につまらない。
『ライトハウス』の予習のつもり
もちろんモロなシーンはないが、中々にエグ味のある映画だった。もともと火種は抱えていたといえるが、どんどんぶっ壊れていく家族、そして始まる家庭内魔女狩り。いたたまれない。好きな役者がSNSでの不用意な発言で炎上するのを傍観しているのは、こんな感じ? あれ、なんか色々考えてたら、結構な傑作の気がしてきたが。
日本人ですから宗教的なことや悪魔や魔女を怖がる感覚がよくわかりません。
悪魔は、悪は、悪意は、いつでもどこにでもある。
妄信と家族崩壊
『ライトハウス』公開記念リバイバル上映にて鑑賞。
これが初監督とは思えない仕上がりで、数多くの賞を取ったというのも納得。ただ、キリスト教徒じゃないと、ほんとの意味で恐さは感じないんじゃないかな。自分なんか悪魔に対する恐怖がほとんどないもの。
敬虔な、もとい妄信的なキリスト教徒の一家が、村を指導する教会に逆らってしまい、村はずれでの生活を余儀なくされる。一家の長であるウィリアムは、不幸な事が起きるたびに、信心が足りない事に置き換えてしまう。
徐々に家族が崩壊していく様子が、家族それぞれを起点として描かれているので、精神的にきつい。特に双子とトマシンの関係性がそう。結局は悪魔は、人間の心に潜んでいると言うことかな。
ケイレブは、思春期を迎える男の子らしく、トマシンの胸の膨らみを意識してしまうが、このシーンが後になって悲劇を加速させる要素になっている。こういった、巧みなシナリオが随所に見られるのだが、そんなに怖くないことがこの作品の欠点かな。これで身震いするくらいの恐怖があったら、大傑作なんだけど。
魔女は存在する?
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村を追い出された敬虔なキリスト教一家の末っ子赤ちゃんが行方不明になったことから魔女をめぐって揺れ動く家族の話。
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魔女は実際にいなくても、魔女や悪魔というものを知っていれば人はいないものを憶測や想像で作り出してしまえて、そういう意味で私は魔女は存在していると思う。
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でも想像で魔女を作り出した時、その時はその人がもう魔女なり悪魔になっている。なのでわりとこの映画のラストには納得。
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結構いろんな宗教的モチーフが散りばめられてそう。
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不気味な映画だ・・・
親が敬虔すぎるが故に信じてもらえなかったのかなあ、魔女だ悪魔だと冗談で言うだけで、両親共に本気にしてしまって。 冗談も通じない家族なのか、敬虔な信者にそういう冗談自体言っちゃいけないのか・・・娘より神を信じてどうするんだ・・・弟のケイレブだけはいつも味方だったけど、ひどい目にあっちゃって。 赤ちゃんが連れ去られて魔女がすぐに出てくるとは思いませんでした、一体何の仕業なのかわからないまま物語が進み最後にわかるのかと勝手に想像しちゃってました(笑)
家庭崩壊
頼りにならないダメ親父、ヒステリックな奥さん、クソ生意気なタチの悪い双子、ギョロ目のうさぎ。
魔女は全裸で焚き火を囲む、あるあるシーン!?
不確かな存在、神や罪に恐れ、ソレを不遇な状況の理由にしているようで、悪魔と契約したらギターが巧くなる十字路しか知らない!?
ジワジワと進む物語に興味の持続力は保たれ、魔女だったのか?魔女になってしまったのか?悪魔が存在していたのか?
彼女の最後は、ハッピーエンド!??
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