ヒトラーの忘れもののレビュー・感想・評価
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主人公は軍曹
舞台は第二次世界大戦後のデンマーク。ドイツ軍が浜辺に埋めた地雷をドイツ少年兵に除去させる話である。
主人公は少年兵たちのように見えるが、ドイツ軍の侵略を受けた被害者であり、捕虜を扱う加害者でもある軍曹が最も味のあるキャラクターだった。
ナチスに対する憎しみや、少年兵に対する情を持ちつつ、軍人として命令に従わないといけないという1番戦争に翻弄されている人間らしい役どころだ。
地雷を除去する話なので常に地雷が爆発するのでは、という不安感が映画に緊張感を持たせてくれる。
戦争映画なので全編を通して暗く、グロテスクなシーンや暴力的なシーンもあるので楽しい気分になる映画ではない。
ヒトラーの忘れもの(地雷)が戦争というもの自体の理不尽さを象徴してるように感じた映画で、観てよかったと思える作品だった。
目をそらしてはいけないこと
反戦映画。
重たい。やり切れない悲しい気持ち。怖い。
こんな歴史があったんですね。
いろいろ考えさせられました。
自分が軍曹だったら…
自分が少年兵だったら…
ラストは…映画やな…思いました。
(ホッと一安心やけど…その後…想像したら…複雑やわ…)
観て良かったです。
こんな映画を作れるなんて凄いですね!
戦争は絶対にやってはいけない!
残酷・・
ナチス・ドイツの少年兵が戦争の後に海岸に埋まった地雷を撤去する物語。地雷で少年兵が爆死したときは残酷だと感じた。命令した大人のフランス兵が少年兵たちをかばった場面はジーンとした・・2016年の作品。
ラストが秀逸
砂に埋まった無数の地雷を
一つ一つ手で除去して行く少年兵たち
彼らはまだ子どもであり、
夢があり、腹が減り、
よく遊び、よく眠る歳なのだ
ひとり、またひとりと命を落とす彼らに
感情移入しすぎて終始辛い映画だった
映画のキーパーソンは軍曹
どちらも人であり、国民であり、感情があるんだなぁ、と感じた。彼は誰かの親だったのかもしれない。戦争は彼から何か大切なものを奪ったのかもしれない
双子の兄が死んだとき「兄を許してください、わかってやってください」「ドイツで左官をします、ドイツは今瓦礫だけなんです」と虚ろな目で軍曹に伝えるシーンが印象的だった。優しく撫でる軍曹の後ろ姿が寂しくも美しい。どちらも失ったものが大きすぎる両国のどちらにも寄らない映画での描き方が心にしみる。
物語の冒頭も印象的
原題の言葉が突き刺さる
based on true story いつ爆発するかわからない。...
based on true story
いつ爆発するかわからない。
画面から目を離すと爆発する。
ヒリヒリしながら見なければならない。
少年兵の輝いた目と軍曹の切ない目が訴える。
一点挙げると邦題が変。
僕たちが憎いから爆死しようが餓死しようが関係ないと?
映画「ヒトラーの忘れもの」
(マーチン・ピータ・サンフリト監督)から。
タイトルの意味は、冒頭にサラッと説明される。
「ドイツによる5年間の占領が終わった。
ナチスが西海岸に埋めた地雷は220万になる」
デンマークの海岸沿いに残された無数の地雷こそ、
「ヒトラーの忘れもの」なんだとよくわかる。
その地雷撤去を、敗戦国ドイツ軍の少年兵に強制していた、
その史実も驚いたが、もっと驚いたことは
作品の製作国が「デンマーク・ドイツ合作」だったこと。
第2次世界大戦直後、それほど憎みあっていた両国が、
どちらかの国を美化するのではなく、しっかりと現実を見つめ、
自分の母国がしたことへの反省と、責任を感じて作った、
そんな気がしてならない。
心に刺さる台詞の中から、いつ地雷に吹き飛ばされるか分からない、
食べ物も満足に与えられず、腐ったものを食べて嘔吐下痢を繰り返す、
そんな極限状態で、ドイツ少年兵が、デンマークの人たちに叫んだ、
言葉を選ぶことにした。
「僕たちが憎いから爆死しようが餓死しようが関係ないと?」
人間って、どこまで冷酷になれるんだ・・と怒りが込みあげたが、
それを救ってくれたのが、ホッとして涙腺が緩んだラストシーン。
ハッピーエンドとは言えないけれど、それでも温かい気持ちになった。
日本もこういった映画を作るべきかもなぁ。
タイトルなし
ドイツとデンマークの歴史において残酷な側面を浮き彫りにした 史実を基に描かれたもの
ナチスドイツ降伏後のデンマークで地雷除去にドイツ少年兵が駆り出された
その事実はどの歴史書にも書かれていないそうです
今まで悪の象徴として観てきたナチスドイツ
違う視点から捉える映画を観る機会も増えてきました
少年兵となる前の子供たちがどんな子だったのか…これも善悪はわからない
『怪物を倒そうとして自分が怪物にはなってはいけない』
ローランムラ演じる軍曹の人間らしさに救われたが
考えさせられる一本
邦題があんまりだよ…
【観た:ヒトラーの忘れもの】原題「Land of mine」こっちの方がずっといい 良作 大げさな表現はなく悲惨な状況を淡々とかつ緊張感に満ちたドラマに仕上げている ラストの切り方も良い 劇場で観たら泣いてたと思う
デンマーク人が嫌いになりそう
元ナチス隊員というだけで地雷除去をやらされる少年兵が可哀想だった。 現代の感覚で言えば深刻な人権侵害であり児童虐待であり捕虜虐待であるが、当時としてはナチス隊員に対しては人権意識など感じる余地もなかったのだろう。ナチスが非道な行動を行ったのは事実だが、デンマーク人も決して正義ではなくむしろ鬼畜に堕ちてしまっていた。見る価値のある映画です。個人的に農家の小さな女の子が可愛かった
善と悪の狭間
「ヒットラーの忘れもの」とは?映画を観てよく理解でき、この邦題は素晴らしいですね。
戦後2000名ものドイツの少年兵がデンマークの捕虜として地雷撤去に駆り出されて居たなんて!こんな事実があっんですね、まずは驚きました。
そしてよくぞこの題材を映画にしてくれましたと頭が下がります。
デンマーク人の軍曹は捕虜として又憎むべきヒットラー率いるドイツ軍の兵士としての扱いを当然として行っていた。
しかしその少年兵達と接している内にふと疑問を感じたのでしよう、こんな若い少年達の命をこんな事で奪っていいのかと。
まずは食べ物を子供達の所へ持っていく(放り投げたけどね)
浜辺でサッカーをしている軍曹と子供達、逃げだせないように大きな木の板を外した時ホッとして緊張がほぐれました。良かったと安堵しましたが、愛犬が地雷で死んだ時、また冷酷な軍曹に逆戻りする。人って間で生きているのだなーと思いましたよ。
地雷撤去が終わり14人いたのに、4人しか残らなかった少年兵を軍曹が救い「国へ走っていけ」言うと後ろを振り返りつつ走っていく少年達は何を思っていたのでしょう。
一刻も早くドイツに帰り国を建て直すと言っていた事を実行すると信じます。こんな過酷な体験と人の善意を知ったのだから。
双子の兄が地雷で死んだ後、弟は錯乱し、軍曹に兄を嫌わないでと懇願するでしょ。その弟が少女を助け、自ら地雷を踏み亡くなるところ切なくて泣けました。
「ソフィの選択」や「サラの鍵」など悲劇的な結末で衝撃を受けましたが、この忘れ物の最後をこのかたちにしたのも、きっと意味があるのでしょう。
軍曹の行為は深い感慨とは思えませんが、それに軍曹のその後は?少年兵が無事に祖国の地に着けるかとか、不安は数々あるけれどこれはこれで良かったと思います。
その前にこんな事実を私は深く受け止めましたから。
デンマーク、ドイツ、サイドを変えてみると善悪の曖昧さ、真実も歪んで見えたりする。
それを映画を観た者が考え見抜いて!と言っているような気がします。
地雷と少年兵
舞台は第二次世界大戦終戦後のデンマーク
ナチス軍が残していった地雷の撤去作業を強いられたドイツ人少年兵士と
作業を監督するデンマーク人軍曹を描いた史実に基づく作品
この映画、当初はタイトルが 地雷と少年兵 だったそうな
ヒトラーの忘れ物とはなんとも詩的なタイトルに変わったもんだ
戦争映画=ナチスだヒトラーだ、って方程式に基づいて名付けられたのかな
そしてそもそもの原題は Land of Mine
ナチスに汚されたデンマーク人にとっての「自分の土地」であり
後処理をさせられる少年兵にとっては「地雷源」
どっちにも取ることができるし、映画自体ドイツ、デンマーク、どちらの視点で観るかによって受け止め方が変わる作品かと思う
冒頭で「俺の国から出て行け」と罵る鬼軍曹の、少年兵との心の交流で良心の呵責に苛まれていく姿は美しいものであったし
同じくナチス政権下を描いた「善き人のためのソナタ」を思い出すものだった
考えれば考えるほど奥深い
あらすじから考えると単純なのだが、なんと表現してよいのか、受けた感想はなかなか消化できない感じが残る。でも、いろいろと考えさせられる、観てよかったと思えた。
原題は"Under Sandet"。これは単純に地雷の場所を示しているだけではなく、砂を心に読み替えて、表面から一つ入ったところの心をも示してもいるにだろう。邦題のセンス、どうにかならんのかなぁ〜。第二次世界大戦のドイツというと、なんでもかんでも直ぐにヒトラーと決めてしまう....。
少年達がかわいそう。戦争が終わった後命をかけた任務を命令されるのは...
少年達がかわいそう。戦争が終わった後命をかけた任務を命令されるのは捕虜虐待に近い。日本人もシベリアで辛酸を舐めたがやりきれない。軍曹の最後の決断に拍手。
タイトルはこのままでいい
タイトル批判があるが、私はこのままでいいと思う。
地雷の国だの土地だの、地雷と少年兵だのというタイトルだったら、多くの人がこの映画の存在にすら気が付かないで通り過ぎてしまう。
ヒトラーだから人はこの作品を観る。
その名が犯した罪を知るから。
ラストシーンも賛否あるが、私は観る人の心情次第で解釈が変わる良いシーンだと思う。
アレで母国ドイツに帰りハッピーエンドだと信じたい人、国境警備に捕らえられてしまったと考える人。
私は、軍曹の人間らしさを二通り感じた。
何とか救い出してあげたい、母国に返してあげたいという善の気持ち、優しさ。
そして、自分が今後、罪悪感を持って生きることから逃れたい気持ち、よわさ。
そのどちらも間違いではない、人の気持ち。
後者のような脆さ、弱さがあるから肝心なときに人はノーと言えず、ホロコーストを招いてしまった。
間違いではないかと疑問を抱いた人がきっといたのに、誰も声を上げず従い、無感情にあんな歴史を作ってしまったのです。
そんな弱さをどこかに訴える意味も込めてラストシーンはあると、私は感じました。
美しい景色と、少年達の絶望が、残酷なほど見事なコントラストを生み出し、メッセージ以外にも、映像としてもとても素晴らしい作品です。
最後にどうでも良いことですが、ラスムスン軍曹とセバスチャン、イケメンだった…
強い反戦映画
原題:「UNDER SANDET」(砂浜の下)(UNDER THE SAND)
英題:「LAND OF MINE」(地雷の土地)
邦題:「ヒットラーの忘れ物」
デンマーク、ドイツ合作映画
背景
デンマークは現在でもマルグレーデ2世女王が国家元首の立憲君主国家だが、彼女の祖父クリスチャン10世国王の頃、第2次世界大戦では隣国、ナチスドイツに突然先制布告され、戦わずして降伏し、ドイツ軍に侵略された。デンマーク人の中には、志願してドイツ軍に加わる人もいたが、反ナチ活動家となって、レジスタンスの場を提供する者も多かった。駐米大使ヘンリス カウフマンの働きで連合国に接近し、土地をドイツに侵略されながらも連合国扱いされた。
戦争末期、ヨーロッパ戦線の連合軍はフランス、ノルマンデイー上陸を果たし、ドイツ軍を敗退させる。ドイツ軍はノルマンデイーではなく、輸送路が一番短いフランスのカレから、連合軍が侵攻すると考えていた。また同時に、デンマークの西北部の海岸から連合軍が侵攻することも考えていて、阻止するために大量の地雷で、西海岸埋めつくした。
1945年5月、終戦とともにデンマークに進駐していたドイツ軍兵士は捕虜となる。対戦国どうしの捕虜の扱いについては、国際条約ハーグ陸戦条約の規定があるが、ドイツ、デンマーク間は、交戦国ではないため、捕虜虐待禁止や、捕虜の強制労働禁止などの捕虜の扱いに特定の取り決めはなかった。ドイツ軍捕虜たちはデンマーク軍に引き渡され、200万個のドイツ軍が埋めた西海岸の地雷を除去する作業を強制された。従事した捕虜の多くは、戦争末期に非常徴集させられた兵役年齢に達していないテイーンエイジャーだった。
デンマーク人映画監督のマーチン サンドフリットは、地雷撤去に関心があって調べている内に、西海岸に大量のドイツ軍兵士の墓を見つける。どうしてデンマークの海岸沿いで終戦後なのに沢山のドイツ兵が死亡しているのか。調査の結果彼はドイツ軍が埋めた地雷を撤去するためにドイツ軍捕虜が使われた事実を知って、今まで語られることのなかった隠れた歴史を映画にしようと思い至ったという。
映画は、捕虜となったドイツ兵たちが行進してくる。その姿を見て怒りで鼻息荒くなった、ラスムサン軍曹の荒い呼吸音から始まる。
ストーリーは
ラスムサン軍曹は自分の国を侵略していたドイツ軍への怒りを抑えることができない。行進してくる捕虜の中にドイツ国旗を持っている兵を見つけると、飛んでいってぶちのめす。捕虜虐待とか、捕虜の人権とか言ってる場合じゃない。憎きドイツ兵をみて怒り心頭、絶対許せない。彼は12人の捕虜を任された。捕虜たちは、地雷を撤去する作業について訓練を受けた。この12人を生かそうが、殺そうがラスムッセン軍曹次第。3か月で砂浜に埋まった45000個の地雷を撤去してもらおうじゃないか。もともとドイツ兵が埋めた地雷、素手で掘り返して自分の国に持って帰ってくれ。
12人の少年たちは、列を作って砂浜で腹這いになって、棒で砂をつつく。棒に何か当たれば掘り返し、地雷を砂からかき出して信管を抜く。彼らは砂浜での作業以外は、鍵つきの小屋に閉じ込められて、食糧を与えられていない。たまりかねて捕虜の中でリーダー格のセバスチャンが、ラスムサン軍曹に食糧の配給を懇願する。砂浜は、僕たち餓死者で埋まってしまうだろう と。地雷が爆発して、一人の少年の両腕が飛んだ末、死亡した。
軍曹は、少年たちに食糧を配給する。それを見て、エベ大尉は批判的だ。どうして敵に少ない食料を分けなければならないのか。
二人目の被害者が爆破して死んだ。少年たちは空腹に耐えかねて、小屋を抜け出して農家から盗み出したネズミ捕りを知らずに食べ物と思って食べた。軍曹は食べた少年たちに海水を飲ませ、吐しゃさせて救命する。
3人目の被害者は双子の兄だった。弟は錯乱状態になって兄を探そうとする。軍曹は彼にモルヒネを打って鎮まらせ、眠るまで一緒についていてやる。鬼軍曹にも、徐々に少年たちへの優しい感情が芽生えてきている。
基地に出向いたときに、他の隊員達がドイツ兵捕虜に暴力をふるい土下座させたうえ放尿して面白がっている姿をみて、軍曹は虐められている二人の少年を貰い受けてくる。そして今の仕事が終われば国に帰れると、少年たちに約束する。
しかしラスマセン軍曹の大切にしていた唯一の友だった犬が、地雷撤去したはずの浜辺で、地雷を踏んで死んだ。一度は少年たちの父親の様に接し始めていた鬼軍曹は再び態度を硬化する。
そんな矢先、ジープの荷台に集めた数百の地雷を積み込んでいる最中、地雷が大爆発を起こして砂浜にいた4人を除いて全員が死亡する。爆発は強力で、車の残骸さえ残らなかった。残った4人は任務を完了する。終了後は放免されることを約束されていた捕虜たちだったが、地雷除去の熟練者を、軍は放免しない。ラスマセン軍曹の居ないうちに、エベ大尉らは4人の少年を別の地雷撤去の現場に連れ去ってしまう。セバスチャンら4人の捕虜たちは、約束された放免の日のために希望をつないで生きてきたが、ラスマセン軍曹に裏切られたと思い絶望する。
4人は作業の途中で呼ばれて、フードのかかったトラックに乗せられる。どこに行くのか、長いドライブのあとで外に出るように命令された少年たちは、希望を失い仮面のようになった顔で外に出ると、そこに立っていたのはラスマセン軍曹だった。500メートル先はドイツ領だ。走れ、立ち去れ。さっさと帰れ、、、。半信半疑の4人の少年たちは、軍曹の姿を振り返り、振り返りしながら走り去った。
というお話。
鼻息荒く怒っているラスマセン軍曹の顔で始まり、彼の満身の笑顔で映画が終わる。
国境にはデンマーク軍が居るだろう。4人の少年たちが無事に故国に帰れるかどうか疑わしい。軍規に逆らったラスマセン軍曹に待っているのは軍法会議か、厳しい罰則か、全くわからない。映画を観ているものとしては、すべて戦争直後のどさくさの紛れて、なんとかみんな生き延びて欲しいと、切ない希望を託すことができるだけだ。
強力な反戦映画。
砂浜が美しい。地雷撤去したあとの砂浜をはしゃいで走り回る少年たちの姿が、空を舞う天使たちのように美しい。
200万個の地雷。それを撤去するために従事させられた2000人の捕虜たちの映画。まだ兵役年齢に達していない戦争末期に徴発された、貧弱な体をもって腹をすかせた少年たちの姿が哀しい。
ラスマサン軍曹の犬がすごく良い。賢いボーダーコリー。ジープに乗る時も、歩くときもこの犬はいつも軍曹と一緒だ。軍曹が休んでいるとき、犬は幸せそうに全身の重さを軍曹にもたせかけている。演技とは思えない。
ラスマセン軍曹の表情の変化が甚だしい。怒りをたぎらせる鬼軍曹が、少年たちの仲間をかばい合う姿や、いつか家に帰れるという希望を失わず与えられた仕事に励む姿をみて、徐々に硬い表情が緩んでいく。彼とセバスチャンとの会話シーンなど、本当の父と息子のような空気が醸し出されていて、胸を打つ。双子の兄を失った後のエミールが哀しい。兄のオスカーは爆発で肉片さえも吹き飛ばされて何も残らなかった。兄を探して早く見つけ出して家に帰り、父親を助けてレンガを積む仕事をするんだ、と話すのを聞いてエミールが寝付くまで横について居る軍曹の限りなく優しい目。
人間はどんなに憎しみを持っていても、いつまでも鬼ではいられない。ともに飯を食い、同じ空気を呼吸し、同じ光景を見ていれば、人は人を赦すことができる。人は赦す心なしに生きることはできない。
しかし、兵器産業は武器を作り続ける。武器を売るために戦争を作り出している。
地雷ひとつ作るための経費:3ドル
地雷一つ撤去するために必要な経費:200-1000ドル
それでも毎日毎日地雷を作り続ける兵器産業。
米国、ロシア、中国は対人地雷全面禁止条約に署名しようとしない。
カンボジアには米軍が落した600万個の地雷がある。ラオスには、ホーチミンルート補給線をつぶすために米軍が200万トン、8000万発の爆弾を投下し、その30%が不発弾だったため、沢山の地雷撤去ボランテイア組織の活躍にもかかわらず、いまも人々が死んでいる。べtナム戦争は1975年に終了などしていないのだ。
どんな戦争もあってはならないし、起こってはならない。
良い反戦映画は、いつも私達に、自分はどう生きるのかを問いかけてくれる。
最後に「ヒットラーの忘れ物」というタイトルは変。原題はデンマーク語だが、直訳すると「砂の下」、英語の題名は「LAND OF MINE」で「地雷の土地」。どうしてこのまま直訳をタイトルにしなかったのか。忘れ物という言葉は、なにか、間の抜けた「母さん、忘れものだよー。」とか、母親が子供に「忘れ物ない?」と登校前の子に怖い顔で問い質すときなどに常用される言葉で、すぐれた映画のタイトルに合わない。
これまでにも、珍妙なタイトルが多くて、それごとにしつこく文句を言ってきたが、ブログに映画評を書いたので、思い出すだけでもいくつもの映画の例がある。
1)「優しい本泥棒」:「BOOK THIEF」という映画なので、本泥棒で良い。優しい がついて、やさしくて容易いのは泥棒だと言っているのか、泥棒が本だけ持って行ったから優しいのか、本泥棒はみんな優しい人なのか、、、理解不能。ナチによる出版弾圧、思想弾圧、梵書を描いたすぐれた反戦映画なので変なタイトルをつけないで下さい。
2)「ミケランジェロプロジェクト」:「MONUMENT MEN」モニュメント マンと呼ばれた人々が欧米では良く知られていて、ナチが奪った芸術品を取り戻した話なので、そのままのタイトルで良い。ミケランジェロプロジェクトという新語はないし、通じない。
3)「それでも夜が明ける」:「12YEARS SLAVE」苦しくても、夜が明けてハッピーエンドになると、初めからわかっている映画など人は見たくない。12年間奴隷にされた理不尽な人の、本当の話なので、はじめから結果がわかるようなタイトルはつけないで欲しい。
4)「戦禍に光を求めて」:「WATER DIVINER」ウォーターデヴァイナーという水脈を探し出す人で、この言葉は砂漠や荒れ地に住む人しか知らないかもしれないけど、激戦地トルコのガリポリを題材にした反戦映画。大好きな映画なので、奇妙な題をつけられて悲しい。戦禍に光なんかない。
映画の翻訳者には、どんな権限があるのだろう。映画の内容に合わない奇妙な邦題をつけるのは、止めて欲しい。映画監督に失礼ではないか。タイトルまで含めて監督は映画を作る。勝手に翻訳者のセンスでタイトルを「翻訳」してしまって良いのだろうか。これって芸術破壊ではないか。
「ヒットラーの忘れもの」タイトルは悪いが、映画は素晴らしい。見る価値がある。
戦勝国と敗戦国の違い
どう受け止めれば良いのか迷う作品 戦争に勝った立場、負けた立場どちらに視点を置けば良いのか?!
アウシュビッツでの惨状は有名で映画やドラマでさんざん観てきた。
この映画の主人公はまだ幼いドイツの少年兵、デンマーク?の一般市民も出てくる女、子供はどの戦争に置いても被害者と言う事を伝えたかったのか?監督は?
ひとつ気になったのは鬼軍曹の心の変化が急激過ぎると思う点時間の制約も有るだろうが徐々にとかではなく急過ぎる
最後のオチはある程度想像は出来た。
全115件中、41~60件目を表示