エレファント・ソング

劇場公開日:

エレファント・ソング

解説

「Mommy マミー」「トム・アット・ザ・ファーム」などの監督作で注目を集めるカナダの若き俊英グザビエ・ドランが俳優として主演し、精神科病棟で繰り広げられる心理劇を描いたサスペンスドラマ。ある日、精神科医が失踪し、患者のマイケルという青年だけが手がかりを知っていた。院長のグリーンはマイケルから事情を聞こうとするが、マイケルは巧みな話術でグリーンを罠に取り込み、翻弄していく。共演は「スター・トレック」のブルース・グリーンウッド、「カポーティ」のキャサリン・キーナー。

2014年製作/100分/カナダ
原題:Elephant Song
配給:アップリンク
劇場公開日:2015年6月6日

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(C)Sebastien Raymond

映画レビュー

4.0「不在」であることが存在を主張する

2024年3月17日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

ある精神病院の患者であるマイケルと、精神病院の院長であるグリーン。二人の意思と駆け引きが重厚な今作はサスペンスに富みつつ、「愛」をめぐる苦しみと救済の映画でもある。

まず、導入部が良い。病院の経営者がグリーン院長と面談する導入は「全てが終わった後」という時間軸だ。
「マイケルを担当していた医師が失踪した」という事件と、「その後さらに病院で起こった出来事の顛末」を聞き取るシーンで、既に二つも謎が提示される仕掛け。
時間を行ったり来たりしながら、謎に迫るこの仕掛けが、ラストまで来るとまた違う意味を持つ。

さらに色調が良い。全体が薄い緑色に染まったような病院の雰囲気。ナースのカーディガンも緑、グリーン院長のカップも緑、そもそも院長は名前も「グリーン」。そんな緑色の世界でマイケルのジャケットは赤みがかって目を引く。
コントラストがマイケルを際立たせ、不穏さをまとわせながらも美しく引き込まれる。

冒頭に書いた「愛」をめぐる苦悩もまた、「愛されたい」のに「愛されない」マイケルと、「愛していた」のに「愛すべき相手を失った」グリーン院長の対比になっている。

二人の「愛」に対する現在の状況も対比だ。
マイケルは精神病院の問題児だが確かに「愛されている」。ただし、それはマイケルの求める形ではない。マイケルの望む形がどういうものなのかは明示されないが、マイケル自身は「自分の求める愛の形」が病院では叶わないことに絶望してしまったのだと思う。
退院か死か。飄々として見えるマイケルだが、その渇望は既に限界を迎えつつあった。

一方のグリーン院長は「愛されること」を重荷に感じている。彼の愛を必要としているオリビアがいるのに、グリーン院長は彼女に向き合おうとしない。
クリスマス休暇を病院で過ごすことに安堵しているようなグリーン院長の態度に対抗するため、オリビアは職場に電話をかけたり、暖房の修理を頼んだり、果ては病院にまで訪ねて来るのである。
側にいて欲しいオリビアから逃げるグリーン院長。彼が逃げたかったのは、愛すべき相手を失ってしまう苦痛だ。

注意深く幾重にも強調されるマイケルとグリーン院長の二項対立。その対立が映画が進んでいく過程で絡まりあい、マイケルが言うように「心が通じあって」くるのだ。
表面的にはとても通じあっているようには見えないのに、確かにそう感じる。
狭い部屋の中で、マイケルはくるくると部屋をかき混ぜるように移動し、グリーン院長の心もかき混ぜようとする。

真なる目的のために、グリーン院長を翻弄するマイケル。マイケルが目的を遂げた時、図らずも「心が通じあって」いたグリーン院長にも変化が訪れる。そしてそれはマイケルの求めた「愛」を再び手にする道を切り拓いた。
親から与えられる無償の愛。運命の相手と育む至高の愛。マイケルが渇望し、グリーン院長の手のひらからこぼれてしまったもの。
表面的になぞると大したことない話のように思えるのに、幾重にも重ねられた演出と俳優の演技がシンプルなストーリーにダイナミックな感情の振り幅をプラスしている。
「愛し愛されること」を「愛」という核心をあえて「不在」にすることで際立たせる手法はお見事としか言い様がない。
チョコレートの箱に空のスペースがあることで、むしろそこに入っていたはずのチョコレートが目立つように。

心理サスペンスとしても見応えがあるが、ヒューマンドラマとしても一押しの美しい映画だ。

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つとみ

3.5【“只、僕の話を聞いて欲しかった・・。”幼き頃に母が目前で自死した青年の心の闇と再生を求む姿を天才、グザヴィエ・ドランが演じた作品。】

2023年10月8日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

悲しい

知的

幸せ

■美しい青年・マイケル(グザヴィエ・ドラン)は、14歳の時にオペラ歌手の母が目の前で自殺し、それから現在まで精神病院に入院している。
 ある日、彼の担当医ローレンスが失踪した。
 院長のグリーンは、マイケルに事情を聞こうとする。
 だが、彼は話をする代わりに条件をつける。

◆感想

・美しい青年・マイケルの精神病患者を装って、精神病院で暮らす姿はどう見ても精神病患者ではない。彼はそれを装っているのである、
 但し、彼は自身の母が実の前で自死した事による大きなるトラウマを抱えている。

・彼は主治医のローレンスとの性的関係を匂わせ、事実ローレンスは病院からいなくなる。
ー この辺りは真相を知ると、”思わせぶりだな”と思うのであるが、それを補うグザヴィエ・ドランの新たなる担当医、グリーンへの挑発まがいの行動、言動を観てチャラにする。
  グザヴィエ・ドランは若くして製作した諸作品でカンヌで異例の若さで幾つかの賞を受賞している。
 だが、今作を観てもこの方の演技力は凄いと思う。
 天は二物を与えるのである。-

<彼が最後に禁断の実の入ったチョコを口にし、絶命するシーン。
 元々、彼は母を失った時点で、生きる気はなかったのであろう。
 スッキリした気分には成れないが、今作は俳優としてのグザヴィエ・ドランを堪能できる作品である。>

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NOBU

4.0喪失という体験を抱えた先にあるもの

2023年9月19日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD
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おたけ

3.5誰が殺した クックロビン byマザーグース

2023年6月25日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

知的

難しい

誰が誰を殺したんだろう?身体的に、精神的に…、魂を…。
身体レベルで考えれば、それは明らかである。
けれど、その明らかな事実とは別の、目に見えない真実を探したく?別の物語を紡ぎたくなる。そんな結末。

愛、それは尊いもの。得たと思ったらすぐにこの手から離れていくような感覚。
存在、それも大切なもの。でもどうしたらそれを確かめられるのか。
確実・絶対なんてものはない。けれど、そういう世界は生きにくい。
どこかで、信頼できて頼れるものの存在を感じていたい。触れなくとも感じられ信じられる人。触れていなくては、否、触れていても信じたいのに信じられない人。渇望。絶望。
見終わって、そんな想いに心臓がわしづかみにされる。
涙なんかではない。心が痛い。最期の幸せそうな場面にほっとすると同時に、心が悲鳴をあげそうになる。

☆彡  ☆彡  ☆彡

戯曲の映画化とな。舞台は面白そうだな。
でも映画は感想が複雑。変に凝った為に、焦点がぼやけてしまったように思える。それともサスペンスタッチ、心理戦の攻防をうたった宣伝のせい?
鑑賞後の余韻は、まったく別のものだった。

一人の精神科医が失踪した。事件?最後に診察した患者が何か知っている?と言う出だしで始まる。その真相を巡る駆け引き(という宣伝)。
 確かに、尋問(精神科医は尋問とは考えていないけど)は、翻弄される。知りたい答えははぐらかされ続ける。そこは面白い。自分の存在感に確信が持ていないマイケルの危うさ・脆さを醸し出すドラン氏の演技には魅了される。院長の感性の鈍さ、エゴイストなのに善人ぶっているそんな演技も秀逸。(「私は先入観なしに患者と面談し、理解できる」という、”人間性”の優しさという仮面を被った傲慢。いるんだな、こういう精神科医や自称カウンセラー。そして、患者もマイケルの如く、「先入観なしに私を観て」と熱望してくる人、いるんだな)
 なのだが、「主治医が昨夜から戻っていない、最後に会ったのはマイケル。何か事件が起こったに違いない」と思わせるだけの、狂気・危うさが感じられない。ドラン氏ファンには大変申し訳ないが、デハーン氏や『ギルバート・クレイブ』の頃のディカプリオ氏が演じていたら、もっとぞくぞくする映画になっていたんじゃないかなんて思ってしまう。つい、勝手に脳内変換してしまう。
 そして、診察室を訪れる方々。舞台劇だといいインパクトになるのだろうが、この映画で必要だったのだろうか。院長の心の変化が主題だとすると、家族背景とかの描写は必要だけどね。そうすると主演はドラン氏じゃない。
 ドラン氏を主演として見て、マイケルの家族や成育歴の描写も出てきたけど、中途半端。エレファント。映画の中でも直接的・隠喩的表現が散りばめられていたけれど。たんにモザイク・万華鏡のようで、底が浅くなってしまっていてつまらない。もっと丁寧に作り込んで欲しかった。
 「ドラン氏が、マイケルを演じることを熱望した」という宣伝そのものが、映画を理解するためのミスリード?
 また「あえて時代を1960年代に移した。監禁もあった時代だからね」ってパンフレットにあったけれど、監禁が許された時代に、患者から精神科医を告発なんてできた?
 という矛盾が幾つも出てきて…。
 宣伝のせいなのか?脚本のせいなのか?演出のせいなのか?設定そのものにもはぐらかされたような違和感が残る。

とはいえ、
看護師長がマイケルに約束をさせようとする場面。何を約束させようとしたのか?「死なないで。生きると約束して」って、言いたかったのかと思った。だから、看護師長とマイケルと話しさせろよ、ボケ院長と本気で怒ってしまっていた。胸が締め付けられて痛かった。

それと、
全体的にペールグリーンでまとめられた色調。どこか冷たく、どこか優しく。この色合いにはドラン氏があいますね。
真綿でくるまれたような、うたかたの夢に漂うよう。どかか不安定で、どこか居心地がいいのに、居心地が悪い世界。

診察室においてあったカウチ。フロイト精神医学の象徴。フロイトの素養があったら、もう少し台詞一つ一つの意味をかみしめられたのかな?(特に同性愛的な描写とか、触れてほしいのに触れてくれない、だのに愛しているとかの意味とか)

しばらくたってから見直すと、また違ったものがみえてくるのかも。

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とみいじょん

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