劇場公開日 2015年9月12日

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私たちのハァハァ : 映画評論・批評

2015年9月8日更新

2015年9月12日よりテアトル新宿ほかにてロードショー

現実と映画が幸福に融合した、青春映画のマスターピース

北九州の女子高生4人組が高校最後の夏休みに、若手ロックバンド「クリープハイプ」のライブを見るために自転車で東京を目指す。若さや衝動の眩しさをきちんと捉えつつ、ただのロードムービーに終わらなかったのは、クリープハイプというバンドを基点にしたキャラクター造形の秀逸さにある。

東京へ行きたくて仕方がないのは、ボーカル尾崎を神格化し、本気で愛している文子。彼女の主体は「尾崎さん」にある。バンドも好きだがそれ以上に自分が歌うことを大切にしている一ノ瀬は、地元から離れるために家出同然で旅に参加した。彼女の主体は常に「私」である。ベーシストのファンで彼氏持ちのリア充・さっつんにとって一番大切なことは、この4人で楽しい時間を過ごすこと。よって、主体は「私たち」にある。優柔不断のチエはみんなにあわせてバンドを好きと言っているだけで、本音ではいつ旅を終えてもいいと思っている。彼女の主体は流動的だ。

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セーラー服&ママチャリという同じ装備をした4人は当初、周りから見ればただの“クリープハイプ好きの女子高生”という集団だったし、本人たちもそこに居心地の良さを感じていただろう。しかし、制服を私服に着替え、自転車を乗り捨て、ヒッチハイクをし、交通費を稼ぐためにバイトをし、ツイッターで自分たちの動向をアップすることで、彼女たちの旅は、社会における自分の位置や価値を知る場になっていく。さらにはバンドへの愛情の違いが浮き彫りになり、衝突し、集団から個へと切り離されていく。

バンドへのベクトルも温度も違う4人をひとつの旅に放り込めば、そりゃ自ずとドラマが生まれるというお手本のような脚本である。しかし、4人の会話は文字をなぞっているようには聞こえないくらいいきいきとしているし、ケンカのシーンの涙は本物にしか見えない。それを成し得たのは、撮影当時、全員が現役の高校生で、うち3人が演技未経験だったからだろう。演者も、キャラクターも、荒削りだから輝いている。現実と映画が幸福に融合した、青春映画のマスターピースが誕生した。

須永貴子

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