悼む人のレビュー・感想・評価
全92件中、1~20件目を表示
原作が好きだったので
期待値が高過ぎてしまった
出演されてる方々の演技は素晴らしいと思いました
重い内容の原作を映画化となると
どうしても薄く感じるのはしょうがないこと
ところでエズラミラー出演でハリウッド版が製作される話があったのですね
紀里谷和明監督の予定で
その後のニュースがないのはやはり
エキセントリックなエズラミラーのヤンチャっぷりでたち消えてしまったからなのか…
そちらも観てみたかったです
その映画を楽しみにしていた方々がいたことをワタシは覚えておきます…
と、悼ませていただきます(-人-;)
なんとも言いがたい
出だしから静かで、その雰囲気のまま淡々と物語は進む。いくつものエピソードを挟みつつ。
動的なキャラクターは椎名桔平くらいか。
あとは、静かで。
でも暗い過去を背負った石田ゆり子が救われたように思えたのは、この映画で一番嬉しく感じたことであった。
評価が難しいな。
暗く、痛いイマジネーションの世界
天童荒太の長編作品の映画化。最初から最後まで、暗く、息苦しさを感じる作品。
死んだ者を、悼むための巡礼の旅をする主人公。その目的も、そのゴールも明確にないままに、死者を求めて彷徨う日々。
そこに、主人殺しの訳あり女性が一緒に旅に加わる中、互いに芽生えていく、恋心。
一方で、半端モンのチンピラジャーナリストが、この悼み続ける主人公に、興味を持ち始める。悼むとは、いったいどういうことなのか?彼の目的に迫ろうとするが…。
石田ゆり子が、今までにない汚れ役を熱演。高良君ね表情の無い演技も、悼む人に相応しい演技でした。
高良の行動は全然理解できない意味不明。 忘れられた時が本当にいなく...
高良の行動は全然理解できない意味不明。
忘れられた時が本当にいなくなるということなのかもしれないけど。
だからって縁もゆかりもない人間に覚えられていても。
何を伝えたいのか何が言いたいのか意味が分からない内容だった。
石田ゆりこが年齢の割にえろくてよかった。
冥福をお祈り申し上げます
誰にでも愛する人がいて、誰からか愛されていて、良い行いもするし悪いこともする、頼りにされたり、親切であったり意地悪だったり、得意不得意があり、自信があったりなかったり、やりきった事もやり残した事もあり、若くして亡くなる人も歳を重ねて亡くなる人もいる、病気怪我事故他殺災害と亡くなる理由も様々で、産まれたら必ず亡くなる。
ひとりひとりが、生きていることを精一杯生きてきたことを思い出させてくれた作品でした。
今生きていることを大切にして亡くなった方を悼みたいと思います。
のりきれない。 物語が綺麗すぎるのか ご都合が多く書かれているから...
のりきれない。
物語が綺麗すぎるのか
ご都合が多く書かれているからなのか
感情移入しきれない。
一瞬のいいシーンはあるのにそこから冷めてしまう。
そもそも
高良さん演じた静人の行為は肯定すべきものなのか。
この映画はそれを何だかんだ肯定していて、
だから最後の綺麗なシーンを観てもご都合にしか思えなくなってしまう。
静人の葛藤や人生をもっと観たかった。
大竹しのぶさんの演技はすごかったです。
原作読みたい
90年代後半から2000年代前半頃、原作者の天童荒太の本にはまっていました。「永遠の仔」はテレビドラマでも天童荒太の世界観が表現できていて凄く好きでした。しかし今作は、かなり表現が薄っぺらいと感じました。何故なら主人公をはじめとする登場人物の心の傷が全く見えないからです。高良健吾も井浦新もただの変な人にしか見えません。原作は未読なので何とも言えませんが、天童荒太だったらもっと複雑な悲しみや優しさが表現されているはずです。原作読みます。
投げっぱなしは映画としてはツラい
・赤の他人のお墓や事故現場にいって、独自の手振りで祈りを捧げ回る若者
・原作のエピソードや事象をただ並べて、時々感動風なスローモーションとBGMで盛り上げて、監督の解釈や踏み込んだ人物造形も感じられないままこれどうでしょうとやられてもなあ
・井浦新と石田ゆり子のセックスだけがエロかったが主題からはズレた感想
・連ドラの方が向いてる作品なのでは?
・むりくりシリアスにしすぎててユーモアを入れまいとしてるのが逆に見てられないほど単調
・幽霊の井浦の独特な死生観をもった坊主役がキチってて良かった
廻る廻る廻るユラリゆあーん
高良健吾さんに椎名桔平さん井浦新さん
甲本雅裕さんに平田満さん
上條恒彦さん。
包帯クラブの柳楽優弥さんも大好きなんです。
蛇にピアスの高良健吾さんに旧名ARATAさん
化粧師 KEWAISHIの椎名桔平さんが大好き。
読む力観る力感じる力受け入れる力
セブンのラストを今でも良く思いだす。
アンチクライスト、ラースの映画も良く頭の中に
出てくる。
深沢七郎さん 楢山節考も私の生きる糧になっている。
私は本を少し読む。映画も少し観る。
その作品のことは覚える気も全くない。
しかし日常生活において台詞が出てきたり
このシチュエーションはアレだなぁとか
出てくるのだ。
様々な作品が私に様々なものを教えてくれる。
石田ゆり子さんに大竹しのぶさんは
観続けたい女優さん。
そう思えるだけで楽しく日々を過ごせる
気になれる。
死生観を考える…。
「あの時生きていたということを私は覚えておきます」というセリフが頭からこびりついて離れなくなりました。
人が死を怖がるのは、この世からいなくなる事への恐怖からだと思いました。
でも、この映画を観て、生きている人の記憶から忘れ去られることも死への恐ろしさなのだと実感しました。
最後の、大竹しのぶさんが息を引き取ろうとする中、娘が新たな命を生み出そうとするシーン。
潰える命と誕生する命、その両極端の瞬間が同時に起こる奇跡に胸が揺さぶられました。
まずは、自分をしっかり持って生きるところから始めたいと思います。
冗長
「死者を悼む」行為が、宗教観無しで表現できるのは世界中でも日本だけしかないであろうと思えた。静人自身も確固たる信念や決め事も無く、「あなたが生きていたことを、僕は覚えておきます」と呟くその姿は、差し詰め何かの開祖にでもなり得るのか、としか見られない自分を恥じる、そんなデトックス効果のある映画です。
しかし、あそこまで聖人足りえる静人が、倖世に対してあーゆー行動に出るのは、元々そこまで聖人ではないにしても、ちょっと残念。しかもそのシーンが無駄に長い。要らない。
「悼む」という行為自体に答えはなく、この作品も結論は出さない話だが、物凄く刺さった台詞がある。
静人の母が、蒔野が終盤に訪ねて来た時の台詞で、
「私の愛する人には、いっぱい人を好きになってほしい」
これがこの映画の大命題なのではないかと思う。
死んでいった人には、愛する人も愛される人もいた。その中でその人は間違いなく生きていた。その事実が大事だ、という事。死んでも倖世に付きまとう甲水は、倖世が愛した甲水であって彼自身ではない。でも彼女は確かに彼を愛していた。彼も彼女を愛していた。
殴り殺された高校生は、確かに両親に愛されていた事。
全ての人が、愛し愛される誰かのなかで生きていた。その事実を忘れたくない、と思う静人に胸が熱くなる。
そもそもで言えば、この話は映画にするには難しすぎる。
アニメでも微妙かな。
答えは出ない
見ず知らずの他人を悼む。しかもさながら宗教的な儀式を彷彿とさせる行為に依って。それは誰の目にも奇異に映る。
人の死を悼むというテーマ。しかも悼むという行為自体がテーマとなっていることに惹かれ見始めたもののやはり困惑する。不審な行動そのものであるその行為は、現実の世界で目にしたとするならば、新興宗教やオカルトの類いかと気持ち悪く思うのはまず間違いないはずで、でもこれは映画(小説)なのだと傍観者を決め込み眺めてみる。
人の死を悼む。その動機や目的ははっきりされないまま彼の行為を見つめていると、不思議と胸が苦しくなる。その静かな佇まい、優しい言葉に癒されている自分に気づく。
無残に殺された命もあれば、「死んで当たり前」と揶揄される命もある。主人公の彼はそのどちらにも同様の誠実さをもって向き合いその死を悼む。同様というよりそもそも区別をしていない感もある。
死んだ理由や殺された理由を聞かない彼はただ「生きていた時間の温かさ」を記憶しようとする。「あなたが確かにここに生きていたことを忘れない」そう呟く彼の言葉には何一つ不審な点はなく、むしろその愛の大きさに心が震えてしまう。
この映画(小説)の面白いところはまさにこの点だろう。猜疑心や疑念は晴れないまま、一方で主人公の人柄に確かに共感を覚え、その行為の真意、深淵さに愕然とする。この映画の作中人物たちも主人公の奇異な振る舞いに最初は戸惑いながらも、彼の不思議な優しさに心を開いていくのが見てとれる。
翻って。
他人の死を哀れむほど人は暇ではないし、それどころか親友の死さえ忘れてしまうほど人は自分勝手な生き物だ。世界中で毎日何人の人が死んでいると思っている?そう考えると、この映画の主人公のような行為は滑稽でしかない。
でもその一方で、こうも思う。人は愛されたいと願い、誰かのために死んでもいいとさえ考える。誰にどう思われようと構わない。僕は私は幸せになりたい。僕は私は誰かを幸せにしたい。そのためならあなたを殺しても、殺されても構わない。もがき苦しんだ果てに答えを見つけ出したなら、それがどんな結果であれ幸せなのではないか。「病気」とひやかされながら旅を続ける「悼む人」に自らを重ねてみる。
この映画には主人公以外にも様々な人物の死と同じくらい「生の形」が登場する。自らの死を待ちながら息子を愛する母の生、父を許せないまま他人の死を金にしてきた男の生、殺されることで救われようとした男の生に、殺すことで愛されようとした女の生。愛と憎しみ。執着と無関心の狭間で揺れ動くそれぞれの人生。
答えは簡単に出そうにない。他人の死を悼むこの映画の主人公でさえ答えを見つけてはいないように見える。ただ一つ言えるのは、「人が人を思う」その時間の中に、人の生きる意味があるのかもしれないということ。答えは見つからないかもしれない。それでも僕らは生きていくのだ。たまにはこうやって振り返りながらね。
原作は読めなかったけど…
映画ならと思い見始めた。
死って薄れ、忘れる事で、残された、生きている人の時計が回り始め、人生が動き出すって所があると思うが、この静人は亡くなったを忘れなければ永遠に生きているという考え方。しかも身近な知人のみならず赤の他人の死まで。
これは相当心に負担をかけるはず。人間性さえ奪うだろう。しかし静人は浮世離れしてはいるがちゃんと恋心(性欲)もあるのだからぶれない信念の元悼んでいるのだろ。
この世界では災害はもちろん、人害でも命は奪われる。奪われた命がより多くの命を奪う理由にもなっている。その負の連鎖を止めるには静人と同じ様に「誰に愛され、愛したか、どんな事をして人に感謝されたか」に思いを馳せて行くべきなのかも……。
退屈
ただ長く、あまり感情も湧かないような内容だった。
死に執着している静人が、なぜ病気の母は放っておいてゆっくりと帰るのか、
死に執着しすぎて生きていない静人と、自宅療養を選び死ぬために生きている母
腑に落ちず、意図が見えてこない。
放浪の旅・・
直木賞の天童荒太の小説が原作。事件や事故で亡くなった人を現場で「悼む」放浪の旅を続ける主人公と、それに付いて行く殺人犯の女。小説は暗く読むのに苦労したが、映画はまだ観やすかった。ただ、東日本大震災のように不特定多数の人が亡くなった場合はどうするつもりか疑問が残った。大竹しのぶのガンの母親役は演技が上手かった。映画館は私ひとりだった・・
全92件中、1~20件目を表示