劇場公開日 2011年10月7日

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猿の惑星:創世記(ジェネシス) : 映画評論・批評

2011年9月27日更新

2011年10月7日よりTOHOシネマズ日劇ほかにてロードショー

猿が渋くてCGが渋い。心も身体も跳躍する娯楽映画だ

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貧乏で不幸だが頭のよい少年をいじめてはいけない。監禁されて不幸だが頭のよい猿をいじめてもいけない。

少年も猿も、かならず逆襲する。抑え切れると思ったら大間違いだ。知恵と復讐心が結びつくと動物は強くなる。悲しみをたたえていた眼が、不敵な光を宿しはじめる。

猿の惑星:創世記(ジェネシス)」を見れば、だれしもそう思うはずだ。猿は賢い。猿は不幸だ。しかし猿はくじけない。力をたくわえ、知恵を養い、立ち上がって敢然と戦う日の到来を待っている。われら観客は、喜んでこの流れに乗る。仕組まれたという気にならないのは、脚本と演出の勝利だ。キャラクター作りとCGの技に魂が込められた成果だ。

ちょっと先回りをしすぎた。

観客にそういう感情を抱かせるには説得力が必要だ。監督のルパート・ワイアットは、この説得を怠らない。科学者のウィル(ジェームズ・フランコ)は猿のシーザー(アンディ・サーキス)を育てる。それも5年間。

シーザーは家のなかで跳ぶ。ランプから戸棚へ。戸棚から廊下へ。廊下から2階へ。長まわしの移動撮影が、早くから広い空間を予感させる。これは監督の作戦だろう。

育ったシーザーは森のなかでも跳ぶ。木に登り、枝から枝へと飛び移り、一番高い梢からサンフランシスコ湾を一望するショットが素晴らしい。ただしこの先には監禁が待つのだが、それもまた広大な空間への跳躍台だ。

かくて、運動感あふれるアクション・シーンは周到に準備される。しかもその間に、観客はシーザーの賢さや情感のこまやかさに馴染んでいる。これは巧い。くりかえすようだが、本気の情感と緻密な計算と痛快なアクションは共存しうるものだ。猿が渋くてCGが渋いと、コクのある娯楽映画ができあがる。

芝山幹郎

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