悪人のレビュー・感想・評価
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李相日の容赦ない追い込み方に瞠目
2010年に鑑賞した作品としては、1位。
李相日監督は、いつだって手がける作品に説得力を持たせており、今作は彼のキャリアのなかでも3本の指に入る出来栄えになっていると、個人的には感じている。
妻夫木聡と深津絵里が素晴らしいのは言うまでもない。岡田将生と満島ひかりが軽薄な役どころを見事に演じ切り、樹木希林さんと柄本明はどこまでも作品に寄り添った演技で観る者の心を打ちのめしてくれる。
それにしても、灯台のシーンは寒かっただろうなあ…。あの容赦のない追い込み方に瞠目させられてしまう。次はどんな作品で、誰をどのように追い込んで、作品世界を構築していくのか楽しみでならない。
ミツヨ♥
オススメで出てきて昔観たことあった気がしたけど思い出せなかったので観てみた。
人間の不完全さゆえに起こってしまう悲劇がよく描かれていた。
求められて大切に思ってもらえることが人間にとっての幸せなんだと思えた。
最後のユウイチの選択がミツヨを思ってのことだと普通に思えるほどにユウイチとミツヨのとの愛が作品内で育っていた。
殺されたアバズレ女とボンボンクソ男の人を見下した態度は悪人そのものだが見下さないと自分がやっていけない生きられない人間になってしまったそれなりの経緯があるのだろう。
アバズレ女の父親がスパナを投げ捨てたのは帰りを待つ妻がいたからと見れた。まあ、ガッツリスパナで殴るには怒りの矛先が少しズレていたこともあるだろう。
この物語を映画として全体的に俯瞰して観ることができる視聴者の視点を悲劇の登場人物それぞれが持っていれば、なんのドラマも起こらなかったかもしれない。
未熟で行き過ぎてしまう愚かな人間同士がそのときミラクルに神がかって冷静になって頭良くなって幸あれ。
人の心の中をえぐった作品
映画館で見たときから14年も経過していた。内容自体は覚えていたが当時の映画は何を伝えたかったのだろうと思いもう一度見た。
この映画は多義的で、見る人の視点によって感じ方が変わるように思う。
被害女性のヨシノは自業自得で… ユウイチの性格上やってしまって逃げ回っているだけで… ミツヨは初めての男だったから… 実際に同じことが起きれば、そういう意見が広く一般的な見方としてまかり通るだろう。
ヨシノという人物は、出会い系サイト云々というワイドショーによって作られていく。
全ては、その出来事に対する直接的原因だけが「原因」だと、今の世の中は考える。
登場人物すべては「現代社会」に生きる者たちで、皆「孤独」だ。
岡田将司くん演じる大学生も、お金がなければ誰も寄ってこない孤独者だ。
作品の中で自分の本心というものを初めて告白したのがミツヨだ。
彼女の本心の告白によって、次第にユウイチの心の闇と孤独が解放されてゆく。
やがて「目の前に海があると、その先に行けない」と彼が言った通り、灯台へ身を寄せる。
ユウイチの祖母は、広く一般的なイメージの地方の老婆だ。彼女の生活も家事と夫の看病に明け暮れる。地域住民との交流はあるが、おそらく皆「孤独」だ。
その心の隙間に忍び込んできたのが、悪質商法。信じ込まされ、思い付きで事務所を訪ねると高額商品を買わされた。
やがてユウイチが殺人罪で追われていることを知る。
彼女はよくわからないながらも気丈にふるまいながら「責任」を取ろうとする。
ユウイチも彼の母も事件もすべて自分事として責任を取る意思を見せる。
何もできないかもしれない。でも責任は取る。ヨシノ殺害現場に置かれたユウイチが買ってくれたスカーフをその印としたのだろう。彼は悪人ではなく本当は優しい人間だという意味がこめられているようだ。ごみのようなメディアに対しても頭を下げる。
12年前からすでに若者たちは「出会いたい」のだ。些細な手段の変化に、メディアは批判を繰り返すだけだ。
ミツヨは、ユウイチの車で店の前を通り過ぎたとき、はじめて「別の私」を感じた。
いつもとは居場所が違う。出会いとそれによって変化した日常にワクワクした。
作品の中ではじめて、誰かと誰かの心が重なり合う。
ユウイチはがさつで一方的な表現しかできない。気持ちの表現が下手で、タイミングも悪い。
ユウイチの「告白」は身勝手だが彼の心の孤独を感じ取ったミツヨは、彼との絆を深めたかった。出頭直前に鳴らしたクラクション。行ってしまえば、今感じている幸せが奪われてしまう。
ヨシノの両親は、美しくて汚れのない娘を信じている。実際に人はみな多面的だが、娘の無念のために大学生に食って掛かる。「そうやって生きていけ」。
12年前すでに、すべての人はみな心の隙間を埋めたいと思っていたのだ。
会社では高効率化が叫ばれ、仕事の隙間はAIや派遣で埋められていく。居場所はどんどん削られ、今も例のパンデミックによる同調圧力等々、後遺症に悩んでいる人々がいる。
この作品をワイドショー的視点で見るのではなく、「孤独」という誰もが持つ心の隙間を視点にしてみれば、現代社会全体の流れが恐ろしく感じる。
ユウイチが灯台の中で見た夢。夢の中では幸せ。「幸せ」という名のあまりにも儚い夢。
若者たちを追い詰めているのが現代社会だとしたら、この事件の原因はそこにある。
警察が灯台に乗り込んできたとき、ユウイチはミツヨの首を絞めることで、彼女は悪人によって連れまわされていた被害者になる。
取り押さえられながらミツヨに手を伸ばすが、彼の指先は届かない。こうしてユウイチは「悪人」となったのだ。
さて、
ミツヨはなぜ、花束を置かなかったのだろう?
ヨシノの父の登場に、言いようのない抵抗感を感じたように思う。
彼女は運転手にユウイチを「悪人」と表現している。
ユウイチが彼女の首を絞めた理由を、彼女は知っている。
彼がヨシノを殺したことも知っている。その理由の根幹は誰も知ろうとは思わない。
ミツヨは本当は事件にかかわっている「逃亡ほう助罪」だ。
しかしその期間こそが、本当のミツヨでいられたかけがえのない時間だった。
ミツヨの心は今もユウイチと共にある。そう思いたかった。
いまはまだ、きれいごとのように花束を置く行為は世間が許さないだろう。
あの瞬間ミツヨには、ユウイチのした事件の責任を一緒に取るという明確な意思が生まれたのではないだろうか?
彼女の中にはっきり感じ取った罪の意識。同時に彼の罪は私も償うという決心が、ミツヨの中に芽生えたのかもしれない。
結末は必然でもある
一人の人間が、ある人にとっては良い面しか見えなくて、他のある人にとっては悪い面しか見えていない、とか
金や地位のある人が優位に立ったり、ちやほやされる
というのが人間社会で普通にあることで、この作品がこのような展開、結末になるのは予想できることです。
観ているうちに、ある程度ストーリーが読めてしまい、予測外な展開でないところは少々残念でした。
この作品中で、出会い系から始まった出会いはみな、不幸な結末に至っていますね。
出会い系のような場所でしか真剣な出会いを求められないという時代の孤独さが哀しかったです。
何よりも重いのは人の命です。
純粋さ優しさゆえの過ちだとしても、人として生きていくうえでの感情のコントロールやしたたかさといった生きる術は必要でしょう。
やさしさだけでは生きていけないのです。
妻夫木聡さんは近年、若い頃と違って渋さが出てきて、汚れ役も似合うようになって、良くなったなぁと思っているんですが、今思うと、この作品がそれまでのイメージを変える転機になったような気がします。
目の鋭さで役に入り込んでいる様子が伝わってきました。
深津絵里さんはこの作品で様々な賞を受賞したのが納得できる、いい表情、演技でした。
私としては柄本明さん、樹木希林さんの演技が非常に素晴らしかったと思います。彼らの演技あってこそ成り立った世界だと思いました。
それから永山絢斗くんの役柄は、やりきれなさの中にもひとすじの光が見える感じがして、出番は少なくても光っていたと思います。
そういう意味でバスの運転手さんの一言も、スパイスのごとく効いていました。
原作との比較
原作を読んだのでこちらの映画も視聴しました。
映画は原作と同じストーリーですが、原作から大幅にカットしています。
映画は映画で素晴らしいのですが、いかんせん大幅にカットしてあるので、少し分かりにくくなっています。
タイトルの「悪人」ですが、原作では実は被害者である女性もはっきり「悪人」のような描かれ方をしていて、それこそが原作の最大の主題ともいえます。
また殺人犯である青年の母親も「悪人」であり、殺人犯である青年も加害者であります。
「悪人」とは誰のことなのか…。
映画は映画で素晴らしいですが、映画版だと犯罪者と一般人の禁断のラブストーリーとして見るのがいいですね。
こんな女、どうなの?
3 こんな女、どうなの?
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主人公妻夫木は30前後で田舎暮らし、親孝行だが暗いしモテない不器用な男。
所詮お遊びという印象のある出会い系サイトに、本気で出会いを求める。
知り合った女とリアルで会うが、遊ぶ事、ヤる事しか考えてないバカ女だった。
しかも2回目に会う約束を破って、遊び上手な別の男と遊びに行く。
そしてバカなんで相手を怒らせ、夜の人通りのない道で車から下ろされる。
尾行してた妻夫木が助けようとするが、バカはヒステリーで悪態つきまくり。
挙句の果てに、お前にレイプされたって言いふらすとか言い始める。
不器用な妻夫木は追い詰められ、気がついたら首を絞めて殺していた。
次は深津と出会い、いきなりホテルに誘ったら応じてくれていきなりヤる。
そして深津は別れ際に、本気で出会いを求めていた事を告白する。
つまり2人とも似た者同士だった。深津以上に妻夫木は自己嫌悪に。
後日、我慢できなくなった妻夫木は深津に会いに行き、自分も本気だったと告げる。
2人は協調し始め、殺人の話も共有し、共に逃げることとなる。
そして長崎県の寂れた灯台にて生活を始める。
自分を理解してくれる女と出会ったことで自分の犯した罪の重さに気付く妻夫木。
それらを全て受け止めてあげようとする深津。
結局警察が来て突入されるが、妻夫木は女の首を絞めようとする。
あくまで女を「被害者」でいさせようとする思いやりであった。
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まず主人公は殺人犯だが、この人の心理はわからんでもなかった。
何せ不器用、で真面目。バカ女に出会ってしまったことは本当に不運。
殺人は無条件で犯罪だが、悪人か善人かと言うとむしろ善人だろう。
っていうか、ここまでバカな女いねーよww
周囲に助けを求めることのできない状況であの言動は頭悪過ぎ。
殺されるとまでは思わなかったとしても、ドツかれるのは確実やろw
長年信頼していた相手に裏切られて取り乱すならわからんでもないけど、
出会って間もない奴に裏切られただけで取り乱すんもおかし過ぎやし。
主人公への同情を誘うため、無理に有り得んキャラを作ったとしか思えん。
一方、バカ女を置き去りにした男はどうしようもない男ではある。
バカ女の死の間接的な要因やのに、無罪やからって、この話をネタにする奴。
でも男がバカ女を車から降ろしたシーンはめっちゃ共感できたけどなあ。
よく知らない男の車に簡単に乗るわ、ベラベラ馬鹿丸出しの話ばっかするわ、
誰の車にでも乗るお前なら、ここで下りても帰れるやろうがってさ。
下ろす場所はともかくとして、体目当てで調子だけ合わせる男よりはまとも。
で、これはおれが見逃しただけなんかも知れんが、深津が意味不明。
映画の中では美人ではない普通の人ってことになってるんやとは思うけど、
どう見てもそんなに不幸なようには見えへんのよなあ。
心に闇を抱えてなければ、あそこまで妻夫木を愛するなんてないと思うけど。
出会って間もない危ない人間に、平凡な人間が恋をしますか?
それともストックホルム・シンドロームに似た、理解しがたい心理があるの?
百貨店の紳士服売り場勤務という、むしろ人がうらやむような状況の女が、
妻夫木と出会って初めて幸せになれると思った、とまで言うのは何故?
アンタはそんなにモテなくないし、愛してくれる男だっているでしょうに。
そこがわからんもんやから、深津の方には全く感情移入できんかった。
だって、目先の破滅的な恋愛に酔ってるだけにしか見えんのやもん。
しかもその自己陶酔のために、妻夫木に自首を勧めずに逃避行を促す。
それによって確実に刑期は長くなっとるわけやからなあ。
20年位前のドラマで高校教師ってのがあったけど、
共に絶望を抱えている男女が破滅的な恋愛をするという内容だった。
そこに説得力があったために共感できたんやが、この映画はその部分がなあ。
理屈じゃないんやろが、根拠が弱いとどうしても感動が薄れてしまうよなあ。
深津絵里って別にタイプじゃないが、九州弁が可愛かった。
っていうか、九州弁って誰がしゃべっても可愛いよねw
2度目の鑑賞
老人しか居ないような田舎町で、年老いた祖父母と暮らす青年が、出会い系で女性と繋がっていく。そこからストーリーは展開していく。
事件の後、離れた田舎町で田んぼを自転車で通勤する、小さな場所でつつましく生きている優しい女性と知り合う。
あー、これが、あと少しだけこの人と早く出会えたらと、何度思ったか。
出会い系以外で異性と知り合う事もなかった二人。
男は優しい人だった。
人を殺したら悪人。
でも、人を殺しはしないけど、悪い奴はたくさんいる。
ストーリーの中で、それをずいぶん考えさせられた。
辛くて切ないけれど、二人でいる時間を持てた事だけは救いかな。
殺人事件って、ニュースではわからない、こんな事があるのかもね。
悪人って誰だ
誰にとっての悪人なんだ。
最後の深津絵里のセリフが
全てもっていってくれます。
お互い足りないものを補える人と
出会えた。ただそれだけでよかった。
愛を知らない男と愛する喜びを
得た女の物語。
灯台の最後のシーンは、妻夫木が
あえて深津絵里を突き放し、自分を
悪者に徹することで、彼女に
負い目を持たないようにしたのかな。
それも彼女は愛情であると
受けとめているのがいい。
この愛は本物だったのだと。
真剣に、真面目に、一生懸命に
生きている人間を笑うな。
バカにするな、脅すな、さげすむな、
あわれむな。そんな決めつけ、
権限は誰にもない。
こういう題材を扱う洋画を
よくあるけど、邦画で表現すると
こういうかたちになるのかな。
妻夫木の役柄も難しく、
深津絵里の演技に救われている印象。
さすがの一言。
紙一重の出会い系
満島ひかり扮する保険外交員石橋佳乃の死体が発見された。佳乃と出会い系で知り合っていた妻夫木聡扮する清水祐一は、体の悪い祖父の面倒をみていた。その後、祐一は出会い系で深津絵里扮する紳士服店員馬込光代と知り合いいきなりホテルに誘った。
あまり若い者を頼りに年寄りの面倒をみさすと欲求がたまるからろくな事にならんね。刺激を求めて男女とも出会い系に行くのかもしれないが、やっぱり恐いところがあるな。本気だと言えばいいのか。紙一重だね。今回の様に殺人犯もいるかもしれないし、女性でもどうしようもないのもいるかもしれないもんね。破滅型恋愛の極地かな。妻夫木聡もイメージ変えて見事な役者ぶりだったよ。
人の良心が見え隠れする世の中で我々はどう生きていくか
テレビで偶然鑑賞したところ、思わず見入って魅了されてしまった。悪人が題名のように、一体この世は何を以てして悪を定義できるのか、何が悪で何が正義なのか、従えば正なのか逆らえば悪なのか、人のあらゆる本能を考えさせられ、その中で見え隠れする人の愛や温もりを見つけるような作品だった。
途中、突拍子もない疑問的な演出もあったが、今思えばそれは監督の現代への怒りを表現したのかと思えば納得出来る。とにかくこの作品は社会への語りかけが強く描かれ、一生よりもいま目の前にある一瞬を求めてしまった男女の恋物語には、後悔や罪悪感からの逃避、背徳や焦燥といった人の本能がてんこ盛りに混ぜ込まれていた。
人を殺めた男と、それと付き合う女。許されはしない。それでも観ていく内に、2人の愛をどこか応援したくなる。なぜか2人の恋路を否定出来なくなる。彼らの気持ちがひしひしと伝わってくる。これが本当の愛なのではないかと、そうとまでも思えてくる。時に、本能で本能を求め合うそんな恋愛に憧れてしまう。
しかし、この映画は決して恋模様だけでは描かれていない。2人の恋物語を描く道中で、人の悪意や腐った社会、みすぼらしい欲望や報われない優しさ、やり場のない感情、人が人を当然のように食い物にして回り回る世の中でも、人の温もりや愛は見え隠れしているだけで在るんだよと語り掛けるメッセージ性を感じた。
法に従えば正義か。手を差し伸べたところで振り払われ、逆恨みを買ってもそれはこちらに非があるのか。死んだように生きる事が正しいのか、生き生きと死ぬのが正しいのか。悪人は悪人であるのか。振り撒く優しさは無為なのか。人の悪を、果たして人が悪と定義できるのか。正直に生きる事は馬鹿に生きるという事なのか。そんなもの誰も分からないのに誰が正義を唱えられるのか。この世に散りばめられる、決められようもない人の在り方をこの映画はこれでもかと考えさせられる。
たとえそこに味方がいなくても、どこかで誰かが見てくれている。世の中が腐っていても、全てが腐っていない事もある。綺麗に見えるものが薄汚く光っている事もある。歪に見えるものが綺麗に輝く事もある。どうでもよく見えていたものが実は大切なものだったりする。本当に大切だから傷つけてしまう。たとえ誰かれに阻まれても否まれても、許されざるものでも、人は愛を求めてしまう。
この世に分かり切れるものなんて無い。複雑に枝分かれし、今日という日もまた変貌する世の中で、本当の正解なんて誰にも分からない。それでも人は懸命に生きていき、正解を自分なりに見つけて行くことを教えてくれる作品だった。
深津絵里は、とてつもなく魅力的だった。
過去鑑賞
想像していたのとは全く違った作品でした。
僕の中にある邦画の持つ暗いイメージをそのまま具現化したような映画で、良い映画だとは思うのですが、個人的にはかなり苦手な部類でした。
誰が本当の悪人なのか?
その訴え掛けは真っ直ぐでとても分かり易いものでしたが、アプローチの仕方としては、個人的にはこれならやっぱり先日レビューした“怪怪怪怪物!”の方が好みですね。
ただ、傍を固めるキャストさんはとても豪華なもので、当然なから主演の妻夫木聡さんを含めその演技は秀逸でさたし、深津絵里さんは今まで観た作品の中で一番可愛かったような気がします。
深津絵里さんの可愛らしさを堪能するだけでも観る価値はあるかもしれません。
何度見ても良い、最高の恋愛映画
恐らくtotalで7、8回は見てます。
見る度に切なくなるが、この感情を欲してまた見てしまう。
人を殺める描写だけが非現実的だが、その背景はとても生々しく、没入してる人は「あり得る」とすら思ってしまう。
田舎で解体業をしながら祖父母と暮らし、毎日が同じ事の繰り返しで、縋るモノを求める祐一。
また、違う田舎町で生まれ育ち、寂れた紳士服店で働きながら、『生まれてから小学中学高校、そして大人になった今も、自分の人生はこの狭い世界の中で完結してしまっている』と、自分の人生を見つめ直し、何とかして変えたいともがくミツヨ。
そんな2人が出逢い系で知り合い、かけがえの無い存在になって行く。
この設定を、どうやって思い付いたのかが謎だが、リアルでしか無い。
というか、リアルかどうかも判らない筈なのに、
あるあるだと思って見入ってしまう。
2022年の今だって、祐一とミツヨの様に、
自分の人生をどうにか変えたいともがいている男女はきっと居ると思う。
そして、そんな人達の方が相手の本質と向き合う事が出来るのかも知れないとすら思える作品。
兎に角、私の中では色々完璧な作品です。
殺される女と殺す男そしてすがる女。
2010年。李相日監督。その年のキネマ旬報のベストワン作品。
激情に駆られて女を殺す男・・が主人公・祐一(妻夫木聡)
この映画では殺される女・佳乃(満島ひかり)を情け容赦なく
断罪している。
ひとつ→出会い系サイトで出会った祐一と関係を持ち、金銭を要求していた。
ふたつ→デートの約束をした祐一が車で1時間半も掛けて待ち合わせ場所に来たのに、
見た目の良い金持ちの大学生の増尾(岡田将生)の車に目の前で強引に乗り込む、
・・・そう言う、当て付けを堂々とやる。
そして大学生の増尾。
この男もゲスの極み・・として描かれる。
テーマは「人間の善と悪」
殺した男には、殺す理由があり、
殺された女には、殺される理由がある。
そして増尾。
ドライブの途中、人気のない峠で、気に食わないとの理由で佳乃を、
助手席から蹴り落としている。
峠で車から降ろす→付けていた祐一もどうかと思うけれど、
佳乃の「レイプしたと訴えてやる!!」との言い草も、人間として度を超えている。
そしてもうひとりの主役。
紳士服店に勤務する光代(深津絵里)
佳乃と同じく出会い系サイトを通じて祐一と知り合い、殺人犯と知りながら、
逃避行に・・・。
自首する決意をして警察署に向かう祐一を、クラクションを激しく鳴らして、
引き止め「一緒に逃げよう」と誘う。
光代は善人代表なのに結果として祐一の刑期を長くする行動を取らせてしまう。
皮肉なことに、殺人犯の祐一より、大学生の増尾の方が極悪人に見えてしまうのだ。
爽やか系の岡田将生が軽薄で我儘で冷酷な男を演じて上手い。
佳乃の父親は増尾を恨み、スパナを握って増尾に迫るが、遂にスパナを振りおろす事を、
自制する。
怒りと恨みを、自制する佳乃の父親。
挑発されて自制心を失った殺人者・祐一。
柄本明の被害者の父親と、加害者・祐一の祖母役の樹木希林。
役になり切って実に上手い。
逃げ場がないほど祐一を追い詰める佳乃。
佳乃役の満島ひかりもズルい女が印象的。
モントリオール映画祭で主演女優賞を受賞した深津絵里。
37歳の光代は婚期も遅れた年齢で、初めて性に溺れたのかも知れない。
そうでなくては、逃避行の理由が見当たらない・・・
(5キロ圏内の人生に飽き飽きしていたのかも、知れないね)
筋運びと構成が実に巧みだ。
久石譲の音楽がかなり主張して鳴り響く。
我が愛する妻夫木聡は、嫌いになれない殺人者を淡々と、そして演技し過ぎず、
バランス感覚が素晴らしい。
殺人を想像することと、実行することには、
大きな乖離がある。
飛び越えてはいけない・・・
そんな気がする。
原作も良かったけど、映画もきちんと捉えられていて良かったと思う。 ...
原作も良かったけど、映画もきちんと捉えられていて良かったと思う。
キャストそれぞれの心情、背景もきちん表現されていた。
だからこそリアルなそれぞれの心情が胸を打つ。
キャストの演技が光り、人間を感じられる良作だと思う。
深津絵里の存在感
冒頭10分程での引き込まれ方は今観てもすごい。
あまり見ない役所の妻夫木聡が目新しいんですよね。
また役者陣がとても素晴らしい。
柄本明が良いし、樹木希林はいるだけで作品の深みが違ってくるからすごい。
それと何より主演の深津絵里。
その演技もだが存在感が群を抜いている。そしてすっごい可愛いらしい。
彼女の「本気で誰かと出会いたい…」の一言はとても深く、いわゆる出会い系に対する考えを少し改めさせられました。良いか悪いかでなく。
決して安息の時間が訪れることがない二人の時間。それを静かにじっくりと作りあげつつ、終盤の畳み掛けるような見せ方は良かった。
そして辿り着いた最後の場所で朝焼けを眺める二人。
そこから行く場所が無いことも、これからの二人での時間が無いことも、全部理解してしまったとても深みのあるシーンでした。
悪人。その言葉の本質と共に、何時迄も静かに響いてくる作品です。
ストーリー 6 芸術 5 演技 8 エンタ 5 総合 6 悪人一杯...
ストーリー 6
芸術 5
演技 8
エンタ 5
総合 6
悪人一杯出てきましたね。結局、善悪なんて主観でしかないところ、社会のルールを逸脱してしまった悪人、つまり犯罪者だけ裁くこと出来るという事実。小説の方がもっと奥深くえぐってるんだろうな、と思いました。読みませんけど。
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