劇場公開日 2009年11月20日

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イングロリアス・バスターズ : 映画評論・批評

2009年11月17日更新

2009年11月20日よりTOHOシネマズ日劇ほかにてロードショー

タランティーノが広がっている。見たことのない戦争映画に挑んでいる

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タランティーノが広がっている。手馴れた安全地帯をみずから抜け出し、リスクを承知で新天地での勝負に挑んでいる。

「イングロリアス・バスターズ」を見て、私は思った。だが、見てすぐにそう感じたわけではない。時間が経ち、映画に仕込まれた語りや技のコクを反芻しているうち、その思いが強くなってきたのだ。

映画の鋳型はマカロニ・ウェスタンである。冒頭のシーンを見れば、だれしもセルジオ・レオーネのタッチを連想するだろう。ナチスに家族を殺された娘の復讐譚が話の軸になっていくところも、レオーネ・ファンにはお馴染みの流れではないか。

だが、映画はとんでもない方向に舵を切る。逸脱に逸脱を重ね、悪夢と笑いを何枚も重ね焼きして「見たことのない戦争映画」へにじり寄っていく。となると、謳い文句が「痛快戦争アクション」だったことなど、遠い昔の笑い話のように思えてくる。「特攻大作戦」や「地獄のバスターズ」が原型にあるかのような装いがタランティーノの陽動作戦だったことも、すぐさまはっきりする。なにしろここでは、「映画中映画」を除いて、最前線の戦闘シーンなどまったく出てこないのだ。

代わりにタランティーノは、不思議な形でヨーロッパ映画の粘着性を輸血した。クリストフ・ワルツやメラニー・ロランといったわれわれに馴染みの薄い俳優に複数の言語を喋らせ、土地や人の湿り気や粘り気を画面に定着させただけではない。彼らがうごめく場面では、かならずといってよいほど、言葉の銃撃戦を思わせる「テンションの積み重ね」が用意される。その楽しさ! そのスリル! これは、なんともわくわくする悪夢の試みだ。おそらくタランティーノは、自身が何十本となく見てきた戦争映画にも、もっと面白い夢を見させてやりたかったのだろう。

芝山幹郎

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