劇場公開日 2008年5月17日

マンデラの名もなき看守のレビュー・感想・評価

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3.5パーマー大統領が好きだという人へ、この作品でまたあえますよ。

2008年5月19日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 『24』シリーズのファンなら、パーマー大統領が好きだという人は結構多いだろうと思います。圧倒的な存在感や指導力を示しつつ、慈悲深い人間味を見せる元首像は、画面を通じて信頼感をもったものです。そのパーマー大統領がシーズン6の冒頭で暗殺されたのには、大きなショックを感じました。もうあえないと思っていたら、なんと今度は、南アフリカ初の黒人大統領として登場することとなり、勇んで映画館へ「大統領」に合に出かけた次第です。
 奇しくも二つの国で初めての大統領を演じたデニス・ヘイスバードからは、内面からカリスマ性が滲み出ているようで、この作品は彼の演技を超えた存在に寄るところが多い作品であると思います。
 もちろん主役のグレゴリーを演じたジョセフ・ファインズも、これも好演と言えます。 何せグレゴリーが着任当初は、マンデラはテロリストの首謀者と信じて疑わず、彼の監視役を国家の諜報部から自ら引き受けたくらいだったのです。それがマンデラの民族融和の主張を知り、自分の思い込みを反省するなかで、次第に彼の人徳の深さに感化されていくという内面を描くという難しさがあったのです。
 ジョセフの演技は、マンデラに対する微妙なこころの変化を演じ切っており、後半二人に芽生える交情に違和感なくとつないでいました。
 彼の演技で印象深いのは、グレゴリーの密告により仲間の活動家が次々不慮の死を迎えたことに対する罪の意識に苦悩するところです。特にマンデラの事故死した息子は、自分の密告が原因ではないかと思い悩むところは、説得力がありました。そして、自分の息子も同様に事故死したとき、これは報いではないかとマンデラに謝罪し、許しを求めるところが、一番感動しました。
 マンデラい言わせば、任務なのだから密告は当然といってなだめるのですが、グレゴリーは自分を責め続けたのです。ジョセフはそんな人の心の痛みをよく現していたと思います。さらにマンデラに傾倒していくグレゴリーを心配する妻グロリアの揺れ動く心情もよく表現できたいたと思います。

 このようにご紹介するともうお解りですが、この作品は南アフリカのアパルトヘイトをさほど大上段に糾弾していません。政治的なメッセージよりも、グレゴリーと妻との絆やマンデラとの交情の人間ドラマにポイントが置かれています。

 ただマンデラを描く作品であるなら、もっとアパルトヘイトのもとでどんな人道に劣る行為が為されたか触れるべきであったでしょう。それが弱いので、ドラマとして平べったい感じがしました。
 「生まれつき他者を憎むもなどいない。人は憎しみを学ぶものだ」と実際のネルソン・マンデラは演説しているように、彼は本来愛に重きを置いている人物であったのです。
 そんな愛と許しのマンデラがやむを得ず武力報復に踏み切ったところも見たかったですグレゴリーもその矛盾点を当然ついたはずです。作品の二人の関係は、グレゴリーがマンデラ側の「自由憲章」をこっそり見て以来、すっかり蜜月になって、ぶつかることがなくなります。けれどもいくらマンデラを敬愛しているグレゴリーでも、武力報復によって民間人が巻き添えになることについて、劇中よりももっと激しくぶつかったはずです。
 その葛藤が省略されて、晩年何となく不二の同志のように親密になってしまうシーンだけ見せつけられると、実話が嘘くさく見えてしまいまったのです。

 所詮は、アパルトヘイトを時代背景にしたグレゴリーの愛と友情を描いたホームドラマであったのでしょうか。いま公開されている『光州5.18』は悲恋作品ながら、きちっと事件を糾弾しています。また来週公開の『ランボー 最後の戦場』でもミャンマー軍事政権の極悪非道ぶりに正義の鉄槌を下しておりました。
 長年にわたって、黒人を人間以下に差別してきたアパルトヘイトをもっと掘り下げることで、マンデラとグレゴリーの果たした歴史的役割が輝き、観客は溜飲を下し、涙したことでしょう。

 デニス・ヘイスバードがすこぶるいい演技をしていたので、残念でなりません。

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mixi映画愛好会コミュより転載
☆『遠い夜明け』との比較して
アパルトヘイトをまもとに描けば、リチャード・アッテンボロー監督が、黒人運動家スティーヴ・ビコを通してを描いた『遠い夜明け』と比べれば、一目瞭然でしょう。
この作品も、自由な理想社会を叫ぶ黒人男性と彼を支持する白人男性との熱い友情を描く壮大な叙事詩的映画です。
けれども冒頭から、突然、静寂を打ち破って次々と黒人たちを虫けらのように武装警官の集団が襲いかかります。そして大地は黒人たちの叫び声とともに血で染まって行くのです。しかもこの事実は無視され、平穏無事に公衆衛生が行なわれたという放送が数時間後にラジオから流される始末です。

これが現実でしょう。

ネルソン・マンデラが初めて映画化を許しているところから、彼にとって反逆罪で収監されたときの武力闘争のシーンやボータ政権の改革路線が破綻し、南ア全土に黒人暴動が拡大したときの関与などはカットされて、何となくガンジーのような無血革命の指導者のように祭り上げられているいますが、事実はこの作品でもマンデラが語っているとおり、非暴力ではなかったのです。

また、グレゴリーは同じ刑務所にいただけでマンデラとそんなに面識はなかったと指摘する文献もあるそうです。
原作自体にグレゴリーの脚色があるのなら、もう少し映画としての演出が欲しかったと思います。

あと黒人が警官に逮捕されるところで、グレゴリーが息子に何であの人たちを捕まえたの?って聞かれたとき、状況説明的に「アパメルトヘイトだから」とセリフを言わせて手っ取り早く話を進めるところも気になりました。
『遠い夜明け』のビコのように、幾度となく逮捕され、警察の暴力を受けていたがひるむことなく自分の考えを主張し続けるようなシーンがあってこそ、肌で「アパメルトヘイト」の凄まじさや理不尽さが感じられるものではなかったでしょうか。

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