プラトーンのレビュー・感想・評価
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時代を超えて突き刺さるオリバー・ストーンのメッセージ
名作は鑑賞するごとに違った輝きを放つもの。それを裏付けるかのように、86年公開の本作を「朝十時の映画祭」で久しぶりに鑑賞した際も、得体の知れない感情に襲われた。
チャーリー・シーンを主演に起用した背景には『地獄の黙示録』のマーティン・シーンを踏襲する意図があったのだろうか。だが、『黙示録』が醸し出すある種の寓話性に比べると、本作は記憶をあぶり出すかのようなリアリティと生々しい傷跡を観客に伝える。血なまぐさく、時には目を背けたくなるほどの描写を交えながら。
戦争終結から40年。人類は過去に学ぶと言われるが、その言葉に反して世界は相変わらず泥沼の歴史を繰り返し、一向に成熟したり、賢くなる気配はない。だからこそ誰もが心の内側に「二人の軍曹」を共存させていることを意識しなければならない。その均衡が崩れた時に人は間違いを繰り返す。オリバー・ストーン監督のメッセージは時代を超えて突き刺さってくる。
兵士達の荒んだ心
雨が降る中、体にまとわりつく虫を払いながら、ベトナムの密林を米兵達が進軍していく。蒸し暑さや汗で体がベトベトする不快感が映像から伝わってくる。命がけの銃撃戦もだが、彼らの感じる不快感からも戦争の過酷さが感じ取れた。冷戦に関する本で頻出するのがベトナム戦争だが、本ではあまり触れられない現場の様子を、リアルに描写している点で貴重な映画だと思う。
ベトナム戦争で戦う米兵達の多くは貧困家庭出身だとテイラーが言う。米軍のベトナムの農村における蛮行は、教育の不十分さや生活の余裕の無さ、そして従軍のストレスから来る彼らの荒んだ心を表していたように思う。テイラーは彼らとは異なり恵まれた環境で育ったようだ。しかし農村で頭に血がのぼり、障害者の農民に向けて銃を撃つ姿は、彼もまた従軍する中で余裕を無くし自分のことで精一杯になっているのだと感じた。
この農村で米兵達は農民に対する暴力、殺人、レイプを行う。彼らの蛮行を見ていると、一体何のために戦っているのかと思わされる光景だった。
戦争指導の失政下に戦争犯罪のボーダーラインは難しい
互いの国家が人殺しを英雄としている、どちらかが一方的に虐殺できる状況を造り出し、早期終戦に導く戦争指導者は優秀とされる、だとすればベトナムでのアメリカの戦争指導者は無能である。個人の戦争犯罪は平時よりも剥き出しに、最小に迎えるには早期終戦しかないでしょう。
戦争の悲惨な話
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チャーリーは貧しくは無かったが正義感の強い男だった。
そのため大学を中退して志願してベトナム戦争に赴いた。
しかしそこには予想以上に悲惨な現状があった。
仲間達も平気でベトナム人を殺したりレイプしたりする。
チャーリーは自然と、常にそれを止めるような役となった。
そんな中、軍曹だけは同様に正義感が強かったので慕っていた。
しかしそれを疎んだ奴がどさくさ紛れに軍曹を撃って放置する。
これが原因で軍曹はベトナム兵に殺された。
チャーリーはそいつの犯行を確信していたが、手が出せない。
やがてチャーリーの隊は包囲され、絶対絶命のピンチとなる。
死ぬなら敵もろともと、じゅうたん爆撃を行い敵は全滅。
そして奇跡的にチャーリーと軍曹の仇のみ生き残る。
チャーリーは迷わずそいつを撃ち殺したのだった。
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これ、何か聞いたことある題名やと思ってたが、見てて思い出した。
高校でレンタルビデオに通い始めた頃、かなり初期に借りたんやわ。
野球好きなので最初に借りたのがメジャーリーグで、
それでチャーリーを好きになって借りたのを思い出した。
ストーリーとしては重い話。戦争はやっぱり悲惨過ぎ。
でも登場人物が多いし、かなり適当に見てる自分がいた。
高校の時は時折巻き戻しながらもっとちゃんと見た気がする。
まあそれは有料やったからってのもあるが(場)
《プラトーンとは30~60名の小隊》のことを言う。
1986年(アメリカ)
オリバー・ストーン監督・脚本。
ベトナム戦争を一人の若者の体験を通して
暗い側面を描いた戦争映画。
大学を中退して一年間の兵役についたクリス・テイラー
(チャーリー・シーン)。
貧しい者ばかりが戦うベトナム戦争に憤りを感じて、入隊する。
クリスの目を通して描かれるカンボジア国境2キロの最前線。
手紙に戦局を認めていたクリスが、やがて何ヶ月か経つといっぱしの
兵隊に成長。
分隊にはバーンズ(トム・ベレンジャー)という古参の《戦争のプロ》
がいて、対してエリアス(ウィレム・デフォー)は、
人間らしさを失わない3等軍曹で分隊長。
ある日エリアスはバーンズの分隊が、ベトナムの村人を暴行して殺して、
村を焼き払うのを目撃する。
「軍法会議にかけてやる」とエリアスは言い、
バーンズとエリアスは取っ組み合いの喧嘩をする。
それを根に持ったバーンズは、人目のない場所で
証拠隠滅の目的でエリアスを狙撃する。
しかしエリアスはバーンズに撃たれても死んでいなかった。
「プラトーン」のジャケット写真にもなっている名シーン。
エリアスが、たった一人
ベトコンに包囲されながら、味方のヘリコプターに向かって
両手を大きく空に向けて突き上げる。
断末魔の雄叫びを上げてるのか?
何を思い、何を言いたかったのだろう?
そしてバーンズとエリアスの反目を間近で見ていたクリスは、
ある決断をする。
クリス自身が傍観者から当事者に変わった瞬間。
負傷して救援を呼ぶバーンズを至近距離から撃ち殺すのだ。
この映画はベトナム戦争の負の遺産を余す所なく描いている。
☆兵士に蔓延している麻薬や大麻。
☆誤爆
☆ベトナム人へのリンチ・暴行・レイプ。
★村を焼き払う。
★★アメリカ兵同士の殺人。
これだけのタブーが描かれていて、よくぞ公開されたものである。
ジャングル。
「タコツボ」と呼ばれる塹壕。
飛び交う《ナパーム弾》
重い銃に背中のリュックがまた重い。
ベトナム戦を戦った多くの兵がPTSDに苦しんだ。
それにしても、
ベトコンは精神を持たないゲームの中の兵隊のように
強かった印象がある。
人間の心を根本から変えるのが戦争だ。
小隊社会
第59回アカデミー賞作品賞受賞作。
GYAO!で鑑賞(字幕)。
オリバー・ストーン監督の実体験が反映されているだけあって、リアリティー溢れる描写に戦慄させられっぱなしでした。
俳優たちに風呂に入らないよう指示するなど徹底した役づくりを課し、細部までこだわった演出に感心させられました。
苛烈な戦場では自分の所属する小隊が社会の全て。鬼の様な上官。蔓延する麻薬。戦争に慣れて兵士へと変貌する己。…
同士討ちが頻発し、仲間内での争いと殺人が起こるなど、混沌に満ちた戦場の実態は筆舌に尽くしがたいほど悲惨でした。
虚しさ 静かな怒り
戦争だけでなく、人間・政治・社会、
そして運に翻弄される人生(オニール軍曹の運命と、キングの運命)。
すべてを描き切っている。
実体験を素にしていると、あれこれ詰め込みたくなるのに、脚本・演出・編集がうまい。
音楽はクラッシックがメイン。レクイエムの代わりか。
『弦楽のためのアダージョ』は、ベトナム戦争にU.S.A軍事介入を推し進めたケネディ大統領の葬儀の時にも使われたそうな。あえての皮肉か。
「国のために」と、身を捧げ、戦地に送り込まれた青年たち。
待ち受けていた実態。
「国のために」というが、どう国のためになるんだか。
元々、ベトナム国内の内戦だったのが、資本主義(U.S.Aや韓国・オーストラリア)と社会主義(ソ連・当時や中国)の代理戦争となったと聞いているのだが。
この映画を観る限り、己のイデオロギーを押し付けるため、U.S.Aが、一方的にベトナムに侵略しているようにしか見えない。
この映画のU.S.Aが、今のロシアに、そしてこの映画のベトナムが今のウクライナに見える。今のウクライナは、対ロシア勢力をもろくむ、欧米諸国(&日本)の代理で戦っているように見えるからなおさら…。
しかも、前線に立っている兵士たちは。生活のためとか、己たちが生まれてしまった境遇を仕方なく受け入れ駆り出されてきただけ。クリスのような志願してきたものもいるが、詐欺のようなプロパガンダに、”英雄”気取りで、操られていただけのように見える。映画の中で「政治、政治」という言葉が何回か虚しく飛び交う。監督の思い。
そして、教育・訓練されてきたはずの、頼りになるはずの軍人(中尉達)の情けなさ。軍の中の人間としての社会よりも、勝つための(生き残るためでもあるが)命令を優先する軍人(大尉達)。
そんな中で起こる数々の出来事。
エリアスの笑顔が脳から離れない。
その直後にゆがむ表情…。なんてこった。
冒頭、デフォー氏のクレジットが先なのに、シーン氏が主役?と思ったけれど、
こういうことだったのね。
しなやかな動きのエリアス。班のメンバーのことを思い、茶目っ気も見せる。そして、的確な状況分析から、常に危険な任務に先頭きって挑む。森を駆けるときの緊張にはらんだ眼差し。全身が目になっているような。豹を思わせる。
監督は、このエリアスを思いっきり魅力的に描く。
熊のようなバーンズ。決して動じない。バーンズ2等軍曹、エリアス3等軍曹とバーンズの方が上だが、役目としてはどちらも分隊長。だが、バーンズは一等軍曹のように、小隊長である中尉の補佐役としてふるまう。否、補佐でなく小隊長そのものか。尤も、あんな中尉だったら、「自分が指揮をとるわい」という気持ちは痛いほどよくわかる。命がかかっているんだもの。
悪の権化のように描かれるバーンズだが、「命がかかっている場ではありかも」というレビューも散見される。そう、嫌な面ばかりではない。そんな彼が…。
「自分自身との戦いだったんだ…」
ベトナム帰還兵は、こうでも思わないとやってられないだろうというのが、この映画を観るとよくわかる。
第1次世界大戦でも、第2次世界大戦でも、PTSDの症状を示す帰還兵はいたけれど、ベトナム戦争後に、その概念が世間に一気に広まった。
よく、第1次世界大戦・第二次世界大戦と、ベトナム戦争の違いを説明されるけれど、ああ、こんな戦いだったらわかる気がする。
兵士と民間人の違いが判らない。誰が敵か、誰に殺されるか、いつ、どこから襲われるのか。募る疑心暗鬼。言葉が通じぬ点も疑心暗鬼を煽る。
恐怖心から、最大の防衛は攻撃とばかりに、エキセントリックに行われる狂気。
仲間を殺されたことで、一気に噴出する怒り。復讐せずにおれるものかとばかりに。
”自分”が”自分”でありたいと鼓舞する果ての狂気。
ちらつく”軍法会議”の果て。
そんな、心情の高まりがとても丁寧に綴られる。
応戦の激しさ。闇の中からの攻撃。敵もだか、味方からも。アクションシーンとしても見事だが、何より実体験に裏打ちされた場面。見ているだけなのに、追いつめられていく。
彼らは、何と、誰と、何のために、戦っているんだ…。
ただ、ただ、生きて故郷に帰るため。なりふり構わず。見て見ぬ振りも時には有効。
正直、テイラー目線で見ると、決着のつけ方はもうひとひねり欲しい。いいんかい、それで。バーンズと一緒やん。
でも、バーンズ目線で見ると、唸ってしまう。バーンズの人生を、遠い目で憐れみたくなる。彼も、この戦争に従軍していなければ、どんなお父さんになっていたのだろうかと。頼りがいのある一家の長、否、その地域の長として幸せを謳歌していたのだろうなと。
エンドクレジットで、隊のメンバーが各登場人物が一人一人アップで映し出される。
監督が戦場で出会った人々をモデルにしたのだろう。
その、モデルとなった人々への敬意と愛着を示しているようで、泣きたくなった。
≪蛇足≫
U.S.A軍が撤退し、北ベトナムによる共産主義政権が樹立。言論統制等に反発したベトナム人たちが、ボートピープルとして、海外に流出。日本にもたくさんの方がいらした。U.S.Aもたくさんの方々を受け入れた。その中のお一人が、2023年アカデミーで助演男優賞受賞。スピーチで「アメリカンドリーム」と言った時、とても複雑だった。
本当に、この戦争は何だったのだろうか。
凄惨な戦い
志願兵となり陸軍歩兵師団の一員としてベトナムに赴いたクリス( チャーリー・シーン )の視点で描く。
ジャングルでのゲリラ戦、バーンズ二等軍曹( トム・ベレンジャー )の凄みのある狂気を孕んだ目つき、村人を殺め村に火を放つ。エリアス三等軍曹( ウィレム・デフォー )の微笑みが絶望へと変わる…。
任期を終え本国に戻るキング( キース・デイヴィッド )とクリスが語り合うシーンのみ温もりを感じた。
ベトナムの村人達が、昔の日本人の姿と重なって見え、重苦しさが増した。
エンドロールで流れた「 弦楽のためのアダージョ 」の切ない音色が沁みる。
ー何が善で何が悪なのか
NHK-BSを録画にて鑑賞 (字幕版)
戦争は悪
チャーリーシーン扮するクリステイラーは、ベトナムに新兵として従軍した。しかしアリにたかられたりして参っていた。村人が騒ぎ立てるから村を焼き、殺してしまう。内輪もめもあり敵より味方と戦っている様な神経戦になる。戦争の悲惨さを表した展開だが、戦争は悪でしか無い。
最初に映画館で見た時の衝撃!
戦争は人を人でなくすものですね。実際にその場になったらと想像することさえ難しい。
今、この瞬間にも戦争が行われている現実を思うと胸が痛みます。
人間の心の中にはエリアスもクリスもバーンズも住んでいるのだろうなと思います。
ただただ戦場
戦場にあるのは死と血と狂気。
そして自分との戦い。
生と死の間にある戦場で人間らしくあるためにはあまりにも過酷な状況です。
戦争は、世界のどこの国も同じですべて愚かであるなと。
ウクライナとロシアの戦況が強まっている今、いろんな思いが込み上げてくる。
戦場を知る監督が制作した本作品にリスペストですがオスカー作品としては当方は疑問です。
この映画を名作だという目線は主に男性が多いのではないかと思いました。
アメリカ人監督の描くベトナム戦争は虚偽の内容や、行為を美化する内容が多い。戦争の怖さと言うが、この戦争は一方的な侵略戦争である。今のロシアと比べてもアメリカのやってきた行為は許されるものではない。
アメリカは、自国の黒人をベトナム戦争にかりたてる為に、公民権法を制定させた。
白人の貧困層がベトナム戦争に行く羽目になったと、この映画では語っているが、黒人は公民権法制定により、行く事が拒めなくなる。そして、それに比例して、ベトナム戦争も泥沼化していく。(今のロシアと同じ) それが、1968年。その年の色々な出来事と繋がる テト攻勢 ソンミ村虐殺事件 アメリカによる北爆の全面停止 それらの出来事は、現地で戦うアメリカ人兵士にとっては、戦況の悪化でしかない。そして、翌年にはベトナム解放戦線が南ベトナム共和国臨時政府となる。既存で存在したベトナム共和国はフランス承認の傀儡国政府と体をあらわすことになる。
そして、その余波がカンボジア内戦とラオス内戦に繋がり、アメリカは防共を大義名分にかかげて、弱い国を侵略していく。だから、1975年までインドシナ戦争は継続するのだ。すべて、共産主義からの防衛を掲げている。当時から、防共は叫ばれ、北ベトナムが社会主義、南ベトナムは資本主義と言った構図になっていた。つまり、朝鮮戦争と同じ構図になる。
最近、勝共連合とか聞くと思うが、1968年に朴○煕、笹○良一、岸○介、蒋○石、文○明(統一教○)等の力で国際勝共連合として発足している。だから、当時から、南ベトナム解放民族戦線をベトコンと蔑んで、アメリカの行為を肯定する政治家が、日本には沢山いた事を忘れてはいけない。勿論、いた事が直接悪いと言うわけではない。
(高校2年生の時の世界史の授業で習い、それで使ったノートを丸写しです。詳細は文献を参照されたし)
さて、この映画だが、何を言いたいのか僕は全く分からない。米軍どうしの殺人が2回行われ、最初の殺人は権力争いであるが、二度目は『えっ!』と思わず身を引いてしまう。立派な殺人。なんでこの表現が、反戦映画の名作になるのか分からない。兵隊やくざの大宮キサブロウすらやらなかった。これが民主主義国家、アメリカのリベラル層の理論なのだろうが?
30歳の時、大阪で夜行列車を待つ間に、よしもとの劇場の隣で、オールナイトで見た。
この程度の映画で『弦楽のためのアダージョ』は使って貰いたくないと感じた。
また、アメリカは戦争を終結させたのてはない。敗戦したのだ。這々の体でサイゴンの街から逃げて行く姿を見て、やっと終わったと感じた。
8月15日を終戦と言うのはおかしい。敗戦記念日なのだ。不謹慎だろうが、原爆を2つも落とされて、終戦と定義すると、『原爆は戦争を終わらせる為に落とした』と、カーチス・ルメイの様な悪魔に語られる事になる。❴なお、カーチス・ルメイはベトナムの北爆にも関係している。そのルメイに日本人は勲章を授けている!❵
敗戦記念日とは、沢山の罪のない日本国民が殺され、戦えなくなって敗けた記念すべき日と考えるべきだ。そして、負けても恥ではない。寧ろもっと早く白旗を揚げるべきだったのだ。
今、戦争というものの本質を見る
ベトナム戦争は小さい時の話だった。外国で起こっていて、あまりピンと来なかった。軽い気持ちで若い頃、レンタルビデオを見た。もう、大分時間が経っているので、細かい所は忘れているが、戦争という極限状態の中で戦う兵士達。肉体・精神も病んでいく長期戦。そのリアリティに圧倒された思い出がある。
そして、現在・・・ロシアのウクライナ侵攻に伴って、増える死者、一般市民への残虐行為、徹底した破壊・・・勝っても負けても、それが何の意味も持たない。また、新たな火種となって愚かな行為を繰り返す。「戦争」それは人間の、最も愚かで、恥ずべき蛮行である。
ベトナム戦争を兵士の目線で追っているため、兵士たちの日常や心情に赴...
ベトナム戦争を兵士の目線で追っているため、兵士たちの日常や心情に赴きがおかれている。
何のためなのか、誰が味方さえもわからなくなってしまう人間の狂気。
監督自身もベトナムの帰還兵であるということだから説得性はすごい。
戦争で人は狂気に堕ちる
実際の帰還兵である監督自身の実体験を基に、ベトナム戦争の事実を伝えるアカデミー作品賞受賞の戦争ドラマ。
「戦争」という愚かな行為を世に伝える為の名作。
今の映画界を担う若かりし頃の名優たちが共演しています。
戦場という極限の状況下では、何が正しいのか判らなくなっていく模様が描かれています。
正義が次々と死んでいき、悪が勝ち上がり弱者を罵る。
決して繰り返してはならない歴史がそこにはあります。
人間の狂気
この作品は戦争の怖さを全て語ってくれる。理由もなく戦い続けてたくさんの人が死ぬ。村襲撃シーンも善良な村人が理由もなく惨殺された。戦争が人間の全てを変えます。僕が大人になる頃には迷彩柄の服を着なくて良い世界になるといいです。
【”大義なきベトナム戦争で戦ったのは、貧しき白人と有色人種だけだった。何のために、誰と戦っているのかも分からないまま。”従軍したオリヴァー・ストーンが、激しい怒りと共に母国に叩きつけた作品。】
<Caution 内容に触れています。>
1.最初にこの映画を観たのは、高校生だった頃だろうか。
ビデオで鑑賞した。
印象は、それまでのヒロイックなベトナム戦争映画とは違うトーンであるな、という事であった。
勿論、「プラトーン」と言えば、”あのシーン”という、味方であるはずのバーンズ(トム・ベレンジャー)に森の中遭遇し、”正面から撃たれた”エリアス(ウィレム・デフォー)が、ベトコンの攻勢により、クリス(チャーリー・シーン)達が、ヘリで撤退する中、森の中から血だらけで走って来ながら、背後からべトコンの銃弾を浴び、天に祈りを捧げるように、両手を上げて背面から崩れ落ちるシーンは、強烈に覚えている。
ー 戦争の敵とは、状況によっては味方も十分に敵になりうるのだ、という思いと共に・・。ー
2.2回目に鑑賞したのは、「午前十時の映画祭」である。
何年かは覚えていないが、大スクリーンで観る圧倒的な迫力と、哀しきトーンの控えめな音楽が印象的であった。
そして、今作の主人公であるクリスが、今作の脚本・監督を務めたオリヴァー・ストーン自身がモデルであった事も知った。
それまで、下積みを重ねて来たオリヴァー・ストーンの渾身の脚本である事も、知った。
そして、この大義なき戦いを始めたアメリカ合衆国にオリヴァー・ストーンが、激しい怒りとともに叩きつけた作品であることを知った。
3.昨晩、久方ぶりに鑑賞した。
気づいたのは、戦争による死傷には、自国軍による誤爆も、多数合ったのだなあ、という事である。
そして、右も左も分からない、新兵たちが、あっと言う間に死体収容袋に入れられていくシーン。
2回目鑑賞時の様な衝撃は軽減したが、矢張り、今作は傑作である事を確認した。
そして、エリアスが”祈りを捧げるシーン”は、矢張り圧倒的な反戦シーンであった。
<ラスト、クリスがモノローグで語る言葉は、現代に生きる我々に対する、重い、重い箴言である。
不惑の歳になり、この作品が世に出た当時に、絶賛された理由が良く分かった作品である。
傑作は、再鑑賞に十二分に耐えうるという事も確認した作品でもある。>
□追記
昨晩、私よりも遥かに映画に精通しているレビュアーの方から哀しきトーンの控えめな音楽は”この映画に使われた弦楽のためのアダージョは、アメリカのクラシックの作曲家バーバーが作曲です”と言う有難いコメントを頂いた。
この場を借りて、感謝を申し上げます。
この映画サイトは、一時期酷い誹謗中傷に満ちたコメントに溢れていましたが、元の健全な映画情報を教えて頂く場に戻ってきた事をとても、嬉しく思います。
ジャングルでは、敵も味方も識別しがたい
ジャングルでは、敵も味方も識別しがたいので、敵だと思って身構えたら味方だったので安心してほっとしたところ、その味方バーンズ(トム・ベレンジャー)に撃たれてしまう。撃たれたエリアス(ウィレム・デフォー)の心境を思うと堪らない。一命を取り留め、敵から逃げようとしたがすでに遅く、圧倒的な数の敵は容赦なく彼に向かって撃ってくる。何10発もの弾が彼の体を突き刺さし、最後に彼はひざまずき両手を高く上げて死んでしまう、あの有名なポスターにもなったシーンでした。
このシーンで「弦楽のためのアダージョ」が流されるが、人が殺されるシーンでこんなに綺麗な曲が流されて良いのかなっていう気持ちもありましたが、実にこのシーンの情景にぴったりという感じで、涙が出るくらい切なくなりました。「地獄の黙示録」で、ヘリコプターによる爆撃シーンで流れたワルキューレの騎行とともに、映画音楽史に残る名曲、名シーンでした。
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