劇場公開日 1946年12月

南部の人のレビュー・感想・評価

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4.5テキサスで撮影したんじゃないんだ!

2023年1月20日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

この映画は1945年の映画で、当時、小作農から自分の土地を持つというのは白人だからできたことだろう。テキサスが舞台の映画らしい。当時、どこで撮影したのだろか気になって調べてみたら、カルフォルニア州の農業地域、サンワキンバレー(San Joaquin Valley)であると。あとはロスの映画撮影所。テキサスだと思っていたので期待外れであった。

Madera, California, USA(cotton fields)
Millerton Lake, California, USA(Flooding scene)

1940年代、(日米は戦争中)だからねえ。南部をよく知っているというジェームス・エイジー(James Agee)のコメントだが、ジャン・ルノワール監督は南部の地域のことをよく描写していない。南部の人の性格、話し方、歩き方、顔の表情も全く表現できていないと。フランス映画の巨匠でハリウッドのスターを使った映画だからねえ。でも、それほど強くないけど南部のアクセントで話していると思うけどね。特にサムは。サムの体の体の動かし方、歩き方は確かに農夫じゃないね。私の理解ではテキサスは国だと思ってる人がいるくらいだから、誇り高いんだよね。

好きなシーンは家族の愛だ。でも興味のあるシーンは新参者、サムに冷たくするデイヴァーズとの二人の関係だ。デイヴァーズは家族を犠牲にして成り立ったその農場をサムのような開墾の苦労を知らない若者が助けを求めても助けてあげる気になれない。鼻っぱしの強いサムに対して、俺は『自助』でここまでやってきたんだ。妻や子供を病気で失った気持ちはお前のような新世代のものにはわからないよとでも言いたけな調子だ。それに、自分が買おうとしていた土地をサムが手に入れたのも気に入らない。デイヴァーズは『鉛筆』と言われているナマズを仕留めること。これは彼のやりたいことでまだ達成できないことなんだ。家族を犠牲にして苦労して農家としては成功したけど、彼の夢だと言えることは川の主、鉛筆を彼の手でしとめること。デイヴァーズはサムを撃ち殺そうとしていたが、釣り糸の動きを見て、銃を捨てて、サムに近寄っていく。「手伝おうか」といいながら、サムの後ろを回ってまるで友達のように、釣り糸に手を伸ばすデイヴァーズはもう今までのかれとは違って、輝いた目をしていた。綺麗な目だった。サムに協力して仕留めたが、交換条件を出して、自分が仕留めたことにしてもらいたがる。単純なとも思ったが、これがデイヴァーズの夢だったんだよ。サムにとってのナマズの価値はデイヴァーズとは違う。この共通であるが、価値観の違いで、二人はこれからも繋がっていく。もちろん、デイヴァーズは罵るかもしれないが、ナマズの件があるから下手に出ると思うよ。ナマズの取引がデイヴァーズを変えた。だけでなく、サムも。

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Socialjustice

4.0ルノワールのアメリカ映画の秀作

2020年5月4日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

貧しい者の苦難の生活を題材にしている点で、ヴィスコンティの「揺れる大地」を想起させる。といってリアリズムより、当時のハリウッド映画のアメリカヒューマニズムの色彩が強く、深刻な生活苦の暗鬱さより、アメリカヒューマニズムとルノワール演出の豊かさを味わうことが出来る。特に主演のザカリー・スコットとベティ・フィールドの演技が魅力的で、この時代のアメリカ映画では見ることのない、男女の色気と艶が滲み出るところは流石ルノワールと感嘆してしまう。
20世紀初頭の未開の大地の開墾は想像を絶する。困窮を極めた食糧事情のなか子供が栄養失調になるエピソードがあるが、ごく一般的な事柄であったのだろう。それら弱い者へ対するルノワールの視線は常に優しく温かい。

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Gustav