地獄の黙示録

ALLTIME BEST

劇場公開日:

解説

「ゴッドファーザー」シリーズで世界的成功を収めたフランシス・フォード・コッポラ監督が、1979年に発表した傑作戦争映画。ジョゼフ・コンラッドの小説「闇の奥」を原作に、舞台をベトナム戦争下のジャングルに移して戦争の狂気を描き、第32回カンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールを受賞。過酷で困難を極めた撮影時のエピソードは伝説的であり、その過程はドキュメンタリー「ハート・オブ・ダークネス コッポラの黙示録」(91)で描かれている。また、22年後の2001年には、コッポラ自らの再編集で未公開シーンを追加し、50分近く長い「地獄の黙示録 特別完全版」も製作・公開された。サイゴンのホテルに滞在していたアメリカ陸軍のウィラード大尉は、軍上層部からカーツ大佐の暗殺を命じられる。カーツ大佐は任務で訪れたカンボジアのジャングル奥地で勝手に自らの王国を築きあげ、軍から危険人物とみなされていた。ウィラード大尉は部下たちを連れ、哨戒艇で川をさかのぼってカーツ大佐の王国を目指すが、その途中で戦争がもたらした異様な光景を次々と目撃する。日本初公開は80年。2016年にデジタルリマスター版でリバイバル公開される。

1979年製作/147分/アメリカ
原題:Apocalypse Now
配給:boid
劇場公開日:2016年4月16日

その他の公開日:1980年2月16日(日本初公開)

原則として東京で一週間以上の上映が行われた場合に掲載しています。
※映画祭での上映や一部の特集、上映・特別上映、配給会社が主体ではない上映企画等で公開されたものなど掲載されない場合もあります。

スタッフ・キャスト

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受賞歴

第4回 日本アカデミー賞(1981年)

ノミネート

外国作品賞  

第37回 ゴールデングローブ賞(1980年)

受賞

最優秀助演男優賞 ロバート・デュバル
最優秀監督賞 フランシス・フォード・コッポラ
最優秀作曲賞 カーマイン・コッポラ

ノミネート

最優秀作品賞(ドラマ)  

第32回 カンヌ国際映画祭(1979年)

受賞

コンペティション部門
パルムドール フランシス・フォード・コッポラ
国際映画批評家連盟(FIPRESCI)賞 フランシス・フォード・コッポラ

出品

コンペティション部門
出品作品 フランシス・フォード・コッポラ
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映画レビュー

5.0単純明快

2024年1月13日
PCから投稿

妙に難解がる評論家が多いようですが、最近のPTAやCノーランみたように話がさっぱり分からない上に結末も勿体つけた作品と違ってわかり易いです。

ジャングルの奥地に潜むカリスマの高い奇人変人将軍を消しに行くという話ですが、新興宗教の季ちがい教祖と捉えればその言動も彼への対応も十分に想定範囲内です。

ストーリーは単純、というより戦争オムニバスの繰り返しですから、ベトナムの狂気を壮大なスケールで描いた悠々たる超大作とみればよいでしょう。

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越後屋

5.0朝のナパーム弾の香りは格別だ

2023年6月10日
スマートフォンから投稿

怖い

興奮

ベトナム戦争の狂気を描いたという点ではマイケル・チミノ監督の「ディア・ハンター」と並ぶ金字塔‼️この作品は撮影中の様々なトラブルから伝説に包まれたような作品で、キャスティングの難航、台風直撃、アメリカ軍の協力拒否、長期のフィリピンロケによる病気の蔓延、私財を投じたコッポラ監督の破産など、そのあまりのパニックぶりは本編と同じくらい有名なメイキング「ハート・オブ・ダークネス」が製作されたほどで、そちらも必見の作品になってます。その撮影中の数限りない障害が、映画に異様なまでの迫力をもたらしており、ワーグナーの「ワルキューレの騎行」をバックにしたヘリ部隊の襲撃や、ドアーズの「ジ・エンド」を暗殺シーンに使用したりと、コッポラ監督の天才的なセンスが冴え渡って、一瞬たりとも目が離せません‼️映画史上No.1の呼び声高いあの作品に続くコッポラ監督とマーロン・ブランドのコンビぶりも素晴らしいのですが、それを凌ぐ圧倒的な存在感を示したのがキルゴア中佐を演じるロバート・デュバル‼️ベトナム戦争の狂気を体現したこのキャラクターのセリフ "朝のナパーム弾の香りは格別だ" は映画の歴史に残ると思うし、爆撃中、他の兵士全員が地面に伏せている中、ひとりで仁王立ちしているシーンとか、あまりにインパクトが凄すぎて夢に出てきそうです‼️出てきました、実際‼️ちなみに前述のキャスティングの難航では当初、マーティン・シーンの役にクリント・イーストウッド、マーロン・ブランド演じるカーツ大佐にスティーヴ・マックィーンが交渉されてたみたいです。今にしてみればマーティン・シーンとマーロン・ブランド以外考えられませんが、ひょっとするとマックイーンとイーストウッドの初共演が実現していたかもと思うと、何ともいたたまれない気持ちです‼️そういう逸話も含めてハリウッドの伝説と化した作品です‼️必見‼️

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活動写真愛好家

3.5やや尻すぼみ

2022年4月3日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:VOD

楽しい

怖い

興奮

朝のナパームの匂いは格別だ…。までの戦闘シーンに息を呑む。ヘリコプター部隊の爆破は、すごい臨場感でベトナム戦争のドキュメンタリーを観ているようだ。この先どんな展開が待っているのだろう。ワクワクと思ったら、あれっ??急激に失速して後半は睡魔との闘いに負けるのであった😪

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movie freaks

4.0原爆経験後の戦争で「恐怖だ」は寝惚けた話

2021年11月26日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

1 映画の手法と内容について
立花隆「解読『地獄の黙示録』」によれば、この映画は手法が従来の映画とは異なっており、ハリウッド式の巨額な予算を投じた”私的実験映画”だという。

その手法とはT・S・エリオットが「荒地」で用いた手法と同様、過去の文化的創造物の素材をモザイクのように配置し、それぞれの素材の持つ象徴的意味の関連によりストーリーと主張を語らせるものであり、素材を知らなければ理解できない。つまりコンラッドの「闇の奥」、エリオットの一連の詩、聖杯伝説、フレイザーの「金枝篇」、そしてドアーズ「ジ・エンド」を知る必要がある。

そのシンボルにより解読してみると、本作はベトナム戦争を批判し、戦争のない世界のヴィジョンを示すことにテーマがある。
戦争に関わる人間は、殺戮本能を発揮させる狂人とならざるを得ず、冷静に顧みるならそこには恐怖しかない。偽善的な米軍とは異なり、本能のままに殺戮を実行した結果、自分の王国を構築したカーツは、戦争の生み出した典型的人間である。
戦争の論理の行き着く先を見届けたウイラードは戦争を止めるために、もはや米軍の指令とは関わりなく自らの意志で戦争人間の殺害を決断。王殺しの象徴的儀式を通じてカーツの地位を引き継いだうえ、殺戮を放棄するため武器を捨て王国の民も従う。そこに象徴としての再生の雨が降り注ぐ…というストーリーになる。

立花は日本におけるこの映画を巡る論争を批判し、「前半のリアルな部分と後半のシンボリックな部分との区別ができていない根本的に無理解な議論」があまりに多いと述べる。
その上で、区分を理解しても「既成の映画文法の上にたって彼の実験的部分を失敗と批判」する人と、「その部分を映画の新しい可能性を開いたとして賞讃」する人に分かれ、自分は後者に属すると分析する。

2 コンラッドの原作を中心とした私的解読
この映画の手法そのものに関しては面白いと思う。しかし、そこでシンボルに使われた素材の中心となるコンラッド作品が、悲しいかな19世紀的古さなのである。

「闇の奥」は英国の作家コンラッドが1899年に発表した小説。アフリカのベルギー領コンゴ自由国を舞台に、一人の超人的会社員クルツが原住民を手なずけて当時の富の象徴となる象牙を独占したうえ、神のような権威を得るという話である。
そして、彼の末期の言葉が「恐怖だ。恐怖」というもので、映画はそれを利用している。(字幕では「地獄だ。地獄の恐怖だ」などという無意味な誤訳が使用されているが)

この小説が発表された当時、時代思潮は楽天的な啓蒙、進歩主義で、コンラッドはこれに対し「進歩の大義を掲げる連中」などと罵倒しつつ本作を書いた。そしてクルツの末期の言葉は、進歩主義の夢に耽りながら全世界を植民地化し、原住民を奴隷扱いしている帝国主義と欧州人の心の闇を暴き、糾弾する意味合いがある。

それを「『ゴッドファーザー』は米国帝国主義のメタファー」とうそぶくコッポラが、ベトナムにおける帝国主義戦争批判に使うのも自然と言えば自然な話だ。
しかし、もはや時代が全然違っていた。世界はコンラッドの頃から2つの世界大戦を経験し、人類の悲惨さは作家の想像力などを遥かに超え、現実が描きつくしているではないか。
原爆を「野蛮な黄色人種の国」(そう考えたと俺は想像する)日本に2発もぶち込んだ米国人に向かって、マーロン・ブランドが「恐怖だ。恐怖」と言ったって、観客は「何を今さら」と苦笑するしかないのである。あんた、トルーマンを普通の人間だと思ってるんだろ? その普通の人間が原爆の投下命令を下したんじゃねえか、と。
したがって、その狂気の戦争人間をマーチン・シーンが殺戮し、王位を承継して武器を捨てたら王国民も武器を捨てるシーン(戦争のない世界のヴィジョンの提示)に至っては、説得力がまったくない。

そんなものより、キルゴア中佐が「ワルキューレの騎行」をバックにベトナムの村落を破壊しつくす前半部分の方が遥かにメッセージ性が高く、本作は稀に見る痛快戦争アクション巨編として記憶されると思われる。皮肉としかいいようがない。

補足)雨の〈再生のシンボル〉としての不成立について
雨は、転機や再生のシンボルとされている。現にエリオットの「荒地」では、「ここは岩ばかりで水がない 岩があって水がないあの砂地」「ガンガ河は底が見え、うなだれていた木の葉は 遠くヒマラヤ山に暗雲がかかるまで 雨を待つのだ」と、乾いた不毛な土地に生命をもたらすものとして雨が使用されている。
「地獄の黙示録」でも最後に雨が降り出し、それが再生のシンボルとみられることを意図しているようなのだが、はたしてそのシンボルは成り立つのだろうか?
年間降水量は米国715mmに対し、カンボジア1904mm、ベトナム1821mmと倍以上である。ベトナム戦争では雨季に悩まされた体験が様々な反戦映画で描かれている。雨は恵みの雨というより、安楽を脅かすものなのだ。
だからラストシーンの降雨には、一般の観衆は何の意味も感じ取ることができない。ということは、雨の再生としてのシンボルは成立していないということである。

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