怪獣ゴルゴ

劇場公開日:

解説

英国で怪奇映画を手がけているユージン・ルーリーが自身とダニエル・ハイアットと共同で書いたオリジナル・ストーリーをジョン・ローリングとハイアットが脚色した怪獣映画。撮影は「炎の人ゴッホ」のフレディ・ヤング、音楽をアンジェロ・フランチェスコ・ラヴァニーノが担当。出演は「若い河」のビル・トラヴァース、ウィリアム・シルヴェスター、子役のビンセント・ウィンター、ブルース・シートン、ジョセフ・オコーナーら。製作フランク・キングとモーリス・キング。

1960年製作/アメリカ
原題:Gorgo
配給:MGM
劇場公開日:1961年1月10日

ストーリー

海難救助船トリトン号が大西洋で作業中、近くで海中爆発にあいアイルランド沖の小さなナラ島に逃げこんだ。乗組員ジョー(ビル・トラヴァース)とサム(ウィリアム・シルヴェスター)は島に上陸した。島にいた自称考古学者のマッカーチンは古代遺物の引揚作業中で、2人を邪魔者扱いにした。が、島の少年シアン(ヴィンセント・ウィンター)は2人になついた。2人はマッカーチンの怪しい行動を探り、海底から金銀財宝を引揚げているのを発見した。ある日、潜水夫をしているシアンの父が死体となって浮上した。その顔は恐怖にひきつっていた。巨大な怪獣が島に現れたのは翌日だった。ジョーとサムは鋼鉄製の網を作り、怪獣を生捕りにした。このニュースは世界中をアッといわせた。アイルランド政府は大学へ引渡しを要求した。が、2人は怪獣をサーカスに売るためロンドンに向った。故事になったシアンも同行した。シアンは怪獣に同情し、逃してやろうとして失敗した。サーカスでは怪獣を「ゴルゴ」と名付け、連日大盛況をおさめた。ところが、ゴルゴはまだ子供で、その親は60メートルもあり、海底火山の爆発で洞窟から抜け出し、どこかにいるという知らせがあった。間もなくゴルゴの母親がナラ島を全滅させたニュースが入った。怪獣はロンドンに向った。艦隊は出動し、ジェット機の編隊も発進、ロンドン市街には非常警戒態勢がしかれた。怪獣は近代兵器の攻撃を物ともせずに、突如としてテムズ河に姿を現した。火焔放射器、ロケット、ミサイルなど陸海空の総攻撃が開始された。が、怪獣は市内に突入した。橋や建物を次々と破壊し、ゴルゴをサーカスから奪い返して、河から海の中に姿を消した。これを見たシアンの顔には喜びの色が浮かんだ。

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スタッフ・キャスト

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映画レビュー

3.0引き返す怪獣

2022年3月4日
iPhoneアプリから投稿

特殊撮影へのこだわりと遠近自在な演出技法には目をみはるものがあった。序盤に出てくる異形の魚の造形がメチャクチャグロテスクで、来たる大怪物の恐怖を強く予感させられた。それはそうと脚本はかなりアンバランスな出来栄えだったなあという印象。

怪獣の子供を捕らえて市中引き回しにしておいて、いざ怪獣の親がロンドンに侵攻してくると誰もが「助けて!」とか「反撃しろ!」とかいった被害者的な振る舞いに走るというのはちょっとムシが良すぎるんじゃないかと思う。お前らが原因じゃねーか!という。

最終的に人々は「我々の驕傲が此度の災禍を招いたのだ」という反省モードに突入するのだが、かといって怪獣への攻撃の手は緩めない。けっきょく子供を奪還した怪獣がそれ以上街を荒らすことなく海へと帰っていったことで物語は穏便に幕を閉じるのだが、私としては「こんな奴ら全員踏み潰しちゃえよ!」という気持ちだった。

もし仮に怪獣が暴れ続けていたとしたら、人々はどのように振る舞っただろうか。おそらくどちらかが滅亡するまで人類は攻撃をやめなかったんじゃないか。しかしそのような戦勝国的な好戦性を露わにするのは不本意だから、「怪獣側が手を引く」という解決によって強引に事態を収束させた。

おざなりの倫理意識を中途半端に導入するくらいなら、怪獣を徹底的に非人格的な「災害」として最後まで描き切るほうがまだマシだ。不謹慎を承知の上で、やはり核を落とされたことない国にリアル志向の怪獣映画は向いていないと思ってしまった。存在しない痛みを土台にアクチュアルな物語を紡ぎ上げることはきわめて難しい。

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因果

4.0ゴジラファンならば観ていないとお話にならない

2020年4月1日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

独立プロの製作で製作年は1959年
MGM が買い上げて米国公開されたのは1961年3月のこと
製作された英国での公開は1961年10月
では日本公開はいつか?
なんと1961年1月、世界初封切りは日本だったのだ

理由は観れば分かる
ゴジラ映画の洋画版というべき内容だからだ
しかも製作のキング兄弟は1954年8月に来日して新東宝と日米合作映画の商談を進めていたからだ

当初は普通の映画という話がいつしか、日本を舞台にした怪獣映画という話になったという
本作のナラ諸島というのは、奈良県が由来という
しかし日米合作の話が流れてしまった理由は分からない

ただその企画を捨て難いと思ったのか、キング兄弟は英国で製作を始めたのだ

ご存知ゴジラは1954年11月日本公開
米国での公開は1956年、勝手に編集された代物
これは1957年に字幕付きで日本で凱旋公開もされている
ゴジラは世界50ヶ国で公開されたそうだが、どの国もこの編集版なのだろうか?

ともかく怪獣映画は売れる!
キング兄弟はそれで怪獣映画を自主製作しようと決意したのだろう

監督はユージン・ルーリーをあてる
彼は1953年6月に公開された原子怪獣現るの監督だ
実はゴジラの元ネタは、彼が監督したその怪獣映画だったのだ

だからキング兄弟は彼を監督に起用したのだ

ユージン・ルーリー監督はゴジラを観て、この元ネタは自分の作品だとすぐに気づいたに違いない

パクられたと彼が騒がなかったのは、明らかにゴジラの方が遥かに優れていたからだろう
それも何から何まで上回っており、むしろ映画のイノベーションの域だったから、何も言えなかったのだと思う

本作を観て気づくのは、ゴジラへのオマージュが無数に散りばめられていることだ
ゴジラみたいな怪獣映画を自分でも撮ってみたい
そんなリスペクトが隅々まで感じられるのだ
つまりゴジラを手本にして、怪獣映画に再挑戦したというべき内容なのだ

まず怪獣が海外の怪獣映画では珍しいことに着ぐるみであることだ

着ぐるみを使う事で圧倒的に迫力のある特撮映像を撮れるということで、自らどうしても試してみたかったに違いない

特撮は英国特撮のレジェンド、トム・ハワードを起用している
後に007で有名にるパインウッド・ スタジオと合併することになるデナム・スタジオの特殊効果部で1930年代から特撮一筋で活躍する、英国の円谷英二というべき人
1910年3月27日生まれというから、円谷英二の9歳年下になる
1960年の未知空間の恐怖/光る眼、1964年の633爆撃隊はこの人の特撮でクレジットが残っている

恐らくジェリーアンダーソンのサンダーバードなどの特撮の基礎も弟子達の手になるものに違いない
007シリーズの特撮もこの人の弟子達の仕事だろう

あの2001年宇宙の旅の合成もノンクレジットながらこの人が関わっているともきく
今日のハリーポッターシリーズにも続く英国の特撮の伝統はこの伝説的特撮マン トム・ハワードの力によるものなのだ

さて内容はどうか?

怪獣の出現は離れ小島だ
土地の伝説ではオグラと呼ばれている
そうゴジラでの大戸島の呉爾羅(ゴジラ)伝説をなぞっている

そして怪獣は捕獲されロンドンに送られ、サーカスに売られてしまう
これはもちろん怪獣映画の総ての始祖キングコングへのオマージュだ

本作の題名はサーカスの団長が名付けた怪獣の芸名
ギリシア神話に登場する醜い女の怪物ゴルゴンからとった名前

ところがその怪獣は幼獣で、母親怪獣が救いにロンドンに現れる展開となる
これを1967年の日活の大巨獣ガッパが元ネタにしているのは有名

ゴルゴの母親怪獣はテムズ川河口に出現
タワーブリッジ、ビッグベンを破壊、ロンドン一の繁華街ピカデリーサーカスを襲う
そして最終決戦はサーカスが開催されているバタシーパークで行われる

これは東京で例えるなら、品川沖に出現してレインボーブリッジ、東京タワー、銀座を経由して後楽園で最終決戦という感じだろう

ロンドンのランドマーク、街並みを破壊するシーンはまるでゴジラそのものだ
石造りの建物が崩壊する様は素晴らしいクォリティー
特に火災が夜空を赤く染める中、ネオンサインが無数に瞬くピカデリーサーカスの中心部を進む姿は美しく、そしてゴジラそのもの

防衛側も軍隊が司令部で司令官が作戦を立てて対策を指示している

防衛作戦には、高圧電線ももちろん登場するし
ミサイルの連続発射も行われるのだ

軍隊の出動シーンは伊福部マーチが欲しいくらいだ
如何に伊福部マーチがゴジラ映画の雰囲気を盛り上げている要素であるかを思い知らされるだろう

最終決戦が遊園地なのは何故か?
これは原子怪獣現るの最終決戦が、ニューヨークのコニーアイランド遊園地であったことに由来している

ローラーコースターの骨組みは恐竜の骨格標本を思わせる
遊園地は子供達の夢の国
怪獣が住んでいても構わないじゃないかという監督のメッセージだろう

それに反して原子怪獣現るでは、遊園地で怪獣を殺してしまった
だから本作ではそうでは無い結末なのだ
遊園地から母子は一緒に仲良く帰るものなのだ

ゴジラ映画は第1作が1954年11月、第2作のゴジラの逆襲が1955年4月
第3作キングコング対ゴジラは1962年8月までなんと7年も間が空いている

その間、ラドンを1956年12月、地球防衛軍を1957年12月、大怪獣バランは1958年10月、怪獣は出ないが宇宙大戦争が1959年12月

本作はそんな間隙を突いて、1961年1月に日本で世界初公開されたのだ

モスラは同年7月公開で、半年後のことになる

本作はやっぱりゴジラ映画をみたいという渇望を満たすものを、日本の怪獣映画ファンに届けてくれたのだ

それが本作の日本での世界初公開が持つ意味だろう

もしかしたら本作はゴジラ第3作製作の呼び水になったのかも知れない

ゴジラファンならば観ていないとお話にならない

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あき240

3.0着ぐるみ怪獣

2016年8月4日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

楽しい

怖い

子供のころ、劇場で観たイギリスの怪獣映画で、日本と同じ着ぐるみで登場する。
アイルランド沖で海底火山が噴火、怪獣が現れるが、網で捕まえてロンドンに連れていき、見世物にする。
しかしこれは子供の怪獣で、巨大な親怪獣が追いかけてきてロンドンを破壊する。
逃げ惑い、踏みつぶされ、パニックに陥る民衆のシーンが丁寧で、ちょっと怖い。

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