父と暮せば

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劇場公開日:

父と暮せば

解説

原爆投下から3年後の広島を舞台に、生き残った負い目を抱える娘と、彼女の前に幽霊となって現れた父の交流を描いた人間ドラマ。井上ひさしの同名戯曲を基に、「美しい夏キリシマ」の黒木和雄監督がメガホンをとった。昭和23年、広島。3年前の原爆で父・竹造を亡くした美津江は、自分だけが生き残ったことに負い目を感じながら生きていた。勤務先の図書館で知り合った青年・木下と惹かれ合いながらも、幸せになることへの罪悪感から一歩を踏み出すことができない。そんな美津江の前に幽霊となって姿を現した竹造は、ふたりの恋を成就させるため、どうにか娘の心を開かせようとするが……。宮沢りえと原田芳雄が主演を務め、浅野忠信が共演。

2004年製作/99分/日本
配給:パル企画
劇場公開日:2004年7月31日

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(C)2004「父と暮せば」パートナーズ

映画レビュー

2.0見た。

2023年12月31日
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プライア

4.0【娘を想う父の気持ち、父や友に対する申し訳なさ故に”幸せになってはいけない”と思う娘の気持ちを名優二人が台詞と演技で観る側に訴える。強烈な反原爆映画である。】

2021年11月1日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

悲しい

知的

幸せ

ー 2015年に、山田洋次監督の「母と暮らせば」を鑑賞した際以降に、気になっていた映画である。-

◆感想

 ・ほぼ、宮沢りえさんと、故、原田芳雄さんが演じる親子の二人芝居である。

 ・舞台は、1948年の広島の夏。

 ・美津江(宮沢理恵)と、父(原田芳雄)が、雷を怖がるシーンから物語は始まる。
 ー 二人が、稲光を恐れる訳。ー

 ・”儂がお前の所に現れるようになったのは・・”と口にする父。
 ー 舞台を観ていないものにとっては、この時点で、父の娘に対する想いと、父の真の姿が分かる。ー

 ・美津江が心惹かれる青年、木下(浅野忠信)への想いを父は知っており、少し茶化しながらも、娘に青年との交流を進める父の姿。

 ・劇中、語られる”原爆瓦”。あの日、広島の上空で二つの1200度の太陽が現れた事実。

 ・美津江の”自分は、幸せになってはいけない”と言う想いと、お地蔵様の半分焼けただれた顔。

<美津江が、戦中から子供たちに行っていた”昔ばなし研究会”の活動。
 そして、あの日以降も、図書館員としてその行為を続ける美津江。
 その姿を温かい目で見守りながら、”独り残された”娘の幸せを願う父の姿。
 無垢な人々を襲った”二つの太陽”
 が、それでも父は、娘に”孫の顔が見たい”と願うのである。
 宮沢りえさんと、故、原田芳雄さんのユーモアを伴った演技が、彼の悲惨極まりない”人間が人間に行った許されざる行為”を強烈に糾弾した反戦映画である。>

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NOBU

5.0残された人の想い、先に逝かざるを得なかった人の想い。

2021年9月26日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

泣ける

笑える

怖い

後世に、世界に語り継ぐべき作品。
反戦・反原爆映画の代表作の一つ。
命を、生活を奪うだけでなく、長年にわたっていかに心を傷つけるかが描かれている。
PTSD。その一側面が丁寧に描かれている。
父の苦しみ。娘の苦しみ。その先に、希望はあるのか…。

だが、反戦・反原爆としてだけでなく、
「生き残ってしまった」とか、「私のせいで…」「もっとこうすれば…」などと自分を責めている・心を閉ざして生きている、残された方に捧げたい作品。
 どんな人にも共通する、子から孫へ、次世代への想いに溢れたの親世代からの、否、例え亡くなったのが年下で、生き残ったのが年上であっても、大切な人へ向けたメッセージ(「生きてちょんだいよー」)。
 しかも、父の願いは、ただ息をしているという状態ではなく、しあわせを求めて「生きてちょんだいよー」だ。

 原爆やその後の原爆症、GHQについても、簡単にまとめてあるから、原爆資料の一つ(被災後に人々がどんな想いを持っていたかという意味も含む)としても大切な作品。
 でも、直接的表現はないけれど、遺物等で見せつけられる等原爆の視覚的記述がかなりキツイので、そういう意味では観る人を選ぶ映画。
 映画でも娘が言っていたし、父が仕草で無意識に反応(雷=空がピカすることへの恐怖とか)していた。
 「思い出すのがつらい」と。

舞台の映画化。だからちょっと説明調の台詞から入る冒頭等、理屈っぽい感じがするけど、見応えの有る作品に仕上がっている。
 台詞の量がむちゃくちゃ多くて、セリフ回しが理屈っぽく感じる脚本だけど、宮沢さんの妖精のような柔らかさ、原田さんの包容力、浅野さんの朴訥さで、良い雰囲気に仕上がっている。
 なにより、井上さんのユーモアのセンスに原田さんがいかにもこんな親父いる!というふうに息を吹き込み、それをやんわりと宮沢さんがうける。宮沢さんも天然?系のボケを嫌みなく演じる。そこに朴訥な浅野さんと美しい緑の風景、ドキッとするような遺物・絵画等が挟まれることで、リズムができて、飽きさせない。

原田さんの歩くだけで笑いをさそうけれど、どことなく物悲しい父、
浅野さんのほとんど語らず出番も動きも少ないのに、父と娘が語る人物像を体現したインテリゲンチャ。この娘が意図せず恋に落ちてしまうのもさもありなんと思わせ、この娘が彼と結ばれて穏やかな愛を育み幸せになっていく姿が浮かぶ…、
 と、お二人がすばらしいのはいつものことだが、
それにもまして宮沢さんが素晴らしい。消え入るような風情で見せてくれる。あらすじは知っていたけど、実は娘も幽霊でしたというオチかと思ってしまうほどのはかなさ。自分の生を否定しているんだから、生活感はあっても、生きるエネルギーが感じられない、そんな風情が良く出ている。それでいて、以前はお転婆だったというエピソードもさもありなんという笑顔、あくたれ。思い詰めた目の動き・表情…。そして、ラストの、それまでとは違う輝きをまとったあの笑顔。すごいなあ。

胸を締め付けられる残されたものの想い。
なんであれ、幸せを願う親心。

この映画は原爆をテーマにしている。
その後(それ以前からだが)、地震・台風等の豪雨・その他の天災・テロ・人災・事件等でたくさんの思いもよらぬ死を経験してきた私たち。
それだけではなく、病死・事故死・自死等で死と向き合わなければならない経験をしている私たち。
生きるってことは、いろいろなことを背負っていかなければならないけど、それでも幸せになってほしい。幸せになることを許せない自分であってほしくない。
そんなこと無責任に言われたってって、当事者の方から叱られそうだけど、それでも心からそう思う。

☆  ☆  ☆

《蛇足》 ちょっとだけ、以下ネタバレです。

  ☆  ☆  ☆
    ☆  ☆
 父と娘について、いろんな人がいろんなことを言っている。
 幽霊を信じられない人々は、娘の心の葛藤が、”父”として現れたのだと言う。幸せになりたい心、でもそんな資格はないと自分を抑え込む心。傷つきと再生。それを表現したものだという。一理あると思う。
 でも、ここのレビューでどちらも幽霊という珍説を知った。確かに、上に記したように、宮沢さんが演じる娘には生気がなく一瞬疑ったけれど…。でも、それじゃあ、この映画は何を表現したかったの?ラストの映像がそういう珍説を生み出しているらしいが…。
 父は「娘(生き残った人)の応援団」だと映画の中で言っている。壮絶な経験をして傷ついている人々が、それでも幸せを求めて生きていくことを応援する「応援団」。だから、娘は生きていないと話が変だ。父が幽霊なのか、天使なのかはともかく、そんな「応援団」がいてくれたらいいなと思う。
 ラストの映像。映画の舞台・1948年と、映画が製作・公開された2004年をつないだものだと思う。絵空事の悲劇ではなく、実際にあったことと、実際の被災した建物を映した後、「100年は草木も生えない」と言われた地に花が咲き、2004年の街並みを映す。苦しみを抱えながらも、復興し、再生するのだとの力強いメッセージと受け取った。花は父と娘かもしれないし、娘と彼かもしれない。
 だからこそ、この街で暮らしているかもしれない娘夫婦のその後を想い、そこにいない父を想い、涙がとどめもなくあふれてくる…。
 穏やかな生活の破壊。それが戦争なのだと。それを奪ったのがピカなのだと。

 ☆ ☆ ☆
『母と暮らせば』を観てから、こちらを見た方が多いようですが、こちらが先です。
 井上氏ご自身で、この戯曲の対になる、長崎を舞台に原爆物を書きたいという構想がありながら、実現する前にお亡くなりになり、ご遺族が山田監督に脚本執筆・映画化を頼んだと、『母と暮らせば』のフライヤーで読みました。人選間違えたと思います。井上氏の長崎物の脚本が見てみたかったです。合掌。
 (勿論、浅野氏の出演・役は、この映画へのオマージュです)

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とみいじょん

4.0娘は描かれた時点では亡くなっていないのでは?

2020年8月8日
スマートフォンから投稿

山田洋次監督の「母と暮せば」があまりにも
期待外れだったので、こちらを再鑑賞。

やはりこの「父と暮せば」の方が
格段に優れていると思った。
黒木和雄監督は言葉の力を信じて、
あるいは井上ひさしを信じて、
舞台の二人芝居モードを徹底して
踏襲した結果、成功しているように思えた。

また舞台ではセリフの中でしか登場
しないという木下について、
図書館他での娘との語らいと
トラックで娘宅に向かうシーンだけで、
時間を割くことなく印象的に登場させ、
主役の二人芝居の主体は壊さない、
映画としての味付けに優れた演出力を
見せてくれていると思う。

一方「母と暮せば」の方は亡霊役が
登場するにも関わらず、
中途半端に映画としてのリアリティ感を
出そうとして失敗していると思う。
また登場人物が多すぎて
主役二人の会話に重みも無い。

もっとも、生者と死者、親と子、男と女、
の全てのひっくり返しに無理栗感があった
のが基本的な原因だとは思うが。

ところで、この作品へのレビューで
何人かの方が、
ラストシーンが原爆ドームの中での演技に
見えたり、
二輪の花が映し出されたしたことから、
娘も死んでいる前提だとしたら、
親子の会話との矛盾があるのではとか、
テーマにそぐわない等の
御意見が多くあります。しかし、

私はこの時点では
娘は亡くなっていないと思います。

この映画が完成したのは戦後59年ですから
終戦時に二十歳だった娘が既に自然死
している想定も可能だから、
2004年時点では父と一緒に二輪の花として
描かれても不自然ではないし、
更に言えば、
その後、彼女が原爆症で亡くなって
しまったと想像すると、
この花は、
娘が心配していた後遺症の怖さの
メッセージとも想像されるからです。

また原爆ドームの描写は、
そもそもがこの作品のテーマが
反戦・反核兵器なのだから、
原爆被害の記憶装置である原爆ドームを
全ての被害者を包み込むテーマの象徴
として使ったのであって、
死者同士の親子の物語だったのでは、
と捉えるのは読み過ぎではないかと
私は思いますが、如何でしょうか。

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