東海道お化け道中

劇場公開日:

解説

「出獄四十八時間」の吉田哲郎と「秘録おんな寺」の浅井昭三郎が脚本を共同執筆し、「博徒一代 血祭り不動」の安田公義と「妖怪大戦争」の黒田義之が共同監督した妖怪シリーズ第三作。撮影は今井ひろしと武田千吉郎が担当。

1969年製作/78分/日本
配給:大映
劇場公開日:1969年3月12日

ストーリー

東海道は藤川の宿はずれの鬼塚で、宮守の仁兵衛親分が殺され、その非道を止めようとした塚守りの甚兵衛も、火車の勘蔵の刃に倒された。お美代は瀕死の祖父甚兵衛から、父が由井の宿に生きていると聞くと、親子のしるしであるサイコロを持って、東海道を下った。だが、兇行現場を目撃したお美代は、勘蔵一家につけ狙われていた。そんなお美代を護衛したのが、百太郎だった。しかし勘蔵は、百太郎が親分の死を知っては面倒と賽吉と俵に命じ後を追わせた。やがて賽吉は、お美代を誘拐したが、浜松へ向う森の中で背中のお美代が蛇骨婆に変っているのを見てど胆を抜かれた。亡母の骨で作ったサイコロが魔力をもっていたのだ。お美代は、森で馬子の新太に助けられたが、勘蔵一家の連中に、発見されてしまった。新太は、腰の鉈を捨てるとお美代を連れて、八つ墓山へ逃げこんだ。ここは、刃物を持って入ると崇りのあるという伝説があるところ。追って来た一味は、墓山の妖怪におじけづいてしまった。お美代は、由井についたものの賽吉に連去られてしまった。ところがお美代のサイコロを見て賽吉の顔から血気がひいた。そして、娘の命を狙った罪深さを恥じるのだった。やがて、勘蔵一味に捕った二人を百太郎が救いに来た。だが、その時、勘蔵らは、妖怪群それに仁兵衛や甚兵衛の生首に襲われ、地獄絵そのものの殺りくを展開していた。

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映画レビュー

3.5妖怪不滅道中

2022年6月14日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル、DVD/BD

楽しい

単純

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近大

3.5いやー、映像がきれい。

2021年7月19日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

4K修復、こんなに美しくくっきり見れるなんて感動。昔はこういう怪談物、夏の定番だったなー。お話は怨めしい描写は弱いけれどやっぱりこういう作品は楽しい。子供が主役だしね。

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peanuts

2.5脚のあるお化け

2020年7月11日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

曰く因縁のある峠で、敵の親分を殺した悪いお親分が、お化けに悩まされ、遂には、というお話。
お化けに主役級は見当たらず、総力戦かな。
女の子が可愛い。

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いやよセブン

3.5怪獣ブームが去りつつあるなか、ガメラシリーズと共に特撮を支えたというところに意味がある

2020年3月30日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

大映京都撮影所が大魔神に代わる新シリーズとして製作した妖怪三部作の第三作

三部作といっても物語が連続するシリーズではなく、独立した物語

本作は1969年3月公開
ガメラ対大悪獣ギロンの併映作品

監督は第一作と同じ安田公義
前作で本編も監督した黒田義之は、本作では特撮監督に専念している

この妖怪シリーズでも、大映は1966年に三作を立て続けに製作した大魔神と同じ失敗を繰り返している
同じコンテンツを短期間に連発して、コンテンツの消耗を早めてしまっている
結果的にこのシリーズも3作で終わってしまう

第1作 1968年3月公開 妖怪百物語 安田公義監督 併映 ガメラ対宇宙怪獣バイラス

第2作 1968年12月公開 妖怪大戦争 黒田義之監督 併映 蛇娘と白髪魔

第3作 1969年3月本作

内容は第1作のように大人を対象にしているものの、子供を二人登場させてガメラを観に来た子供達にも配慮している
前作同様、当時人気の島田洋介と今喜多代の漫才コンビが出演させて退屈させない工夫をしている

主演は本郷功次郎
ガメラシリーズになくてはならないこの人が主演しているので大いに引き締まって、脚本も演出も水準並みで、楽しく観る事ができる

とはいえホラー映画でも、怪談映画でもなく、単なる人情股旅もので妖怪がでてきたという程度でしかない

そもそも妖怪とは何か?
妖怪の何にについて映画として取り上げたいのか?
ここの考察がなされておらず、単に化け物を時代劇のフォーマットに入れるというだけの代物になっているのだから、これでは息の長いコンテンツに成長しようがない

登場する妖怪は古い文献を元にした伝統的なものであるというだけが救いか

いや、逆に言えばキャラクターの立ったオリジナル妖怪を作っていないということだ
前作のオリエント由来の妖怪ダイモンというのはそれを目指したものだったのだろう

つまり伝統的な妖怪の登場する時代劇の中に物語が閉じ込められてしまっているのだ

それは子供達や大人達も、妖怪登場によるカタルシスが約束されないということを意味しているのだ

特撮シーンは少なく、それなりのもの
ラストシーンの妖怪達が多数乱舞するシーンで、半透明の妖怪たちが、それぞれ多重合成されているのが、なかなかのものであったくらい

本作が日本の特撮の歴史に与えたものは何か?
意義や意味は?と言われると苦しい
ゴジラシリーズが1968年8月の怪獣総進撃で一旦フィナーレを飾ったように、怪獣ブームが去りつつあるなか、ガメラシリーズと共に特撮を支えたというところに意味があるのだろう

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