劇場公開日 1953年10月31日

地獄門のレビュー・感想・評価

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3.5【邦画の哀愁漂う独自の美意識を世界に発信した作品。袈裟御前の悲恋を鮮やかな色彩に乗せて描いた日本映画の魅力を世界に知らしめた逸品でもある。】

2024年4月8日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

悲しい

知的

難しい

■ナント、70年以上も前の作品である。それが、総天然色になると(この言葉も相当に古い。)見応える作品になり、当時の海外の方々のベールに包まれた日本の魅力を伝えた作品である。

■平清盛の留守を狙い起こされた平康の乱から上皇とその妹を逃すため、平康忠は身代わりの袈裟(京マチ子)を乗せた車を遠藤盛遠に守らせて敵を欺く。
 その時袈裟の美しさに心を奪われた盛遠は、戦いの後に清盛に望みを聞かれて袈裟を乞う。
 だが既に袈裟は人の妻だった。

◆感想

・「羅生門」を筆頭にした、当時の京マチ子サンの美しさは、筆舌に尽くしがたい。
ー アンナ、美しい人妻を見たら、長谷川一夫が演じた遠藤盛遠でなくとも、それは惹かれるであろう。-

・袈裟御前を演じた京マチ子サンが自ら、夫の身代わりとなって切られるシーンなどは
今では予想通りであるが、当時は斬新だったのであろうな。

<今作は、カンヌ国際映画祭グランプリを受賞した作品だそうであるが、正に当時の海外の方が抱いていた謎の東洋の国、”ジャパン”を具現化している作品である。
 海外の方に取ってみれば魅力的にしか見えない平安時代の衣装も、驚きの対象であっただろう作品である。>

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NOBU

2.5ワンマンの作った「時代絵巻」

2018年11月3日
Androidアプリから投稿

大映のワンマン社長、永田雅一が 周囲の反対を押し切り製作
海外の賞を 数々、取って勝ち誇った訳だが(永田が) やはり周囲の意見が正しかったように思う(笑)

原作に あまり魅力がないのだ
主人公が 三者共、別々の方向をむき 無情感はあるのだが、弱い
盛遠の愚かさも、貞女の鑑の様な 袈裟も、時代と共に ますます観客を白けさせる ばかりである

永田が「映画向き」と考えた、装束や日本家屋独特の装飾(とくに風に揺れる 御簾の美しさ)と和色の活用、騎馬競争などに 見処はあるが
原因となる盛遠に、見るべき所が 全く無い
そんな男を、堂々と演じる 長谷川一夫
繊細さも まるで感じられない
映画的リアリズムも 欠けているのでは?

最後はストーカー盛遠が 袈裟の家に乱入する訳なのだが、(簡単に侵入出来る)日本家屋の構造について、考えさせられた(笑)
門番とかいないの?
庭から 誰でも入ってこれちゃうの?
渡の居ない時は、女ばかりで平気なの?
日本の治安は どうなってたの?
(あの頃から、神話的に安全なのか)
等々

いまでは「ワンマン」という 言葉は死語になったが、「パワハラ」「セクハラ」「ストーカー」等の
言葉が隆盛なのは 残念である

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jarinkochie

4.0信頼…

2018年5月16日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

悲しい

怖い

三角関係。終盤まではよくある話なんだけれど、最後のオチがそうくるかと多少唖然。ふっと、胸の奥をつかれてしまった。
 思いやった行為のつもりが、大切な人を地獄に落としてしまう。想像していた”地獄門”とはだいぶ違ったけれど、”信”を信条として生きている人には確かに地獄だわ。
 最後の最後のオチで、主役が交代してしまうところも、ズドンとくる。さすが菊池寛氏原作。

とはいえ、終盤で緊張感高まるけれど、物語はありきたりの筋で、ちょっとイライラ。舞台を水増ししたかなという感じ。

 それでも見惚れてしまうのは色彩。絹の光沢・色重ね。御簾を多用した画面作り。その御簾が風になびく様がなんとも心地よい。後半の青や黄を基調とした映像もとりこになる。
 ああ、こういう空間て、背筋が伸びて、気持ちが清々しくなり優しくなる。日本画の大家が監修していると知って納得。

 御所方=雲上人に近い人々 VS 六波羅方=裏切ることも兵法な粗野な乱暴者。
 その対比・確執がもっと出ていたらわかりやすかったのだろう。
 天女をどうしても手に入れたい六波羅の武士。
 天から落ちたくない女。
 そんな気持ちに疎い雲上人。
 みっともなく袖にされた女にしがみついて仲間に笑われるようなことを恥じる見栄。
 どんな手を使っても狙った獲物を手に入れることが称賛されるのに、手に入れられずに笑われることを恥じる見栄。
 育った環境によって、こだわりたいところがこんなに違う。

 男女の機微も交錯している。
 舞台は、平安から鎌倉への移行期。平安時代は基本、妻問婚。男がモーションをかけ、女が応じればOKの頃。もちろん二股かければ「実がない」となじられるけれど、男は何人もの女のもとに通い、財産を受け継ぐのは男ではなく女であるものの、その財産を維持するためには男の力を必要とし、そのためにも男を乗り換えたりもするのも処世術とされた時代の末期。
 でも、原作者の菊池寛氏は「貞女二夫にまみえず」映画にも出てくるが、男にそんな懸想を起こさせる女がはしたないとされた時代に生きた人。
 そんなベースだが、反面、女は”ご褒美”。袈裟とて、御所勤めの中で、渡に下賜された(御所方の口利きで結婚した)女。
 御所方の男・渡は、御所から絶世の美女を賜り、自分の価値を知る。
 鄙の女・袈裟は、普通ではかなわない教養ある立派な御所侍を、夫とでき、自分のステータスをあげる。(叔母が、御所に上がって「出世した」と言っていることからもそれは知れる)
 盛遠にしたって、袈裟は”ご褒美”と認められた”もの”。それが御所方の女だからとなかったことにされたのも、御所方との確執が混ざってエスカレートしたのではなかろうか。袈裟が六波羅侍の女房なら、仲間内のことと断念したのではないか。

なんて、背景を想像してしまうが、映画で見る限り、
 二重顎のもういい年の壮年男が、だだをこねるようにしか見えない。
 危機管理能力は袈裟の夫も欠けていて、あの状況で、妻を一人で出すかと、あんぐりする。妻の感じていた危機感をたわいのないこととしてしか見ていなかったんだよな。
 そんな中で袈裟がどれだけ苦しんだかの描写がなおざりなので、ただの犬死になってしまう。
 いじめ等を苦に自死する子やストーカー・DV被害を訴えていたのに残念な結果になってしまう人たちが、その苦しみを周りに真剣に取り合ってもらえていないのと一緒。
 だから、感動するはずの最後のオチもしらけてしまう。いまさら何言っているの?
 そこが残念。
 舞台なら完璧。
 でも映画だと、もう少し踏み込んでほしかった。

主演・長谷川氏は元歌舞伎役者。京さんへの演技指導もなさったと聞く。
 女形は基本男を立てる存在。そのシーン・シーンで美しく魅せればよい。だからか、袈裟が時に幼稚に、時に妖女に見えてしまうのが残念。

ストーカー。
結局、ストーカーする心理って、愛じゃないんだよね。
単なる所有欲っていうか、自分を認められたい自己愛でしかない。自分の小ささが駄々洩れになっているだけなことに、この映画を見て気が付いてほしい。

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とみいじょん

1.0日本初?のストーカー殺人

2015年4月25日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

怖い

こんな男に執着された日には、本人はもちろん家族まで人生がめちゃくちゃだ。でも、よくある話なんだろう、どこまでエスカレートするかは別として。
だからこそこの製作年代にこのテーマありきなのだ。いつの時代にも面倒で危険な男がいて、その被害をこうむる女とそのその家族がいる。
しかしこの映画、京マチ子の衣裳が素晴らしい。豪華な着物がつぎからつぎへと現れる。この絢爛たる絵巻を堪能するだけでも観る価値がある。

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佐分 利信