さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅のレビュー・感想・評価
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そこには、かけがえないのものが
解っているのだけど、熱いものが汲み上げ心が暖められるセリフがちりばめられていて、自分にとっての原体験とも言える何か根源的な感覚に陥った。
ターミネーター並のオープニングだったんだなー。
すっかり内容を忘れていたけど機械人間対人間ってほぼターミネーターばりだったんだなー、と。4Kの映像はやはり綺麗。景色が綺麗なのはもとよりメーテルのまつげもいっぽんいっぽんクッキリ。ドルビー音含め映画館で見る価値あり。汽車が宇宙に走る、ってやっぱり、もうそれだけでロマンでしかない。万感が胸をつくんです。
ドルビーシネマが表現する黒が素晴らしい。老パルチザンと黒騎士ファウストに感情移入して観る本作もまた永遠の名作でした
スクリーンで観るのは41年ぶり、ドルビーシネマ版の映像は傷だらけのフィルム映像で見た当時の記憶を猛烈に刺激するもので、冒頭に凄惨な機械化人との戦いで既に感極まって泣いてしまいました。映画が始まる前に上映されるドルビーシネマの説明でも強調されている通り特に黒の表現が素晴らしくて作品の中でもそれが十二分に発揮されていて溜息が出ました。1981年公開の作品なので『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』公開の翌年、当然SWに影響されたカットが無数にあるし、ファウストと鉄郎はモロにベイダーとルーク。そんな影響を改めて確認するのも楽しいです。初めて観た時はほぼ鉄郎と同い年でしたが、そこから半世紀近い年月が経った今は老パルチザンや黒騎士ファウストの境地、特に再び地球を後にする鉄郎を乗せた999を見送る老パルチザンの言葉に胸が震えました。そしてメアリー・マクレガーの『SAYONARA』。今でも普段から聴いている名曲ですが本作のエンドロールとともに聴くこの曲は格別で胸がいっぱいになりました。
スターウォーズ風味の999
第一作の999はうまくまとまってたけど、やはり柳の下の二台目の列車と言う訳で、途中でタイトル通りさよならしたくなりました。ビジュアルや背景のデザインは前作から格段にアップしてスケール感がありますが、全体的に同時期に公開されたスターウォーズの影響が大きいみたいで、ド派手な銃撃戦や爆発シーンが多く殺伐とした感じです。その分、999の魅力である情緒的な所が無くなってしまったのが痛い所です。ファンの人には悪いけど、そもそも完結しているお話しに無理くりストーリーをこしらえた感じで、その分余計なキャラや無駄で間延びしたカットが多く、メーテルや黒騎士も何を考えているのか、ピンとこないので退屈します。一応、これで完結したようだけど、これなら第一作で打ち止めにしといた方がよかったような。
大人目線でもう一度
子供の頃にテレビで観たのだと思うけど記憶がうっすらとしかなく。
大人になって、ドルビーシネマで堪能してきました。
松本零士もりんたろう監督もほんとに素晴らしい!
こんな作品を作ってくれてありがとう。
スマホこそ出てこないけど、今も全く色褪せない世界観だ。
子供の頃は鉄郎が急にテレビ版に比べてイケメンになって変な感じがしていたけど、今見たらこれが良いのだ。
ちびっ子から少年に成長し、メーテルがエンドロールの曲でさよならI miss youと涙を流す程の、メーテルに釣り合う逞しく心優しい少年でないといけなかったのだ。
そしてキャプテンハーロックとクイーンエメラルダスの999へのパッシングがかっこよかったなー。
2人とも大人の余裕。族の総長と姉さんが高級車で現れてパッシングしたみたいな。
ミャウダー殴られてもいいパンチだったぜ!ってめちゃくちゃいいやつ。
友達のために泣くことは素敵な事だ。メタルメナも改心して鉄郎に泣いてもらえて人生を全うできたし。
血の通った人間として、限りある命を精一杯生きていこうと思う。
男子の通過儀礼・父親という乗り越えるべき壁
ウラノス・クロノス・ゼウスの物語を繙くまでもなく、古今東西、少年が大人の「男」になる為の通過儀礼として「父親殺し(もちろん比喩的な意味でだ)」が必要である事は語られてきた。
本作も、そんな物語の一つだ。
前作で「母」を乗り越え、そして今回は「父」を乗り越える。
そんなテーマを根底に据えつつ、表面には、多感な少年少女達の琴線に触れる数々のエピソードが配置されている。ジュブナイル作品のお手本のような秀作だ。
子供時代、1番強く印象に残ったのは、ヘビーメルダーの衛星ラーメタルにて、パルチザン達が杯を掲げて唄うシーンだ。
たとえ命を失うとしても、隷属には決して屈しないという鉄の意思。
希望を同胞に託し、誇り高く生きる不屈の精神。
熱い命の讃歌が深く心に沁みた。
これをお読み下さっている中にも「ララ ラーラーララララー」の文字を見れば、すぐにメロディが浮かぶ方々が多数おられよう。
そして、本作では「泣けた」
前作では特に涙を誘われるシーンは無かったのだが(ダイジェストの為、ストーリーはハナからわかりきっていたし)「さよなら」の方は見事にやられた。
冒頭、999に乗る決意をした鉄郎を命懸けで送ってくれるパルチザンの仲間。
鉄郎を「ワシらの倅」と呼んでくれた彼らも、間違いなく鉄郎の「親父」なのだ。リーダー格と思われる老戦士が危機一髪でポイントを切り替えてくれるシーンは堪らなく泣けた。
(車掌さんの敬礼も胸に沁みる)
そして最大の号泣シーンは、鉄郎がメタルメナに言い迫る名場面だ。
わかっていても、事前にあらすじがすっかり読めていても。
「友の為に流す涙」の価値に涙腺崩壊だ。
(しかし実を言うと、今回改めて視聴したらこのシーンでは泣かなかった。
前出のポイント切り替え&999地球脱出の方が遥かに泣けた。
己の年齢が上がった事による、感情移入対象の変化によるものであろうw)
そしてクライマックスでは、エメラルダス言うところの
「宇宙で1番悲しいもの」を私達は目撃せねばならない。
松本作品には、この「宇宙で1番〜〜」「この世で1番◯◯」というフレーズが多用される。原作にて羊皮紙のような巻物に書かれていたり、謎めいた女性キャラクターが口にすると、子供には不思議な説得力があったものだ。
しかし、エメラルダスに余計な追加設定が加わってしまった現在、羊皮紙がオーバーラップしない新規鑑賞者には、間延びして映るかもしれないな、と感じた。
(愚かな追加設定により、エメラルダスはすでに謎めいた女性ではない)
また、インターネットで簡単に情報が手に入る現代の子供達には、この手の「冒険から学ぶ哲学」のような表現は、もう響かないのかな?と少し気にかかった。
いずれにもせよ、前作と本作合わせて「映画・銀河鉄道999 二部作」は白眉の名作だったと思う。(もちろん、対象は小学生からせいぜいローティーンまでである。)
本当に、これで「終着駅」にして欲しかった。「SAYONARA」にして欲しかった・・・。
これ以降の999関連作品は、すべて蛇足であり、松本御大が自ら晩節を汚した感がしてならない。つくづく残念である。
引き続き
昨日から劇場版を観ています。
これは、公開時に観ておらず、
10代後半頃に、まだ、ベータ版がある
時代に観た記憶があります。
懐かしさもあり、ハーロックやエメラルダスなど、大満足です。
1作目のゴダイゴもかなり良かったですが
今回のエンディング曲もジーンと来ます。
CSで放送していたので書いてみた
この映画が青春の思い出と重なる
メーテルも、
映画のサウンドトラックも、
大好きだったあの頃
何度見ても、その度に切ない
あの頃は二度と戻らないんだと
何十年も経って未来のない歳にはなったが、
この映画を観るとタイムスリップ出来る気がする
オリジナルの方がよかった。
2本立てで観たので、それはそれでよかったが、ストーリーはオリジナルの方がよかったかなぁ。
子供の時に観た幽霊列車は緑のヌルッとした気体をまとってブルっとくるくらい怖かったが、自分も大人になって感受性が鈍ってきたのかなぁ。
メアリーマクレガーのエンディングSAYONAYAは久しぶりに聞いて鳥肌が立った。頭から離れない。。。間奏ではセピア色のオリジナル版の場面もあって胸がキュンとくるね。
前作を越えた傑作
前作を越える物は出ないと思っていた時に、映像もストーリーも格段にパワーアップして登場してアニメファンの心を掴んだ松本零士全盛期の作品。哲朗が戦場でメーテルからの謎のメッセージを受け取りストーリーが始まる。格段にクオリティーが上がった999の発車シーンも健在。共に過ごし散っていった戦友達やメーテルとの別れが哲朗を戦士(大人)へと成長させる物語。満足度満点の傑作です。公開初日、徹夜で並び、先着プレゼントの映画フィルム(ミャウダーと哲朗のシーンだった)を貰った思い出あり。
前作に引き続きアホの世界。物語は鉄朗だけに都合よく展開し、その説明...
前作に引き続きアホの世界。物語は鉄朗だけに都合よく展開し、その説明は皆無。登場人物は全員が鉄朗という英雄を中心に消費される大根役者。頭の悪い小学生の男の子の日記を読まされてる感じ。起こる出来事になんの脈絡もなければ、なんの整合性もない。これほど馬鹿げているともう逆に普通に観たらダメなのかもね。
前作でも書いたけど宗教や神話といっしょ。キリストの奇跡がどれもおよそ信じるに値しないほど稚拙なエピソードで溢れかえっていても、その整合性のなさや非現実性を指摘する人はあまりいなくて、その物語が意味するところのなにかをわざわざ捉えようとするあの感じ。とはいえ子供向けアニメはやっぱり向いてないのかな俺...。
壮大
作られてからもう40年近くなるんですね。。
伝え聞いたことのある、学生運動が盛んだった頃の熱い感じが色濃い内容です。
アナログチックなSFが、今でもチンケにみえないところがすごい。
ドラマチックです!壮大です!
最後、メーテルと哲郎の関係がどうなったか記憶になかったのですが、これでようやくわかりました。
やっぱり999
なんですよ、わたしは。
ガンダムでもヤマトでもましてやエヴァでもなく
なんか特別な作品
それもこれと前作の劇場版二作がね。
次点でサイボーグ009
あるいは
あしたのジョーかな
そういう世代だといっちまえばそれまでだし、今はやりの思い出補正?てやつかもしれないけど
特別な作品なんだな理由はわからん。
そんなに楽しい子供時代じゃなかったし、言うほどいい時代じゃなかった。というか、教師はやたらと生徒をぶんなぐり、ケンカも多かったし、管理教育詰め込み教育がやがて問題になっていく…ひでえ時代だったよ(笑)
だからこそかな、スクリーンに余計に夢をみれたのは。最近かったるいもんなあ映画館いくの…ジジイか、おれは
この二作目まあ、いろいろ言われてるみたいですけど黒騎士ファウストは某暗黒面に落ちたフォースの使い手のあの人のパクりとか、とにかく一作目が当たったから蛇足でしかないとか。
知らんけどね、わたしはいまだに何度見てもひきこまれるし、登場人物の存在感が半端ない。
ミャウダーなんてなんのために出てきたんだと思うが、やっぱり存在感ある。
ただ、少し一緒にいただけでそんなに鉄郎との友情が育まれるかなとは思ったがひっかかるとこと言えばそこかな。
でもそういうこと関係なしに雰囲気と重厚感に圧倒されますね。いまだにだよ、しかも
もうこの歳になると
この作品が自分に与える影響はなんだろう
とかつまんねーこと考えちゃうんだけど
最後のメーテルはひとりどこへ向かうのか。とかあの佇まいが惹き付けてやまないわけです。曲もいいし
だいぶたってからエター…あれはないことにしてほしいなあ(笑)
最近のアニメはキレイですよ、女の子はかわいいし、男子もイケメンばかりだ。風景なんかも実に細かい。でもなあ。
うーん…なんつーかね、そんなに言われるならちょいとみてみるか、とならんのかね。なにもテレビ版全部みろとは言わないし、おれもそれはやだ
んで、みてつまんねーじゃん、なら仕方がないけど
歪む。
個々が希求するそれぞれの愛や正義。皆が幸せになるように行動しているはずなのに、誰かを不幸にしてしまったり、間違った方向性の舵の修正が出来なくなってしまったり。
それもまた愛や正義の持つ一つの側面であり。
…といったメッセージが込められているのは伝わりましたが、ちょいちょい顔を出すご都合主義な展開が残念だなぁ、と感じました。
思い切って実写化ならないかな
1981年公開作品
銀河鉄道999は見にいかませんでしたが、この作品は映画館に
いってみてきました。
当時はDVDなんてなかったし中学生でしたので同じ作品を何度も見に行くなんて発想も資金もなかったので映画を見に行く時は必死でした。
作品は哲郎がTV版に比べかなり男前になったいたのとお約束の
ハーロック登場といった松本作品ワールド全快の作品で内容も
人間とは(限りある命の価値)男とは(父親超え)といった
奥深い作品で今見返してみてもきっと楽しめる作品と思います。
こう言ったスケール大きい作品こそ一か八かの実写化をしてもらえると夢があるんですけどね。
ドリパス「さよなら銀河鉄道999 -アンドロメダ終着駅-」
先日の「銀河鉄道999」に続く作品のリバイバル上映です。
ただでさえイケメンになってしまった鉄郎がさらにイケメンになって帰ってきてしまった!
機械化人と生身の人間たちによる戦争で変わり果ててしまった地球を離れ、鉄郎は行く先もわからぬ旅に赴く。
最初の999発進シーンでのワクワク感が尋常じゃないです。
未知をここまで楽しませてくれる999の世界観は実に素晴らしい。
そして話に聞いていたミャウダーがいい奴すぎます。
今一度説かれる物語のテーマ、限られた命の美しさ。
そして、別れ……
この素敵なドラマを劇場で観られて嬉しかった!
ドリパスに感謝感激拍手万来です!
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