婉という女

劇場公開日:

解説

原作は「一九六〇年度毎日出版文化賞」「第一三回野間文芸賞」を受賞した大原富枝の同名小説。脚本は「飢餓海峡」の鈴木尚之。監督は「橋のない川 第二部(1970)」の今井正。撮影も同作の中尾俊一郎がそれぞれ担当。

1971年製作/123分/日本
配給:その他
劇場公開日:1971年5月29日

ストーリー

土佐藩家老野中兼山が失脚して死ぬと、藩政を握った政敵たちは、当時わずか四歳であった婉たち兼山の遺族を宿毛へ閉じ込めた。外界と完全に接触を断たれた婉は、せまい獄舎をそれ程苦しいとは思わなかったが、娘として成熟するにつれ、獄舎はせまくなり、自由ではなくなってきた。異腹の兄弟とはいえ、せまい一つの世界での男であり女である。「他人に会いたい!」くずれるような婉を学問が支えた。婉が二六歳になった時、奇蹟が訪れた。亡き父兼山を敬慕する青年学者谷秦山が幽居を訪ねてきたのである。獄吏に遮られ対面こそできなかったが、許された年に一、二度のそれも学問上の質疑に限られた秦山との文通は、婉の中の女の生命の炎を烈しく燃やした。そして四〇年ぶりに触れる新しい世界、岩石をくだき、白い飛沫をあげる川の流れ……。互の存在を知りあって実に二〇年ぶりの初対面。別れしな、婉の手をつつむように握った秦山の手のぬくもりは、いつまでも消えることはなかった。だが外界も婉ののぞんだような自由な世界ではなかった。世間の好奇な眼があり、妻子ある秦山と会う事は思うにまかせず、いぜんとして文通でしか心は通じあえなかった。世間という漠としてとらえがたい障害、しかも秦山はその力に抗じがたいものを見、婉から遠ざかろうとしている。秦山に想いを寄せる婉の気持とは逆に、秦山は婉に婚姻をすすめた。やがて思いがけぬ悲運が婉を見舞った。土佐藩の継続問題がもとで、秦山が幽居を命ぜられたのである。婉と秦山の立場が逆転した。「幽居にはじめて訪れたただ一人の人。こんどは私が会わずば気がすまぬ」。婉は駕篭を駆った。途中城代、山内主馬の行列とぶつかった。婉は侍たちをキッと見上げた。「元家老、兼山の娘、婉、邪魔だちは許しませぬぞ!」。婉の体内に政治へのすさまじい抵抗がみなぎっていた。

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スタッフ・キャスト

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映画レビュー

3.0 前半の幽閉生活において、兄弟姉妹の抑えつけられていた性に関する描...

2018年11月6日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

 前半の幽閉生活において、兄弟姉妹の抑えつけられていた性に関する描写。特に乳が溢れる描写が生々しかった。政治に関しては情報が与えられないので、幽閉された家族の極限状態のみがクローズアップされていた。

 途中、中だるみがあって眠くなるが、赦されてからの谷先生(山本学)が同じように幽閉されるという皮肉と無慈悲な藩に対する怒りも岩下志麻の熱演によって伝わってくる。医者として活躍するところも面白いのだが、家族側からの描写しかないので、ちょっと消化不良。

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kossy
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