ダンサー・イン・ザ・ダークのレビュー・感想・評価
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映画館で体感したい「不朽の名作」。4Kデジタルリマスター版を見て、改めて「悲しい」と「切ない」の違いを実感するミュージカル映画。
本作は、2000年のカンヌ国際映画祭では最高賞のパルム・ドールを受賞しています。しかも、主演のビョークは主演女優賞を受賞しています。
音楽も担当したビョークの主題歌「I've seen it all」は、ゴールデングローブ賞とアカデミー賞で「歌曲部門」にノミネートされています。
正直、最初は割と単調で、やや退屈な雰囲気もあります。
ただ、物語が進むにつれ、作品の世界観がつかめると引き込まれていく強さがあります。
映像は、かなり独特でドキュメンタリー映画のようなカット割りが多用されたりします。
そして、本作の最大の魅力は、主人公の空想におけるミュージカルシーンでしょう。
衝撃的なラストも含め、この映画でこそ「切ない」という言葉を使うべきだと感じました。
主人公の境遇もさることながら、性格も含め、ただただ「切ない」のです。
そんな「不朽の名作」が4Kデジタルリマスター版として蘇りました!
しかも、日本での上映権は2022年6月で切れてしまうので、これが映画館で体感できる最後のタイミングとなりそうです。
フランスの大女優カトリーヌ・ドヌーヴの姿から時に流れも感じますが、日本で興行収入24.2億円の大ヒットとなったのも納得です。
何度か見てみると、やはり本作のメリハリの利いたミュージカルシーンは素晴らしく、ラストの言葉も含め、余韻が凄く、この機会に改めて映画館で体感できて良かったです。
人間のエゴの物語?
登場人物全員が、「良かれと思って」勝手に行動していて、結局それは相手のためなの?自分のためじゃない?って思ってしまった。
セルマは息子のために一生懸命、手術代を貯めてあげるけど、なぜか学校に行きたがらない息子に、理由を聞いてあげることもしない。
息子が自転車を欲しがってたことを知っていたのは隣人で、息子は母親に自転車が欲しいことも伝えてなかった(遠慮していたのかもだけど)。
セルマなりに息子を大事にしていたのかもしれないけど、失明が遺伝することを知ってて産んだのは、やっぱり結局彼女のエゴでしかなく、自分のためなのかなと。
借金を奥さんに隠してた隣人のビルも、奥さんのことを想ってやってるといいつつも、結局自分が良く見られたいだけだなと。
セルマが必死に隠していた息子の手術の件を、勝手に明かしてしまうジェフも、手術よりも母親が大事と自己判断で話を進めてしまうキャシーも、なんだかんだ自分のエゴで行動してしまっている。
鬱映画と聞いてはいたもものの、やっぱりズーンときました。だけど、こうやって鑑賞後に色々考えさせられたり、セルマの死に涙したりと、心を揺さぶらるものがあったので、いい映画だなと思いました。
重い映画
タイトルは知っていた程度で、ミュージカルなのでもっと明るい内容かと勝手に想像していたけれど、こんなに重〜い内容とは、、、ビョークのイメージも違いました。
もうすぐ失明してしまうセルマ、家主の夫婦は親切で協力的だと信用していただろうに、ジルの裏切りは酷い。セルマの苦労を知っていながらコツコツ息子の手術費に貯めたお金を盗むとは。それよりも、奥さんにお金がないから買えないよと我慢させるべき。
裁判でジルとの約束だからと本当のことを言わなかったけど、本当のことを言えば死刑は免れたかも。
友達が息子の手術費を裁判費用に当てようとしたけれど断るセルマ。母親ならやはり自分は死刑は怖いけど、息子に手術は受けさせたいと願うだろう。
でも、執行、せめて歌い終わるまで待ってあげてもよかったのにね。それにしても衝撃的なラスト!
主人公に恋をしてしまった映画。なのに…そんなぁ!(号泣ッ!)珍しく真面目で簡潔なレビュー。
この映画ね、かつてないほどに主人公に思い入れしちゃった作品なんですよ。
ミュージカルは完全に守備範囲外なのに。
私、どうやら幸薄い容姿の女性に滅法弱いようで。
どこからどう見ても、生活に疲れ切った感満載だったじゃないですか。主人公・セルマって。
なんで、もっと上手く立ち回れんかったかなぁ…って、観ていてかなりキツかったです。
陽気極まりないミュージカルシーンと、どこまで行っても救いがない現実のギャップが本当につらかったの。
できることなら、PCモニタに飛び込んで行って助けに行ってあげたいとさえ思ったの。行けたところで、何かしてあげられる甲斐性なんて私にはないんですが。
そう、本作は劇場では観ていなかったんですよね。
“鬱系映画ベスト10”みたいな記事をネットで読んで。そこで初めて知ってDVD買って観た次第です。フライヤーもパンフレットも業者さん経由で買ったのね。
観ていて不覚にもセルマに恋しちゃったんですね。本気で「守ってあげたい!救ってあげたい!」って思ったの。
ちなみに、私的鬱映画No.1って『核戦争後の未来・スレッズ』なんですけれどね。
本作のラストって大いに賛否が分かれるって思うのですが。
私は、全く救いのない、最悪の結末って思ったんですよ。
最愛の我が子のためとは言え、汚名を着せられたまま残酷この上ない逝かされ方をするなんて、あんまりじゃないですかッ!
監督ッ!てめーは血も涙もないんかい!
甲斐性なしとは言え、私が隣人だったら、せめてほんの少しでも、心の安らぎを与えてあげられたかもなのに…
って、観終えてから涙流した記憶があります。スクリーンで観ていれば、どうなったことやら。
鬱系というよりも、愛おしいが故に、とことん悲しいお話でした。
と、思い出しての簡潔なレビューです。今回、やけに真面目。
記念すべき200本目は、おちゃらけなしで真面目に書こうと思ったです。
そういう清い心も持っているんですよ、私だって。←コレが余計。
やっぱりそっちに
1960年代アメリカ。チェコ移民のセルマは、息子を育てながら工場で働く。ミュージカルが生きがいの彼女だったが、病気で視力が失われつつあった。それは遺伝するが手術で治るため、息子のために費用をこつこつ貯めていた。しかし、そのお金が隣人で警察官のビルに盗まれる。彼女はお金を取り戻そうとするが、ビルを死なせてしまい。
ビョークについては、あまり知りませんでした。この作品はドキュメントの雰囲気があり、まるで彼女がアイスランドではなく、チェコ出身と勘違いしそうです。
序盤は周囲の人たちの好意的な模様とセルマの無垢な感じが、とても穏やか。大女優カトリーヌ・ドヌーブ演じるキャシーの、厳しく優しい人柄も良いです。しかし女性を虐げる監督は、やっぱりそっちに行っちゃうのか。
二度と観ない映画のひとつ
15年ほど前に観ました。
視力を失いつつある女性の現実(手ブレの多いハンディカム風の映像)と幻想(鮮明な画質のミュージカル映像)の世界を見せる悲劇です。
ミュージカルシーンはとても見応えがあり、一見の価値ありますが、現実世界では余りにも救いが無く、希望も見えません。
ラストシーンの感想は、私も大多数の皆さんの御多分に漏れず「とても胸糞悪かった」という感想しかありませんでした。
表現の自由が保証されている以上、こういう映画があっても良いと思いますが、この監督は恐らく女性に対する偏見がある気がしてなりません。
たまの空いている時間を使って観るには重い展開が多く、敬遠してしまいます。
反面教師的に観るのなら、まぁアリかも知れませんね。
大人の定義を考えた。
10年ほど前に、DVDをレンタルして、TVで観たときは、消化することができない大きな何かを飲み込んだような気分になった。
私は生まれて初めて「憂鬱」を体感した。
今回、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の上映を知って、ほったらかしにして見ないようにしてきた宿題に取り組む気分で、観に行った。
6割以上の入りで、意外だった。
主人公セルマの言動は、私にとっては?だらけだ。
先天的な、必ず遺伝する目の病気を持っているのに、ジーンを産んだこと。
眼科医の検査で、カンニングしてまで自身の失明を隠すこと。
勤務中に空想の世界に入り込み、職場内で事故を起こすこと。
貯金を現金で家の中に置いていることを隣人に言うこと。
隣人に請われて、彼を殺すこと。
警察の取り締まりや裁判の時に嘘の供述をすること。
物事の優先順位が分からず、結局一番大切なジーンを傷つけること。
人が生活に行き詰まるって、こういう連鎖が起こるからなのだろうか。
大人のセルマは、無知だからでは許されない。
結局、彼女は、刑の執行により命を落とすことになる。
それは、あらかじめ決まっている彼女の運命のようで、涙が止まらなかった。
年を取れば、大人になるのではない。
物事にきちんと対処し、円満な人間関係を築き、仕事をし、社会や自分と調和して
生きてこそ、大人だ。
移民で失明間近なセルマに、それを求めるのは酷なのだろうか。
この映画は、決して好きな作品ではない。
できれば避けたいくらいだ。
でも、これはないことにはできない、世界で、日本で存在する現実だと感じる。
また、是非映画館で鑑賞したいと思った。
つらい、、
全体的に悲しくて辛い話。
笑いどころは一切無し。
歌声がとても良い。
絞首刑って見届けることが出来るんだ、とびっくり。
主人公がかわいそすぎる。
主人公が再審請求が出来るとなって希望がでたが、弁護士を雇ったお金はセルマの手術のために貯めてたお金。なぜ周りの友人たちは一銭もお金を出さないのか。あんなに必死に助けようとしていたのに、少しくらい工面できたのでは?
心に刻まれた映画
日本公開前、初めて試写室でこの映画を観た。
暗がりでメモを取っていた映画の担当記者や評論家がいた。
しかし、エンドクレジットの流れる頃には皆泣いていた。
手持ちカメラ撮影のゆらぎ
ジャンプカットの途切れ
それが物語を動かした。
彼女の不安は音楽的になった。
彼女の願いはひとつだった。
そのひとつのために生きていた。
至福の瞬間に暗闇はやってきた。
「最高の映画です」とは口が裂けても言えないが
悔しいほど心に残り続ける映画になった。
※
親子愛
努力が報われない、誰からも評価されないという経験は誰にでもあるだろう。しかし、思ってもいない障害が自分に近づいてきて、せっかくの成果が踏みにじられ、理解されないままに人生を終わるということは誰にでもあることではない。苦難の道を歩んでも、かすかな希望の光が灯り、そこから道が開け、ハッピーエンドに人生が終わるというサクセスストーリーはちまたにあふれているが、ここまで苦しく、深く、重く人にのしかかる物語はあまり聞いたことがない。
先天性の目の病気で失明しつつあるシングルマザーのセルマは、その遺伝により13歳で手術をしなければいずれ失明してしまう息子ジーンを救うため、アメリカに移住し、身を粉にして働き、手術費用を貯金している。セルマにとって自分の幸せのことなどどうでもよく、息子の目を治すことで頭がいっぱいである。そんな中、自殺を考えるほど借金に追い詰められた隣人のビルにその貯金を奪われてしまう。ビルに同情し、自分が完全に失明したことを打ち明けてしまったからである。ここから、セルマは階段から転げ落ちるような悲劇的な運命に巻き込まれてしまうが、唯一の救いは、最後に息子の手術が成功することであった。
この映画は、親子愛の物語になっていると思う。親から子への無償の愛、セルマの純粋な気持ちだけがずっと心に残った。その美しさを感じられただけでも私にとっては決して鬱になる映画ではなかった。
同じ監督で『奇跡の海』という作品がある。これも純粋な女性の悲劇だが、過去に鑑賞して深く感銘を受けDVDまで買っていた。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』がその監督の三部作になっているということは知らなかった。
まぁ、鬱映画なのか?
鬱映画としての期待を持って鑑賞。
個人的にはそこまでの鬱感は感じなかったかな。
とりあえずビル!!ビルー!!
とはなった。
息子のために自分の全てを犠牲にした母親で、それに対してのマイノリティへの偏見や自分と異なる主義主張への排斥みたいなものは強く感じた。
ラストの絞首刑のシーンは、グッと訴えかけてくるものがあった。
個人的鬱映画のトップはやっぱりミストかな、、、
80/100
最後の希望というか救いがミュージカルのような映画 ビョークの歌唱力...
最後の希望というか救いがミュージカルのような映画
ビョークの歌唱力を含めた演技が凄い
ミュージカルと悲劇の表裏一体の表現、紙一重さがなんとも言えない気持ちになる
最初の劇場公開時3回鑑賞。「鬼畜」と書いて「トリアー」と読む。
ビョークも鬼畜(トリアー)も当時は全然知らなくて、予告を見て観に行っただけ。本当にただそれだけだったはずなのに。何この観賞後の呪われた感は。あの最低最悪なエンディングに向かって一直線に進んでいく物語を、首に縄つけられて引きずりまわされ見せつけられる感じ。心が捻じ切られすり潰されれ、苦悶のあまりに血の涙を流す。その自罰的な考え方絶対おかしいのに、そうしてしまわずにいられないというのが、感覚的にわかってしまうのがホントにやだやだやだやだ。
友人たちがどんなに頑張ってセルマを助けようとしても、セルマ自身を含め全てがセルマを殺すようにできている物語に蹂躙されるだけ。鬼畜(トリアー)がその鬼畜ぶりを遺憾なく発揮した、最凶ミュージカル。
アルバム全部とサントラとMVDVD買って(まんまとユニバーサルの策略にハマる)、ドキュメンタリーと『ネズの木』観に行って、と一時期ビョーク漬けになるくらいハマった。ミッシェル・ゴンドリーやトム・ヨークの名前も知ったし白鳥ドレスは流石にアレだったが。宣材とか見てもわかるけど、時々幼い子供みたいに見える時があって、劇中で見せる色々な表情にしばしば見入ってしまう。
ドヌーブだけでなくデビッド・モース、ピーター・ストーメア、ちょい役だけどステラン・スカラスゲルドとかウド・キアとか結構な脇役陣なのに、その圧倒的な歌声で堂々と渡り合うビョークにもう言葉もない。
通常パートとミュージカルパートの相互の移行の仕方(特に環境音から曲への繋ぎ)や、撮り方(当時まだあまりなかったデジタルビデオと通常のフィルム撮り)と映像の質感を違えることで、ミュージカルシーン=妄想にすんなり入り込めるようにしてるとか、そういうのホント大好き。
本作は厳密には該当しないものの鬼畜(トリアー)監督が中心的だったという「ドグマ95」に興味が湧いて『キング・イズ・アライブ』観に行ったりした若気の至り。
4Kリマスター観逃す。絶対許さんコロナ。またあのどんよりどよどよな気分になる気まんまんだったのに。
The Northman を楽しみに待つ。劇場公開するよね?→2023/1/20
心が疲れる映画。
最初のミュージカルシーンで、いやこれ絶対事故る!と思いながら観ました。
人が貯めたお金を盗む→嫁に嘘をついてセルマ(主人公)を悪者にする→問い詰めたセルマが、「嫁には何も言ってない、沈黙の約束だから」と言ったのにもかかわらず、お金を取り戻して帰ろうとすると銃を向ける→嫁に嘘をついてセルマを悪者にする→揉め合った末セルマに撃たれると「よくも撃ったな、いや撃ってくれた。金がほしいなら撃て!」と言ってのける
何このムーブ…ビルひどすぎる。
このシーンが辛すぎて、思わず違うことをしながら観ることに。これ劇場とかで観ていたら耐えられないわ…。
裁判での嫁が嘘つきすぎてちょっと…。
お金のこと訊いてた?銃のありかを話したのではあなたでは?
裁判のシーンでいらいらしてしまいました。
そしてここまでして沈黙を守るのはどうなんですかね、普通言うよね…。
自分だけでなく息子の未来にも問題が起きるのに。
そして裁判中にもミュージカルするとは思わなかったw
セルマにキレて一旦関係が悪化するも、夜勤を手伝いに来る女友達が素敵。
ただ、セルマからその友達へのきちんとした感謝のシーンが作中ではないので…と思ったら、手術費代を弁護士費用にするのはどうなんですかね……。
アメリカの弁護士費用とか金融会社とか知らないけど、2000ドルなら20万くらい?借りられないのかなぁ…。
相互片想いのジェフに対しても都合の良い男のように扱っているように見えて、セルマが少し嫌な感じにも見えましたね。
セルマ、自分勝手描写が多いのでそちらにもイライラしていました。
看守の女性が素敵な人でしたね。
自分も母親ということもあったのでしょうけど、僅かな登場シーンで印象ばっちり。
最期、歩き出せないセルマに「(セルマは)自分で立てる、私に考えがある」と言って足音に意識させるの素敵でしたし、
目隠しにパニックになる様子に「規則が何、彼女は盲目なの!」ってカッコよすぎる。
最期、やってきた女友達の言葉で安心し歌い出すセルマでしたが、切り裂くように床が落ちる→歌が止まり静寂に響くガコンという音、に心が乱されました。
あれはちょっと…脳裏に焼き付くなぁ。
感情が揺さぶられ続ける凄い映画だなと☆4つけましたが、ストーリー的にも観ている最中の気持ち的にも、もう観たくないですね。
心がざわつき続ける疲れる映画でした。
端的感想
・本当に盲目の人が演じてる?と思えるくらい、セルマ役の女優の演技が凄い
・嫌なシーンがリアルに嫌なシーン
・ミュージカルのシーンが長すぎる!
・カメラワークが独特
・疲れた
題名の意味と本当のテーマとは
鬱映画の名にし負う作品
世界的映画賞に輝く永遠の名作
そして主演のビョークを一躍世界的に有名した作品です
そのビョークが2023年3月に来日するというニュースを先日見ました
東京と神戸の2公演のみですし、チケットもかなりの高額なのでどうしようかと考えています
しかし、それでも行ってみたいと思ってしまう力が彼女にはあるのです
時代は1960年代後半
劇中、ミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」の「私のお気に入り」を練習するシーンが有りますからそれが公開された1965年以降のはずです
プラハの春というウクライナ侵攻のようなことが1968年8月にありましたから、その直後にセルマが息子ジーンを連れてチェコから逃げて来たのかも知れません
しかし本作は政治には全く関係ありません
舞台はアメリカのどこかの田舎町
主人公はチェコ移民のシングルマザー
何故夫がいないのかは語られません
子供は10歳ぐらいの男の子
母子ともに眼鏡をしています
警官の家の敷地内のトレーラーハウスに住んでいます
町の金物工場でプレス工として働いています
慎ましい生活
というより今でいうワーキングプアです
それでも週に一回町営の小劇場みたいなところでミュージカルの練習にいくただ一つの生きる楽しみがあります
しかし彼女と息子には実はタイムリミットがあったのです
本作はミュージカルです
そのように映画の説明にありますし、観れば確かにそうです
でも普通のミュージカルとは全く異なります
歌と踊りのシーンの分量が、普通のミュージカル映画と比較して圧倒的に少ないのです
ひょっとしてミュージカルというのは間違いかな?と思いかけた頃に最初のミュージカルシーンがあり、またしばらくないという具合です
カメラはドキュメンタリータッチです
手持ちカメラの望遠レンズで被写体を捉え、手ブレして揺れる画面です
写されるものは、美しいパリの街並みでも、雄大なアルプスの自然でもなく、美しいヒロイン、甘いマスクの男前でもありません
優美なドレス、豪華なセット
そんなものはどこにもありません
それは彼女の記憶の中だけにあるのです
それは昔チェコで観た古いアメリカのミュージカル映画の記憶です
ウェディングケーキのような回る螺旋をダンサーが歌い踊る
そして真上から見下ろす視点になる
そのような記憶を彼女が劇中語ります
1936年のMGM の名作中の名作ミュージカル映画「巨星ジーグフェルド」のクライマックスシーンの事だと思います
正に王道のミュージカルです
巨大なウェディングケーキの回転セット、終盤の真上から万華鏡のように撮るバークレーショットで特に有名です
歌と踊り、豪華なセットと衣装
豊かな憧れのアメリカの生活そのものです
田舎町のしょぼい映画館で映写される白黒映像で一瞬写り込むのはおそらく同様のミュージカル「四十二番街」だと思います
でも、それに憧れてアメリカに移民してきた自分の今の生活との違いの落差はまるでナイヤガラのように大きいものがあるのです
進行する目の病気に怯え、貧しい生活をさらに切り詰めて日々働きずくめの毎日なのです
ミュージカルの歌と踊りは、登場人物のあふれる感情をそれで拡張して表現するものです
本作も同じですが、喜びや、ときめきや、恋愛の悩みではないところが大きな違いなのです
苦しい仕事の中、つい空想に耽ってしまう
そんなこと誰だってあることです
現実からの逃避です
きらびやかなミュージカルだって現実逃避なのは同じではありませんか
主人公のセルマは苦しい生活の中で精神を保つ為に頭の中のミュージカルに逃避しているのです
彼女が軽度の知的障害であるなんてわけありません
働きずくめ、疲れがたまってクタクタ、寝不足
どんどん頭の回転は鈍くなり、正しい判断も出来なくなっていくのです
ふと気がつけば馬鹿げたことを考えていたり、フラフラとやりそうになっていたこと、いやしてしまっていたり・・・
あなたにはそんな経験はありませんか?
もしないのなら、あなたは幸せな人生を送って来た人なのでしょう
あるいはこれから経験するかです
本作は、共産主義がどうとか、司法制度がどうとか、死刑がどうとか、そんなことは全くどうでもよいことです
テーマではありません
精神が追い詰められて、正常な思考が失われていく中で、人はその人物の本性がむき出しになっていきます
イライラと他の人間にあたり攻撃的になる人
ビルのように悪事を働き、嘘をつき友人に罪をなすりつける人
セルマのように、ぼんやりと空想の中に逃避して穏やかではあるけれど何かがおかしくなる人
様々です
本作の題名「ダンサー・イン・ザ・ダーク」とは、このような精神が追い詰められたなかで人がどう生きていくかを表現しているのだと思います
観客の私達は、彼女の強烈な運命をつぶさに観ることで、少なくともこの映画の間は精神が追い詰められていきます
本作のテーマはそれです
ダンサー・イン・ザ・ダーク
暗闇の中で踊りつづける人生とはどういうものか
その中であなたはどんな本性を現すのかを考えてみること
それを体験することなのです
蛇足
オルドリッチ・ノヴィは架空の人物です
おそらくミュージカルダンスの名人フレッド・アステアをイメージしている人物だと思います
それをむりくり同郷のチェコ人だとしているのだと思います
最後に友人キャシー役のカトリーヌ・ドヌーヴが素晴らしい
彼女が配役されていなければ本作は破綻していたと思います
全159件中、1~20件目を表示