胸騒ぎのレビュー・感想・評価
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ポスターや予告から不穏な雰囲気を感じて、恐る恐る劇場へIN。特典はポストカードでした。
よくもまぁこんな残酷な話を作れたもんだ…と唸るばかりでした。
居心地の悪さ、不快の積み重ね、臆病と優しさは紙一重、とんでもない物量で殴られっぱなしで、これに巻き込まれたビャアン夫婦はもう不幸としか…。
ベジタリアンのルイーセに肉を食べさせることを強要したり、子供にアホみたいに怒鳴り散らかしたり、子供を置いて食事に行ったり、側から見ても不自然な行動を繰り返すパトリック夫婦に対して観客とビャアン夫婦が怪しみながらも、どこかフランクな面を見せられるとまぁいいかってなってしまう感覚を共有してしまってるもんですからもうすでに恐ろしいです。
パトリック夫婦の息子のアビルがビュアンの後ろに立って口を大きく開けるシーン、めっちゃ不気味でここで何か口から手とか出てきたら笑えたのに…。口を開けたら舌が切れて一部無い…。ポストカードのデザインここかよ、しかも絶対これ後々の展開に活きてくるやつじゃんと俄然目が離せなくなりました。
この家から抜け出そうってタイミングで確実に抜け出せるのに、何かしらトラブルが起こって、多少登場人物たちが抜けているというのもありますが、基本的にはバカ行動ではなく巻き込まれて大惨事という形がストレスにならず(ある種のストレスではあった笑)観れたのはかなりデカかったです。
まぁ事故るシーンとかはなんでやねんとツッコミなりたくなりましたが、あの状況だと判断も鈍るわなと合点いきました。
娘がウサギのぬいぐるみさえ無くさなければこんな事には…このガキんちょめ、ちったぁ痛い目見なさいよ!と思っていたけれど、誰もそこまでやれとは言ってないレベルで酷い目に合わせるのでもうゾゾっとしっぱなしてした。
ビャアン夫婦にも多少なり問題があるのというのも面白く、ビャアン自身は気が小さすぎるのか判断が遅く、どうしても笑顔で色々乗り越えようとする姿は、それはダメだろ…と思いつつも、でも自分もこういう形になっちゃうよなというのがあって直視できなかったです。
夫婦で盛り上がってしまって、娘の声を遠ざけてしまった時も、パトリック夫妻の部屋に招き入れた事に対して文句を言っていましたが、それに対するカリンの言い分が真っ当すぎて、どちらも過ちを犯しているのに冷静に正論で捩じ伏せてきたので観ているこちらもキューってなってしまいました。
もうラストシーンなんか希望が全く無い、ビュアン夫婦なんとかして抗えないものかと思いましたが、娘が痛めつけられて連れ去られてなんて後に怒りも何も湧かず、こちらも辱められながら痛めつけながらの最期…。
何度も逃げるチャンスはあったし、何度も反撃できる隙はあったはず、でも何もできずあぁなってしまうラストは今作ほどでは無いにしろ、日常生活近しい経験をして困ったことが過去あったので、映画としてのエンタメ性よりもそのリアルさに相槌打ちっぱなしでした。
パトリック夫婦の目的が全く分からずじまいで終わったのも恐ろしすぎて、宗教文化のメタファーなのか、カニバリズムなのか、それともただの快楽殺人夫婦+協力者なのか、なんにしろここが全く明かされなかった作りが最悪の余韻を残していて最高でした。
根が優しすぎると他人の意見にNOが言えず、ちょっとした事でも我慢しちゃう、その最終形が今作のパトリック夫婦のような怪物を生み出してしまうのかななんて思ってしまいました。
でもこれは現実でもあり得なくは無い話なので、ヒューマンホラーの中でもかなり身近なテーマだったからこそより恐怖が増築されていた気がします。
役者陣も抜群に上手いのがさらに今作の君の悪さを際立たせていて、カリン役のカリーナ・スムルダースさんの早口で淡々と言い放つ所とか仕草とか、別に暴力的な事なんてしてないのに、かつてない恐怖が襲ってきました。この方の出る作品は追いかけなければならない…。
公開前にリメイクされる事が大々的に取り上げられていた事にはかなり疑問に思っていましたが、ホスト側の視点でのリメイクというのは斬新だし良いなと思いました。
でもホスト側の真相は分からないままでも良かったのになと思ってしまう自分もいるくらいこの作品に取り憑かれているみたいです。
ジャンプスケアに頼らず、しっとりとした演出でビビらせてくれる傑作怪作でした。
普段外国人観光客とよく接する仕事(職場が観光地でよく観光客が彷徨ってくる)なもんで、何を言ってるか分からんし、日本語喋ってくれよと思いながら仕事してるもんで、もしかしたらめっちゃ悪口言われてんのかもなぁと怪訝な目で今後見てしまいそうです。
しっかし今作を観る前に「ミッシング」を観て心抉られてからの今作のハシゴでさらに致命傷を負うとは…。大変な1日でした笑
鑑賞日 5/17
鑑賞時間 20:35〜22:20
座席 B-12
「分断」される世界の戯画としての、「捕食者に蹂躙される獲物」を描く容赦のない物語。
ごめんなさい、悪いけど意外と面白かったわ、この映画(笑)。
いろいろと「ひどい」映画であることは間違いないが、
まあ世の中、こういうもんだよね。
確かに、僕たちが思ってる「予定調和」のエンディングではなかったかもしれないけど、これはこれで、「予定調和」を超えた「予定調和」なのだと僕は思う。
弱者必滅。弱者は常に強者に蹂躙される。
鹿はライオンには勝てない。スズメは鷹には勝てない。
蛇ににらまれた蛙は、どうひっくり返っても蛇には勝てない。
可哀想だけど、仕方がない。
それが本当の「予定調和」というものだ。
一番弱いのは子供。しょせん、子供は大人に勝てない。
子供にとって、ぬいぐるみを拾ってきてくれるお父さんはヒーローかもしれない。だが殺人鬼の標的にされたとき、元SEALsでも元モサドでもないただのお父さんは、ぶっちゃけクソの役にも立たない。
映画でお母さんは、たいがい子供に「私が必ずあなたを守る」と口にする。
でも、お母さんが子供を守れるのは、常識の範囲内で事態が推移しているときだけだ。
殺意と悪意を持って迫って来る相手の前で、母親はただの狩られる獲物でしかない。
この映画は、そういう「当たり前の世のことわり」に、ごく自然に従うように出来ている。
映画だからといって、弱いはずの両親が生き延びたりもしないし、
映画だからといって、蹂躙されるはずの子どもが助かったりもしない。
だから、僕にとって『胸騒ぎ』は大筋のところでとても素直で、腑に落ちる映画だったのだ。
同じテーマで、同じような結末に向けてひた走ったミヒャエル・ハネケの『ファニーゲーム』と比べると、だいぶメタ度は抑え目といってよい。
「ごくふつうの凡庸なサスペンス・スリラー」の枠組みのまま、やりたいことをやり切ったという印象で、逆に監督はキモが座っているのではないかと思わされた。
下卑たスカム・ホラーでもなく、グロテスクな文芸作でもなく、まっすぐテーマと向き合って、淡々とふつうのサスペンスとして撮り切ったというのは、ある種の職人としての矜持だと思うからだ。
本当のことを言えば、
前半の「なんだかおかしい」という違和感。
これをテーマに、そのまま最後まで押し切ったほうが、よほど良い映画になったのではないかともしょうじき思う。
ちょっとした主義主張や教育方針の違い。
対人的な距離感の取り方のズレ。
赤の他人とノリを合わせるのは、なかなかに難しい。
たとえひととき旅先で意気投合できたとしても、その後付き合いを続けるうちにどこかで違和感が生じて、ギクシャクしてしまうというのはままあることだ。
とくに近隣住人との関係性やPTA仲間との交流は、こちらも逃げられない部分もあっていろいろと気を遣うところだ。犬の散歩で会う人達なども、犬を介して話している間はいいんだけど、いざ親密になってくると「なんか思ったより面倒な人だな」「え? 家まであがってきちゃうの?」みたいなことは往々にして起きる。
その対人関係の怖さ、ストレス、危険性「だけ」に焦点を当てて、ホラー的なギミックを使わないままに話を終わらせても、心理劇としては十分面白かったと思うし、話のキモはむしろ伝わりやすかったのではないか。かなり終盤まで僕はそう思っていたのだった。
でもまあ、ちょっとあのラストは想像の埒外というか、思っていたより相当に強烈だったので(笑)、これはこれで衝撃的だったのかな。
なんで●●●にするのか。なんで●●を投げるのか。
理屈はよくわからないけど、なんだかとても怖いやり口だ。
(パンフには、旧約聖書レビ記20章に「モレクに自分の子どもをささげる」大罪を犯した者がこの罰を受けると書かれているとあって、おおお!なるほど!と)
最後の最後で「ただのホラー」になってしまった点はもったいない気もするが、十分に「嫌な気分」にはさせてくれるエンディングだった。
― ― ―
犯人側の視点で言えば、この映画は良く出来ているとは思い難い部分もある。
犠牲者に何度も脱出のチャンスを与えてしまっているし、出だしから相手に警戒心を与えるような動きを何度もかましていて、お前らチャンとヤる気あるのかよ、という気がだんだんしてくる。
相手が夜中に起きだしてうろうろすることが多いのに、見られて困るようなものをあちこち出しっぱなしにしているし、振り返ればいくらでも計画は失敗した可能性があると思う。
だいたい異国オランダだとはいえ、警察に英語で電話されて踏み込まれたら(あんな写真山ほど貼った部屋とか放置してるわけだし)こいつらはどう言い訳するつもりなのだろうか。
そもそも、こういう「子とろ鬼」みたいな犯行を繰り返して、この夫婦は一体何を得たいというのか?? たしかに真相としてはショッキングだけど、犯罪としてのロジックがあやふやすぎる。
それに彼らのやり口だと、相手の財産を銀行口座ごと奪ったり土地まで収奪したりはできないだろうから、きわめて非効率な感じがするし、口がきけないからって子供がどこにも連絡できないのも若干不自然な気がする(完全に精神的に支配されてるということなのだろうが)。
犯罪者夫婦に「悪意」が満ちあふれていることはしっかり伝わって来るが、何を考えているかも、どれくらい意識的に「ずさんな」ままで犯罪計画を実行しているのかも、今一つよくわからない。まあ、そのへんのあやふやでルーズな部分もひっくるめて「得体が知れない」ことで、「絶対悪」としての恐怖感を増幅させようという意図なのかもしれないが。
あるいは、彼らにとっては、これが犠牲者を「試す」儀式なのかも。
途中で逃げ出して帰ってもらっても一向に構わない。むしろチャンスを何度も与えている。それで「帰らずに敢えて残った」というのなら、それは自分からモレク神に子どもを捧げたということになるのだ――そういう理屈の「試練」の儀式。結局のところ、デンマーク人夫婦は、悪神の仕掛けたこのゲームに「負けた」ということになるのだろう。
一方で、犠牲者側の描き方のほうは、実に堂に入っている。
まず、お父さん。この手の善人ってたしかにいるよね。バランサーで、気を遣うタイプで、なるべく相手に合わせて「場」を取り繕うタイプ……って、ああ、僕だ。
そう、お父さんは僕そっくりだ。怒るのが苦手で、弱い男。
要するに、摩擦が怖い。相手を怒らせるのが面倒くさい。人とトラブルになるくらいなら自分がひっかぶったほうが楽だ。で、偶然、それで今までは楽しくやってこられた。
でも……もし、こういう悪意剥き出しの人間にロックオンされたらどうする?
僕は似たタイプだから、このお父さんの考えていることはよくわかる。
一挙手一投足が理解できる。
逃げたほうが良いと、あれだけ感性が訴えているのに、理性の訴えに負けてウサギのぬいぐるみを取りに戻ってしまう。
明らかにおかしい空気なのに、楽しませ上手のホストになんとなくほだされて、ずるずると長居をするうちに、脱出するきっかけを失ってしまう。
最初のうちは、ささいなことでも脱出をはかっていたのに、終盤戦になると「逃げること」すら忘れて、あれだけ子供のことで口論になっても普通に夜はベッドで寝ている。
そう、このお父さんは「ゆでガエル」だ。
じわじわとやられると、押しに弱いから順応してしまう。
だんだんと、おかしさがおかしさだと認識できなくなる。
そして、突然の暴力に遭遇すると思考が停止して言いなりになる。
よくわかる。きっと僕でもそうなるからだ。
お母さんも、よく造形されたキャラクターだ。
基本は良い人なのだが、絶妙なバランスで「微妙に感じが悪い」。
ヴェジタリアンで、自己主張が強く、不正義が許せず、子供への他人の干渉を嫌う。
神経質で、うるさいときはうるさいと怒鳴り、いざとなったら無断で帰ることも辞さない。
いかにも「ポリティカリー・コレクト」な「まともな人物」。
人当たりは良いし社交的だが、どこか「上流市民」感、「見下してる」感を漂わせている。
おそらく保守的な田舎の人間にとっては、いちばん「鼻に付く」タイプの人間だ。
娘も娘で、巧い具合にひっかかりを残す演出が成されている。
ウサギのぬいぐるみをなくしたと娘が言い出して、逃げてきた家に引き返すことになった、あの運命の分かれ道。少女は、後からぬいぐるみが車のシートの下から出てきたといって、母親に満面の笑みを見せる。
あれはないよね(笑)。
お父さんに悪いことしたって思えないんだ、この子。
ある程度のわがままが「聞いてもらえるもの」と安心しきって育ってる。
僕自身のなかでは、このお父さんは自分によく似ているという思いはあるものの、一方でいかにも「正しくあろう」とするこの今どきの家族に対する、そこはかとない違和感、抵抗感も感じざるをえない。
要するに、まともだけど、いけすかない連中なわけだ。
そんなこんなで、終盤の悪夢のような展開が始まったとき、僕のなかでは「なんてひどいことを!」成分85%、「ちょっとイラっとしてたから溜飲が下がるわ」成分15%といった感じで、実は全力で犠牲者家族に肩入れ出来ていたわけではなかったのでした(笑)。
どんなホラーでも、殺される犠牲者にはなんらかの「罰されるわけ」があることが一般的だ。キャンプ場で飲んで騒いでセックスをしたら片端から殺されていく、アレだ。いわゆる「悪事」を働いたわけではないが、羽目を外したり、調子に乗ったり、図に乗った行動を取ったものは、比較的ターゲットにされやすい傾向にある。
本作の場合、それは「正しさ」であるのがポイントだ。人当たりの良さ。喧嘩をしない丁重さ。子供を怒らない冷静さ。環境への配慮で肉を食べない正しさ。そういった、「しもじもをいらつかせるまっとうさ」が、悪の攻撃性を倍加させるトリガーになっている。
これは、まさに今、世界中で起きている「分断」の戯画でもある。
守旧的な田舎者と、進歩派の都会人の乗り越えられない深い溝。
本作におけるオランダ人夫婦とデンマーク人夫婦の価値観の相違は、欧州に実際に存在する「分断」の一要素ではあるが、アメリカにおけるトランプ主義者と民主党支持者の価値観の違いとも相似する部分が大きい。
粗野で、性的にあけすけで、気性が荒く、他人との距離感が近く、平気でウソをつき、子供を従属的に扱う、いかにもな「底辺のオランダ野郎」の在り方は、そのままアメリカのレッドネック(白人貧困層)の生態とも被っている。
こういう連中にとって、北のほうでぬくぬくと文化的な生活を送っている、善良で正しくて知的で愛に満ちた上流市民は、吐き気がするほどムカつく、壊してやりたい対象に他ならない。本作で二つの家族が示す激しいコンフリクトは、世界で起きている二つの潮流のぶつかり合いの縮図に他ならない。
パンフをつらつら読んでいると、監督が面白いことを言っていた。
「僕たちはスカンジナビアの問題を描いたつもりでしたが、アメリカでは『まさにアメリカの問題だ』と言われ、韓国では『これぞ韓国の問題』と言われました。きっと、これは世界に共通する“人間の問題”なのでしょう。文化圏にかかわらず、世界中の皆さんに共感してもらえればと思います」
あと、パンフつながりでいうと、「イタリアは天国、デンマークは辺獄、オランダは地獄」として舞台を構想していたという監督の発言も紹介されている。おお、要はこれも「地獄めぐり」の映画だったというわけか!
ちなみに監督のクリスチャン・タフドルップは、「キリスト教ペンテコステ派で育った(現在はその信仰から離れている)」らしい(ついこのあいだ『プリシラ』の感想でペンテコステ派については触れたばかり)。トランプ支持の母胎でもあるプロテスタントの保守的な精神風土で育った監督が、主人公たちのような「良識的な文化人」に育って、この映画をわざわざ撮ったのだと思うと、いろいろと考えさせられるものがあるよね。
最後に。タブロイド新聞を模したパンフって、アイディアは面白いけど、猛烈に持ち帰りづらいし、保管しづらいし、マジでやめてほしい……(笑)
ターニングポイントはたくさんあった
この夫婦は善良であろうとしすぎなんですよね。いい人であろうとするあまり、夫婦ふたりのときにすら「あの人達のこういうところが変じゃない?」という話ができない。夫婦どちらかが「なんかおかしい」と気付いても、その違和感を共有できない。どちらかが警戒心MAXになってももう一方がそれに寄り添えず、むしろ台無しにしてしまう。
いやいや、さっさと帰りなよ!!と何度突っ込んだことか。きっと、そういうターニングポイントでスパッと帰れている家族もたくさんいて、その人達はまさかここまでのことが行われているとは気づかないから通報することもなく、野放しになってるんでしょうね。
最後あまりにもあっさりやられたのは娘が連れて行かれて戦意喪失したんだろうけど、諦めないで欲しかった。無理かな。無理な夫婦だからああいうことになったのだけど、それにしても、子どもたちが可哀想すぎて。
鑑賞動機:何か瘴気のようなものがポスターやスチールから感じられて胸騒ぎがしてしょうがない9割、ごく一部の評判1割。
3ヶ国語が飛び交うがすぐに気にならなくなるし、使い所を心得ている感じ。
ハァ、こんなの観ちゃうと、やっぱり声をかけてくる知らない人は、金か命か尊厳を奪おうとしてくる人なんだって思わないといけないのかね。
ひとつひとつはデリカシーがないね、ですむかもしれないが、徐々にじわじわきてまた引き際もうまかったりするからタチ悪い。
途中のアレで、児童売買組織かなんかかと思ったら、いや違うはこれ、ペットかアクセサリーなんだと思い至る。余計にやばいわ。
終盤はもっと死に物狂いで抵抗しても良かったんじゃないか、とも思うが、直前に暴力ふるわれているからか。何かこう手慣れた感じがするんだよね。服脱がせたりとか、恐怖による支配の実効力を知っているんだわ。毒気に当てられて精神的に消耗する。
教訓。忘れ物を取りに帰ってはいけない。
胸クソ悪い系?
タイトルは「胸クソ悪い」にしてほしかった。
中盤までの、他人の家に呼ばれて感じた居心地の悪さとか、他の家族が躾と称して子供に暴力をふるう様への嫌悪感とか、誰もが感じたことがある「いやー」なことの連続は、なかなか堪えるものでした。
後半、悪意の塊の前には、善意や良識を持った人間は無力で、浸食されてしまう恐怖を描いていて。
ただ、ラストはありきたりでつまらない展開になったなと。
見て得た情報を奥さん子どもに共有しない夫の無能ぶりや、嬲られても抵抗しない夫婦の姿に「?」マーク。
連続殺人鬼の前では、助けてと懇願するだけまったく無駄なので、そこらへんにある石でぶん殴り返せ、やられる前に殺れ!どうせやられるなら無駄な足掻きくらいしろよ!
とイライラしっぱなしでありました。
想像以上にかなり怖かったです…
観終わった後に余韻に浸りたくなくて(笑)足早に映画館から出て一目散に自分の車に乗った…こんな気分初めて!
(心理サスペンスと思って観てしまったのでした…)
劇中、ゲスト家族が逃げ帰ろうとしてから忘れ物取りに戻ってしまった際、なんで帰りたいのかホスト家族に聞かれて正直に色々な違和感を伝えてしまうよりも、大事な用事を忘れてたから至急帰らなきゃ等の別の理由でとにかく穏便に早く離れよーよって思ってしまった。
(改めて私が人生の教訓と感じた点は…)
素性やバックグラウンドがわからない人の家に招かれても行ってはいけない!
違和感や胸騒ぎて大抵当たるので、我慢するとか相手に合わせることは無意味(てか身を滅ぼす)
忘れ物は潔く諦める(笑)
そして、いざって時…私は全力で反撃して戦いたい!
正常性バイアスの怖さを叩き込まれた…という意味はありましたが、かなりのバッドエンドにダメージ受けてキツかったです…気軽に人に勧められない、覚悟して観てほしい感じです。
なんで子供のダンスのシーンでさっさと帰らないのか… お父さんもヤバ...
なんで子供のダンスのシーンでさっさと帰らないのか…
お父さんもヤバいと気付いて帰り初めた頃には、お母さんはトーンダウンして抵抗しなくなってるし、なかなか噛み合わない夫婦。
そもそもお父さん役立たずだがww
そして最後は2人とも従順すぎて違和感ありすぎた。
どうせ死ぬならひとあがきしないものなのか??
でもいい感じに最後まで胸くそ悪さを感じられる内容だった。
オランダ夫婦の悪行は一種の趣味なのか、目的が最後まで分からなかった。私が見過ごしただけ??
★1かもしれないし、6かもしれない、、、
中途半端は数字はつけられないと思った。★4〜5をつけられるほど、すっきりとはしてないし。でも低評価にしては、
じわる
何故かパンフも買っちゃった。。。
「胸騒ぎ」という邦題を付けた方、お気持ちよくわかります。とにかく、終始「不穏」な空気が漂ってる。冒頭のそれは、間違いなくBGMの効果だと言える。曲が違えば穏やかな家庭の一場面なのに。
旅慣れてない身からすると、まず、一夏の出会いの家族の所に遊びには行かない!これに限る。奥さんが「帰る」と言ったときに帰れば良かった。大体よく知らない人たちなんだから気まずい空気が流れる可能性を予想しなよ。
まあ、そこはいい。ラスト付近、抵抗しなよ!娘が傷つけられたなら怒り狂ってやり返しなよ。それがない。大人しく言う通りに服脱いで、石ぶつけられて、、、パンフには、ここに意味がある理由があると言うけどさ。石打ちにこだわるのがわかんないし。子どもを取っ替え引っ替え何がしたいのかもわかんないし。
と、ここまでアレコレと言ったが、心に残る。残ると言うより引っかかる。忘れられない自分がいる。
わからないんだよ。
あと、夫婦で叡智の場面では上手く裸を隠してるのにラストではモザイクなしでオールヌード。ここもわからないなあ、、、😅でも何年か経って語り草になる作品なのかもしれない。もっと英語でない会話、聴きたかったな。「非英語圏」の映画は、基本的に好きだから
だから私は舌を切る
中盤までの、小さなズレが堆積することによる軋轢が非常に面白かった。
字幕が出ないところは、逆に聞き取れない方がいいのだろう。(何言ってるか分からんのは不安になる)
ルイーセが帰りたくなる気持ちも分かる。
しかし、「肉は断ればよかった」「セックスに夢中で娘を無視してた」というカリンの言にも一理あるのだ。
程度のまったく異なる問題ながら、「娘に指図するな」と言った直後に教育方針に口出しする流れも上手い。
冒頭で「イスをいいか」と訊かれ、占領していたことの“謝罪”でなく“許可”で返した時点でビャアンも大概だ。
3∶7程度の割合で、主人公側にも非があるバランスが絶妙でした。
ただ、終盤で「最初からこうするつもりでした」となると話が変わってくる。
これではそれまでの蓄積が意味を失い、単純なサイコパス映画になってしまう。
最後は、ビャアンが車のキーに目をやる演出があったのに、何故か無抵抗に服を脱ぎアッサリ殺される。
ムハジドまでグルになってあんなことを繰り返している理由も分からない。
そもそも、自力で辿り着いてる時点で手紙に住所があったハズなのだ。
そんな手掛かりが残るやり方で何十件も、そしてこれからも続きますよというのはサスガに無理がある。
(ビャアン達は友人か誰かに話してもいたし)
あんなオチにするくらいなら、両家の不和が臨界を超えて殺し合う方がまだよかった。
舌を切られても、文字は書けるよね。
タイトル通り、胸騒ぎ
ザワザワ嫌な感じ、価値観の違いや違和感、オチまでのそれは存分に味わえましたよ。でもねー…突っ込みどころは満載です。銃を持ってるでもない相手にあんなに無抵抗ですかね。あんなに嫌な思いして1度逃亡したのに、2度目の逃亡での奥さんの鈍感具合…。そしてあの恐慌に走る夫婦の背景が不明…。物語としての説得力は足りないですよ、違和感でザワザワしてます。
【冒頭のヴァカンスのシーンからドンドン不穏な空気が漂い始め、後半に向かってその想いが更に増幅していく作品。再後半は悪夢に出て来そうな、不条理で理不尽で無慈悲極まりない”おもてなし”作品でもある。】
■デンマーク人夫婦のビャアン(モルテン・ブリアン)とルイーセ(スィセル・スィーム・コク)、娘のアウネス家族はイタリア旅行中にオランダ人一家のパトリックとカリン夫婦、”生まれつき舌の無い”アーベルの家族と仲良くなる。
そして、デンマーク人の家族は、誘われるままオランダ人一家の家で終末じゃなかった週末を送る事になる。
◆感想
・率直に申し上げるが、今作、面白怖かったです。
デンマーク人家族がオランダ人家族の家に招かれ、最初は歓待されるが、徐々にオランダ人一家のパトリックとカリン夫婦の異常性が見えて来るシーン。
例えば、レストランに一緒に行き曲に合わせて踊り出すパトリックとカリン夫婦が子供が観ている前で濃厚なキスを交わすシーン。一緒に踊っていたビャアンとルイーセの嫌悪感を隠せない表情。更には会計時に、パトリックが”随分、いったな。”と言ってビャアンに支払いを任せるシーン。
ー あれは、今にして思えばパトリックとカリン夫婦の”獲物が掛かったぞ!”と言う喜びの姿ではなかったか?そして、酩酊して爆音でロックを流して運転するパトリック。ー
・更にルイーセがシャワー中に無遠慮に入って来て歯を磨く(多分)パトリック。更には、パトリックはデンマーク人夫婦の姿を部屋の窓から覗き、アウネスを自分達のベッドで寝かせる。(パトリックは全裸である。)
ー ルイーセは”もう帰りましょう!”と言ってデンマーク人家族はオランダ人家族に挨拶もなしに夜出発するが、アウネスが”大事なウサギのぬいぐるみがない!”とごね始め、Uターンするビャアン。嗚呼。そして、オランダ人家族との気まずい再会。
で、この件からデンマーク人家族はオランダ人家族に愛想笑いをしながら、過ごすはめに・・。-
■ちょっと怖かったシーン
1.アウネスとアーベルが両家族の前で踊るシーン。
アーベルの踊りが駄目だと言って激昂し、カップまで叩き割るパトリック。
- 再後半の展開を見れば、納得。一番怖いのはそれを笑顔で観ているカリンである。-
2.イタリアでは医者だと言っていたパトリックが、実は無職だという事が分かるシーン。
- ”指図されて、働くなんてまっぴらだ!”ー
3.ビャアンがオランダ人一家の屋根裏で観たモノ。
- 多数のカメラと、キャリーケース。そして、貼られていた無数のオランダ人一家と見知らぬ一家の写真。オランダ人一家の子供はアーベルではなく、どの写真でも別の子が映っているシーン。ここで、大体オランダ人一家の正体と生業が分かるよね。-
■物凄く怖くて、悪夢に出て来そうな、理不尽で、無慈悲極まりないシーン
・激しい罵声の後、浴槽に俯せで浮かぶアーベルの姿を見たビャアンが、オランダ人夫婦の家を再び逃げ出すシーン。
だが、車はスタックし、見えた家にビャアンが掛けこむも無人。
そこにやって来たパトリックの車の中にいるルイーセとアウネスと、無表情のカリン。
そして、ビャアンもパトリックの助手席に乗せられ、激しく殴打されルイーセが抱きしめていたアウネスの舌を・・。そして、最初、歓待してくれた手伝いの男はアウネスを連れて行く。
更には、ビャアンとルイーセを車外に出し、パトリックが冷たい声で言った言葉。”服を脱げ。”二人は、観念したのか諦観したのか言われるままに全裸になり、石が転がる窪地に下りていく。
そして、二人が身体を寄せている所に投げられる多数の岩。
ー 岩が頭にぶつかり地に斃れる全裸の二人。人間の尊厳迄奪い取るような無慈悲極まりない殺し方である。-
<今作は、冒頭の幸せなヴァカンスシーンから、雪崩のようにデンマーク人の家族が辿る終末迄の過程を、不穏感が尋常でない雰囲気の中描き出した不条理で理不尽で無慈悲極まりないオランダ人夫婦の”おもてなし”作品である。>
イタリア旅行で知り合ったオランダ人の家に遊びに行く。 親切で陽気そ...
イタリア旅行で知り合ったオランダ人の家に遊びに行く。
親切で陽気そうだったが、飲み方、子供への教育など 違和感が続く。
遂にその家族が、連続幼児誘拐殺人犯と分かり
逃げるが捕まり、子供はさらわれ、親は殺された。
最初から BGMが 不穏で、嫌な感じ
最後は 救いようの無いバッドエンド。
客は2時間 嫌な気分で、何を得れば良い?
世の中 ままにならない、人生は不条理、
後味悪いし救いがなくて怖かった
・旅先で知り合った人と仲良くなったとしても、連絡を取るのがとても怖くなった。
・日常にある些細な暴力的、威圧的な態度、行動がいかに怖いかっていうのを改めて感じた。
・旅先で出会った家族を家に招待して両親は殺して子供は舌を切って言葉の自由を奪って拘束しつづけた後、次の獲物の子供が見つかったらあっさり殺して入れ替えるといったことを繰り返す犯人の動機が全くわからないのがとても怖かった。
・犯人夫婦が差し出したんだぞ的なことをいったセリフがあった。何と自己都合なセリフだと思ったけど、最後の一日の時に家に向かった際、ぬいぐるみがないからと駄々をこねる娘のために戻った際、罪悪感と危機感とを天秤にかけられて残る決断をしたけど、ああいうときは危機感を優先すべきだと思った。
・度々、セックスしてたから娘の声を無視したのが原因の罪悪感や金を少し出そうかといった気遣いからの行為を逆手に取られて気が重くなった。嫌な感じって思ったら逃げろという教訓を次々教えてくれる映画だった。
・ラストに子供の舌を普通に切り落とすし両親を全裸にして岩石の破片を投げて殺すした後も、また次の家族を探すサイコパス的な夫婦の日常がはじまる感じが救いがなくて怖かった。
・幽霊とか怪物とかが出てこないだけに恐怖が日常に潜んでる感がすごかった。
本能に従順で、対外関係を壊さない嘘こそが、生き残る唯一の術だったのかもしれません
2024.5.14 字幕 アップリンク京都
2022年のデンマーク&オランダ合作の映画(95分、PG12)
旅行先で出会ったオランダ人家族の元を訪ねるデンマーク人家族を描いた不条理スリラー映画
監督はクリスチャン・タフドルップ
脚本はクリスチャン・タフドルップ&マッズ・タフドルップ
原題は『Gaesterene』で「ゲスト」、英題は『Speak No Evil』で「悪口を言うな」という意味
物語は、デンマーク人一家の主人・ビャヤン(モルテン・ブリアン)、その妻・ルイーセ(スィセル・スィーム・コク)、娘のアウネス(リーバ・フォシュベリ)が、オランダのある村に休暇に訪れるところから紡がれる
彼らは、地元のオランダ人一家の主人・パトリック(フェジャ・ファン・フェスト)、その妻・カリン(カリーナ・スムルダース)、息子のアーベル(マリウス・ダムスレフ)と仲良くなり、社交辞令の如く、「今度ウチにいらしてください」と言う会話を交わすほどになっていた
帰国して間もなく、パトリックたちから絵葉書が送られてきたが、遠方ゆえに行くことは躊躇われた
だが、友人のヨーナス(イェスパ・デュポン)から「車で8時間の距離だ」と聞かされ、夜に出れば朝には着ける距離であることがわかった
そこでビャヤンたちは、パトリックたちの申し出を受けて、彼らの自宅へと訪れることになったのである
物語は、パトリックの家で過ごすうちに違和感を覚えたルイーセが「帰りたい」と言い出すところから動き出す
彼らが寝静まった頃に逃げるように家を出たものの、アウネスが大事にしていたウサギのぬいぐるみを忘れてきたことに気づく
やむを得ずに戻り、こっそりとそれを探しに行くものの、パトリックたちに見つかってしまい、黙って去ったことを咎められてしまうのである
物語性はさほどなく、パトリックたちの何かを生理的に嫌うルイーセが警鐘を鳴らすものの、黙って帰ろうとしたことを取り繕ううちに、逃げられずに終わる様子が描かれていく
その後もパトリックたちは「最高の1日にしたい」ともてなしを続けていき、ルイーセの違和感も拭えていく
だが、そこで再び違和感が生じ、逃げ出そうとするものの、時すでに遅しという感じに綴られていた
映画は、終始不穏な雰囲気が漂っていて、人としての礼節を怠ったビャヤンたちの居心地の悪さが描かれていく
だが、パトリックたちの本性はルイーセの予感通りで、実のところ、これまでに何度も「子どもが一人いる家族」と関係を持ち、子どもを入れ替えてきたことがわかる
アーベルの先天性の失語症は嘘で、実際にはパトリックたちによって舌を切られていて、アウネスもその仕打ちに苛まれることになった
そして、絶望したビャヤンとルイーセは彼らに言われるがままに行動し、最終的には石を投げつけられて殺されてしまうのである
どうして徹底的に抵抗しないのかは謎に思うものの、これまでの経緯から「抵抗できない家族」と言うものを選んでいるように思えた
あくまでも相手の行動を自主的に促し、それによって行動制限をしているのだが、ラストに至る「言いなり」には違和感を覚えてしまう
おそらくは、娘の喪失によって未来に絶望を感じ、生きる気力を失ってしまったのだろう
いずれにせよ、前半はそこまで奇異な体験でもなく、どこにでもありそうな人間関係の不和と言うものを描いていた
後半になって、実は相手が異常者だったとわかるのだが、前半の段階でここまでの落差というものは想像し得ないだろう
そう言った意味において、人間の本能の鋭さというものを磨いておく必要があるのかな、とも思う
とは言え、自分に接近するすべてを疑うのは難しいので、違和感を感じた時には、相手の機嫌を損ねないように距離を取るのがベターだったと言えるのではないだろうか
「悪意」があるかどうかで話は違ってくる
相手の何気ない振る舞いに、不快感や不信感を抱くことは、日常生活の中でもあることだ。
自分自身も、決して悪気はないのに、不用意な言動で相手を怒らせたり、憤らせたりしていることがあるかもしれない。
そんなことを思いながら、2組の夫婦が溝を深めていく様子を興味深く観ていたが、終盤になって、ホスト側の夫婦に始めから「悪意」があったことが明らかになると、何だか興醒めしてしまった。
それにしても、ホスト側の夫婦にあのような目的があったのならば、ゲスト側の夫婦にはできる限り快適に過ごしてもらい、油断をさせるべきだったのではないだろうか?
実際、ホストの言動に「違和感」を覚えたゲストは、2度に渡って逃走を企てているし、しかも、1回目の逃走は、ゲスト側の不手際がなければ成功していた可能性が高いのである。
2回目の逃走にしても、ホスト側がわざと逃がしたように見えないでもないが、家で犯行に及んでいれば、何の苦労もなかったはずで、ゲストに不信感を抱かせ、恐怖を感じさせたのは、明らかに失敗であったと思えるのである。
そもそも、ゲストが、訪問先を誰かに教えていたら、行方不明になった時点ですぐに警察の捜査が入るはずで、犯行の計画そのものが極めて杜撰であると考えざるを得ず、壁に飾ってあった写真のように、いくつもの家族が犠牲になったとはとても思えない。
ゲスト側の家族にしても、大事なぬいぐるみを何度も失くす娘には、もっと物の管理をしっかりしろと怒りたくなるし、ホスト側の不審な動向に関して、夫婦間での情報共有ができていないばかりか、「帰ってもいい」と言われているのに滞在し続けるという判断能力の無さには、見ていてイライラさせられた。
極めつけは、娘や妻が酷い目に合っているのに、ただ泣いて「助けてくれ」と懇願するばかりの夫で、もっと、戦うなり、抵抗するなりできないものかと、情けなく思ってしまった。しかも、相手は、「石」以外に、武器らしい武器を持っていないのにである。
まあ、犯罪者としては、そういう夫であることを見極めて、この家族に狙いを定めたのかもしれないし、実際に犯罪の現場に居合わせたら、誰もが恐怖でああなってしまうのかもしれないが・・・
いずれにしても、変に意図的な「犯罪」の話に落とし込まないで、最後まで、無意識の「ボタンの掛け違い」が対人関係を悪化させていく話にしていれば、もっと面白い映画になったのではないかと、残念に思えてならなかった。
Don't think, feel
ホラーなのは最後の10分間の、無意味に全裸にされて、残忍に殺されるシーンだけ!おそらく、主演のお二人もこのシーンを了解したからキャスティングされた感じ。そこまでの85分間の前振りは、一切回収されず、観なくても良かった。
ハリウッド版リメイクで、素晴らしい脚本と演出に生まれ変わる事に期待します!
後味が悪いタイプの映画
イタリア旅行中に親しくなったデンマーク人家族とオランダ人家族。都会暮らしのデンマーク人夫妻は、オランダ人夫婦に、「ウチは田舎暮らし。週末を自然の中でのんびり過ごすのはどう?」と招待される。ところが、訪れた場所は、寂れた、陰気臭い所。あれ?
夫妻は礼儀正しく、「素敵な所ですね」と褒めるが……
些細な判断ミスが重なった末に、悲劇に見舞われるデンマーク人家族。もう、飛んで火に入る夏の虫、アリ地獄に落ちた蟻、蜘蛛の巣にからめとられた蝶…あのオランダ人夫婦は、相手が裕福で、意識高い系で、なおかつ親切——つまり心に余裕があるほど、それをぶっ壊したくなるのかもしれません。彼らから見ると、のほほんと生きている人間なんでしょう。
確かに怖かったんですが、それよりもイヤーな気持ちの方が強いです。少なくともオランダ人とスウェーデン人は嫌な気分になると思います。「胸騒ぎ」というタイトルは合っていますが、私はもっと得体のしれない恐怖のようなものを想像していたので、ちょっと予想と違いました。こういうジャンルは苦手です。
<追記>
以下はネタバレです。
英語は得意ではないので、原題のSPEAK NO EVILをどう訳せばいいんだろうと思いました。
主人公のビャアンは、人を非難する言葉や、嫌な気持ちにさせる事を言いません。
カンツォーネに感動して涙を流したり、娘の為に外国の街でぬいぐるみを探し回ったりするのは彼の美徳です。でもその善性が、オランダ人夫婦には憎悪の対象となって、次の獲物に選ばれたのかもしれません。娘がいた事も大きいですが、それだけでは無いと思いました。
「なぜこんな目に?」と訴えると、「おまえが差し出した」と言われました。
招かれた場所は、美しいイタリアに比べると、殺風景で全く魅力が無い土地です。葉書をもらった時に調べて、断っても良かったのに、厚意だからと断らなかった。
今夜は猪料理だと言われても、妻はベジタリアンだと言わなかった(以前に言ってるが)
子供を残す事に抗議しないし、支払いは自分が持ったことを妻に言ってないかも。
お土産のカップを割られても怒らなかった。
娘の機嫌を損ねたくなくて戻ってしまった。夫婦の機嫌も損ねたくなかった。
そして、夫婦の正体を知ったのに、妻を怖がらせたくなくて伝えなかった。
おまえのその勇気の無さのせいで、家族を守れなかったのだという事でしょうか。
正当防衛さえさせてもらえない。
北欧イヤミス。動機が理解できないまま、クライマックスは宗教的な暗喩。エンドクレジットのベースや原題にも『善と悪』のテーマを強調されている。ある意味…九条は「純粋な悪意(侵略)」を防御できない、と思い知らされる。だって完全無防備にされて抹殺されてしまうのだから。となると、政治的な映画なのかな、こいつは。
胸糞 イヤミス
⦅#胸騒ぎ⦆
あの夏に出会わなければ...
この招待を断っていれば...
あの時引き返さなければ...
北欧産のイヤミス映画
閉塞感と不穏な煽り
決して本当の正体を隠して
蝕んでいく
そして気づいた時には
【もう、戻れない】⚠️⚠️⚠️
私たち観客の良心を根刮ぎ奪い取られる
鑑賞後は焼肉食べれなくなる映画👅
都内では満席🈵覚悟
郊外がお勧め
既にアメリカリメイク版も今年米公開
#SpeakNoEvil
エンドロールの絵画の意味も知りたい
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